第2式
「なあ、やっぱり母さんの白無垢を着ることにしないかい?」
花嫁の肩にそっと手を置いて、柔和な雰囲気の男性はそう言った。
長身痩躯のこの男性は、保奈美さんの旦那さんである。
弘樹さんは、スラリとした体型といって差し支えない…どころか、もう棒、といった方が正しいくらい線の細い方で、保奈美さんと隣に並ぶとどうしてもお互いがお互いを強調しあってしまう。
そんな瘦せぎすの旦那さん曰く、彼の母親の形見に白無垢があるのだとか。その話は兼ねてから聞いていたが、保奈美さんがドレスを着たいと言ったので、我々もその件は一度置いて話を進めていたのである。
「白無垢ならサイズも気にしなくていいだろう?無理もしなくていい。お下がりなんて嫌かもしれないが、俺はきっと保奈美に似合うと思うんだ」
ニッコリと笑った旦那さんが、先程田上さんがしたより深く花嫁さんの前に跪き、その手を取ろうとした。
「違う…違うの!」
しかし、その筋張った手が柔らかな指先をとらえることはなく、突然立ち上がった花嫁に押されて、紙が風に翻るように弘樹さんはその場に尻餅をついてしまう。
「ぅ、…うぅ、」
真白の肌を赤く染めて、花嫁はしゃくりあげた。そしてまた顔を覆うと、脱げかけたドレスもそのままにその場にはいられないと走り出してしまった。
「ほ、保奈美…」
伸ばした手は届かない。
慌てて追いかけようとした旦那さんは、どこかを痛めたのか少々動きが鈍かった。
「柘榴ちゃん。旦那さんに茶でも出しといて。俺らが行ってくるでごぜーます」
覚束ない足取りで花嫁を追いかけようとした弘樹さんの首根っこを掴んで散垣さんに投げ渡した田上さんは、もう片方の手で僕の襟を掴むと、花嫁が走り去った方へと早足で歩き出した。
「そのドレス、レンタルなんでごぜーますけど」
花嫁は外にいた。
色とりどりの花の中に沈んだ白は、跳ねた泥で裾が汚れている。
急に走らされて息絶え絶えの僕とは裏腹に、田上さんはなんとも涼やかに花嫁に声をかけた。
ズカズカと花壇に入ると、田上さんは踏まれた花のように首を傾けた花嫁を見下ろす。
「ぅ、うぅ、ごめんなさい…」
裏庭の壁に背を預けてしゃがみこむ花嫁は、鈴虫よりも控えめに囁いた。
「まあその点に関しちゃあ別に構わねーっていうわけにゃいかねーんですけども…。今回はてめーに免じて俺がこれでなんとかしてやりましょう」
右手で作ったオーケーサインを、手首をひねって横に倒した彼は、一瞬長めに瞳を瞬かせる。
「……今のウインクですか」
「それ以外のなんだったんでごぜーますか」
呆れた声で彼はそう言ったが、長い前髪に覆われた顔の右側は、なかなか表情がわからない。ウインクなんてされても、ちょっとタイミングのずれた瞬きにしか見えないのだ。
僕は怪訝な顔をした彼に肩をすくめて見せた後、花壇の中に座り込む花嫁を見つめなおした。
「保奈美さん」
花を踏まないように装飾のレンガを辿って、彼女の前に歩み出てしゃがみ込む。
「結婚式って緊張しますよね」
なんの話をされているのかわからないのだろう。保奈美さんはキョトンとしていた。
「失敗したら嫌ですし、悲しいですけど、でも、やりたい事は叶えたいですもんね。一生に一度の晴れ舞台ですから」
前回の阿形さんは二度目だったけど、と心の中で注釈を入れて、僕は続ける。
「保奈美さんがやりたい事、叶えたい夢があるのなら、無理だって思っても遠慮せずに教えて欲しいんです。どうしてそう思ったのか、どうか僕らに聞かせてください。僕達、笑ったりとかしません。…えっと、結婚式って、…ほら」
本人を目の前にこれを言うのは酷く恥ずかしい。けれど、僕だってこの言葉に心動かされてここまで来たのだ。保奈美さんの為にも、今、言っておきたかった。
「保奈美さんと弘樹さんが、世界一幸せな日でしょう?」
田上さんが思わずといった感じに噴き出していたが、保奈美さんが顔を上げてくれたので今日はもう良しとしよう。