雨の降る島で料理人と船長のシリアス
*雨の降る島で船長と料理人のシリアス
雨粒が、叩きつけるように降り注ぐ島、インレ島。記録は1日。そこは、世界一、人が雨を浴びる島だと言われている。人工的ではなく、自然に。しかも毎日降り止むことのない島だから、その呼び名は当然と言えば当然であった。
そして、雨というものは時々人を暗い気分にさせ、悪夢を呼び起こす。だが、ここでのそれは異常なのだ。雨に蔓延る成分かはたまたこの島空気か。条件はわからないが。雨粒の悪夢にとりつかれたものは、苛まれ、猟奇や衝動に満ちた行動を、呼び覚ます。
だから、こうも呼ばれる。悪夢を浴びる島、とも。
「……」
とある深夜。かちゃり、とサニー号の、男部屋の扉が開いた。ふらり、ふらり。すらりと長い覚束ない足元が、甲板を囀ずるように歩んでいく。まるでどこかの亡霊のよう。雨の滴る長い前髪に隠された隻眼はいつもの強い光を失って、自虐と優しさの闇を湛えている。
「おれ、の、せいで」
囁くような、声。大粒の雨が降り注ぐ裏甲板にへたりこんだ体。膝を折り、背を丸め、金色の頭を大切な腕で抱え込む。じとじとと降り注ぐ雨が、スーツでは弾ききれないくらいに体を冷たく濡らした。けれど、彼は動かない。
「はんせい、し、ないと」
前髪が、頭を掴む。かきむしるように、指に力が入った。何かの悪夢にとりつかれている彼の罪は何か。ひたすら彼に罰を与えようとしている。
「おれ、の」
瞳に入ったのは、樽の破片だった。徐に掴む。尖っていて、よく刺さりそうだ。罰に、ぴったりの道具を見つけた。
「せい、で……」
きゅっと大切な手でとがった破片を握りしめる。ぽたぽたと血が滴るように落ちた。だが、構わず。とりつかれたような瞳が雨粒と闇に揺れる。とがった先がゆらりと揺らいだ。先端の目標は、彼の引き締まった太もも。
「反省しろ」
振り下ろされる。覇気が黒く籠った樽が。ふり落ちる。紅が、ひどく舞った。太股からどくどくと溢れだした、赤黒い液体。普段の彼からは考えられない行動だった。
「はんせい、しろ」
ゆっくりと引き抜いて、繰り返す。鈍い音を、幾度と。だが、突き刺しても、突き刺しても。怒りは冷めないのだ。許せないのだ。悪夢の中の出来事が。
「はんせい、しろぉっ!!!」
一等強い力で、破片がふり落ちた。だが、それは、傷ついた彼の太股には刺さらなかった。手首が、わしりと掴まれる。真っ暗な瞳が、ゆっくりと空に向いた。
「……る、ふぃ」
黄色い、太陽のような麦わら帽子が見えた。だが、子供のような声は、別の喜びに満ちていた。ゆっくりと、破片が取り上げられ、海に放られる。
「サンジーー」
「……どれだけ反省したら」
船長の言葉は、遮られた。とりつかれた男は、雨粒一つのように、明るい声を放るように、ぽつりといった。
「みんな、許してくれるんだ?」
「……!!」
船長は、衝動的に彼を抱えあげた。どくどくと血が流れる太もも。飛び込んだのは、保健室。裏甲板から一番の近い部屋だ。そこを潜り抜け、キッチンに。
「るふぃ……?」
ソファーに座らされると、困惑した声が響く。中に入ったことを、咎めるような声。反省が足りないのではないか。そう、呻くような。
「……おれ、やっぱり」
まだ反省してくる、と続け、太股の痛み構わず外に出ようとする。だが、
「……っ?」
途端にぎゅっと、抱き締められた。太陽の光を浴びるような、あたたかさ。背中を、ポンポンとさすってくる。
「る」
「いらねぇ」
船長は静かに言った。
「反省なんか、いらねぇ」
「……え?」
「みんな、無事だし。お前のは、ただのひでぇ夢だ」
「ゆ、め?」
なにか言いたそうな口を無視し、ぎゅっと耳を塞がせる。
「だから」
ぽふぽふと濡れた体を叩きながら、船長は優しくいった。
「帰ってこい、サンジ」
はっ、と息を飲む音がした。瞳が、ふわりと蒼に戻る。
「あ???なんだルフィ!?なにおれにへばりついてんだ?」
ガァガァとやかましい声がした。船長はパアッと顔を明るくする。
「サンジ!」
「んだこりゃ。血まみれじゃねぇか。っと、でも夜だよな。わりぃが、包帯かなんか持ってきてくれ」
