第1話 アロマ喫茶せせらぎ

 翌日、雫は柏木の店に指定された時間に行き、まだ閉まっている店内に通された。

 今日の柏木は、赤紫色の着流しに、紺色の帯といった落ち着いた色合いの和服姿だった。

「では、こちらが制服となりますので、二階の部屋で着替えて来て下さい」

 そう言って柏木から渡されたのは、リボンとフリル、レースがふんだんに使われた黒白メイド服。

 これには、雫も面食らってしまった。柏木の服装からして、自分の制服も和服だと思っていたのだ。

「あの、柏木さん。なぜ、メイド服なんですか?」

 固まる雫に、柏木は説明をする。

「ああ、前に雇っていた女性に、『和服よりメイド服がいい』と言われ、和服からメイド服に替えたのですよ」

「和服の方は、ないんですか?」

「あるのですが、奥の方に閉まってあるので……」

「そうですか……」

 雫は観念して、メイド服に袖を通すことにした。

 柏木に言われた木製の階段を上った二階の部屋に着くと、こちらは和式の部屋であった。襖を閉めて雫は、着替えることにした。

「可愛らしいですね、雫さん。似合っていますよ」

 しばらくして着替え終えたことを言うと、柏木も二階に上がって来た。雫の姿に柏木は褒め、彼女は更に恥ずかしくなった。

 というのも、メイド服のスカート丈が短く、屈んだら下着が見えてしまいそうなのだ。

「すごく、恥ずかしいです……」

 俯く雫を柏木は、姿見の細長い鏡台まで連れて行く。

「ほら、こんなにも可愛らしい……」

 鏡に映るメイド服の雫と、和服の柏木。鏡を見ていると、ふと気になって柏木の顔を見てしまった。鏡越しに合う、瞳と瞳。雫は真っ赤になって俯いてしまう。

 なにより、柏木がすぐ後ろで立っていることで香る、エキゾチックな匂いにドキドキしていた。

「では、雫さんにして頂く業務の説明をしますね」

 柏木が先立って歩き、雫は内心ほっとしながら、ついていく。これ以上、柏木に見つめられているのが、恥ずかしかったからだ。

 雫は柏木に、お客さんに教えるためにセルフレジの扱い方、アロマオイルの説明とそれぞれの香りについての簡単な説明書、石鹸やその他薬の説明書を渡され、開店までの3時間、覚えられるだけ覚えた。

「では開店しますので、一緒にがんばりましょうね。なにかあれば、すぐに頼って下さいね」

 そうして雫にとって初めての『アロマ喫茶せせらぎ』でのバイト生活がスタートした。



「いらっしゃいませー」

 アロマ喫茶せせらぎは、開店と同時にたくさんのお客さんが入り、大盛況だった。連日こんな状態なら、柏木1人で切り盛りするのは、難しいだろう。

「すみません、これ試させて下さい」

「これとこれ、下さい」

 次から次へと、お客さんが雫に聞き、彼女は接客業で働いていた真価を発揮していた。

「はい、ただいま」

 セルフレジがわからないお客さんには説明をして、アロマオイルのことを尋ねるお客さんには、説明書を見ながら、アロマオイルと精油の違いといった基本的なことから話す。

 香りを試したいお客さんには、石鹸なら洗面台で試してもらい、お香ならお香立てで実際に焚いて試してもらう。

 途中で柏木に頼ることもあったが、雫は出来るだけ自分の力でがんばった。

 他にも、薬種問屋としての顔もあるこの店は、花粉症に効く甜茶のサプリメントや、青汁、中にはマムシの漬かったお酒などもある。

 年配の男性が、マムシのお酒を買った時は、雫もびっくりした。

 お客さんは、若い女性が多かったが、年配の男性や女性、若い男性も来て老若男女問わずだった。

 こうして雫のせせらぎでのバイト生活初日、午前の部は終わった。


「お疲れ様でした」

 店主柏木が、労りの声をかけてくれる。

 この店は、午前11時に開店し、昼の2時から3時までは昼休み、午後3時から夜8時までの営業だ。なので、午前の部が終わった午後2時、やっと休憩に入ったのだった。

「柏木さんも、お疲れ様でした」

 飲食店で働いていた流石の雫も、このお客さんの入りには参った。たった3時間が、倍の6時間働いた気分だった。

「午後もありますから、ゆっくり休んで下さいね」

 そう言って柏木は、昼食にサンドイッチとアップルティーを出してくれた。
 2人は現在、喫茶店の方にいて、柏木がそのキッチンで作ってくれたのだ。

「ありがとうございます、いただきます」

 ふわふわ卵とハムのサンドイッチと、シャキシャキきゅうりとチーズのツナマヨのサンドイッチ。どちらも美味しく、疲れてお腹の空いた雫の身体を満たしてくれた。

「美味しいです、柏木さん」

 雫がそう褒めると、嬉しそうに「それはよかった」と柏木は言った。

「しかし、雫さんはすごいですね。初日であんなに動けるとは……やはり貴女に頼んで、正解でした」

 今度は柏木が雫を褒める。

「そんな動けてないですよ」

 否定しながらふとした疑問を、柏木に聞くことにした。


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