第2式
「おう、なんか久しぶりだな。これ」
僕が目黒さんや弘樹さんと打ち合わせで抜けることが増えたある日、別の新規のお客様とのミーティングに田上さんと行くことがあった。
ミーティングを終えデスクで伸びをしながら、僕らは2人して自販機で買った飲み物を啜っている。
「?そう…ですかね」
確かに、結構久しぶりな気がする。当初は田上さんがいない中どう振る舞えばわからないこともあったが、目黒さんも弘樹さんも鈍臭い僕に優しくて、目黒さんのアトリエでこける度に手を貸してくれた。
「いや〜〜あの新郎と話すの楽しそうでいいよなぁ。俺ああ言う自己評価低い癖に人前じゃ普通ぶってる小心者、割と好き」
ニタニタと笑う彼に、僕はムッと口を尖らせた。
「そんなに言うなら田上さんも来ればいいじゃないですか。そしたらわかりますよ。彼は、田上さんの言うような小心者じゃありません」
微笑みを浮かべながら保奈美さんの話をする弘樹さんを思い出す。彼の優しさを、心が小さいだなんて評価されるのは、僕としては心外だった。
わかりやすく噛み付いてきた僕を見て、田上さんは口の端を吊り上げる。
「いや、遠慮しとくでごぜーます。枯実が恐ろしーんでね」
田上さんは、突然知らない名前を零した。
「…枯実さん?」
現在目黒さんのアトリエにいるのは僕と弘樹さんと、主の目黒さんのみである。今後、誰か増えるのだろうか。田上さんが恐がる誰かが。
この飄々とした彼を怯えさせるなど、どれだけ恐ろしい人なのだろうか。そんな仕事を僕だけに押し付けた田上さんに、ジトリとした視線を向けた。
「枯実目黒だよ。今お前らとドレス作ってんでごぜーましょ」
頬杖をつく彼の動作を目で追っていた僕は、その名前を聞いてピクリと固まる。
「え、目黒さんって、下の名前だったんですか」
いや、本当に引っかかるべきはそこじゃないのだが、衝撃で優先順位がうやむやになっている。
「お前はよく人の名前に引っ掛けられるやつでごぜーますなぁ」
缶コーヒーをちゃぷちゃぷと揺らして彼は笑う。
「苗字だと思うじゃないですか。目黒だなんて、」
少しバツが悪くなり、視線を自分の飲んでいるカフェオレにうつす。
「…めぐ…枯実さん。いい人ですよ」
決して恐い人ではない。むしろ、優しくて朗らかで良い人だ。
「だろうな。まあ善人でごぜーます。ぶっちゃけそれはそれであまり好きじゃねーんですが、普通なら恐くはねーですね」
田上さんはぬるいコーヒーを一口飲んだ後、突然「お前また傷が増えたなぁ」と言った。
田上さんの思考についていけず、わかりやすく眉をしかめる。頰に貼っていた絆創膏が、引っ張られて「ピリッ」と鳴る。
「…まあ、最近よく転んでしまうので。そんなことより、なんで枯実さんが恐ろしいのか、聞いて良いですか?」
僕にできることなら弁解したい。それくらい枯実さんにはお世話になっているのだ。
「それ、多分枯実のせいでごぜーますよ」
優雅に足を組みながらそう告げた田上さんに、思わず「はあ?」という声が出る。
「いや…普通に転んだだけですけど。もしかして、僕が枯実さんに叩かれたりしたのを、庇ってるとでも思ってるんですか?」
田上さんにとって、彼はそんなに加虐的に見えるのだろうか。2人してそれぞれ頭に別人を思い描いているのではないかと思わんばかりのズレに、僕が確認を取ろうとしたその時、田上さんは頬杖をついていた手をおもむろに組み、スッと目を細めて僕を見た。
「たまにいるんでごぜーますよ、ああいうの。周りの奴を不幸にするくせに、自分には全く影響がない、つまりまあ、人の幸せ食っちまうタイプ」
真剣にそう言う田上さんに、僕はますます怪訝な顔をした。忘れていた。田上さんはこう見えて、いや、見た目の通り、結構可笑しな人だった。
「枯実さん、別に僕らに何もしてませんよ」