料理人は一気にいい放つ。船長はじっと料理人を見つめた。観察するような瞳。彼は本当に何があったか覚えていないのだろうかと問うような。
「……話は、そのあとだ」
だが、そんな瞳にちゃんと気づいていたのか。料理人は囁くように言った。
「わかった!」
船長はにっと笑って保健室に一足飛びだ。料理人は、ふうっと息を一つついた。顔が、驚きから冷静に戻っていく。
「……ったく」
ずるりとソファーから力なくずり落ちる。濡れた上着だけ脱ぎながらも、ばくばくと心臓が跳ねた。悪夢から目覚めたことを、表す。
「ひっでぇ、ゆめだ」
ーーーー
麦わらの一味が、自分以外倒れ伏した夢だった。自身は足に鎖を巻きつけられて動きを封じられ、雨粒だらけの甲板に転がされる夢。
「お前がこんな一味にいるから、仲間たちはこうなったんだ」
顎に触れて顔をあげさせられる。その言葉までは、確かに見知らぬ敵だった。
「まだ生かしてあるが、お前は反省しろ」
だが、その言葉のあとは、顔が変わったのだ。忌々しく、見たくもない父親の顔に。
「叩きつけるような、雨の中でな」
訓練に失敗し、降り注ぐ雨粒の中で外に放っておかれた時のように。
ーーーーー
料理人は、ぼうっとそれを思い出していた。手足からとくとくと血が流れて床に落ちる。ソファーに投げ出された手足は力が抜けたようにだらんとしている。ずぶ濡れの服は、しっとりと肌にはりついて心地が悪いが彼はお構い無しだった。
「サンジ」
「あ?」
「またボーッとしてるぞ」
包帯を眼前にちらつかされて、はっとまた驚く。悪い、そう奪い取って、ズボンを脱ぐと太股の辺りに適当に包帯を巻き始めた。船長はそれをじっと見つめるだけ。
「……な、ルフィ」
つい、ポツリと声が漏れた。船長は、ん?と問い返す。
「例えば、おれの知り合いが、この船を襲って」
「うん」
「おれが、足が使えなくて、みんながやべぇことになったら」
少しだけ、彼は包帯を巻く手を震わせながらいった。
「おれには、反省がいるだろ?」
ゆっくり、顔をあげながら、真剣に船長を見つめる。
「……?」
だが、船長はキョトンとした顔になっただけ。
「いらねぇぞ?」
「あ?」
「サンジの知り合いが悪ィだけで、サンジはなんにも悪くねぇだろ、それ。何いってんだ?」
船長は純粋に言っているらしい。料理人はぽかんとした。
「でも、そのせいでお前らが死ぬかもしれねぇんだぞ?」
「おれが死なせねぇから大丈夫だし、サンジに反省もさせねぇから大丈夫だ!」
「お前だって倒れてたんだぞ」
「じゃあおれはそのあとすぐ立ち上がってそいつぶん殴る!そしたら終わりだ!」
「立ち上がれなかったら?」
「それはおれじゃねぇ!」
他には文句はないのか。船長は手早く返してすべて温かな方に悪夢を運んでいく。
「……なんだよ、それ」
そうすると、悪夢にとりつかれていた自分が、バカらしくなってきて。ぷは、と料理人は小さく笑った。船長は逆にふくれる。
「それが当たり前なんだーー!!」
「はは」
「サンジー!!笑うなーー!!」
ギャーギャーと夜に声を出す船長。料理人は悪い悪いと呻きながらも、ズボンをはき直して、手のひらを見やる。
「これで、落ち着いて寝れるかな」
「大丈夫だっ。おれが、ぶっとばすんだからな!」
「……わかったって」
最初をこちらにしとけばよかった。料理人は包帯をくるくると手に巻きながら、囁くようにいった。
「ありがとう、船長」
船長はにっと歯を見せて笑った。
「いーよっ。ここでねてもいーぞ!お前5時おきだろっ」
「そういうのは覚えてんだな、お前」
「ししっ」
料理人はばふりとソファーに横たわった。そういえば、と彼は瞬きする。
「なんでお前、起きてたんだ?」
「みんなが苦しそうな夢見て起きたからだぞ?」
「……当然のように難しいこと言うな」
そんなことを呻きながら、雨粒の夜は更けていく。次の朝、がーがーと床でいびきをかく船長と麦わら帽子をかぶせられて適当に巻かれた包帯つきで眠る料理人を、ちょっと早起きした音楽家が見て、理解したように小さく笑うのだった。
