首筋に雨のにおい
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雨の匂いを感じた気がした。
しとしとと雨が降る音が聞こえる。久しぶりに全体練習が休みとなった今日、選手は室内練習場で素振りなどの自主練がメインになるだろうから 雨だろうが晴れだろうが 関係のない話なのだ。
休みの日に済ませておきたい雑務をマネージャー間で分担し、部室掃除の担当となった私がそこを訪れた時、御幸と倉持、それから降谷の姿があった。3人ともジャージ姿のところを見ると、これから室内練習場へ向かうのだろう。
掃除しとくね、と主将である御幸に報告の意味も兼ねて軽く伝えながら、換気のために窓を開ける。雨足は決して強くない。軒があるから雨が吹き込むなんてこともないだろう。解放された窓から湿っぽい空気と一緒に、雨の匂いが流れ込んだ。
「…沢村が太陽で、降谷は雨って感じだよね」
ライバル関係にある後輩投手たちを見ていると、私にはそういう風に思えていた。ふと、香った雨の匂いに釣られるように 思い浮かんだことをそのまま言葉にすれば、その場にいた3人は固まってしまう。そんなに変な事を言った覚えはないから、なによ、と隠さず不満を口にする。
「普通、雨じゃなくて月じゃねーの?」
「対比になってねぇよ」
鼻で笑うように倉持が言った言葉に、御幸も乗っかってくる。倉持にそんなことを言われるなんて心外で、ムッと眉を寄せる。きっと、また訳の分からないことを言い出した、とか思われているのだろう。なによ、倉持と御幸のくせに。
「じゃあ、晴れと雨」
「雨は譲らねーのかよ」
譲らないのではなく、ただ純粋に降谷は雨のようだと思うのだ。
大地を濡らしゆく雨は、真っ直ぐ迷いなく、淀みなく流れ続ける。静かに、黙々と。だけど猛烈な激しさを孕んでいるのまた事実で、時にその圧倒的な力を持って崇高な物にさえ思わされる。
カラカラと笑う倉持を睨みつければ、七瀬チャンは理系だから国語は苦手かな、なんて小馬鹿にしたような御幸の声も聞こえて眉を寄せた。あんた達に言った私が馬鹿だった。部室を出て行く2人の背中に投げやりにも近いそんな言葉を投げつけて、扉が閉まると同時に 一つ息を吐いた。
降谷のようだと思う。美しいと思う。何も間違ってはいないでしょ。
◇◇◇
人の内側に、簡単に入り込んでくる人だと思った。人との関わりがあまり得意ではない僕に対しても、躊躇いもなく、怯むこともなく関わろうとする人。不思議とそれを不躾だと不快に思ったことはなくて、七瀬先輩と話すのは嫌いじゃない。話す、と言っても僕は聞き役になることがほとんどだけど。
煩いのは嫌い。だけど、この人の声は嫌じゃない。そして、そんな彼女は僕を雨だと言う。
「…雨って、嫌われ者みたい」
「まさか」
先輩2人が部室を出たところで、ぽつりと感想を漏らした僕に彼女はカラカラと笑った。そんなわけないでしょ、と。凜とよく通る、張りのある声だと思う。女の人の声だけど、高すぎず低すぎず、ベタベタとしない耳に触りの良い声。この人の声が耳に届くと、なぜかホッとする。
雨が降らなきゃ誰も生きられないの。窓の外で滴る雨を見上げながら そんなことを言う横顔が、素直に綺麗だと思った。けれどそれよりも気になったのは、その言葉の意味。
どう言う意味だろう。僕がそれを問うよりも先に、こちらを振り向いた七瀬先輩と目が合った。にこりと彼女が微笑めば、この場だけに陽が差したような感覚になる。
「それに私、雨好きだもん」
はにかむようにそう言って、掃除用具取ってくる、と 僕の横を通り抜けた彼女は部室から出ようとドアノブに手を掛けた。その手が引かれるより早く彼女の背後に立ち、扉を押さえて開かないように押し留める。七瀬先輩を、閉じ込めた。扉を開かせず、この部室に。僕とドアとの、この狭間に。「降谷?」不思議そうに顔だけ振り向き僕を見上げた彼女の瞳には確かな戸惑いと 僅かな不安が揺らいでいて、それが妙に背徳感のようなものを煽る。鼻を掠めたのは部室にこびり付いた汗と埃の臭いと、湿気を多分に含んだ重たい空気の臭い、それから 自分の内側の何かを駆り立てられるような甘い匂い。
僕が雨だと言うのなら、彼女は僕がいないと生きてはいけないのだと、僕が好きなのだと、そう言う意味であればいいのに。
◇◇◇
倉庫へ掃除用具を取りに行くため部室を出ようとしたところで、背後から影が差した。手を掛けていたドアノブを惰性で引くけれど、扉は開かない。顔だけ振り返れば、まるで塞ぐように左手をドアについた降谷が私を見下ろしていた。「降谷?」呼びかけた声は、僅かに震えていたかもしれない。静かに、真っ直ぐに降り注ぎ、だけど確かな激しさを孕んだその眼は 雨のようだと思った。
「どういう意味ですか」
「え…?」
静かで落ち着いた 低い声。なんて事のない疑問を問われただけのはずなのに、絶対に逃がさないと言われているような圧がある。軽く腰を折った降谷の顔が、私の顔を覗き込むように寄せられた。
しとしとと 雨粒が地面を打つ音が遠くで聞こえる。降谷は、雨だ。きっと私は この眼に呑まれて、どこまでも流されてしまうのだろう。
