第1式-神前の悪魔-
そこから先、僕の口から述べられることはもうない。
夫妻の控え室に阿形さんの父親を案内した僕は、何者かに首根っこを掴まれ引き摺られた為、中に入ることは叶わなかった。だから、中でどんな会話があって、どんな事が起きたのか。僕は知らない。
足を縺れさせながら体勢を立て直し、僕を引き摺る灰色を見上げた。緩やかにつり上がった口の端から彼の機嫌の良さがうかがえる。
そのまま引っ張り込まれたのは、先程までカラフルな声で満ち満ちていたばかりのホール。無人のそこは、今となっては大変ちぐはぐで歪な場所だ。ただの幼稚園のホールが少し背伸びをして見せただけのそこは、花嫁がいなければただお遊戯の舞台でしかない。
「ひとまず、成功おめでとうごぜーます」
僕の首根っこから手を離し、開口一番彼はそう言った。
「あ、ありがとうございます」
少し釈然としないまま、僕は頭を下げた。今回の仕事は、大半どころかほぼ全部田上さんがやった事だ。僕がおめでとうと言われる筋合いは、正直ない。
「なーに考えてんです」
彼はまた僕の発言を先回りして言った。
「前にも言ったでごぜーますが、この式の担当は、俺と」
人差し指を、まずは彼自身に。
そして、僕の胸に突き立てる。
「てめーでごぜーます」
初仕事お疲れさん、と彼は僕の額を指先で弾いた。
今まで、こんな風にに言われたことなどない。当たり前だ。他のアルバイトでは、3日と仕事を任された事がなかった。むず痒い言葉に、緊張も解けふにゃふにゃと口が緩んだ。
これが、僕が人生で初めてやり遂げた仕事である。
ホールの片付けなどは、別のスタッフがやってくれるらしい。しばらく作業を眺めた後、夫妻の控え室に顔を出した僕らを迎えたのは、顔をぐしゃぐしゃにした2人だった。普段着に戻った2人は、手に何枚もティッシュを掴みながら泣いていた。何かあったのかと思ったが、表情を見るに、悲しい事があったわけでもなさそうだ。
「親父さんが…」
しばらく男泣きしていた山田さんは、乱暴に腕で顔を拭うと、僕らを正面から見据えて口を開く。
「子どもは、片親でも育てられるって」
喉の奥から、絞り出すような声だ。
「でも、裕子と勇太には、俺が必要なんだろうって」
鼻の奥がツンとした。
肩の荷が下りて安心したのか、山田さんの嗚咽も止まらない。何かと感情が表に出る彼だ。泣くときも笑うときも、きっと全力なのだろう。目が腫れてしまうから泣き止んでくださいなんて、野暮なことは言えなかった。
この後勇太くんと3人で、地元に戻るお父さんを見送るのだと言った夫妻の為に、その後の手続きは郵送で行うことになった。
なんども頭を下げて振り返る夫妻と、頭に父親から受け取った花をさした勇太くんの背中が見えなくなるまで、僕らは正門で彼らを見送った。
夫妻の控え室に阿形さんの父親を案内した僕は、何者かに首根っこを掴まれ引き摺られた為、中に入ることは叶わなかった。だから、中でどんな会話があって、どんな事が起きたのか。僕は知らない。
足を縺れさせながら体勢を立て直し、僕を引き摺る灰色を見上げた。緩やかにつり上がった口の端から彼の機嫌の良さがうかがえる。
そのまま引っ張り込まれたのは、先程までカラフルな声で満ち満ちていたばかりのホール。無人のそこは、今となっては大変ちぐはぐで歪な場所だ。ただの幼稚園のホールが少し背伸びをして見せただけのそこは、花嫁がいなければただお遊戯の舞台でしかない。
「ひとまず、成功おめでとうごぜーます」
僕の首根っこから手を離し、開口一番彼はそう言った。
「あ、ありがとうございます」
少し釈然としないまま、僕は頭を下げた。今回の仕事は、大半どころかほぼ全部田上さんがやった事だ。僕がおめでとうと言われる筋合いは、正直ない。
「なーに考えてんです」
彼はまた僕の発言を先回りして言った。
「前にも言ったでごぜーますが、この式の担当は、俺と」
人差し指を、まずは彼自身に。
そして、僕の胸に突き立てる。
「てめーでごぜーます」
初仕事お疲れさん、と彼は僕の額を指先で弾いた。
今まで、こんな風にに言われたことなどない。当たり前だ。他のアルバイトでは、3日と仕事を任された事がなかった。むず痒い言葉に、緊張も解けふにゃふにゃと口が緩んだ。
これが、僕が人生で初めてやり遂げた仕事である。
ホールの片付けなどは、別のスタッフがやってくれるらしい。しばらく作業を眺めた後、夫妻の控え室に顔を出した僕らを迎えたのは、顔をぐしゃぐしゃにした2人だった。普段着に戻った2人は、手に何枚もティッシュを掴みながら泣いていた。何かあったのかと思ったが、表情を見るに、悲しい事があったわけでもなさそうだ。
「親父さんが…」
しばらく男泣きしていた山田さんは、乱暴に腕で顔を拭うと、僕らを正面から見据えて口を開く。
「子どもは、片親でも育てられるって」
喉の奥から、絞り出すような声だ。
「でも、裕子と勇太には、俺が必要なんだろうって」
鼻の奥がツンとした。
肩の荷が下りて安心したのか、山田さんの嗚咽も止まらない。何かと感情が表に出る彼だ。泣くときも笑うときも、きっと全力なのだろう。目が腫れてしまうから泣き止んでくださいなんて、野暮なことは言えなかった。
この後勇太くんと3人で、地元に戻るお父さんを見送るのだと言った夫妻の為に、その後の手続きは郵送で行うことになった。
なんども頭を下げて振り返る夫妻と、頭に父親から受け取った花をさした勇太くんの背中が見えなくなるまで、僕らは正門で彼らを見送った。