第1式-神前の悪魔-
「納得いかねぇって、顔に書いてあんぞ」
幼稚園の片付けが全て終わり、隅から隅まで元に戻ったことを確認した僕らは、使用した花々を幼稚園に寄贈し、園長先生の印を貰い、ようやく帰ることになった。
今僕の右隣では、相変わらず"らしくない"丁寧さで、田上さんがハンドルを切っている。
「別に納得できないってわけじゃないんです」
息を吐きながら、彼に隠し事はできないとつくづく思った。
「でも、度重なる偶然に助けられただけなんじゃないかって…。そのうちの1つでもなかったら、阿形さん達は、和解できてなかったんじゃないかと思うと、今日は運が良かったんだなぁって、思ってしまうんです」
偶然赤ん坊が泣いたから、あの場はなんとかなったんではないだろうか。もし、何事もなく、無事に式が終わっていたら?そう考えると、今回の仕事は結果的に成功しただけなんじゃないかと、冷静になった今考えてしまう。
「そーでごぜーますなぁ」
先に会話を続ける気もなさそうな、力の抜けた返事である。
「どこまで考えてやったことなんですか?まだあるなら、僕にも教えて下さいよ」
田上さんは聞けば答えてくれる。この二週間で学習した内容で、1番"使える"事実だ。
「うーん。どこまで、ねぇ…」
田上さんは何かを思い出すように、少し視線を上げた。
「まず、なんで幼稚園にしたかは話したでごぜーましょ」
「阿形さんのお父さんが幼稚園に来た事があると仮定して、昔を思い出して貰うためですよね」
彼の手札の多さに驚いてばかりのこの頃だ。開示されたものは、殆ど覚えている。
「そーでごぜーますね。まあ、そん時なんで小学校でも中学でもなく幼稚園を選んだのかっつーと、あいつらのガキが幼稚園に通ってるからってのがまず1つ」
目線は前に置いたまま、彼はスッと左手の人差し指を立てた。
「2つ目は、阿形の母親が、死別か離婚かは知らねーですが、いなくなったのが、その頃かそれより前だと思ったからでごぜーます」
中指がピンと立ち、僅かに僕の前で振られた後、すぐにハンドルへと戻っていく。
「はあ…。……あれ」
ここで僕は失念していた事実に気づく。当たり前のように、阿形さんが幼稚園に通っていた頃には父子家庭だったのだと思っていたが、そう言えば、そんなこと言われていないのである。
「なんでわかったんですか。…いや、そもそも本当にそうなんですか?」
僕は珍しく全て晒されている彼の横顔を見つめた。
「答え合わせしちゃねーんで知らねーです。でも、ほぼ合ってると思うでごぜーますよ」
淡々と彼は続ける。
「『片親でも子どもは育つ』なんて、あんなチビ抱えた母親に無責任に言える言葉じゃねーんです。それに対して阿形たちが反論できなかったっつーことは、親父は片親で育てきったんでごぜーましょう」
チビの頃の阿形を。と付け加えた田上さんに、開いた口がふさがらない。この人の頭は一体どういう構造をしているのだろう。シャーロックホームズだとか、明智小五郎だとか、その類の本でも読めばこんな風になるのだろうか。
彼の種明かしはまだ終わらない。
「というか、そもそもこの結婚式の本当の目的は、阿形の親父を納得させることじゃねーんです」
「え、どういうことですか」
最初から最後まで阿形さんの父親が、この式の目的の中心だったはずだ。途中山田さんのプライドの話も入ったが、それを鑑みても、本当の目的が阿形さんの父親絡みでないというのは、納得がいかない。
「阿形の親父は、別に娘夫婦と仲違いしてるつもりじゃなかったってことでごぜーますよぉ」
めんどくさそうに語尾を伸ばした彼は、赤信号のついでに首をぐるっと回し、伸びをした。
「娘と別れさせる為に前の旦那んとこに乗り込むような親父が、認めてない男と娘の結婚式に、顔出すと思うんです?」
信号が青になり、緩慢に走り出す車。その中で、僕はまたポカンと口を開けた。
「旦那の事認めねぇっつー親父なんかこの世にごまんといるし、なんならうちで式挙げる奴らの半分くらいそんなんでごぜーますよ。でも、認めねーっつっうのはもう親父なりのプライドでしかねーんです。うちの娘をてめーにやってたまるかって、駄々捏ねてんです」
喉が異常に乾く。しかし、唾液を嚥下しようにも、開いた口は塞がらない。
「え、いや、でも…今日の式も、あんな怖い顔でしたし…少しは何かあるんじゃ」
僕は、式の最中の阿形さんの父親の顔を思い出す。そうだ、バージンロードを歩く娘すら見なかったではないか。確執がないとは言い切れない。
「それでごぜーますよ」
田上さんは呆れたようにため息をついた。しかし、それは僕に向けられたものではない。
「あれねぇ、あの親父、死ぬ程緊張してだけなんでごぜーます」
僕の頭にはてなマークが浮かぶ。緊張?阿形さんの父親が?
