ひと夏の小さな恋

 ある夏の日、私の住む海辺の町に、美しいお兄さんが引っ越して来ました。

 病的なほどに青白くて、人形みたいに整った綺麗な顔のお兄さん。

 私は、その美しいお兄さんに、生まれて初めて恋をしました。

 まだ10歳の私にとってお兄さんは、同級生よりもずっと遥かにかっこいい大人の男性でした。

 小学生の男子なんて、まだまだガキンチョで、お兄さんの大人の魅力とは比べようがありませんでした。

 そんなお兄さんが越してきたのは大きな家で、ママもパパもお金持ちのお坊ちゃんなんじゃないか、と話していました。

 お兄さんは愛想が良く、すぐに近所の人たちと仲良くなりました。

 私はすぐにお兄さんに会いに行き、挨拶をしました。

「はじめまして、こんにちは。高橋彗夏です」

 自己紹介をすると、

「へぇー彗夏ちゃんか。はじめまして、僕は三島冬夜です。よろしくね」

 にっこり笑ったお兄さんは、優しく私の頭をなでてくれました。

 私はこの時、完全に恋に落ちたんだと思います。

 私は毎日毎日、飽きることなく、お兄さんに会いに行きました。

 その度にお兄さんは、私を笑顔で迎えてくれました。

 私はお兄さんの家で本を読んだり、お話したり、海で遊んだり。

 ちょうど夏休みだったので、一緒にカンガルーの貯金箱をつくったり、自由研究を手伝ってもらったりしました。

 お兄さんといれば私は、何時間もの時が、一瞬で終わってしまう感覚に陥るのでした。

 そんなある日、お兄さんと砂浜で遊んでいた時でした。

 私とお兄さんは一緒に、大きなお城をつくりました。

 私ひとりでは到底マネ出来ない、立派なお城。

 けれどお兄さんは、

「さあ、誰かに壊される前に壊してしまおう」

 そう言って、壊してしまいました。

 私が涙目になっていると、お兄さんは言ったのです。

「誰かに壊される前に、愛するものは壊さないといけないんだよ」

 子供の私にはわからないお兄さんの理論。

 お兄さんは誰かに、愛するものを壊されたことがあるんでしょうか?

 それでもお兄さんは、どこまでも優しい人でした。

 子供の私に付き合って毎日、何時間も遊んでくれたのですから。



 その日の夜、私はコンビニに行く途中、お兄さんを見かけました。

「お兄さん」

 しかし私の声は、届きませんでした。

 その時のお兄さんは、綺麗な女性と一緒だったからです。

「みちる……」

 愛しそうに女性の名前を呼んで、お兄さんはキスをしました。

 私はショックで、コンビニへ行くのも忘れて、家に帰りました。

 その日からでした。

 私が度々、お兄さんと女性を見かけるようになるのは。

 でもお兄さんは毎回、違う女性と一緒でした。

 テレビのニュースではずっと、お兄さんと一緒にいた女性たちが行方不明だと報道されていました。

「怖いわねえ」

 ママは不安そうに言ってましたが、私は何も言いませんでした。

「彗夏ちゃん、最近難しい顔してるね。どうしたの?」

 いつものように、お兄さんの家に行き、本を読んでいた時です。

 お兄さんが心配そうに、私に尋ねました。

「……お兄さんは、好きな人が出来たら、どうするの?」

 突然の私の質問。

「どうするって……愛するよ」

 お兄さんは不思議そうにしながら、答えてくれました。

 ああそうか、私はお兄さんの愛の形がわかりました。

 お兄さんにとって愛するとは、壊すことなんだって。

 その時に知りました。

「お兄さん、好きだよ」

 私が告白すると、

「僕も好きだよ」

 そう笑って、頭を優しくなでてくれました。

 私のことを好きなら、お兄さんはいつか自分も壊してくれるだろうか……。

 しかしその答えは、私にとって残酷なものでした。

 その日、お兄さんの家を警察が取り囲んでいました。

 お兄さんが手錠をされて出て来るところに出くわして、私はお兄さんに聞きました。

「お兄さん、私のことはいつ壊してくれるの?」

 私の問いに、お兄さんは答えます。

「それはないよ。だって君は、僕の妹のような存在だから」

 これを聞いて私は、ショックを受けました。

 たくさんの女性たちを、愛して壊してきたお兄さん。

『誰かに壊される前に、愛するものは壊さないといけないんだよ』

 そう言って砂のお城を壊したお兄さん。

 私はその砂のお城以下の存在。

 パトカーに乗るお兄さんの背中を見つめたまま、私は動けませんでした。

 私はお兄さんに殺されて愛を得ることが出来ず、悲しかったのです。

 私は一晩中、泣きました。

 ママとパパは、お兄さんが殺人犯のショックで泣いていると思っているみたいでした。

 初めての恋、初めての失恋は、私の心に強く刻まれました。

 お兄さんはたくさんの女性を殺した罪で、死刑にされました。

 それでも私は、ずっとお兄さんのことが忘れられません。

 お兄さんが死んで10年経った今でも、想いを馳せるのです。

 愛されなくても、それでも傍にいられたら……。


 遠い夏の日に想いを馳せて、私は瞳を閉じます。

「彗夏ちゃん、おいで」

 そうして私は、お兄さんの手を取ります。


 私の遠い遠い、夏の日の思い出……。



 完
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