第1式-神前の悪魔-
「山田さんたちを?」
僕は文字通り首を傾げた。
「おー」
首元に張り付いた髪をかきあげて彼は言う。
「親父は、普通の結婚式をしたってきっとそれなりの言葉をかけたし、それがねーとしても、そこまで悪い関係にゃならんかったでごぜーましょう」
ウィンカーのカチカチと言う音が、僕の代わりにその先を促す。
「問題は、"確執がある"と思い込んでいる夫妻の方でごぜーました」
左折した先、まだ目的地には程遠い。しかし彼の発言の答えと、目的地への到着が、まるで連動しているかのように思えて心が急いた。助手席の僕には、何もできないが。
「これで親父と仲直りできる、と思わせる必要がごぜーました。元々切れてねぇ縁を結ぼうっつーんです。難しいったらありゃしねーでしょ」
彼は半目で道路を見つめている。
「何か"特別なこと"をして、その後なんらかのアクションがあれば、人はそれを、"特別なこと"の効果に違いないと思ってしまいがちでごぜーます。今回の結婚式を、明らかに他者と区別する必要があったのは、夫婦にとってこれが他とは違う特別なものだと認識してもらうためでごぜーましたのよ」
これが幼稚園で式をした一番の理由でごぜーました、と締めくくった田上さんは緩やかに車を止めた後、赤信号から目をそらし、僕に顔を向けた。
あらゆる仮定の積み重ね。確定していることが少ない中で、彼はいまだに答えが合っているかもわからない事象を組み合わせ、そして賭けに勝ってみせた。とんだギャンブラーだと思う。デタラメな彼の前に伏せられたカードは、あり得ないことに5枚全てジョーカーに書き換えられているのだ。
「あ、」
声の出ない僕を置き去りに、彼の意識は別に移った。ゆっくりと加速する車は、僕の思考と裏腹に目的地へと近づいている。
「そういや、あのガキが泣いた後の演出。あれは俺の指示でごぜーま…っぶね!!」
衝撃の一言に立ち上がりかけた僕をシートベルトと田上さんの左腕が止めた。一瞬急ブレーキがかかり体が傾いだが、脳を揺らす衝撃は精神的なものの方が大きい。
「え、演出ってどういうことですか」
シャツを引っ掴まれ座らされた僕は、呆然と田上さんの横顔を眺めた。運転しながらなのに器用に左腕を使うもんだなぁとか、いつもの僕なら思っていただろう。
「5分でガキはグズるっつったのに、7分で式締めろっつーのは矛盾してんでごぜーましょ」
彼の左腕は、お行儀悪く立ち上がった僕の足をぺしりと叩き嗜めた。
「アクシデント待ちだったんだよ。あのガキが泣いたのは偶然でごぜーますが、そのための時間配分でごぜーましたし、そのための席配置でごぜーました」
わなわなと震える。この震えがどの感情によるものなのか、僕はわからない。
「もしなんのアクシデントも起きなければ、"起こす"つもりでごぜーました。で、夫妻には一言言ってあったんでごぜーます。何かあったら、とりあえず顔を見合わせて微笑んでおけ、ってな」
あの感動のシーンに、まさかそんな裏話があったなんて。着ぐるみの中の人を見てしまったような、夢の国の舞台裏を覗いてしまったような、寂しい気持ちになる。
「そ、そうだったんですか…」
わかりやすく声が落ち込んだ僕に、田上さんは笑いを堪えながら言葉をかけた。
「大人の世界なんてそんなもんでごぜーますよ」
でも、と言葉が続く。
「ガキ撫でたのは、あいつらのアドリブでごぜーます。まああれが良かったんじゃねーですかね、結果的に」
光の中、親子3人で笑顔を交わしていたあの光景を思い浮かべる。阿形さんの父親も思わず息を飲んだあの眩さは、演出でもなんでもない、彼ら自身の暖かさだった。
見慣れた建物が増えてくる。
見知った道に、いくらか車の速度も上がった。
今頃3人は、阿形さんの父親を見送っている頃なのだろうか。もしかしたら、お父さんはもう元の無骨な態度に戻ってしまっているのかもしれない。
けれど、ほんの数時間前に涙が出るほど今後の幸せを喜び合った仲である。きっと、これからは、いや、これからも上手くやっていけるだろう。
「いざ全部吐けって言われてもわかんねーんですよねー。なんか聞きてぇこと、ねーです?」
田上さんは、今度は僕を降ろさずにそのまま駐車場に入っていった。
「聞きたいこと」
正直、僕が何を見落としているのかもわからない。今更それを見つけたところで、また間抜けに口を開けているしかできないのだ。これ以上は流石に顎が外れてしまうな、と馬鹿なことを考えながら、車を停めた彼を見る。
