第1式-神前の悪魔-
あの後田上さんは「後日資料を送るでごぜーます」と話を切り上げて幼稚園を後にした。
「おじちゃんたちばいばい!」
「ゆうたくんまたあした!」
と、子どもたちが窓から顔を出す。
納得のいってない僕らを半ば引きずり込むように車に乗せた田上さんは、山田さん夫妻の個人情報が書いてあるバインダーをペロッとめくり、それを助手席に放ると「ついででごぜーますから、送ってやるです」と車のエンジンをかけた。
静まり返った車内。
いや、上機嫌な田上さんの鼻歌と、勇太くんの明るい声が聞こえてくるにはくるのだが、僕ら3人は各々それどころじゃない。
「…おい、どうすんだよ。本当にあそこで式することになっちまったら」
山田さんは、勇太くんがいる為かさっきまでのように怒鳴りはしなかった。声に感じるのは怒りよりも、焦燥感。途方にくれたように背を丸めた彼は、そのまま萎んでしまいそうだった。
助手席にいる僕は、そんな山田さんを気遣うこともできない。いや、山田さんからしたら、僕だって田上さんと同じ側の人間なのだから、そんなことされても嬉しくないのだろうが。
僕には田上さんがしたいことがわからない。それは本当に、お客様を悲しませてまでするべきことなのだろうか。ぎゅっと膝に置いた手を握りしめる。
「田上さん、僕にはわかりません。どうしてあの幼稚園で式をしたがるんですか。何かあるなら、教えてくれませんか」
もし理由があるのなら、山田さん夫妻も納得するかもしれない。それで納得いかないのなら、夫妻は今からでも違う会社を選んで式をすることだってできる。
田上さんは世界一幸せな式をすると言ったが、どうしてこんな事をするのか言ってくれなくては、例え式が成功したとしても、きっと誰も世界一幸せになれないのだ。
田上さんは鼻歌をやめると、本当にほんの一瞬だけ僕を見て、また道路に視線を戻した。
「なんでごