草原去りて海原を渡る



「はぁー…やれやれ。やっと大人しくなってくれたか」


大きなため息を吐き出し、マッシュは呆れ混じりにぼやく。
その目の前にはついこの間出会い、ひょんな事から懐いてそのままついてきた野生児のガウが船の甲板の隅で不機嫌そうに縮こまっていた。

船がニケアの港に停まっていた間は初めての景色や物に目を輝かせてきゃらきゃらと楽しげに笑っていたというのに、船が動き出して陸から徐々に離れて行くと途端に慌てだし、船から飛び降りようとしたのをマッシュとカイエンが必死で引き止め、押し合いへし合いすったもんだの末に何とか留まらせたのだ。

「大丈夫でござるよガウ殿。しばしの辛抱にござる」
「そうそう。そのうちちゃんと陸に着くから。それまで我慢してくれよ」
「ヴヴヴ…ガウ、ふね嫌い…足ぐらぐら。やだ」

カイエンとマッシュがなだめるも、むすっとした顔のままガウはそう呟く。

「第一、俺達はお前に一緒に来いとまでは言わなかっただろ?今更聞くのもなんだが、なんでついて来たんだよ?」
「ガウ…うー…」

ガウは苦手なりに言葉を紡ごうと頭をひねらせ、暫く考え込んだ後、マッシュとカイエンの顔を交互に見ながら言葉を返す。

「マッシュとござる、川飛び込んだ。あの川、流れすごく早い。二人がおぼれたらガウ嫌だった」
「拙者達の事が心配でついてきたのでござるか?」
「ガウ」

ガウは頷く。

「それに、ガウ、干し肉くれた二人の事好きになった。もっと一緒にいたい。だからついてきた」
「そうでござるか…ガウ殿は良い子でござるな」
「ガウ?おいら、いいやつ?」
「うむ。人を思いやれる、とても良い子でござる」
「ガウ~…」

カイエンが頭を撫でてやると、ガウは少しだけ機嫌が直ったのかようやく笑顔を見せ、もっと撫でろとばかりにカイエンの掌にぐいぐいと頭を押し付けた。

「まあ、船が落ち着かないってのは何となく分かるけどな。地面と違って踏ん張りどころが無いし…目を閉じると、このままどこかに落ちていくんじゃないかって感覚になったりするし」
「ガウガウ!それ!マッシュの言うの、ガウと同じ!ガウもそれ言いたかった!ふね、足つかない感じ。高いとこ登ったのと似てる。ガウあんまりそれ好きじゃない」
「ん?でもお前、こないだ空飛んでたじゃないか。いや、そもそも何で飛べんだお前?ガウも魔法とかいうのが使えるのか?」

三人が三日月山に到着する少し前。獣ヶ原での戦闘時にガウは空を飛びながら火球をモンスター目掛けて放っていた。
それはマッシュがティナ達と共にレテ川を下っている際に襲いかかってきた青紫の鱗を持つ小型のドラゴン──確かリターナーのバナン曰くレッサーロプロスという名の種だった筈──の動きそのもので、マッシュはその姿に大いに度肝を抜かれたものだ。

「う?ガウ、まほー知らない!ガウ、あの青いやつになってただけ!あいつ飛ぶ!だからあいつになったガウも飛ぶ!」
「……ええと…どういう理屈だ?」
「拙者にもよく分からぬでござる…」
「あいつになってる時、ガウはガウじゃなくてあいつになる。あいつは空を怖がらない。だからあいつになってる時のガウは高いの平気!」

(一種の…自己暗示みたいなもんなんだろうか?)

世の中の理屈や道理を知らぬガウに問うたところでまともに答えが返ってくる訳がないのは目に見えているためそれ以上聞きはしなかったが、マッシュの考えではガウは自らがモンスターになったと強く思い込む事でその対象の持つあらゆる不可思議な力を発揮しているように思えた。

「マッシュとござるにとめられたけど、さっきもガウ魚になろうとした。魚になれば泳げる!水怖くなくなる!泳げばふねにぐらぐらされなくても進める!ガウ怖いのなくなる!」
「ふむ…空を舞う鳥や竜が空を事を恐れぬように、水を駆ける魚が水を恐れぬように、ガウ殿はそれらに"成る"事で自らの恐れを打ち消しているという事でござろうか?」
「がう?」
「…少し言い方が難しかったでござるかな。要するに…ガウ殿はモンスターになって暴れている時は怖いものも平気になるという事で良いのでござるか?」
「ガウガウ!そう!ガウ暴れる!そしたらへっちゃら!獣ヶ原のみんなのちから、ガウ強くする!」