「だから変に納得させる必要ねーなって今日確信したんでごぜーますよ。親父が娘の結婚式でガチガチに緊張しちまってる時点で、別にあの親子に心配するような点なんてねーんです」
能面のように動かない表情。まさか彼のそれが、緊張からくるものだったなんて。
にわかには信じがたいが、何十何百と父親の顔を見てきた田上さんだ。それくらいのことがわかっても不思議じゃない。
あの石のような顔を見て気を張っていた僕は、がっくりと肩を落とした。
「じゃあ普通の式で良かったんじゃないですか」
確信したのが今日だと田上さんは言った。なら、もっと早くに予想はついていたのではないだろうか。僕はいらない緊張を強いた右隣の人物を、ジト目で睨みつける。
「だーから言ったでごぜーましょう。本当の目的が別にあるんです」
彼はちらりと横目に僕を見て、にや、と笑う。
「あの結婚式は、あの夫婦を納得させる為の結婚式だったんでごぜーます」
悪戯を思いついた悪ガキだって早々こんな顔はしない。心底楽しそうに、彼はアクセルを踏んだ。
幼稚園の片付けが全て終わり、隅から隅まで元に戻ったことを確認した僕らは、使用した花々を幼稚園に寄贈し、園長先生の印を貰い、ようやく帰ることになった。
今僕の右隣では、相変わらず"らしくない"丁寧さで、田上さんがハンドルを切っている。
「別に納得できないってわけじゃないんです」
息を吐きながら、彼に隠し事はできないとつくづく思った。
「でも、度重なる偶然に助けられただけなんじゃないかって…。そのうちの1つでもなかったら、阿形さん達は、和解できてなかったんじゃないかと思うと、今日は運が良かったんだなぁって、思ってしまうんです」
偶然赤ん坊が泣いたから、あの場はなんとかなったんではないだろうか。もし、何事もなく、無事に式が終わっていたら?そう考えると、今回の仕事は結果的に成功しただけなんじゃないかと、冷静になった今考えてしまう。
「そーでごぜーますなぁ」
先に会話を続ける気もなさそうな、力の抜けた返事である。
「どこまで考えてやったことなんですか?まだあるなら、僕にも教えて下さいよ」
田上さんは聞けば答えてくれる。この二週間で学習した内容で、1番"使える"事実だ。
「うーん。どこまで、ねぇ…」
田上さんは何かを思い出すように、少し視線を上げた。
「まず、なんで幼稚園にしたかは話したでごぜーましょ」
「阿形さんのお父さんが幼稚園に来た事があると仮定して、昔を思い出して貰うためですよね」
彼の手札の多さに驚いてばかりのこの頃だ。開示されたものは、殆ど覚えている。
「そーでごぜーますね。まあ、そん時なんで小学校でも中学でもなく幼稚園を選んだのかっつーと、あいつらのガキが幼稚園に通ってるからってのがまず1つ」
目線は前に置いたまま、彼はスッと左手の人差し指を立てた。
「2つ目は、阿形の母親が、死別か離婚かは知らねーですが、いなくなったのが、その頃かそれより前だと思ったからでごぜーます」
中指がピンと立ち、僅かに僕の前で振られた後、すぐにハンドルへと戻っていく。
「はあ…。……あれ」
ここで僕は失念していた事実に気づく。当たり前のように、阿形さんが幼稚園に通っていた頃には父子家庭だったのだと思っていたが、そう言えば、そんなこと言われていないのである。
「なんでわかったんですか。…いや、そもそも本当にそうなんですか?」
