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第1式-神前の悪魔-

非日常に縁取られたホールの一角。
色めき立つ周りと裏腹に、僕の目の前だけはやけに静かで重々しい空気に満ちていた。
阿形さんの父親。
その人だけは、急ごしらえの神台を睨みつけている。彼は、赤い道を歩く我が子と孫を、一度も振り返り見ることはなかった。

この人を、この会場のこの席に案内したのは僕だ。
時間を巻き戻すこと数刻。
ひとしきり前を向けだのなんだのと、田上さんなりなのだろうか励ましの言葉を貰った後、サラッと言われたのだ。「父親の担当はお前だ」と。
田上さんはその後すぐにどこかに消えた。何もわからない僕がこなせたのは、結局待合室への案内と、そこからここまでの引率だけだ。途中阿形さんのお父さんに話しかけようと試みたが、娘の結婚式とは思えないような重厚なオーラに、この場に雑談は不要だと判断する。
しかし、彼の気持ちも、僕なりに多少推し量ることができた。彼もまた一瞬の不安に苛まれているのではないだろうか。幼稚園という異質な場所で、周りは子どもとその親ばかり。自分は大人しく座っていることしかできない。
会って挨拶をしたその一度だけ話しかけてきた彼は、こう言ったのだ。
「本日は宜しくお願いします。で、わしは何をしたらいいんだ」
段取りも何も知らされてない、と非難の目を向けられる。居心地の悪さに手持ち無沙汰が苦しくなったのだろう。挨拶も、わからないなりに用意してきてくれたのかもしれない。
そんな彼に、僕は首を振った。
「何も。ただ、目に焼き付けていて下さい」
今日は2人の、世界一幸せな日なので。
訝しげに目を眇めた彼を、僕は胸を張って席に案内した。


決して豪華で盛大とは言い難い式は始まる。

感嘆の声を漏らす子どもたちを大人たちが諌めはするものの、興奮した彼らの密やかな歓声は鳴り止まない。毎日着ている揃いの服にも、今日だけは園長先生がつけているよりもっと綺麗な飾りや花がついていて、落ち着かないのか小さな手のひらの中でしきりに色を散らしている。いつも自分たちが走り回っているこの部屋が突然どこかのお城みたいに飾られたのを見て、女の子たちはソワソワと自分の髪を撫で付けていた。
浮き足立つ小さな花々の期待が一心に向かう後方の扉。いつもより重く見えるその扉が、とうとう開く。
光が溢れたのかと思ったがそれは間違いだった。輝きがこの部屋に一歩足を踏み入れたので、子どもたちはそれが人だとわかったのだ。
そして、白亜の城に騎士がいるように、滝の傍に野バラが咲くように、小さな影がその輝きに寄り添っていた。
ドレスを纏った阿形さんの隣で赤い道を歩くのは、彼女の父親ではなく勇太君だ。
慈愛と自信に満ちた顔で前を向き歩く母の、ほんのちょっと先を行くようにして、彼は白い手袋に包まれた細腕を引いている。
結婚式とは似ても似つかぬ興奮の渦が、真ん中を歩く2人をお姫様と王子様に仕立て上げた。
騒ぎ始めた膝上の花々に焦ったように、親たちは人差し指で唇を押さえる。

2人はとうとう神台へと辿り着く。
白い衣装を身に纏った山田さんは、緊張しているのだろう。誰よりも背筋が伸びて顔が固い。2人の前に並ぶその歩みも、どこかぎこちない。人を脅かすように肩をいからせて歩くことも多かった彼が、今日はなんだか小さく見えた。
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