第2式
田上さんが僕に「久しぶりだ」と言ったあの日からきっかり1週間後、僕はまた田上さん専属の時計係に戻された。
僕が担当から外れたことを知った弘樹さんと枯実さんはとても残念がってくれて、枯実さんに至ってはまた一緒に仕事しようとまで言ってくれた。
「すみません。僕、ドジばっかりだったのに」
眉を下げながら謝ると、枯実さんはとんでもないと首を振った。
「見ただけで数値がわかるって凄いことなんだよ。とても助かった。おかげで来週には今の花嫁にぴったりのが出来上がりそうだ。ありがとう大里君」
ニカッと笑った枯実さんに、心がムズムズとする。誰かに感謝されることが今まで少なかったからか、こう褒めむられてしまうと居た堪れない。
「大里さんが話を聞いてくれたから、自分もだいぶ楽になりました。ありがとうございます。これから式まで、よろしくお願いします」
弘樹さんが不器用に笑む。
その笑顔を見て、鹿島夫妻の担当になれてよかったと、早々と思う。
完成間近のドレスを目に焼き付け、まぶたの裏にそれを着る保奈美さんを思い浮かべながら背を向ける。
見送る2人に後ろ髪を引かれながら、僕はまた田上さんの隣に戻った。
***
「はは、ひっでえの。まーた増えたな」
田上さんに前回会ってから一週間しか経っていないが、僕の頰には新たにガーゼが貼られていた。
彼はデスクに荷物を置いた僕を、椅子に座ったまま舐めるように見回す。
「向こうは物が多いからよく引っかかるんですよ。僕鈍臭いんで」
ため息をつきながら椅子に座り、僕は自分の頰のガーゼを緩く摘んだ。
「まさかそうなるとはな〜。全く思ってなかったといえば嘘になるけど、想像以上でごぜーます。ま、楽しそうで何より何より」
ガタン、と大きな音がしてそちらを見ると、田上さんはわざわざデスクの上に座りなおして僕を見ていた。
そんな行儀の悪い彼を咎める人はいない。
時間帯が時間帯な為、オフィスには僕らだけだった。
「枯実さんが台風の目だって話ですか?何度も言いましたけど、これは僕がトロいからこうなっちゃっただけですってば」
あまりに主張がしつこいので、僕はまたため息をついた。この人は飄々としている割に、頑固なところがある。
「悪い奴じゃねーんですけどね。お前はたまに会うくらいがちょうどいいでごぜーましょ」
「…一体何が言いたいんですか?」
いつもズケズケとものを言う彼にしては、今日は遠回りが過ぎる。焦れているのは、いつも遠回しにものを言おうとする僕の方だ。
一週間前に背中を伝った汗の冷たさを思い出す。
「バラン」
田上さんは弁当箱でよく間仕切りとして使われる、緑色の草を模したプラスチックの名前を、突然静かに呟いた。
「増えてんだろ」
意味がわからない。
「わかんないわけないよなぁ」
彼はいつも通り、僕の心を読んだかのように続ける。
「もう、時計じゃ隠れねーんじゃねーですか」
バンッ!
