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第2式

「私、太ってるの…」
「見りゃわかるでごぜーますが」
「田上さん!」

泥の中でうずくまる花嫁の前に僕が、隣に田上さんがしゃがんだ。
「ドレスが着たいの」
「はい」
「可愛いドレスがいいの」
「はい」
沈んだ声でポツポツと語る花嫁に、僕はできるだけ穏やかな相槌を打つ。
「このドレスも可愛いけど、でも、できれば…もっと可愛くて、綺麗なのがよくて…」
おかしいでしょ?こんなに私太っているのに、と窺うようにこちらを盗み見た保奈美さんに、そんなことはありませんよと微笑む。
「女の人の夢じゃないですか、綺麗なドレス。何もおかしなことないですよ」
僕の一言に安心したように、でもどこか複雑な表情で彼女は頷いた。

「それだけじゃねーでしょ」
田上さんは地面に髪がつくのも厭わず顔を傾ける。
「白無垢じゃなくてドレスがよくて、しかも可愛いのがいいなんていうのは、"可愛いドレスが着たい"って理由だけじゃ…いや、違うな」
田上さんは少し空を仰ぎ見て目を細めた後、花嫁に視線を戻しニヤリと笑った。
「"可愛いドレスを着たい理由"があるんでごぜーますね?」
花嫁の顔が僅かに青ざめる。僕は保奈美さんに大丈夫ですよ、とまた声をかけた。
「保奈美さんの気持ちは、僕ら3人だけの秘密です。誰にも言いません。何か理由があるんだとしたら、教えてくれると嬉しいです。もしかしたらそのお願い、叶えられるかもしれません」
この人意外と凄いんですよ、と田上さんを紹介しかけたが、すんでのところでやめる。彼は、頼るのにちょっと勇気のいる人格の持ち主なので、付き合いの浅い保奈美さんには、その凄さを信じてもらえないだろう。
そういう僕も、この人と出逢ってまだ数週間しか経っていないのだが。
田上さんが言ったのが良かったのか、それともいつか誰かに吐き出してしまいたかったのか。花嫁は静かに遠くを見て、口を開いた。
「私、昔から太ってたの」
夫婦の馴れ初めをまとめたムービーを作る際に、幼少期から現在に至るまでの写真を預かっていたので、保奈美さんの言うことが事実であるのを僕らは知っている。
相槌に困った僕は、曖昧に微笑むだけにとどめ、先を促した。
「ぽちゃみってあだ名まで付いててね。…でも、虐められたりとかそういうのはなくて、今でも学生時代の友達と出掛けたりするし、今度結婚式にも呼ぶの」
僕は渡された写真を思い出していた。明るく朗らかに笑う保奈美さんの周りには、常に笑顔の友人たちであふれていたように思う。
打ち合わせの時から思っていたことだが、本当に明るくて朗らかで、優しい人なのだ。からかわれ易い身体的特徴を補ってなお余りあるほどの美徳が、彼女には確かにある。それ故に彼女の周りには人が集まるのだろう。僕は笑みを深めた。
「でもね…」
声音が変わる。穏やかに過去を回想していた唇は、再び何かに恐怖するように震えた。
「わかるの…。皆、いい人だけど、いい人だから、『素敵だね』って言ってくれるのきっと。でも!わかるのよ…。心の中で『ドレスが可哀想』だとか、『似合ってない』だとか、…いいえもしかしたら、『おもしろい笑える』だなんて、思う人だって、きっと、いるのよ…」
絶句した。堰を切ったように溢れる涙に、僕はオロオロと手をばたつかせることしかできない。
「白無垢なんて着たら、『ドレスが入らなかったんだな』って思われちゃうじゃない。『可哀想』って思われちゃうじゃない」
横隔膜を痙攣させながら肩を揺らす彼女は、タオル地のように柔らかな腕で自身の顔を拭った。
「結婚式でくらい、せめて、『綺麗だな』『羨ましいな』って、私…思われたいっ」
掠れた声に胸が詰まる。
保奈美さんはきっと、ずっとこれに悩んでいたのだ。自分が周りにどう思われているのかを気にして、よく思われたいから人好きのする振る舞いを覚えて、それでもまだ、自分に自信がなくて苦しんでいる。
僕はなんとかポケットからティッシュを取り出し、花嫁に手渡した。
その僕の鼻だって、今にも愚図りあげそうなくらい、赤いのだろう。

「…それ、誰かに言われたことがあるんでごぜーますか?」
お通夜のように目元を赤くした僕と花嫁の隣で、飽きたように田上さんは足元の花を弄っていた。

「『可哀想』『おかしい』『笑える』。てめーその悪口、どこぞの誰に言われたんでごぜーますか」
田上さんは萎びた花に顔を向けたまま、きょろりと目だけを動かして保奈美さんを見た。
「言われなくたって、わかるわよ…」
まろい顔が皺くちゃに歪む。
「あなただって思ったでしょ?『こんな女でも結婚できるんだ。笑える客がきた』って」
震える声に、飄々とした彼が続く。
「いや、くっそどエロい身体つきの客が来やがったワンチャンねーかなぐらいにしか思ってなかったでごぜーますが」
「田上さん!」
咄嗟に彼の口を塞ぐ。
この人ダメだ。何がダメかはわからないけど、多分全部ダメなくらい、ダメだ。
今のは違うんです、彼なりの冗談なんです、と言おうとした僕の声を、ドンッと鈍い音が遮って、視界から田上さんが消えた。

「からかわないで!」
悲痛な叫びが聞こえたのと同時に、彼は地面に転がった。
この人いつも殴られてるな。
どこか冷静な頭でそう思っていると、どこか既視感のある笑い声が響いた。
「ふ、ふふふ、はは」
互いに座った状態だったので、それほど痛くはないだろう。だが、強かれ弱かれ、その殴られた事実こそが大事なのだと言わんばかりに、彼は笑っていた。
「ひ、」
保奈美さんは、思わず手を出してしまった自分と、目の前で笑うその人と、どちらにショックを受けたのか、座ったまま背後の壁に一層くっついて身を竦める。
「そぉーなんですよ。それなんでごぜーますよなぁ〜」
田上さんは嬉々とした声音そのままに、よっと起き上がると、花弁と土にまみれた後頭部をガシガシと掻いた。
「大里。てめー、今俺が嘘ついたと思ったでごぜーますか?」
何がそんなにおかしいのか、随分と楽しそうな彼に、僕なりの答えを返す。
「……いえ、本当のことだと思いました」
花嫁はギョッとしたようだったが、その後あぁ、と納得した顔をした。
「大里さんまで…やめてください。変な気を使わないで…」
ん?と違和感が通り過ぎる。
確かに、この状況で彼の言うことを間に受けろなんて難しい。だけど、もしこれが、彼女にとって日常的であるとしたら…。
事実を言われても、それをお世辞だと捉えていたとしたら…?

「大里、お前はもうわかったはずでごぜーます。長年こいつを笑って、悪口吹き込んじまってた奴の正体が」
田上さんは立ち上がって腕組みすると、答えを教えてやれ、とでも言うように、顎をしゃくった。
保奈美さんは、訳も分からないといった様子で田上さんを見上げる。
そんな彼女の手をとって、意識を僕に向けさせた。そして、ゆっくりと、答えあわせのように…いや、彼女に言い聞かせるように、僕は口を開く。

「あなたの事を1番悪く言っているのは、保奈美さん。…あなた自身です」
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