第1式-神前の悪魔-
驚くべきことに、今日は日曜日。
そう。いつの間にか、本当に、山田さん夫妻の結婚式当日はきてしまったのである。
「随分いい顔色になってんじゃねーですか〜。そーんなに楽しみでごぜーましたか〜」
僕の顔を覗き込んでにっこり笑っているのは、いつもよりほんの少しだけ小綺麗な格好をした田上さんだ。
「……からかわないで下さい。あの、本当に今日は」
幼稚園のとある1教室。
スタッフの控え室としてあてがわれたそこで、僕はうずくまって口を押さえていた。
「んなガチガチに緊張するこたァねーですよ。死ぬわけじゃあるまいし」
うずくまる僕の前で膝を折る彼は、いつもと違って声を潜めている。
僕らのすぐ隣には新郎新婦の控え室があり、さらにその先には僕が飾り付けを考え、寸分違わずその通りに装飾されたホールがあった。
僕が今うずくまっている教室の小さな黒板には、先日僕が描いた招待状が貼られている。きっとどの教室もそうで、その招待に胸を躍らせた子どもたちとその父兄が、ガラ空きになるはずだったホールをこれでもかと埋め尽くしているのだ。
この幼稚園初の結婚式に際し、意外にも今までちょっとの混乱もなかった。事前準備はルーティーンの如くなんの過不足もなく行われ、参加者の駐車場問題も、既に手配も誘導も済んでいる。今後もし心配することがあり、その要素をあげるとしたら、子どもたちの機嫌と、阿形さんのお父さんの心象、そして僕の体調だ。
幼稚園に着くなり過度の緊張から眩暈を起こした僕を、田上さんは動物園のパンダを前にした子どものように嬉々として見つめている。
「……楽しそうですね…」
怨みがましさを多少含んで、僕は声を絞り出した。声と一緒に胃液も何も出てこなかったのは、我ながら僥倖だ。
「そう見えるでごぜーますか」
それ以外どう見えるのかという程の顔をしているくせに、彼はそうしらばっくれて見せた。
「大里、今日はどんな日でごぜーますか」
僕に目線を合わせたまま話す彼は、まるで子どもをあやしているようだ。
「どんなって…や、山田さん夫妻の結婚式です」
口に出してさらに恐ろしくなる。
ホールの飾りつけは寸分違わず僕のものだが、本当にそれで良かったのだろうか。どこか間違っていたら?そう思うと、いっそ田上さんの手を加えられていた方が安心できた。招待状や事前打ち合わせ、ここで働き始めて2週間の僕が手を出してはいけないようなことまでさせられた気がする。もしもどこかで不備があったら、いや、寧ろ今日、その不備をこれから犯してしまうとしたら。
ぐるぐると体内を巡る心配は、胃の腑を登り喉元に込み上げてくる。田上さんが優しい人でなくて良かった。仮に今背中をさすられていたとしたら、きっと僕の口は心配と一緒に吐けるもの全てを吐き出してしまっていただろう。
やっとの思いで答えを返した僕に、彼は首を振った。
「いいや、それじゃダメだね」
彼はニタリとも、ニヤッとも違う笑みを浮かべてみせる。
「今日はあの2人の"世界一幸せな日"でごぜーますよ」
豪勢な食事も派手な演出もない。
なんの変哲もない幼稚園のある教室の一角で、彼の笑みは確かに計り知れない自信を湛えていた。
無理にでもいいんでごぜーます、と彼は言う。人間不思議と、表情に気持ちがついてきちまうんです、と。
今日世界で一番幸せな新郎新婦の目に映る景色が、お前のその顔、その感情でいいのか、と彼は僕を煽ってみせた。
口角を上げろ。
胸を張れ。
目を見開け。
前を見ろ。
開式の鐘がなる。
満員の式場。
扉から入ってくる新婦とその子ども。
赤い道の先で2人を待つ新郎。
すべての時間がゆっくりと動き出す。
人は"人"の表情を、無意識のうちに自分に写すと言う。
僕を一瞥して頭を下げた新婦の顔は、希望に満ち溢れてまっすぐ前を向いていた。