「何かするとかしないとかそう言う問題じゃねーよ。これは、運の話でごぜーます」
田上さんはまるでトンボを捕まえる時のように、人差し指をくるくると回し、僕の眼前に近づける。
「そういう星の元に生まれてんでしょう。あいつは台風の目でごぜーます。あいつの周りじゃ、怪我、事故、トラブルが頻発するが、本人がそれに巻き込まれることはねーんですよ。現にほら、お前わかりやすく傷が増えてるじゃねーか」
幸運論に続く謎の持論の出現に、僕は目が回りそうだった。
「じゃあなんで枯実さんにドレスを頼んだんですか」
反論するのも面倒くさくなって、僕はため息をつく。
「そりゃお前」
彼はどこか空を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「あいつは最高のドレスを作るからだ」
飲み終わった缶コーヒーの缶を乱雑にゴミ箱に放り投げた田上さんは、別のスタッフに呼ばれて部屋を出る。
「お前たちのドレス、楽しみにしてるからな」
そう言って消えていく彼の背を、僕はドア越しにぼんやりと見つめていた。
自分のカフェオレを飲み終わり、紙コップを捨てにいく。ふと見下ろした腕。長袖に隠されたそこに、確かに傷痕は増えていた。
田上さんは枯実さんと一緒にいると、不幸になるから嫌だと言いたかったのだろうか。でも、今近くにいる僕らは、それなりに楽しくやっている。
そんな偏見を生んでしまうような出来事があったのかもしれない。今度引き合わせてみるのも良い。枯実さんの誤解が解けたら、きっと僕らはこれからもっと良くなるだろう。
この数日で増えた傷痕をなぞり、僕は苦笑いする。
この傷が枯実さんのせいだなんて馬鹿馬鹿しい。全部、僕がとろいせいなのに。
そこまで考えて、僕はふと思考が止まる。
田上さんは"また"傷が増えたと言ったが、一体いつの、いや、なんのことを思って"また"なんて言ったのだろうか。
僕の背筋に一筋の汗が流れた。
僕が目黒さんや弘樹さんと打ち合わせで抜けることが増えたある日、別の新規のお客様とのミーティングに田上さんと行くことがあった。
ミーティングを終えデスクで伸びをしながら、僕らは2人して自販機で買った飲み物を啜っている。
「?そう…ですかね」
確かに、結構久しぶりな気がする。当初は田上さんがいない中どう振る舞えばわからないこともあったが、目黒さんも弘樹さんも鈍臭い僕に優しくて、目黒さんのアトリエでこける度に手を貸してくれた。
「いや〜〜あの新郎と話すの楽しそうでいいよなぁ。俺ああ言う自己評価低い癖に人前じゃ普通ぶってる小心者、割と好き」
ニタニタと笑う彼に、僕はムッと口を尖らせた。
「そんなに言うなら田上さんも来ればいいじゃないですか。そしたらわかりますよ。彼は、田上さんの言うような小心者じゃありません」
微笑みを浮かべながら保奈美さんの話をする弘樹さんを思い出す。彼の優しさを、心が小さいだなんて評価されるのは、僕としては心外だった。
わかりやすく噛み付いてきた僕を見て、田上さんは口の端を吊り上げる。
「いや、遠慮しとくでごぜーます。枯実が恐ろしーんでね」
田上さんは、突然知らない名前を零した。
「…枯実さん?」
現在目黒さんのアトリエにいるのは僕と弘樹さんと、主の目黒さんのみである。今後、誰か増えるのだろうか。田上さんが恐がる誰かが。
この飄々とした彼を怯えさせるなど、どれだけ恐ろしい人なのだろうか。そんな仕事を僕だけに押し付けた田上さんに、ジトリとした視線を向けた。
「枯実目黒だよ。今お前らとドレス作ってんでごぜーましょ」
頬杖をつく彼の動作を目で追っていた僕は、その名前を聞いてピクリと固まる。
「え、目黒さんって、下の名前だったんですか」
いや、本当に引っかかるべきはそこじゃないのだが、衝撃で優先順位がうやむやになっている。