今の僕にとって1番気になる事が1つある。式が終わった今、僕が何より気にしていて、何より期待していることが。そしてそれは、この場の雑談に、大変相応しい内容に思えた。
運転席から降りた彼にならい、助手席から降り扉を閉める。
すぐ隣を歩いてくれている彼に、僕は初めてかもしれない笑顔を投げかけて、明日の天気でも話すかのように声をかけた。
「山田さん夫妻、きっと幸せになれますね」
このタイミングで、この人に、こんな事を聞くべきではなかったと、未来の僕ならわかっただろう。学んだはずだ。田上さんは聞いたらなんでも答えてくれて、そして、わざとなのか律儀なのかは置いておいて、それは彼なりの答えそのままなのである。
薄墨色の髪は、突然足を止めた彼に引っ張られるようにして宙をはためいた。
突然消えた隣の気配に、訝しげに僕は背後を振り返る。
彼は、笑っていた。
ニヤリでも、ニヤっとでも、不敵でも、不遜でも、大胆でもない。
本当に静かに、穏やかに。まるで、桜が蕾を綻ばせるかのように、笑みをたたえていた。
「無理でごぜーますね」
最初、何を言われているかわからなかった。
「あの夫婦に、今後もう、今日より幸せな日はこねーですよ」
田上さんは、わからない時はわからないというし、断言できない時はそのことをちゃんと教えてくれる。
それなのに、返事の必要性すらないこの僕の雑談に、彼は彼なりの答えを、断定系で返したのだ。
「へ、…えっと、あれ?僕、山田さんと阿形さんのことを言ったつもりで、…あはは、すみません。何かと勘違いさせてしまいましたか」
勘違いも何もあるはずないのに、僕は、そうであれと願いながらぺらぺらとまくし立てた。
そんな僕を真っ直ぐ見つめて、彼は首を横に振る。今日式を終えた山田さん夫妻のことを指しているのだと、改めて釘を刺されて、僕の息が止まった。
「ど、どうしてですか!山田さんたち、あんなに幸せそうだったじゃないですか!これからですよ!これからきっと、もっと幸せになれますよ!なんでそんな悲しいことを言うんですか」
僕は思わず田上さんに掴みかかった。と言っても、彼の腕や袖を掴む程度である。僅かに揺れた彼の身体は、僕の力でどうにかできるようなものではなかった。
「どうして、でごぜーますか」
田上さんは僕にしがみつかれるがまま、またなにかを思い出すように斜め上に視線をずらす。
「それは、あの夫婦の結婚式の担当が、俺だからでごぜーます」
「…え?」
想像だにしない返答だった。
「人間には、最初から幸せの定量っつーものがあって、生まれてから死ぬまで、その幸せを小出し小出しにして生きてるんでごぜーますよ」
幸せの定量。聞いたことのない話だ。変な宗教にでも関わっているのだろうか。それともふざけているのだろうか。
でも、僕はその声を遮ることができなかった。
「もし2人に配られた幸せが100だとして、適当なところで適当な式を挙げて得る幸せは、2とか3とかそんなもんでごぜーましょう」
田上さんは、まだ上を見ていた。
「でも、今日の式は大成功でごぜーました。そーでごぜーますねぇ。仮に10だとしましょう。で?あの2人は今後、10に匹敵する幸せを一気に得られると思うんです?」
訳が、わからない。
「そうか、ならもっとわかりやすく言ってやる。今日があの2人の人生最高の日だ。明日以降の人生は消化試合。今日以上の幸せを得ることはできねーでしょう」
1+1のように、当たり前だと言う顔で、そう唱える。
めちゃくちゃだ、そう思った。
「………傲慢にもほどがあります。今日、確かに夫妻は幸せでしたけど、今後もっと幸せなことなんて、2人にごまんとありますよ!」
彼の腕を掴む手に力が入る。布越し、皮膚に爪が刺さる感触。
僕の手は怒りと動揺に震えていた。
「大里」
田上さんは穏やかに僕の痛みを受け入れる。
「俺は、客の残りの幸せ、全部奪ってやるつもりで、この仕事してんでごぜーますよ」
紫の笑みが深まる。
悪魔のように口の端を釣り上げた彼に先ほどの桜の面影など無く、今はもう全くいつもと同じ顔をしていた。
「俺の客は、結婚式当日以上の幸せを得ることは決してねぇ。世界一幸せになるっつーのは、人生で1番幸せな日を迎えることと同じなんでごぜーますから」
これは、人を"不幸"にする為に"幸せ"にする、僕の先輩の話である。
【ブス婚サルト】