僕は珍しく全て晒されている彼の横顔を見つめた。
「答え合わせしちゃねーんで知らねーです。でも、ほぼ合ってると思うでごぜーますよ」
淡々と彼は続ける。
「『片親でも子どもは育つ』なんて、あんなチビ抱えた母親に無責任に言える言葉じゃねーんです。それに対して阿形たちが反論できなかったっつーことは、親父は片親で育てきったんでごぜーましょう」
チビの頃の阿形を。と付け加えた田上さんに、開いた口がふさがらない。この人の頭は一体どういう構造をしているのだろう。シャーロックホームズだとか、明智小五郎だとか、その類の本でも読めばこんな風になるのだろうか。
彼の種明かしはまだ終わらない。
「というか、そもそもこの結婚式の本当の目的は、阿形の親父を納得させることじゃねーんです」
「え、どういうことですか」
最初から最後まで阿形さんの父親が、この式の目的の中心だったはずだ。途中山田さんのプライドの話も入ったが、それを鑑みても、本当の目的が阿形さんの父親絡みでないというのは、納得がいかない。
「阿形の親父は、別に娘夫婦と仲違いしてるつもりじゃなかったってことでごぜーますよぉ」
めんどくさそうに語尾を伸ばした彼は、赤信号のついでに首をぐるっと回し、伸びをした。
「娘と別れさせる為に前の旦那んとこに乗り込むような親父が、認めてない男と娘の結婚式に、顔出すと思うんです?」
信号が青になり、緩慢に走り出す車。その中で、僕はまたポカンと口を開けた。
「旦那の事認めねぇっつー親父なんかこの世にごまんといるし、なんならうちで式挙げる奴らの半分くらいそんなんでごぜーますよ。でも、認めねーっつっうのはもう親父なりのプライドでしかねーんです。うちの娘をてめーにやってたまるかって、駄々捏ねてんです」
喉が異常に乾く。しかし、唾液を嚥下しようにも、開いた口は塞がらない。
「え、いや、でも…今日の式も、あんな怖い顔でしたし…少しは何かあるんじゃ」
僕は、式の最中の阿形さんの父親の顔を思い出す。そうだ、バージンロードを歩く娘すら見なかったではないか。確執がないとは言い切れない。
「それでごぜーますよ」
田上さんは呆れたようにため息をついた。しかし、それは僕に向けられたものではない。
「あれねぇ、あの親父、死ぬ程緊張してだけなんでごぜーます」
僕の頭にはてなマークが浮かぶ。緊張?阿形さんの父親が?
「だから変に納得させる必要ねーなって今日確信したんでごぜーますよ。親父が娘の結婚式でガチガチに緊張しちまってる時点で、別にあの親子に心配するような点なんてねーんです」
能面のように動かない表情。まさか彼のそれが、緊張からくるものだったなんて。
にわかには信じがたいが、何十何百と父親の顔を見てきた田上さんだ。それくらいのことがわかっても不思議じゃない。
あの石のような顔を見て気を張っていた僕は、がっくりと肩を落とした。
「じゃあ普通の式で良かったんじゃないですか」
確信したのが今日だと田上さんは言った。なら、もっと早くに予想はついていたのではないだろうか。僕はいらない緊張を強いた右隣の人物を、ジト目で睨みつける。
「だーから言ったでごぜーましょう。本当の目的が別にあるんです」
彼はちらりと横目に僕を見て、にや、と笑う。
「あの結婚式は、あの夫婦を納得させる為の結婚式だったんでごぜーます」
悪戯を思いついた悪ガキだって早々こんな顔はしない。心底楽しそうに、彼はアクセルを踏んだ。