「お前はよく人の名前に引っ掛けられるやつでごぜーますなぁ」
缶コーヒーをちゃぷちゃぷと揺らして彼は笑う。
「苗字だと思うじゃないですか。目黒だなんて、」
少しバツが悪くなり、視線を自分の飲んでいるカフェオレにうつす。
「…めぐ…枯実さん。いい人ですよ」
決して恐い人ではない。むしろ、優しくて朗らかで良い人だ。
「だろうな。まあ善人でごぜーます。ぶっちゃけそれはそれであまり好きじゃねーんですが、普通なら恐くはねーですね」
田上さんはぬるいコーヒーを一口飲んだ後、突然「お前また傷が増えたなぁ」と言った。
田上さんの思考についていけず、わかりやすく眉をしかめる。頰に貼っていた絆創膏が、引っ張られて「ピリッ」と鳴る。
「…まあ、最近よく転んでしまうので。そんなことより、なんで枯実さんが恐ろしいのか、聞いて良いですか?」
僕にできることなら弁解したい。それくらい枯実さんにはお世話になっているのだ。
「それ、多分枯実のせいでごぜーますよ」
優雅に足を組みながらそう告げた田上さんに、思わず「はあ?」という声が出る。
「いや…普通に転んだだけですけど。もしかして、僕が枯実さんに叩かれたりしたのを、庇ってるとでも思ってるんですか?」
田上さんにとって、彼はそんなに加虐的に見えるのだろうか。2人してそれぞれ頭に別人を思い描いているのではないかと思わんばかりのズレに、僕が確認を取ろうとしたその時、田上さんは頬杖をついていた手をおもむろに組み、スッと目を細めて僕を見た。
「たまにいるんでごぜーますよ、ああいうの。周りの奴を不幸にするくせに、自分には全く影響がない、つまりまあ、人の幸せ食っちまうタイプ」
真剣にそう言う田上さんに、僕はますます怪訝な顔をした。忘れていた。田上さんはこう見えて、いや、見た目の通り、結構可笑しな人だった。
「枯実さん、別に僕らに何もしてませんよ」
「何かするとかしないとかそう言う問題じゃねーよ。これは、運の話でごぜーます」
田上さんはまるでトンボを捕まえる時のように、人差し指をくるくると回し、僕の眼前に近づける。
「そういう星の元に生まれてんでしょう。あいつは台風の目でごぜーます。あいつの周りじゃ、怪我、事故、トラブルが頻発するが、本人がそれに巻き込まれることはねーんですよ。現にほら、お前わかりやすく傷が増えてるじゃねーか」
幸運論に続く謎の持論の出現に、僕は目が回りそうだった。
「じゃあなんで枯実さんにドレスを頼んだんですか」
反論するのも面倒くさくなって、僕はため息をつく。
「そりゃお前」
彼はどこか空を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「あいつは最高のドレスを作るからだ」
飲み終わった缶コーヒーの缶を乱雑にゴミ箱に放り投げた田上さんは、別のスタッフに呼ばれて部屋を出る。
「お前たちのドレス、楽しみにしてるからな」
そう言って消えていく彼の背を、僕はドア越しにぼんやりと見つめていた。
自分のカフェオレを飲み終わり、紙コップを捨てにいく。ふと見下ろした腕。長袖に隠されたそこに、確かに傷痕は増えていた。
田上さんは枯実さんと一緒にいると、不幸になるから嫌だと言いたかったのだろうか。でも、今近くにいる僕らは、それなりに楽しくやっている。
そんな偏見を生んでしまうような出来事があったのかもしれない。今度引き合わせてみるのも良い。枯実さんの誤解が解けたら、きっと僕らはこれからもっと良くなるだろう。
この数日で増えた傷痕をなぞり、僕は苦笑いする。
この傷が枯実さんのせいだなんて馬鹿馬鹿しい。全部、僕がとろいせいなのに。
そこまで考えて、僕はふと思考が止まる。
田上さんは"また"傷が増えたと言ったが、一体いつの、いや、なんのことを思って"また"なんて言ったのだろうか。
僕の背筋に一筋の汗が流れた。