第2式
正直、拍子抜けした。
田上さんがVIPに通せと言うものだから、どんな変わった案件が来るのかと肝を冷やしていたが、なんてことはない。本当にごくごく普通の夫婦だった。
鹿嶋弘樹さんと保奈美さん。
今日初めて来店したという2人は、素人の僕でもわかるくらい普通の予算と普通の希望を出した。田上さんも、山田さん夫妻を相手にしている時とは態度が違う。思ったよりも淡々と、仕事を進めていた。
話し合いも、いたってスムーズ。もし無理に問題を作り上げるとしたら、花嫁さんのドレスがなかなか決まらない、そんな微笑ましいものくらいだ。
「田上さんもこういう仕事するんですね」
暫く話し合いを重ね、鹿嶋夫妻とも打ち解けた現在。初めて2人をVIPルームに通したあの日から数日経ったが、いまだに目立った問題はない。
前回のように2週間後に式をしろという無茶も無いため、時がゆっくり進んでいるような錯覚すら覚える。
「そりゃあ、どーいう意味でごぜーますかぁ」
意味などわかっているくせに、なにが楽しいのかニヤニヤとこちらを見つめながら、田上さんは甘さ控えめのそれに口をつけた。先程打ち合わせを終えて帰っていった夫妻が、「よかったら皆さんで」と置いていってくれた焼き菓子だ。本当は受け取ってはいけないらしいのだが、田上さんはそれはもうなんの迷いもなく受け取ってしまい、こうしてコソコソと2人きりで消費する羽目になっている。僕の胃からすると、とてもありがたいことだが、良心的には少々咎めるものがある。
質問に答えかねて黙々とクッキーを齧り続ける僕を叱るでもなく、田上さんは缶コーヒーのプルトップを引いた。
「俺だって、ボーナスだけで食ってるわけじゃねーですよ。大体、あーゆう客って残念ながらそう簡単に湧いて出てきてくれるもんじゃねーんですよね〜」
まあそれもそうか。
僕は口内の小麦粉を咀嚼すると、また新たな小袋に手を出した。
「でも」
田上さんはギィ、と深く椅子に腰掛け、手元のバインダーを見る。
ゆるくつり上がった口角は、恐ろしい程に前回、つまり山田さん夫妻を担当していた時のそれと酷似していた。
「俺のやる事は変わんねーですよ」
バインダーを置いてクッキーの小袋を手に取った田上さんは、袋に入ったままのそれに力を込める。ベキッと音がして、小袋が力に押されるままに形を変えた。
やる事。
世界一幸せにする事。
そして。
夫婦の残りの幸せを全部さらってしまう事。
大きな幸せを与える事は、彼にとって"その後の幸せを奪う事"に等しいらしい。
不幸にするために幸せにするのだと、あの式の最後にはっきりと彼は明言した。
「どうしてお客様を…人を不幸にしたいんですか」
恨みがあるわけじゃないんですよね?
引っかかるのは、手段もそうだが何より目的だ。僕は彼の唱えた幸福論について、未だ全く理解ができなかった。
ボロボロになったクッキーのかけらを、小袋から取り出しちまちまと食べ続ける田上さんは、何かを思案するようにほんの一瞬斜め上を見る。
そして、屈託のない笑顔でこう言い放った。
「そんなもん、俺が幸せになりてーからに決まってるでごぜーましょう」
目を見開いた僕の耳に緩慢な音楽が届いて、思考を揺らす。
田上さんのスマートフォンが、鳴っていた。
田上さんがVIPに通せと言うものだから、どんな変わった案件が来るのかと肝を冷やしていたが、なんてことはない。本当にごくごく普通の夫婦だった。
鹿嶋弘樹さんと保奈美さん。
今日初めて来店したという2人は、素人の僕でもわかるくらい普通の予算と普通の希望を出した。田上さんも、山田さん夫妻を相手にしている時とは態度が違う。思ったよりも淡々と、仕事を進めていた。
話し合いも、いたってスムーズ。もし無理に問題を作り上げるとしたら、花嫁さんのドレスがなかなか決まらない、そんな微笑ましいものくらいだ。
「田上さんもこういう仕事するんですね」
暫く話し合いを重ね、鹿嶋夫妻とも打ち解けた現在。初めて2人をVIPルームに通したあの日から数日経ったが、いまだに目立った問題はない。
前回のように2週間後に式をしろという無茶も無いため、時がゆっくり進んでいるような錯覚すら覚える。
「そりゃあ、どーいう意味でごぜーますかぁ」
意味などわかっているくせに、なにが楽しいのかニヤニヤとこちらを見つめながら、田上さんは甘さ控えめのそれに口をつけた。先程打ち合わせを終えて帰っていった夫妻が、「よかったら皆さんで」と置いていってくれた焼き菓子だ。本当は受け取ってはいけないらしいのだが、田上さんはそれはもうなんの迷いもなく受け取ってしまい、こうしてコソコソと2人きりで消費する羽目になっている。僕の胃からすると、とてもありがたいことだが、良心的には少々咎めるものがある。
質問に答えかねて黙々とクッキーを齧り続ける僕を叱るでもなく、田上さんは缶コーヒーのプルトップを引いた。
「俺だって、ボーナスだけで食ってるわけじゃねーですよ。大体、あーゆう客って残念ながらそう簡単に湧いて出てきてくれるもんじゃねーんですよね〜」
まあそれもそうか。
僕は口内の小麦粉を咀嚼すると、また新たな小袋に手を出した。
「でも」
田上さんはギィ、と深く椅子に腰掛け、手元のバインダーを見る。
ゆるくつり上がった口角は、恐ろしい程に前回、つまり山田さん夫妻を担当していた時のそれと酷似していた。
「俺のやる事は変わんねーですよ」
バインダーを置いてクッキーの小袋を手に取った田上さんは、袋に入ったままのそれに力を込める。ベキッと音がして、小袋が力に押されるままに形を変えた。
やる事。
世界一幸せにする事。
そして。
夫婦の残りの幸せを全部さらってしまう事。
大きな幸せを与える事は、彼にとって"その後の幸せを奪う事"に等しいらしい。
不幸にするために幸せにするのだと、あの式の最後にはっきりと彼は明言した。
「どうしてお客様を…人を不幸にしたいんですか」
恨みがあるわけじゃないんですよね?
引っかかるのは、手段もそうだが何より目的だ。僕は彼の唱えた幸福論について、未だ全く理解ができなかった。
ボロボロになったクッキーのかけらを、小袋から取り出しちまちまと食べ続ける田上さんは、何かを思案するようにほんの一瞬斜め上を見る。
そして、屈託のない笑顔でこう言い放った。
「そんなもん、俺が幸せになりてーからに決まってるでごぜーましょう」
目を見開いた僕の耳に緩慢な音楽が届いて、思考を揺らす。
田上さんのスマートフォンが、鳴っていた。