第1式-神前の悪魔-
僕は文字通り首を傾げた。
「おー」
首元に張り付いた髪をかきあげて彼は言う。
「親父は、普通の結婚式をしたってきっとそれなりの言葉をかけたし、それがねーとしても、そこまで悪い関係にゃならんかったでごぜーましょう」
ウィンカーのカチカチと言う音が、僕の代わりにその先を促す。
「問題は、"確執がある"と思い込んでいる夫妻の方でごぜーました」
左折した先、まだ目的地には程遠い。しかし彼の発言の答えと、目的地への到着が、まるで連動しているかのように思えて心が急いた。助手席の僕には、何もできないが。
「これで親父と仲直りできる、と思わせる必要がごぜーました。元々切れてねぇ縁を結ぼうっつーんです。難しいったらありゃしねーでしょ」
彼は半目で道路を見つめている。
「何か"特別なこと"をして、その後なんらかのアクションがあれば、人はそれを、"特別なこと"の効果に違いないと思ってしまいがちでごぜーます。今回の結婚式を、明らかに他者と区別する必要があったのは、夫婦にとってこれが他とは違う特別なものだと認識してもらうためでごぜーましたのよ」
これが幼稚園で式をした一番の理由でごぜーました、と締めくくった田上さんは緩やかに車を止めた後、赤信号から目をそらし、僕に顔を向けた。
あらゆる仮定の積み重ね。確定していることが少ない中で、彼はいまだに答えが合っているかもわからない事象を組み合わせ、そして賭けに勝ってみせた。とんだギャンブラーだと思う。デタラメな彼の前に伏せられたカードは、あり得ないことに5枚全てジョーカーに書き換えられているのだ。
「あ、」
声の出ない僕を置き去りに、彼の意識は別に移った。ゆっくりと加速する車は、僕の思考と裏腹に目的地へと近づいている。
「そういや、あのガキが泣いた後の演出。あれは俺の指示でごぜーま…っぶね!!」
衝撃の一言に立ち上がりかけた僕をシートベルトと田上さんの左腕が止めた。一瞬急ブレーキがかかり体が傾いだが、脳を揺らす衝撃は精神的なものの方が大きい。
「え、演出ってどういうことですか」
シャツを引っ掴まれ座らされた僕は、呆然と田上さんの横顔を眺めた。運転しながらなのに器用に左腕を使うもんだなぁとか、いつもの僕なら思っていただろう。
「5分でガキはグズるっつったのに、7分で式締めろっつーのは矛盾してんでごぜーましょ」
彼の左腕は、お行儀悪く立ち上がった僕の足をぺしりと叩き嗜めた。
「アクシデント待ちだったんだよ。あのガキが泣いたのは偶然でごぜーますが、そのための時間配分でごぜーましたし、そのための席配置でごぜーました」
わなわなと震える。この震えがどの感情によるものなのか、僕はわからない。
「もしなんのアクシデントも起きなければ、"起こす"つもりでごぜーました。で、夫妻には一言言ってあったんでごぜーます。何かあったら、とりあえず顔を見合わせて微笑んでおけ、ってな」
あの感動のシーンに、まさかそんな裏話があったなんて。着ぐるみの中の人を見てしまったような、夢の国の舞台裏を覗いてしまったような、寂しい気持ちになる。
「そ、そうだったんですか…」
わかりやすく声が落ち込んだ僕に、田上さんは笑いを堪えながら言葉をかけた。
「大人の世界なんてそんなもんでごぜーますよ」
でも、と言葉が続く。
「ガキ撫でたのは、あいつらのアドリブでごぜーます。まああれが良かったんじゃねーですかね、結果的に」
光の中、親子3人で笑顔を交わしていたあの光景を思い浮かべる。阿形さんの父親も思わず息を飲んだあの眩さは、演出でもなんでもない、彼ら自身の暖かさだった。
見慣れた建物が増えてくる。
見知った道に、いくらか車の速度も上がった。
今頃3人は、阿形さんの父親を見送っている頃なのだろうか。もしかしたら、お父さんはもう元の無骨な態度に戻ってしまっているのかもしれない。
けれど、ほんの数時間前に涙が出るほど今後の幸せを喜び合った仲である。きっと、これからは、いや、これからも上手くやっていけるだろう。
「いざ全部吐けって言われてもわかんねーんですよねー。なんか聞きてぇこと、ねーです?」
田上さんは、今度は僕を降ろさずにそのまま駐車場に入っていった。
「聞きたいこと」
正直、僕が何を見落としているのかもわからない。今更それを見つけたところで、また間抜けに口を開けているしかできないのだ。これ以上は流石に顎が外れてしまうな、と馬鹿なことを考えながら、車を停めた彼を見る。