そう。いつの間にか、本当に、山田さん夫妻の結婚式当日はきてしまったのである。
「随分いい顔色になってんじゃねーですか〜。そーんなに楽しみでごぜーましたか〜」
僕の顔を覗き込んでにっこり笑っているのは、いつもよりほんの少しだけ小綺麗な格好をした田上さんだ。
「……からかわないで下さい。あの、本当に今日は」
幼稚園のとある1教室。
スタッフの控え室としてあてがわれたそこで、僕はうずくまって口を押さえていた。
「んなガチガチに緊張するこたァねーですよ。死ぬわけじゃあるまいし」
うずくまる僕の前で膝を折る彼は、いつもと違って声を潜めている。
僕らのすぐ隣には新郎新婦の控え室があり、さらにその先には僕が飾り付けを考え、寸分違わずその通りに装飾されたホールがあった。
僕が今うずくまっている教室の小さな黒板には、先日僕が描いた招待状が貼られている。きっとどの教室もそうで、その招待に胸を躍らせた子どもたちとその父兄が、ガラ空きになるはずだったホールをこれでもかと埋め尽くしているのだ。
この幼稚園初の結婚式に際し、意外にも今までちょっとの混乱もなかった。事前準備はルーティーンの如くなんの過不足もなく行われ、参加者の駐車場問題も、既に手配も誘導も済んでいる。今後もし心配することがあり、その要素をあげるとしたら、子どもたちの機嫌と、阿形さんのお父さんの心象、そして僕の体調だ。
幼稚園に着くなり過度の緊張から眩暈を起こした僕を、田上さんは動物園のパンダを前にした子どものように嬉々として見つめている。
「……楽しそうですね…」
怨みがましさを多少含んで、僕は声を絞り出した。声と一緒に胃液も何も出てこなかったのは、我ながら僥倖だ。
「そう見えるでごぜーますか」
それ以外どう見えるのかという程の顔をしているくせに、彼はそうしらばっくれて見せた。
「大里、今日はどんな日でごぜーますか」
僕に目線を合わせたまま話す彼は、まるで子どもをあやしているようだ。
「どんなって…や、山田さん夫妻の結婚式です」
口に出してさらに恐ろしくなる。
ホールの飾りつけは寸分違わず僕のものだが、本当にそれで良かったのだろうか。どこか間違っていたら?そう思うと、いっそ田上さんの手を加えられていた方が安心できた。招待状や事前打ち合わせ、ここで働き始めて2週間の僕が手を出してはいけないようなことまでさせられた気がする。もしもどこかで不備があったら、いや、寧ろ今日、その不備をこれから犯してしまうとしたら。
ぐるぐると体内を巡る心配は、胃の腑を登り喉元に込み上げてくる。田上さんが優しい人でなくて良かった。仮に今背中をさすられていたとしたら、きっと僕の口は心配と一緒に吐けるもの全てを吐き出してしまっていただろう。
やっとの思いで答えを返した僕に、彼は首を振った。
「いいや、それじゃダメだね」
彼はニタリとも、ニヤッとも違う笑みを浮かべてみせる。
「今日はあの2人の"世界一幸せな日"でごぜーますよ」
豪勢な食事も派手な演出もない。
なんの変哲もない幼稚園のある教室の一角で、彼の笑みは確かに計り知れない自信を湛えていた。
無理にでもいいんでごぜーます、と彼は言う。人間不思議と、表情に気持ちがついてきちまうんです、と。
今日世界で一番幸せな新郎新婦の目に映る景色が、お前のその顔、その感情でいいのか、と彼は僕を煽ってみせた。
口角を上げろ。
胸を張れ。
目を見開け。
前を見ろ。
開式の鐘がなる。
満員の式場。
扉から入ってくる新婦とその子ども。
赤い道の先で2人を待つ新郎。
すべての時間がゆっくりと動き出す。
人は"人"の表情を、無意識のうちに自分に写すと言う。
僕を一瞥して頭を下げた新婦の顔は、希望に満ち溢れてまっすぐ前を向いていた。