第1話 アロマ喫茶せせらぎ

「こちら、ハーブティーです」

 ぽーっと柏木に見惚れている間に、彼は雫にお茶を淹れて出してくれた。

「あ、ありがとうございます」

 温かなハーブティーの良い香りがする。雫は一口飲んで、美味しいと感じた。

「こちら、サービスとなっておりますので」

 雫の表情に満足そうに微笑んで、柏木が告げる。

「え、サービスってそんな。ちゃんと払います」

 遠慮する雫に、「先程、無理に買わせてしまいましたから」と引き下がらない。

「そんな、私が気に入って買ったんですよ」

 雫が言うも柏木は困った笑みを浮かべ、話をし出す。

「私が無理に買わせてしまった気がして……その、店番をしなくてはいけないのですが、私が近づくと皆さん緊張されて、お試しもせずに買われていく方が多いので」

 これだけの美貌の人を前に、緊張しない方がおかしいと思う……。

 雫は心でこっそり呟いた。

「私としては、是非お試し頂いて、納得されてから買って頂く方が嬉しいのですよ。また後日、考えてから買われても良いですし。それにはどうも、私が店先にいない方が良い気がして……」

 考え込む柏木に、雫が提案してみる。

「確かに柏木さんがいると、緊張しちゃうかもしれないです……なら、店員を雇ってみてはどうですか?」

 雫の言葉に柏木は話す。

「何人か雇ってみたのですが、皆さん私と話すのが目当てだったらしく、店番をちゃんとしてくださらなかったので、ちょっと悩みますね……」

 続いて雫に、こんな言葉をかける。

「雫さんは、どんな仕事をされているのですか?」

 雫さん、と突然呼ばれて彼女の心臓は跳ねた。

 ああそっか。さっき会員カードを作ったからそれで名前を……。

「えっと飲食店の仕事を、4年ほど……」

 びっくりして間が開いてしまったが、なんとか取り繕って答える。

「そうですか。飲食店ということは、接客業をされているのですね」

 頷きながら話す柏木に、雫は首を振り会話を続ける。

「でも今日で閉店になっちゃって……明日から次の仕事探しをしなくちゃならないんです」

 明日からのことを思うと少し憂鬱な雫は、ため息を吐いた。

「ならちょうどよかった。雫さん、明日から私の店で働きませんか?」

 突然のことに雫は、ハーブティーを飲んでいて咽せてしまった。

 咳き込む雫に「大丈夫ですか」と柏木が言ってくれる。

「接客業を4年もされていたのなら、心強いと思って言ってみたのですが……また無理強いをする所でした、すみません」

 謝る柏木に、手を振りながら慌てて雫が答える。

「そんなことないです! 明日からどうしようと思っていたとこだったので、有難い話ですけど。さっき、店員を雇うのは迷うって……」

 雫が慌てて聞き返すと、「雫さんなら大丈夫でしょう」と言われてしまう。

「では、明日から来て頂いてもよろしいですか?」

 店員になる話に前向きと捉えた柏木が、是非と小首を傾げて頼む。

「明日からでそんな、ちゃんと出来るかどうか……」

 悩む雫に柏木は「大丈夫ですよ」と微笑みかけて、安心するように言葉を続けた。

「開店は11時からですので、早めに8時から来て頂いて、その間にお教えします。喫茶店の方は閉めますので、私と一緒に雑貨の使い方の説明などをして頂ければ助かります。困ったことがあればすぐ、頼って下さいね」

 それから……と柏木は

「レジの方は、セルフレジを導入していますので、ご安心を」

 と、付け加えた。

 個人の店でセルフレジなんて本当にすごい……それだけ手が回らないんだろうな……。

 だが、仕事が楽になるのでありがたかった。

 柏木にここまで説明されたら、さすがに断れず雫は「わかりました、明日からお願いします」と伝えたのだった。



「では、明日からお願いしますね」

 柏木に見送られながら店を出た雫。

 ハーブティーを無料で頂いてしまって、断れないのもあったし……いや、明日からの仕事が見つかって、助かったんだけど……。

 家までの帰り道、考えながら歩く。

 雫はなんだか、柏木にはめられたような気がしていたのだった。少し時間を……と言われて、サービスのハーブティーを出される。そこへ、店員が足りない話が出る。

 柏木は雫が押しに弱いことを、見抜いていたのではないだろうか?

 そういえば柏木さん、ずっと微笑んでいたけど……時折、私を観察しているような瞳を浮かべていたな……少し、ぞくりとするような視線で……。

 せせらぎの店主、柏木綾女のことを思う。

 過去に店員になった女性が、柏木目当てだったのは納得がいく話だった。自分も明日から、あの眉目秀麗な青年と働くことになるんだと考えると、ドキドキする。

 明日からどんなバイト生活が待っているんだろう……。

 雫は期待と不安に心が揺れながら、自宅に帰ったのだった。

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