僕は椅子を跳ねあげて立ち上がると、わざと大きな音を出すように机を叩いた。
「…だから!何が言いたいんですか!」
噛み締めた歯の隙間から鋭い息が漏れる。
日頃碌に使えもしない手首から、ピリピリと電気が伝わり、机の衝撃を僕に伝えた。
「別に?言いたいことなんかねーですよ。それとも何か言われてーんですか?だとしても、既に散々言われてきたんじゃねーでごぜーますか。ほら「大丈夫?」とか」
囁くようなその声を聞いた瞬間、頭にカッと血が上る。僕はデスクに座っていた彼の胸ぐらを掴み、床へと引き倒していた。
僕を見上げる彼の顔は、影がかかって暗いはずなのに、腹立たしいほど晴れやかだ。
「怖ぇ顔。そんな顔できたんでごぜーますなお前。個人的にそっちの方が俺好…」
「いつからですか」
床に転がした彼の胸元に落ちた眼鏡には、自分の知らない僕の顔が写っている。
「いつから気付いて、笑ってたんですか」
僕が担当から外れたことを知った弘樹さんと枯実さんはとても残念がってくれて、枯実さんに至ってはまた一緒に仕事しようとまで言ってくれた。
「すみません。僕、ドジばっかりだったのに」
眉を下げながら謝ると、枯実さんはとんでもないと首を振った。
「見ただけで数値がわかるって凄いことなんだよ。とても助かった。おかげで来週には今の花嫁にぴったりのが出来上がりそうだ。ありがとう大里君」
ニカッと笑った枯実さんに、心がムズムズとする。誰かに感謝されることが今まで少なかったからか、こう褒めむられてしまうと居た堪れない。
「大里さんが話を聞いてくれたから、自分もだいぶ楽になりました。ありがとうございます。これから式まで、よろしくお願いします」
弘樹さんが不器用に笑む。
その笑顔を見て、鹿島夫妻の担当になれてよかったと、早々と思う。
完成間近のドレスを目に焼き付け、まぶたの裏にそれを着る保奈美さんを思い浮かべながら背を向ける。
見送る2人に後ろ髪を引かれながら、僕はまた田上さんの隣に戻った。
***
「はは、ひっでえの。まーた増えたな」
田上さんに前回会ってから一週間しか経っていないが、僕の頰には新たにガーゼが貼られていた。
彼はデスクに荷物を置いた僕を、椅子に座ったまま舐めるように見回す。
「向こうは物が多いからよく引っかかるんですよ。僕鈍臭いんで」
ため息をつきながら椅子に座り、僕は自分の頰のガーゼを緩く摘んだ。
「まさかそうなるとはな〜。全く思ってなかったといえば嘘になるけど、想像以上でごぜーます。ま、楽しそうで何より何より」
ガタン、と大きな音がしてそちらを見ると、田上さんはわざわざデスクの上に座りなおして僕を見ていた。
そんな行儀の悪い彼を咎める人はいない。
時間帯が時間帯な為、オフィスには僕らだけだった。
「枯実さんが台風の目だって話ですか?何度も言いましたけど、これは僕がトロいからこうなっちゃっただけですってば」
あまりに主張がしつこいので、僕はまたため息をついた。この人は飄々としている割に、頑固なところがある。
「悪い奴じゃねーんですけどね。お前はたまに会うくらいがちょうどいいでごぜーましょ」
「…一体何が言いたいんですか?」
いつもズケズケとものを言う彼にしては、今日は遠回りが過ぎる。焦れているのは、いつも遠回しにものを言おうとする僕の方だ。
一週間前に背中を伝った汗の冷たさを思い出す。
「バラン」
田上さんは弁当箱でよく間仕切りとして使われる、緑色の草を模したプラスチックの名前を、突然静かに呟いた。
「増えてんだろ」
意味がわからない。
「わかんないわけないよなぁ」
彼はいつも通り、僕の心を読んだかのように続ける。
「もう、時計じゃ隠れねーんじゃねーですか」
バンッ!
僕は椅子を跳ねあげて立ち上がると、わざと大きな音を出すように机を叩いた。
「…だから!何が言いたいんですか!」
噛み締めた歯の隙間から鋭い息が漏れる。
日頃碌に使えもしない手首から、ピリピリと電気が伝わり、机の衝撃を僕に伝えた。
「別に?言いたいことなんかねーですよ。それとも何か言われてーんですか?だとしても、既に散々言われてきたんじゃねーでごぜーますか。ほら「大丈夫?」とか」
囁くようなその声を聞いた瞬間、頭にカッと血が上る。僕はデスクに座っていた彼の胸ぐらを掴み、床へと引き倒していた。
僕を見上げる彼の顔は、影がかかって暗いはずなのに、腹立たしいほど晴れやかだ。
「怖ぇ顔。そんな顔できたんでごぜーますなお前。個人的にそっちの方が俺好…」
「いつからですか」
床に転がした彼の胸元に落ちた眼鏡には、自分の知らない僕の顔が写っている。
「いつから気付いて、笑ってたんですか」