婦女子連続殺傷事件

 時は大正。

 物事が日々近代化し、人々が忙しなく時代の流れに追いつこうと、必死になって生きる頃。

 浮世のしがらみとは無縁の男がいた。

 名を桐谷世界。

 彼をよく知る者は皆『世之介』と呼ぶ。

「嗚呼、面白い事はどこかに落ちていないものかなぁ」

 広く大きな屋敷。陽の差し込んだ暖かな縁側で、仰向けになり寝そべる。彼は親が金持ちの為、こうしてぐうたらと過ごしている毎日。

 チリンチリンと涼しげな風鈴の音が、もうすぐ夏が来る事を告げていた。

 そんな世間とは離されたゆっくりと時間が流れるこの屋敷に、訪れる者がひとり。

「まっ、またこんな所で寝っ転がっ
て」

「ん? お涼か」

「ん? とはなんです? 全くもう相変わらずだらしのないこと」

 お涼と呼ばれた彼女は名を川辺涼子といい、世之介の幼なじみだ。

 艶やかな竜胆柄の着物に羽織りを身に付けて、豊かな黒髪を美しく綺麗にまとめ結い上げている。

「それに頭もボサボサ。ちゃんと櫛ぐらい通しなさいな」

 そう言ってお涼は縁側に座り世之介を起き上がらせて、袂から取り出した櫛で茶色の癖っ毛の彼の髪を整えてやる。

「まるで母親のようだなぁ」

「まっ、私は貴方の母親じゃありません」

 そんな会話をしていると、部屋の中から声をかける者がいた。

「やあやあ世之介。元気にしていたか? 鍵が開いていたので、勝手に上がらせてもらったよ」

 ハハハハっと好青年のように笑いながら、勝手に部屋にズカズカと上がり込む神経の持ち主の男。

 名を藤田清一郎。

 大柄な身体に浅葱色の着物を着たがっしりとした体型をしている。

 一代で莫大な金を築き上げた高利貸し。十日で一割の十一で金をかき集めている悪党ではあるが、その豪快な性格からか慕っている者も多い。

「おっ、清さんが来たって事は、また僕に面白い話をしに来たのかい?」

 さっきまでの半眼の眠そうな顔は何処へやら。瞳を爛々と輝かせて、世之介は清一郎を見る。

「ふはははっ、さすが世之介。察しがいいな。まさに君に面白い話を持って来たのだ」

 笑う清一郎を尻目に、お涼は嫌そうな顔をする。

「どうせまた、色事なのでしょう? 嗚呼嫌だ、嫌だ。男の人ってどうしてそんな遊びばかり。いい加減にしないと、梅毒にでもなってしまいますよ」

 一時期は三日と空けずに花街に世之介と清一郎、二人仲良く出掛け、ドンチャン騒ぎをしていたのだ。

「いやいや、お涼さん。今日は一味違った事柄なのだ」

「まっ、どんな話?」

 小首を傾げるお涼に、清一郎はニヤリと笑い告げた。

「殺傷事件さ」

「ああ、あの婦女子ばかりを狙った事件」

 納得するお涼に世之介はぽかんとする。

「なんだいなんだい二人して。どんな事件なんだい?」

「嫌だなぁ世之介。新聞ぐらい目を通すものだよ」

 清一郎は笑いながら、事件の内容を話してくれた。


 いま巷を賑わせている婦女子連続殺傷事件。夜、暗い道を歩いていると急に襲ってくる殺傷魔。全て年若い女性ばかりを狙った悪質な事件。いままで切り付けられた者はざっと三十人。黒いマントに不気味な仮面を付けた犯人は、被害者らの腕や腹、酷い者は顔にナイフを切り付けられたそうだ。

「ふうん、なるほど。それは面白そうだね」

「なにが面白いものですか。あんな物騒な事件、さっさと警察が捕まえて終わりにしてほしいものよ。じゃないと、怖くて夜道を歩けないわ」

 呑気にわくわくしている世之介に対してお涼は、「怖いわ」と目を伏せる。

「そこで、だ。世之介よ、我々二人で是非ともその殺傷魔を捕まえてみないか? いい暇つぶしになると思うぞ」

「それはいい。楽しそうだ」

 清一郎の言葉にすっくと立ち上がって、世之介はやる気満々だ。

「いやだ、世之介さん。貴方がわざわざそんな事件に首を突っ込まなくてもいいじゃありませんか。それに狙われているのは女性ばかりなのよ。どうやって捕まえるの?」

 心配をするお涼に清一郎は、ふはははっと笑い、ウインクをして見せた。

「俺に考えがある。まずは銀座のカフェにでも行って、珈琲を飲むとしよう。そこに今回の被害者がいるんだ。話を聞いて見ようじゃないか」

「よし、行こう行こう」

「ちょっと、世之介さん、清一郎さん。全くもうっ」

 引き留めようとするお涼を無視して二人、いそいそと銀座のカフェへ出向くのであった。


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