常世の国の彼女

「この風景……」

 扉を開けた先に広がる景色は以前、陽翔が
慣れ親しんだ場所だった。

 真っ青な空の下、蝉の鳴き声を聞きながら
舞夏と歩いてよく通ったあの水族館。

「舞夏、いるのか?」

 あの時と違い、人一人いない薄暗い館内は、ひどく心細く感じられた。

 彼女を探そうとし出した僕の後ろから、

「陽翔……」

 透き通った鈴の音のような声が呼び止める。

 あの頃毎日、傍で聞いていた彼女の声。

「舞夏!」

 すぐに後ろを振り返ってみれば、水槽の青がライトアップされた館内に、舞夏の姿が浮かび上がった。

 昔のままだ。

 病院で見た姿と違い、ちゃんと自分の意思が宿っている瞳。

「まい……」

 駆け寄ろうとした僕に、

「それ以上、近づくな」

 力強く、こちらに有無を言わせない威圧感のある声が命令する。静かに、けれど敵意を含めて。

 次の瞬間、

「初めまして、こんにちは。いますぐ死ね」

 僕の目の前に声の持ち主が見えた、そう思った途端に体に衝撃を受けた。

「だめ、やめて! シェムハザ!!」

 彼女の叫び声と僕の痛みが襲ってきたのは、同時だった。

 僕の瞳が捉えたのは、動きを止めている男の手。

 ああ、そうかコイツにやられたのか……。

 血に濡れた奴の手を見て、自分の腹部の痛みを理解した。夢の中だから死にはしないが、痛いものは痛い。

「陽翔、大丈夫?」

 心配そうな声を出す彼女に、

「なんとか……」

 と、全然大丈夫じゃない声で返す。

「何故止める? まだ好きなのか?」

「違う、違うけど」

「なら、邪魔をするな」

「傷つけちゃだめだよ……」

 2人の会話中、男の姿を観察する。

 銀髪に青い瞳の出で立ちは外国人なのか、
はたまた染めてカラコンをした若い奴か。

 しかし流暢な日本語には、少なくとも長く
日本に住んでいる人の話し方だ。

「陽翔……」

 舞夏の声が僕の方に投げかけられる。

「コイツは、恋人……か?」

 尋ねる僕にこくり、と頷く彼女。

「そうか、なんか……来て、ごめん」

 腹の痛みを我慢しつつ謝る僕に、

「いいよ、謝らなくて。……五年振りにやって来てなんて言ってやろうか考えてたけど、気が抜けちゃった」

 舞夏はそう話をしつつ、僕達の方に歩いてきて、男の隣りに並んだ。

 舞夏が男の腕に自分の手を絡め、奴を見上げる。その視線を受けて、男が口を開く。

「俺の名前はシェムハザ。グリゴリの指導者の一人で、救いの天使とも呼ばれた」

 だが、と言葉を区切り、

「いまは舞夏の恋人だ」

 と、名乗った。

「……天使って、コイツ本当に?」

「信じなくていいよ。あたしだけが彼を信じていればいいの」

 奴は舞夏が作った幻想か、それとも僕みたいに夢に引きずられた人間なのか……。

 真相は解らなくても、どちらでもいいのかもしれない。

「明日、時間ある?」

 舞夏に尋ねられて「ああ」と頷くと、

「じゃあ、明日病院に来て。それで最後にしよう」

 彼女は心配そうな瞳で見つめる男、シェムハザを宥めて、手を振り消えて行った。

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