<end>
雨粒が、叩きつけるように降り注ぐ島、インレ島。記録は1日。そこは、世界一、人が雨を浴びる島だと言われている。人工的ではなく、自然に。しかも毎日降り止むことのない島だから、その呼び名は当然と言えば当然であった。
そして、雨というものは時々人を暗い気分にさせ、悪夢を呼び起こす。だが、ここでのそれは異常なのだ。雨に蔓延る成分かはたまたこの島空気か。条件はわからないが。雨粒の悪夢にとりつかれたものは、苛まれ、猟奇や衝動に満ちた行動を、呼び覚ます。
だから、こうも呼ばれる。悪夢を浴びる島、とも。
「……」
とある深夜。かちゃり、とサニー号の、男部屋の扉が開いた。ふらり、ふらり。すらりと長い覚束ない足元が、甲板を囀ずるように歩んでいく。まるでどこかの亡霊のよう。雨の滴る長い前髪に隠された隻眼はいつもの強い光を失って、自虐と優しさの闇を湛えている。
「おれ、の、せいで」
囁くような、声。大粒の雨が降り注ぐ裏甲板にへたりこんだ体。膝を折り、背を丸め、金色の頭を大切な腕で抱え込む。じとじとと降り注ぐ雨が、スーツでは弾ききれないくらいに体を冷たく濡らした。けれど、彼は動かない。
「はんせい、し、ないと」
前髪が、頭を掴む。かきむしるように、指に力が入った。何かの悪夢にとりつかれている彼の罪は何か。ひたすら彼に罰を与えようとしている。
「おれ、の」
瞳に入ったのは、樽の破片だった。徐に掴む。尖っていて、よく刺さりそうだ。罰に、ぴったりの道具を見つけた。
「せい、で……」
きゅっと大切な手でとがった破片を握りしめる。ぽたぽたと血が滴るように落ちた。だが、構わず。とりつかれたような瞳が雨粒と闇に揺れる。とがった先がゆらりと揺らいだ。先端の目標は、彼の引き締まった太もも。
「反省しろ」
振り下ろされる。覇気が黒く籠った樽が。ふり落ちる。紅が、ひどく舞った。太股からどくどくと溢れだした、赤黒い液体。普段の彼からは考えられない行動だった。
「はんせい、しろ」
ゆっくりと引き抜いて、繰り返す。鈍い音を、幾度と。だが、突き刺しても、突き刺しても。怒りは冷めないのだ。許せないのだ。悪夢の中の出来事が。
「はんせい、しろぉっ!!!」
一等強い力で、破片がふり落ちた。だが、それは、傷ついた彼の太股には刺さらなかった。手首が、わしりと掴まれる。真っ暗な瞳が、ゆっくりと空に向いた。
「……る、ふぃ」
黄色い、太陽のような麦わら帽子が見えた。だが、子供のような声は、別の喜びに満ちていた。ゆっくりと、破片が取り上げられ、海に放られる。
「サンジーー」
「……どれだけ反省したら」
船長の言葉は、遮られた。とりつかれた男は、雨粒一つのように、明るい声を放るように、ぽつりといった。
「みんな、許してくれるんだ?」
「……!!」
船長は、衝動的に彼を抱えあげた。どくどくと血が流れる太もも。飛び込んだのは、保健室。裏甲板から一番の近い部屋だ。そこを潜り抜け、キッチンに。
「るふぃ……?」
ソファーに座らされると、困惑した声が響く。中に入ったことを、咎めるような声。反省が足りないのではないか。そう、呻くような。
「……おれ、やっぱり」
まだ反省してくる、と続け、太股の痛み構わず外に出ようとする。だが、
「……っ?」
途端にぎゅっと、抱き締められた。太陽の光を浴びるような、あたたかさ。背中を、ポンポンとさすってくる。
「る」
「いらねぇ」
船長は静かに言った。
「反省なんか、いらねぇ」
「……え?」
「みんな、無事だし。お前のは、ただのひでぇ夢だ」
「ゆ、め?」
なにか言いたそうな口を無視し、ぎゅっと耳を塞がせる。
「だから」
ぽふぽふと濡れた体を叩きながら、船長は優しくいった。
「帰ってこい、サンジ」
はっ、と息を飲む音がした。瞳が、ふわりと蒼に戻る。
「あ???なんだルフィ!?なにおれにへばりついてんだ?」
ガァガァとやかましい声がした。船長はパアッと顔を明るくする。
「サンジ!」
「んだこりゃ。血まみれじゃねぇか。っと、でも夜だよな。わりぃが、包帯かなんか持ってきてくれ」