今の僕にとって1番気になる事が1つある。式が終わった今、僕が何より気にしていて、何より期待していることが。そしてそれは、この場の雑談に、大変相応しい内容に思えた。
運転席から降りた彼にならい、助手席から降り扉を閉める。
すぐ隣を歩いてくれている彼に、僕は初めてかもしれない笑顔を投げかけて、明日の天気でも話すかのように声をかけた。
「山田さん夫妻、きっと幸せになれますね」
このタイミングで、この人に、こんな事を聞くべきではなかったと、未来の僕ならわかっただろう。学んだはずだ。田上さんは聞いたらなんでも答えてくれて、そして、わざとなのか律儀なのかは置いておいて、それは彼なりの答えそのままなのである。
薄墨色の髪は、突然足を止めた彼に引っ張られるようにして宙をはためいた。
突然消えた隣の気配に、訝しげに僕は背後を振り返る。
彼は、笑っていた。
ニヤリでも、ニヤっとでも、不敵でも、不遜でも、大胆でもない。
本当に静かに、穏やかに。まるで、桜が蕾を綻ばせるかのように、笑みをたたえていた。
「無理でごぜーますね」
最初、何を言われているかわからなかった。
「あの夫婦に、今後もう、今日より幸せな日はこねーですよ」
田上さんは、わからない時はわからないというし、断言できない時はそのことをちゃんと教えてくれる。
それなのに、返事の必要性すらないこの僕の雑談に、彼は彼なりの答えを、断定系で返したのだ。
「へ、…えっと、あれ?僕、山田さんと阿形さんのことを言ったつもりで、…あはは、すみません。何かと勘違いさせてしまいましたか」
勘違いも何もあるはずないのに、僕は、そうであれと願いながらぺらぺらとまくし立てた。
そんな僕を真っ直ぐ見つめて、彼は首を横に振る。今日式を終えた山田さん夫妻のことを指しているのだと、改めて釘を刺されて、僕の息が止まった。
「ど、どうしてですか!山田さんたち、あんなに幸せそうだったじゃないですか!これからですよ!これからきっと、もっと幸せになれますよ!なんでそんな悲しいことを言うんですか」
僕は思わず田上さんに掴みかかった。と言っても、彼の腕や袖を掴む程度である。僅かに揺れた彼の身体は、僕の力でどうにかできるようなものではなかった。
「どうして、でごぜーますか」
田上さんは僕にしがみつかれるがまま、またなにかを思い出すように斜め上に視線をずらす。
「それは、あの夫婦の結婚式の担当が、俺だからでごぜーます」
「…え?」
想像だにしない返答だった。
「人間には、最初から幸せの定量っつーものがあって、生まれてから死ぬまで、その幸せを小出し小出しにして生きてるんでごぜーますよ」
幸せの定量。聞いたことのない話だ。変な宗教にでも関わっているのだろうか。それともふざけているのだろうか。
でも、僕はその声を遮ることができなかった。
「もし2人に配られた幸せが100だとして、適当なところで適当な式を挙げて得る幸せは、2とか3とかそんなもんでごぜーましょう」
田上さんは、まだ上を見ていた。
「でも、今日の式は大成功でごぜーました。そーでごぜーますねぇ。仮に10だとしましょう。で?あの2人は今後、10に匹敵する幸せを一気に得られると思うんです?」
訳が、わからない。
「そうか、ならもっとわかりやすく言ってやる。今日があの2人の人生最高の日だ。明日以降の人生は消化試合。今日以上の幸せを得ることはできねーでしょう」
1+1のように、当たり前だと言う顔で、そう唱える。
めちゃくちゃだ、そう思った。
「………傲慢にもほどがあります。今日、確かに夫妻は幸せでしたけど、今後もっと幸せなことなんて、2人にごまんとありますよ!」
彼の腕を掴む手に力が入る。布越し、皮膚に爪が刺さる感触。
僕の手は怒りと動揺に震えていた。
「大里」
田上さんは穏やかに僕の痛みを受け入れる。
「俺は、客の残りの幸せ、全部奪ってやるつもりで、この仕事してんでごぜーますよ」
紫の笑みが深まる。
悪魔のように口の端を釣り上げた彼に先ほどの桜の面影など無く、今はもう全くいつもと同じ顔をしていた。
「俺の客は、結婚式当日以上の幸せを得ることは決してねぇ。世界一幸せになるっつーのは、人生で1番幸せな日を迎えることと同じなんでごぜーますから」
これは、人を"不幸"にする為に"幸せ"にする、僕の先輩の話である。
【ブス婚サルト】
第1式-神前の悪魔-