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第1式-神前の悪魔-

「なんでごぜーますかコレ」
部屋に入るや否や男の人は、そう言って特徴的な長髪を揺らしながらこちらにつかつかと歩み寄ると、いきなり僕の顎を右手で掴み、ぐっと鼻先を近づける。
品定めでもするかのような視線に居心地が悪くなり、目をそらす。既にあらゆるところで同じような、いや、それ以下の扱いを受けてきてはいたが、それでもまだ、評価される事には慣れなかった。

大里雛観。23歳。独身。学歴、職、彼女なし。そんな冴えない男が、僕だ。整える暇がなくて適当に留めた髪も、そばかすの散った頬も、あまりにキラキラとした結婚式という場所には不釣り合いで、つまり、今日僕はまた不採用になるのだと、そう思っていた。就職エージェントに登録してから既に半年近く経つも、正社員はおろか、アルバイターにすらなれず、エージェント会社の人々からはお荷物として、わかりやすく嫌な顔をされている。今日エージェントさんにここに連れてこられたのは、ここの会社の先代の取締役が、昔このエージェント会社さんと契約をしていたから、というなんとも薄い縁を辿ってきたからであり、僕自身この業界に憧れがあるわけでも、適性があるわけでもなかった。ただ、エージェントさんが仕事をしているという体裁のために、連れてこられたも同然だ。それでも、ほんの僅かでも可能性があるのなら、と僕はここに来た。隣では愛想笑いを顔に貼り付けた美人の女性---僕自身に魅力がないので、この女性の色仕掛けで相手方からアルバイトでなら、と採用を貰うこともある。どれもクビになったが---が、「如何でしょう。まだ若いですし」と、おそらくこの会社の人事なのだろう男性に、わざわざ襟ぐりを大きく開けて微笑む。
「はあ…」
男性は僅かにたじろぐも、女性の方には目もくれず、未だに顎を取られたままの僕に対して
「えっと。大里君と言ったな。何か自己アピールとかはあるか?」
と聞いた。
それを聞いた瞬間、エージェントさんの顔は苦虫を噛み潰したかのような顔になっただろう。何故なら、僕には、本当に評価すべき点などないからだ。
「…えっと、しょ、職歴がないので、新卒とほぼ同じだという、ことかと」
「他には?」
「……」
思わず口を噤む。焦りからか、とうとう自分の視線も固定できなくなった。僕は目の前の男の人からの突き刺すような視線も相まってか、適当な嘘もつけない程、精神的に追い詰められていた。
「あ、アルバイト経験が豊富にあります。彼はどこでも良い成績を残しておりまして、えぇ。飲食、事務、レジの経験があります」
エージェントさんが言ったこれは、半分嘘だ。確かに、飲食、事務、レジの経験はある。でも、どこも3日と経たずにクビになった。勤め先が悪いのではないのだ。僕が、あまりにも不器用で、要領が悪いから、早々に切られてしまうのである。しかし、ここで僕が口を挟むと、エージェントさんのお仕事の邪魔になってしまう。僕は未だ目と鼻の先にある眼光から逃れるように、ぎゅっと目を瞑った。
「へぇ、お前、そんなにいろんなとこで働いてたんでごぜーますか」
僕の顎を掴んだまま喋らなかった男の人が、突然話し出す。話しかけられたら相手の目を見る。エージェントさんに死ぬ程注意されたことだ。僕は恐る恐る目を開け、初めて長髪の奥に潜む紫と目を合わせた。
「は、はい」
息のかかりそうな程の距離で、相手の不快にならないように、少し小さめの声で僕は答えた。
「成る程?で、仕事もなかなか上手くやってたと。すげーじゃねぇでごぜーませんか」
「あ、ありがとう、ございます」
声はなんとか裏返らなかった。
「へ〜〜ぇ?」
僕をつま先から頭の先まで、それこそ舐めるように見ると、男の人は乱暴に顎を掴んでいた手を離して、両手をポケットに入れた。
「確かに〜、飲食、事務、レジの経験はあるみてーでごぜーますなー」
首をコキコキと鳴らし、男の人は面白そうに嗤う。
「でも、仕事ができたっつーのは、嘘でごぜーましょ」
ぎくり、と音がするほど、身がすくんでしまってから、慌てて姿勢を正す。今から誤魔化せるだろうか。
「隠しても無駄だぞ大里」
男の人越しに、人事らしき男性の声が聞こえた。
「俺に嘘をつこうなんて、100年はえーでごぜーますよ。これからは気をつけろよです」
そう言って男の人は自身のデスクに戻る。
「?何ぼーっとしてんだよ、でごぜーます。とっとと着替えて俺の隣来い。仕事教えてやるでごぜーますよ」
男の人は、手元のペンで器用に髪を結うと、ちょちょいと僕を手招き、
「何?それまだいたのでごぜーます?更級ぁ、その美人返せでごぜーます。俺の好みじゃねぇーんですよ」
とエージェントさんの事を失礼にも人差し指で指し示し、ぐいっとエレベーターの方に指を向けた。
「え?」
未だ状況の読めない僕に、長髪の彼は口の端を歪めた。
「ちょうど時計係が欲しかったんで。俺、使えるもんはバランでも使う質でごぜーますから。覚悟しろよーです」
バラン?と首を傾げた僕に、弁当に入った緑の草みたいな仕切り、と答えた彼は、僕の背を叩くと、
「さっさと着がえろ研修生」
と今度は普通に、ちゃんと笑って見せた。
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