きっと獣ヶ原でずっと暮らしてきたガウにとって、モンスターになりきる事は他の生き物達の中に溶け込んで彼らと共に暮らすための処世術でもあり、ガウという少年自身の持つ『個』を一時的に塗り潰す事で身の回りの様々なものへの恐れを打ち消し抗うための手段でもあるのだろう。
それは猛獣達の蔓延る草原を生き抜いてきた子供がたった一人で編み出し成した、一つの強さの境地だ。

「本当にお前は強い奴だなあ」
「ガウッ!」

マッシュが素直に感嘆の言葉を述べると、にかっと歯を剥き出しにしてガウは笑った。

「でも、流石に泳ぐのは止めとけよ。途中へばって船に置いてかれて海のど真ん中で置き去りなんて嫌だろ?」
「が、がう…」
「ははっ!悪い悪い。そんな怯えるなって。にしても、このくらいの揺れに驚いてるなら俺の故郷の城に来たらきっとびっくりして飛び跳ねまくるんじゃないか?」
「しろ?」
「あー…城ってのは…すっげーでかい家みたいなもんだ。それこそ三日月山くらいにな。そこには沢山人が済んでるんだ」
「う…?人いっぱいのすみか?」
「まあ、そんな感じだな。それでな。うちの城は何と言っても砂に潜って移動する事が出来るんだ。黄金の海を行くフィガロ城は外からは勿論、中から見ても圧巻なんだぜ」

マッシュは遠い昔に兄と共に見たフィガロ城の姿に思いを馳せた。日差しの照りつける窓が急にぶわりと暗くなり、しばしの息苦しさの後にまた現れる光のそのまばゆさは、今でも鮮明に思い出せる。
一度は嫌気が差し、自ら捨て去った故郷ではあるが、もしも兄や民が許してくれるのならばもう一度あの場所に足を踏み入れたいと思っていた。

「機械国家のフィガロ…城が地中に潜航するという話は本当でござったか」
「ああ。俺の兄貴が治める自慢の城さ!」
「おーごんのうみ…マッシュの家、海の中なのか?」

ガウが不安げに首を傾げる。

「あ、ちょっと言い方が悪かったか…海ってのは例えの話であって、ちゃんと地面に建ってるよ。目の前いっぱいに広がる砂がまるで金色の海みたいだけっていう…そうだな…この海が俺の髪みたいな色になってるの想像してみろよ」
「ガウ…」

ガウは船の縁に手を掛け、それから海とマッシュを交互に見やる。

「…マッシュの髪、ピカピカ。ピカピカの海みたいに見えるとこ…ガウ見てみたい!」
「お?そうか!どうせナルシェに行くにはフィガロの砂漠を横切る事になるし、たっぷり眺めれば良いさ」
「ガウ!!」
「拙者もいずれはフィガロの城に立ち寄らせて貰っても構わぬでござるか?ドマでの事を他国にも報告せねばならぬでござるし…その、拙者は機械に疎いので…」
「ああ、兄貴や城の技師達に頼んで色々教えて貰えば良いさ。カイエンみたいな良い奴はきっと歓迎して貰えるよ」
「おお…それはかたじけぬ…恩に着るでござるよ」
「良いって良いって。ま、フィガロ城に立ち寄る前にまずはナルシェに行かなきゃな!ガウは雪を見るのも初めてだろ?」
「ゆき?」
「空から降ってくる冷たい白いやつだ。そういやお前のその格好だと砂漠の夜や雪原は寒いかもな…サウスフィガロに着いたらなんか羽織る服でも買ってくか」
「いらない!」
「しかしその格好で雪の中を出歩いたら風邪を引いてしまうでござるよ?」
「ガウ、服嫌い!ガウ暴れれば寒くない!だからいらない!!ガウウ!!」
「全く頑固な奴だなぁ…後で泣き言言っても知らないからな?」
「ガウ泣かない!ガウ強い!」
「はいはい。分かった分かった」

マッシュはムキになるガウに思わず苦笑する。


この旅路が自分達が思うよりも遥かに長いものになるとまだ知らぬ三人は、煌めく海を眺めながらこの船旅の果てに思いを馳せるのであった。
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