料理人は一気にいい放つ。船長はじっと料理人を見つめた。観察するような瞳。彼は本当に何があったか覚えていないのだろうかと問うような。
「……話は、そのあとだ」
だが、そんな瞳にちゃんと気づいていたのか。料理人は囁くように言った。
「わかった!」
船長はにっと笑って保健室に一足飛びだ。料理人は、ふうっと息を一つついた。顔が、驚きから冷静に戻っていく。
「……ったく」
ずるりとソファーから力なくずり落ちる。濡れた上着だけ脱ぎながらも、ばくばくと心臓が跳ねた。悪夢から目覚めたことを、表す。
「ひっでぇ、ゆめだ」
ーーーー
麦わらの一味が、自分以外倒れ伏した夢だった。自身は足に鎖を巻きつけられて動きを封じられ、雨粒だらけの甲板に転がされる夢。
「お前がこんな一味にいるから、仲間たちはこうなったんだ」
顎に触れて顔をあげさせられる。その言葉までは、確かに見知らぬ敵だった。
「まだ生かしてあるが、お前は反省しろ」
だが、その言葉のあとは、顔が変わったのだ。忌々しく、見たくもない父親の顔に。
「叩きつけるような、雨の中でな」
訓練に失敗し、降り注ぐ雨粒の中で外に放っておかれた時のように。
ーーーーー
料理人は、ぼうっとそれを思い出していた。手足からとくとくと血が流れて床に落ちる。ソファーに投げ出された手足は力が抜けたようにだらんとしている。ずぶ濡れの服は、しっとりと肌にはりついて心地が悪いが彼はお構い無しだった。
「サンジ」
「あ?」
「またボーッとしてるぞ」
包帯を眼前にちらつかされて、はっとまた驚く。悪い、そう奪い取って、ズボンを脱ぐと太股の辺りに適当に包帯を巻き始めた。船長はそれをじっと見つめるだけ。
「……な、ルフィ」
つい、ポツリと声が漏れた。船長は、ん?と問い返す。
「例えば、おれの知り合いが、この船を襲って」
「うん」
「おれが、足が使えなくて、みんながやべぇことになったら」
少しだけ、彼は包帯を巻く手を震わせながらいった。
「おれには、反省がいるだろ?」
ゆっくり、顔をあげながら、真剣に船長を見つめる。
「……?」
だが、船長はキョトンとした顔になっただけ。
「いらねぇぞ?」
「あ?」
「サンジの知り合いが悪ィだけで、サンジはなんにも悪くねぇだろ、それ。何いってんだ?」
船長は純粋に言っているらしい。料理人はぽかんとした。
「でも、そのせいでお前らが死ぬかもしれねぇんだぞ?」
「おれが死なせねぇから大丈夫だし、サンジに反省もさせねぇから大丈夫だ!」
「お前だって倒れてたんだぞ」
「じゃあおれはそのあとすぐ立ち上がってそいつぶん殴る!そしたら終わりだ!」
「立ち上がれなかったら?」
「それはおれじゃねぇ!」
他には文句はないのか。船長は手早く返してすべて温かな方に悪夢を運んでいく。
「……なんだよ、それ」
そうすると、悪夢にとりつかれていた自分が、バカらしくなってきて。ぷは、と料理人は小さく笑った。船長は逆にふくれる。
「それが当たり前なんだーー!!」
「はは」
「サンジー!!笑うなーー!!」
ギャーギャーと夜に声を出す船長。料理人は悪い悪いと呻きながらも、ズボンをはき直して、手のひらを見やる。
「これで、落ち着いて寝れるかな」
「大丈夫だっ。おれが、ぶっとばすんだからな!」
「……わかったって」
最初をこちらにしとけばよかった。料理人は包帯をくるくると手に巻きながら、囁くようにいった。
「ありがとう、船長」
船長はにっと歯を見せて笑った。
「いーよっ。ここでねてもいーぞ!お前5時おきだろっ」
「そういうのは覚えてんだな、お前」
「ししっ」
料理人はばふりとソファーに横たわった。そういえば、と彼は瞬きする。
「なんでお前、起きてたんだ?」
「みんなが苦しそうな夢見て起きたからだぞ?」
「……当然のように難しいこと言うな」
そんなことを呻きながら、雨粒の夜は更けていく。次の朝、がーがーと床でいびきをかく船長と麦わら帽子をかぶせられて適当に巻かれた包帯つきで眠る料理人を、ちょっと早起きした音楽家が見て、理解したように小さく笑うのだった。
<end>