しとしとと雨が降る音が聞こえる。久しぶりに全体練習が休みとなった今日、選手は室内練習場で素振りなどの自主練がメインになるだろうから 雨だろうが晴れだろうが 関係のない話なのだ。
休みの日に済ませておきたい雑務をマネージャー間で分担し、部室掃除の担当となった私がそこを訪れた時、御幸と倉持、それから降谷の姿があった。3人ともジャージ姿のところを見ると、これから室内練習場へ向かうのだろう。
掃除しとくね、と主将である御幸に報告の意味も兼ねて軽く伝えながら、換気のために窓を開ける。雨足は決して強くない。軒があるから雨が吹き込むなんてこともないだろう。解放された窓から湿っぽい空気と一緒に、雨の匂いが流れ込んだ。
「…沢村が太陽で、降谷は雨って感じだよね」
ライバル関係にある後輩投手たちを見ていると、私にはそういう風に思えていた。ふと、香った雨の匂いに釣られるように 思い浮かんだことをそのまま言葉にすれば、その場にいた3人は固まってしまう。そんなに変な事を言った覚えはないから、なによ、と隠さず不満を口にする。
「普通、雨じゃなくて月じゃねーの?」
「対比になってねぇよ」
鼻で笑うように倉持が言った言葉に、御幸も乗っかってくる。倉持にそんなことを言われるなんて心外で、ムッと眉を寄せる。きっと、また訳の分からないことを言い出した、とか思われているのだろう。なによ、倉持と御幸のくせに。
「じゃあ、晴れと雨」
「雨は譲らねーのかよ」
譲らないのではなく、ただ純粋に降谷は雨のようだと思うのだ。
大地を濡らしゆく雨は、真っ直ぐ迷いなく、淀みなく流れ続ける。静かに、黙々と。だけど猛烈な激しさを孕んでいるのまた事実で、時にその圧倒的な力を持って崇高な物にさえ思わされる。
カラカラと笑う倉持を睨みつければ、七瀬チャンは理系だから国語は苦手かな、なんて小馬鹿にしたような御幸の声も聞こえて眉を寄せた。あんた達に言った私が馬鹿だった。部室を出て行く2人の背中に投げやりにも近いそんな言葉を投げつけて、扉が閉まると同時に 一つ息を吐いた。
降谷のようだと思う。美しいと思う。何も間違ってはいないでしょ。
◇◇◇
人の内側に、簡単に入り込んでくる人だと思った。人との関わりがあまり得意ではない僕に対しても、躊躇いもなく、怯むこともなく関わろうとする人。不思議とそれを不躾だと不快に思ったことはなくて、七瀬先輩と話すのは嫌いじゃない。話す、と言っても僕は聞き役になることがほとんどだけど。
煩いのは嫌い。だけど、この人の声は嫌じゃない。そして、そんな彼女は僕を雨だと言う。
「…雨って、嫌われ者みたい」
「まさか」
先輩2人が部室を出たところで、ぽつりと感想を漏らした僕に彼女はカラカラと笑った。そんなわけないでしょ、と。凜とよく通る、張りのある声だと思う。女の人の声だけど、高すぎず低すぎず、ベタベタとしない耳に触りの良い声。この人の声が耳に届くと、なぜかホッとする。
雨が降らなきゃ誰も生きられないの。窓の外で滴る雨を見上げながら そんなことを言う横顔が、素直に綺麗だと思った。けれどそれよりも気になったのは、その言葉の意味。
どう言う意味だろう。僕がそれを問うよりも先に、こちらを振り向いた七瀬先輩と目が合った。にこりと彼女が微笑めば、この場だけに陽が差したような感覚になる。
「それに私、雨好きだもん」
はにかむようにそう言って、掃除用具取ってくる、と 僕の横を通り抜けた彼女は部室から出ようとドアノブに手を掛けた。その手が引かれるより早く彼女の背後に立ち、扉を押さえて開かないように押し留める。七瀬先輩を、閉じ込めた。扉を開かせず、この部室に。僕とドアとの、この狭間に。「降谷?」不思議そうに顔だけ振り向き僕を見上げた彼女の瞳には確かな戸惑いと 僅かな不安が揺らいでいて、それが妙に背徳感のようなものを煽る。鼻を掠めたのは部室にこびり付いた汗と埃の臭いと、湿気を多分に含んだ重たい空気の臭い、それから 自分の内側の何かを駆り立てられるような甘い匂い。
僕が雨だと言うのなら、彼女は僕がいないと生きてはいけないのだと、僕が好きなのだと、そう言う意味であればいいのに。
◇◇◇
倉庫へ掃除用具を取りに行くため部室を出ようとしたところで、背後から影が差した。手を掛けていたドアノブを惰性で引くけれど、扉は開かない。顔だけ振り返れば、まるで塞ぐように左手をドアについた降谷が私を見下ろしていた。「降谷?」呼びかけた声は、僅かに震えていたかもしれない。静かに、真っ直ぐに降り注ぎ、だけど確かな激しさを孕んだその眼は 雨のようだと思った。
「どういう意味ですか」
「え…?」
静かで落ち着いた 低い声。なんて事のない疑問を問われただけのはずなのに、絶対に逃がさないと言われているような圧がある。軽く腰を折った降谷の顔が、私の顔を覗き込むように寄せられた。
しとしとと 雨粒が地面を打つ音が遠くで聞こえる。降谷は、雨だ。きっと私は この眼に呑まれて、どこまでも流されてしまうのだろう。
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