イルカはガラス越しの夢を見るか
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私はとても空気の読めない子だと、昔から色んな人に言われてきました。そして私も自分のことを「そう」なのだと思います。
同じ幼稚園に通っていた仲良しのさくらちゃんは、私が砂遊びが好きだったので、お砂で遊ぼうと誘うと、「私はお部屋でおままごとがいい」というので、それなら尚のことお砂のお家を作っておままごとで遊ぼうと言うと、怒って私とは話してくれなくなってしまいました。
小学校の頃、ほうきやちりとり、黒板消しや丸めた新聞でチャンバラごっこをする男の子たちに、危ないからダメだよと告げると、「空気読めよな。」と怒られてしまいました。
中学校になると、誰が誰と付き合ったなど、周りが浮き足立って恋のお話を楽しそうにするのを、私はずっと勉強に夢中で、気づけば仲が良かった友達を1人残らず失ってしまいました。
高校では、ある女の子を虐めていたクラスの中心の女の子に、お前もやれと卵を持たされたのを拒絶して、高校3年間ずっと私は酷いいじめを受けながらも、勉強をして希望の大学に無事に入学して、ただひたすら夢を叶えるために勉強をしていました。
そんな私を両親だけは、それがあなたのいい所よ、と笑って受け入れてくれますが、私は大学を卒業するまで、恋愛も友情も、勉強と同じくらい大事なものを何一つとして経験できませんでした。私は他の子より容量が悪くって、勉強と人間関係の両立がとても下手だったと思います。
お話は変わって、私には生まれつき、色んな動物とお話ができました。信じられないかもしれませんが、本当にお話ができたのです。動物園に行けば色んな動物とお話できて、水族館に行けば色んな魚たちとお話して、沢山はしゃいだものです。今もとっても楽しいので、動物園にたまに行っては、見世物にされることの善し悪しや、自分たちのすごい所をあの子たちからよく聞くので、それがまた勉強になるのでとても興味深いのです。
この不思議な能力を、幼稚園のさくらちゃんに告げた時、「うそつき。」と怒られてから、誰にも言っていません。
多分、人より空気が読めなかった私は、人より生きにくいまま育ちました。
でもそれでも、人生悪いことばかりじゃないと、この能力と私の夢だけがたまに倒れそうになってしまう私をしっかりと立たせてくれるのです。
小学生の頃、両親に連れていってもらったどこかの県の水族館のイルカショー。自由に泳ぎ、トレーナーと息をピッタリと合わせて芸をこなすイルカ。朧気な記憶だけれど、あのイルカの姿だけが、私の脳に焼き付いて離れず、小学校も中学校も、高校も大学も、イルカのプロフエフェッショナルトレーナーにるためだけに、全力の努力をし、ついに私は、念願のイルカトレーナーとなることが出来たのです。
およそ人間関係という人間関係を築かないままこの年齢になってしまった私でしたが、私が就職した水族館の館長はとてもいい人で、私を大学で見かけた時に、「是非うちの水族館のイルカトレーナーになって欲しい。」と声を掛けてくれたのです。水族館のスタッフたちも皆とてもいい人で、気さくに私とお話をしてくれます。
最初は緊張したけれど、いつだって私を立たせてくれるのは思い出と能力で、もし私が歩くのを疲れても、怖がっても、何度も立たせてくれるから、私は歩くのを辞めずに、ここまでこられたのだと思います。
大好きなイルカ達と、ステージでお客様に喜んでもらうため。幼い私がイルカとトレーナーさんに夢を貰ったように、私は今日も緊張というちょっとした壁を乗り越えて、拍手が溢れるこの水族館でショーをします。
人生山あり谷ありだと言いますけれど、私はきっと谷を乗り切ったのだと。夢を叶えてそう自惚れていたのです。少し甘く見すぎていたのです。
私のこの能力が、大好きなイルカが、とても奇妙な縁を運ぶということに。そしてその縁が深くなる度、深くなったせいで、いえ、深くなった「おかげ」で。私はとても奇妙な経験をすることになるのです。
今から3ヶ月という短い間の、ある男の子との出会いから。もしかしたらこの能力を持って生まれてしまったというそれすらも、「運命」だったのかもしれません。
それに気が付かないまま、ある男の子との出会いを果たすまで、あと数時間。私は大好きなイルカと過ごし、今日もいいショーが出来るといいね、と。イルカと泳ぎながら、呑気にかまえていたのでした。
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それは何の変哲もない日の、衝撃的で奇妙な出会い