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第1式-神前の悪魔-

「いつまでボーッとしてやがんだ。早く話を進めろや」
ロビーの奥の一角。ドアが2つあるその部屋は、応接室というには机も椅子も簡素で、一組の客の対応をする分には少々広かった。テーブルに肘をつき、足を大きく広げた男性は、柘榴さんと、シャツが派手な男の人、そして僕を一瞥して、威嚇する様にドンっと足を踏み鳴らす。大きな音に思わず肩が跳ねた。しかし、隣の2人が無反応なところを見ると、こういう事は意外とよくあるのかもしれない。田上さんはいつの間にか消えていて、僕ら三人だけが、この少し広い部屋の壁際で、苛つく男性を直立不動で眺めている。置いて行かないと言った癖に、と恨みがましい気持ちになりながら、僕は男性を刺激しない様に床のタイルの継ぎ目に視線を移した。
「おい!てめーら仕事しろ!つっかえねーな!早くしろっつってんだろ!」
男性が机を叩く。そこまで値は張らないであろう机が、ギシ、と軋む。そして僕は、この部屋がストレートな意味での"VIP"ルームでない事に、漸く気が付き始めた。この部屋はきっと、"こういうお客様"のための部屋なのだ。替えの効きそうな家具も、少し広めの部屋もきっとその為で、おそらくだが壁には防音処理をしてあるのだろう。
「聞いてんのか!おい!そこの眼鏡!なんとか言え!」
取り留めの無いことに思いを巡らせ気を紛らわせていると、突然男性がこちらを睨みつけてきた。
眼鏡。僕だ。絶対に僕だ。この空間に眼鏡と名のつくものは僕の目の前にあるこれしかないし、何より僕は、自分が男性の様な性格の人を苛立たせてしまうという事を、今までの経験から熟知している。
「ぁ、あの、僕は」
「声が小せぇ!なんだ?お前も俺に文句があんのか!」
恐怖で声が出ない。このパターンに入ると、僕はいっそ一回殴られて事を収めた方が早い事を知っている。条件反射で一歩前に進み出て、覚悟を決めて目を瞑る。痛いのは嫌だが、長い時間怒鳴られるのはもっと嫌だった。暗闇の向こう、男性が立ち上がる気配がする。しかし、ガチャリ、と音がして、その気配は動きを止めた。うっすらと目を開けて見ると、僕たちが入ってきたものとは違う扉が開いていて、そこには紙束を数枚持っている田上さんが立っていた。
「あ?」
僕の行動に立ち上がりかけていた男性は、中腰のまま音のした方を反射的に見る。そして、入ってきた人物の胸を飾る金バッジを見て鼻を鳴らすと、そのまま背筋を伸ばし、椅子の横で腕を組んだ。
「おたくどんな教育してやがんだ。客にこんな態度とるなんてよぉ。個人経営の式場だからって、手ぇ抜いてんじゃねぇよ」
偉い人が来てとりあえず満足したのか、男性を取り巻く空気は多少和らいでいた。ようやく自分の主張が通ったと、得意になっているようでもあった。
正直、素人目で見ても良客とは言い難い。でも田上さんは、きっとこんなお客様すら応対できる凄い人なんだ。だから2人とも、男性をこの部屋に連れて来て、全て田上さんに任せたのだ。
身体が勝手に動く、と僕に言ったその人は、一体どんな仕事をするんだろう。田上さんの横顔を、食い入るように見つめる。僕は1年後、彼のように仕事ができるようになるのかもしれない。こんな状況でこんな事を思うのは、少しおかしいのかもしれない。しかし、僕は確かに期待していた。

ドカッ。

机の上に、長い足が投げ出されている。ギシリと軋む椅子の背もたれ。ペラペラと手元の紙をめくる音。室内は、水を打ったように静かになる。
「どーぞお座りくだせぇ、お客様」
田上さんは、椅子の肘置きに頬杖をつきながら、机の上に投げ出した足をそのまま組み直した。

「…………………は…、ふ、ふざけんなよ!てめぇ!!一体何様のつもりだ!」
男性は数拍呆気にとられた後、突然電源を入れられたおもちゃの様にわめきだし、机越しに田上さんの胸ぐらをつかもうとする。男の手が、さっきまで自身が使っていた椅子を押しのけたその瞬間、田上さんはとびきりいい笑顔をして言った。
「誰が椅子に座っていいと言ったでごぜーますか。床でごぜーますよ、床」
僕は初めて、僕以外の人が殴られるのを見た。
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