第1話 アロマ喫茶せせらぎ

「祖父と父が猟奇殺人犯というのは、嘘です。ちょっとした、夏の怖い話のつもりでしたが、9月も下旬、季節はずれでしたね」

 柏木はまた会計を続けながら、話をする。

「あの刑事さんが私を警戒するのは、父親として香奈様に悪い虫がつかないか心配だからです。だから、あんな根も葉もないことを言っておられるのですよ」

「そうだったんですかー」

 ほっと胸を撫で下ろす雫。

「ですが、私の父親が変わっていたのは事実ですよ。なんせ私の名前『あやめ』を殺める女で『殺女』にしようとしたのですから。父の言い分では、『女殺しの男になってほしい』といった願いが込められていたのだとか」

──もちろん、役所で通りませんでしたが。

 最後にそう付け加えて、柏木は言葉を閉じる。

 それはそうだろう。子供に『殺女』なんて名前を付けて、役所が通したりしたら、かなりヤバいと思う。

 雫は心で突っ込んだ。

「さあ、雫さん。掃除はそのくらいにして、上がっていいですよ」

 いつもの涼やかで甘い声が、心地よく雫の耳に届く。

「あ、はい。今日もお疲れ様でした、柏木さん」

「はい、お疲れ様でした」

 柏木に声をかけて、二階の部屋で私服に着替えた。

「それでは、また明日もよろしくお願いします」

 柏木の声に見守られながら、雫は家路へと帰って行った。

──

────

 雫は逃げ惑っていた。

 せせらぎの店の中、柏木から逃げるため、隠れる場所を探していた。

「雫さん、どこにいるのですか?」

 なぜか雫が隠れた場所は、いつものレジスターがあるカウンターの裏だった。

 外に逃げるとかすればよかった……。

 時既に遅く、柏木が二階から階段を降りて来るのを、軋む木の板の音で気付いた。

「雫さん、怖くないですよ。一瞬ですからね……」

 びくびくと身体を震わせて、声が出ないように手で口を抑える。

 急に静かになった。

 恐る恐る雫が、しゃがんで隠れているカウンターの中から顔を上げていくと、愉悦に満ちた、ぞくりとする微笑みを貼り付けた柏木と目が合った。

「見つけましたよ、雫さん」

 怖くて声の出ない雫の隣りに来て、柏木は彼女を立たせた。

「愛しています、雫さん……」

 柏木が雫に囁きかけて、口づけた。

「んんっ……」

 雫の背中に痛みが走る。

「大丈夫、すぐに痛みは消えますから……」

 口づけから解放されて、雫はゆっくりと身体の力が抜けていく。

「愛していましたよ、雫さん……」

 意識のなくなる前、柏木の言葉が最後に耳に残った。

──

────

「はっ……!」

 目覚めると雫は、自分の部屋のベッドの中だった。

 時計を見ると、朝方の4時半だった。
 朝方の夢は、割と整合性が取れていて、現実と見間違うほどだった。

「もう、柏木さんのせいで、変な夢みちゃったじゃない……」

 ベッドの上でぐったりとする雫は、二度寝をするべく、ベッドの中に潜り込んだ。

──

────

「おはようございます、雫さん」

 せせらぎに行くと、柏木が優しく出迎えてくれた。

 雫は夢で見たことを柏木に話して、ちょっと怒ることにした。

「それはすみませんでした。さぞ、怖かったことでしょう」

 怒っているのに、なぜかよしよしと頭を撫でられてしまった。

「柏木さん、私怒っているんですよっ! 昨日、柏木さんがあんな話、するからっ」

 雫が言うもニコニコと彼女をあやして、昼食のメニューを提案する。

「今日はお詫びに、貴女のお好きな物を作りますよ。デザートもお付けしますから、ね?」

 なんて言われてしまえば、雫は何も言えなくなってしまった。

「絶対ですからねっ」

「はい、雫さん」

 柏木の作る料理は、なんでも美味しいのだ。デザートも付けてくれるなら、機嫌を直さないではいられない。

 クスクス笑う柏木に、雫は丸め込まれた感じがしたのは、否めなかったが。

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