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友害の話

北校舎2階の男子トイレ。
美術室の隣にあるそのトイレは階段から最も遠く、奥まった場所にある。
放課後、人通りが全くない美術室前の廊下に、長身の青年が通り掛かった。
すらりと伸びた手足は、成長期である事を鑑みても十分に長く、目鼻立ちがいくら平凡といえど、人の視線を集め羨望の眼差しを受けるには十分の体躯である。
そんな彼は、あえて部活のある体育館とは殆ど逆方向であるこの場所に足を運ぶと、淀みなくタイル張りの男子トイレへと身を滑り込ませた。

何故か妙なところにロッカーがある。
個室のドアを開けるのに大変邪魔なそれには、デッキブラシやバケツなど、あらゆる掃除用具が入っている。ため息を吐きつつロッカーを閉めると、彼はトイレのさらに奥へと向かった。
掃除用具入れであるはずのそこに、いつものロッカーはない。随分がらんとした空間に、取り外せないトイレ掃除用の大きな水道だけが残っていた。
彼は何のためらいもなく水道の淵に足を掛けて力を入れる。ひょいと、軽々と巨躯は持ち上がり、すぐ隣の個室の中が、眼前に晒される。
「よお」
間仕切りにもたれて彼は、中にいる青年に話しかけた。
「また派手にやられてんなぁ、田上」
掃除用具入れの隣。一番奥の個室の便座に足を組んで座っていたのは、ざんばらに切られた髪の水気を絞る、彼の悪友その人だった。
「なんだ村上か。つまんねぇな」
ロッカーに退路を塞がれた個室で1人しとどに濡れる青年は、頭上に現れた影を見て心底つまらなそうな顔をした。
灰色の髪も黒の学生服も、いったいどれだけの水を吸ったのか、引力に逆らわず彼の身体にピタリと張り付いている。
「おいおいどうした。頭が真っ白じゃねえか。灰でも被ったか?」
友人とは思えないような鋭い冗談を投げかけながら、村上と呼ばれた青年は上から手を差し伸べた。
「おいおいどうした。灰被り-シンデレラ-なんて随分ロマンチックな事言ってくれんじゃねーの。ガラスの靴でもくれるってか?」
鋭利なジョークをからかうように笑った田上と呼ばれた青年は、差し伸べられた手を大袈裟にグッと掴み、先ほどまで自分が座っていた便座の上にバランスをとりながら足の裏をつけた。
「棺にでも足突っ込んでろ」
喉の奥で笑いを堪えた村上は水道にかけていた足に力を入れ、多少無理に体をよじり、水で重さの増した彼を自分の方に引き寄せる。
「ガラスはガラスでもガラスの棺にしろって?今度はまるで白雪姫だな…っと、と…」
田上と呼ばれた青年は、引き寄せられるがままに敷居を乗り越え、掃除用具入れに着地する。
「口が減らねえな。そんなんだから虐められんだぞお前」
村上はドアを開け、奇妙な位置にあるロッカーを放置してトイレの出入りへと向かう。
「ご心配ありがとうごぜーます。で、てめーバスケは?」
ペタペタとタイルを濡らす音がして、ようやく村上は田上が裸足なのを知った。
「これから行くんだよ。どっかのど変態が見当たらねぇって、お人好しが騒いでたんで、仕方ねぇから来てやったんだ」
そろそろ上手い身の振り方を覚えろよてめぇ、と村上は田上の頭に部活用のタオルを投げつけ、そしてトイレを出るや否や上履きを脱いで田上に放った。
「って!何すんだよ」
上履きが脛に当たったらしい。
しかしそんな田上の様子を見て、村上はせいせいしたように鼻をならす。
「どぉせ、その分だと靴も隠されてんだろ。今日はそれ履いて帰れよ。ただし、明日死ぬほど洗って返せ、マジで」
何故かキレ気味にそう言うと、村上は踵を返し、もう用は無いとばかりに歩き出す。
人目を奪う巨躯が階段の向こうに消えた後、田上は頭にタオルを被りながら、足元に転がる上靴を見て、バカにしたように笑った。

シンデレラのガラスの靴は、町中の娘の誰の足のサイズよりも小さかったらしい。
しかし、田上が乱暴に足を差し入れたその靴は、彼にとっては少し大きすぎるようだった。
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