第3話 土曜出勤

 確かに頬張って食べていたので、雫はちょっとずつスプーンを口に運ぶようにしてから、話の続きをする。

「でもペットっていいですよね。私の家はペット禁止で、飼えないんですよー」

 愚痴を口にする雫に、柏木が言った。

「なら、見ていきますか? 私のペットを……」

──

────

 昼食を済ませて柏木に連れられて雫は、二階の部屋へと足を運ぶ。

「こちらですよ」

 柏木に案内されたのは、いつも着替えに使っている部屋の隣りだった。
 ガラス窓が嵌められた、文机と照明スタンドがある8畳間。柏木が襖を開けて見えた間取りに、カラカラと音を立てるものがいた。

「あ、ハムスター!」

 喜んで近づく雫のあとを、柏木が続く。

「可愛いー!」


 回し車を一生懸命回していたハムスターは、ケージの中で今度は砂浴びをしていた。

 畳に雫が座って見ていると、彼女の隣りに座った柏木が尋ねる。

「触ってみますか?」

「え、いいんですか!」

 柏木はハムスターをケージから出して、雫の手のひらの上に置いてくれた。

「可愛いー大人しいー」

 ハムスターは雫の手のひらの上で、大人しく毛繕いをしている。

「このハムスターの品種って、ジャンガリアンですよね。ペットショップで見たことありますよ」

 雫はその小さな生き物に、夢中になった。

「名前はなんて言うんですか?」

「ハムスターさんです」

 雫の質問に柏木は、堂々と言った。

「ハムスター……さん?」

「はい、ハムスターさんです」

「そのまま……ですね」

「はい、そのままです」

 にっこりと笑う柏木に、色々と言いたいことがあったが、雫はやめた。なぜならあの柏木の顔は、良い名前をつけたと思って疑わない表情だったからである。

「さあ、もう少しです。午後もお願いしますね」

 そう言われて雫は、ハムスターさんをあとにして、午後の仕事にも精を出したのだった。

──

────

 気が付いたら、午後6時を回っていた。

 やっと注文の整理、梱包、配達の手配などが終わり、雫は一息ついた。

「お疲れ様です、雫さん。あとはパソコン仕事だけなので、大丈夫ですよ」

 柏木の言葉に雫は「はい」と答えてから
「んー」と伸びをした。

「お疲れでしょう。あちらでハーブティーでも淹れましょうね」

「やったー」

 柏木の言葉に喜んで、雫はカウンター席に座った。

「雫さんがいてくれたおかげで、だいぶ早く終わりました。ありがとうございます」

 柏木が頭を下げるのに「ヒマでしたからっ」と、雫は手をぶんぶんと振る。

「いつも1人であの量をこなしているんですか?」

 雫の質問に柏木は頷く。

「ええ。お店の休みの土曜日と日曜日に、ネット販売をまとめて整理するのですが、いつも時間が足りなくて……」

 疲れた顔の柏木に、雫が申し出る。

「あのじゃあ、土曜日も私、出勤しましょうか?」

 柏木の力になりたくて、雫は提案してみた。

「!! 本当ですか? でもそうしたら雫さんが、大変になってしまいませんか?」

「大丈夫ですっ。私、仕事好きですから平気です!」

 心配をする柏木に雫が胸を張って言うと、彼は嬉しそうな表情で答える。

「ありがとうございます、助かります」

 内心雫は、秀人と茜が入ってから、柏木と2人きりの時間がないのに少し、淋しさを感じていた。それもあっての申し出だったのだ。

「けど、アルバイトがいない1人のときは本当、どうしていたんですか? 雑貨店と喫茶店の両方なんて、無理だったと思うんですけど……」

 雫の質問に、柏木は答える。

「ああ。それは仕方なく喫茶店の方は閉めてましたよ。雑貨店の方だけ開けていました」

「そうですよね。1人じゃ無理ですよね」

 柏木の話に納得して頷く雫。

「ええ。ですから、雫さんたちが来てくれたおかげで、毎日両方の店を開けることが出来ているのですよ。感謝しています」

 柏木は雫に、にっこりと微笑みかけてくる。

「いえ、そんな」

「雫さんは私にとって、救世主ですよ」

「いえ、そんなことないですって」

 慌てて否定する雫だったが、柏木のストレートな感謝には、内心嬉しく思っていた。

 そして……。

「どうか、辞めないで下さいね?」

 カウンター越し、至近距離で柏木に頬を撫でられ乞われる。

「え、あっ」

 赤くなる雫に、柏木は言い募る。

「貴女のようないい子を、手放したくないのでね」

 そう妖艶な笑みで雫に話しかける。

 雫はドキドキしながら「はい、がんばります」と返事をした。

 するといつもの優しい微笑みで、柏木は言う。

「ありがとうございます」




 雫は、柏木の涼やかで甘い声、イランイランの香りと相まって漂う、大人の色気と微笑みに、くらくらするのだった。




 完

 
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