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第2式

「い、いい加減にしてよ!」

担当に散垣さんが加わってほんの2、3日後のことだった。
どうやら自分がやたらと褒められていることに気がついたらしい保奈美さんは、その言い回しと見境ない量から馬鹿にされていると感じたらしい。ある日とうとう、飲み込んでいた黒い塊を吐き出すように怒鳴った。
「どうせ、私があなたよりデブでブスだから、そんなに褒めるんでしょう!」
VIPルームに泣きそうな声がこだまする。
個室でよかった、とこの時ばかりはあの日保奈美さんをVIPルームに連行させた田上さんに感謝する。
他のお客様に迷惑がかかるからじゃない。
今まで明るく朗らかであり続けた保奈美さんが隠し通そうとした、ほんの少しの綻びを、この部屋が他人から覆い隠してくれるからだ。
「人のこと馬鹿にしすぎよ。自分が可愛いからって…」
保奈美さんの恨み言は止まらない。
恐らく、全てが散垣さん宛というわけではないのだ。きっと、今まで言われてきた数々の褒め言葉が彼女の腹の中で泥のように溜まっていた。吐き出される塊は全て弾丸のように降り注ぐ。
「た、田上さん」
保奈美さんを落ち着かせるべきではないかと、立ち上がった僕は隣でチョコレートを頬張る彼を見た。
「座れ大里」
僕の前にチョコレートを置いた彼は首を横に振る。
田上さんの余裕綽々な態度に、僕は渋々腰を下ろした。口に入れたチョコレートはやけに苦い。

理不尽な言葉を沈黙でもって受け止めてみせた散垣さんは、やってしまったと自己嫌悪に陥り顔を手で覆う保奈美さんに向けて、まるで小鳥を小指に乗せた少女のように無邪気に微笑んでいた。
その頰は心なしか、いつもより仄かに薔薇色に色付いているようにすら見える。
「保奈美さん、私って、可愛いかしら?」
両手を頰に添えて少し顔をそらした散垣さんは、ちらりと横目で保奈美さんを見ると照れたようにまた視線をずらした。
「…は?」
口を開けた保奈美さんから、間抜けな声が出る。
当たり前だ。可愛いも何も、その後にとんでもない量の鬱憤をぶつけたのだ。
まさか、開口一番そこを抜粋されるとは思わないだろう。
「保奈美さん、私のこと、かわいいって言ってくれたわ」
「い、言ったけど…でも、そんなことより、いっぱい私…酷いこと言ったじゃない…」
後悔しているのだろう、語尾がどんどん小さくなる保奈美さんとは反対に、散垣さんは嬉しそうだ。
視線をずらしたまま擽ったそうな顔をする彼女は、手のひらを頰から僅かに上にずらす。
その動作に、保奈美さんと僕はハッとした。
デコボコとした赤みの強い皮膚を擦り、彼女は続けた。
「私、保奈美さんに嫌なことを言ってしまっていたのね。ごめんなさい。好きじゃないところを褒めてしまっていたかしら?そのうさぎのように柔らかな頰も、雪のように白い肌も、私、あんまり好きだからつい」
彼女はニッコリと微笑みながら「嫌な気持ちにさせてしまってごめんなさい」と申し訳なさそうに眉を下げた。
可愛いという単語に反応した後とは思えない返しは、話を聞いただけだとチグハグに聞こえるかもしれない。でも目の前にいる僕らならみんなわかるのだ。
うさぎのようだと褒めた柔らかい頰も、雪のようだと撫でた白い肌も、今の散垣さんには手に入れることが難しい。
そこには確かに、柔らかな羨望の眼差しがあった。
そんな自分にないものを持つ女性に、散垣さんは「可愛い」と言われて喜んだ。
気にしていないということと、事実はまた別の話で、散垣さんは客観的に見て自分の容姿がどうであるかを理解している。
だから嬉しいのだ。可愛いと言われたことが。

言葉に詰まった保奈美さんは申し訳なさを加速させて視線を床に落とした。
しかしそんな保奈美さんの手を取って散垣さんはキラキラと瞳を瞬かせた。
「教えてくれないかしら。保奈美さんは何が嫌で何が好きなのかしら。私、あなたの得意なことや苦手なことをもっと知りたいわ。今まで私が見てきたあなたより、きっともっと素敵よ」
たじろいだ保奈美さんに、散垣さんは二の句を継がせない。
「さっき散々いろいろ言ったんだもの、今更何言ったって同じよ。それに」
散垣さんはここで、ちょっと意外なことを言った。
「私は他人よ。きっと、この式が終わったらあなたも私も全て忘れてしまうわ。全部、あなたの幸せの通過点にあるまどろみの夢に過ぎないのよ。人間関係だとか思いやりだとかなんて、考えるだけ疲れちゃうわ」

そろそろと顔を上げた保奈美さんに明るく「お茶にしましょ!」と散垣さんは声をかけた。
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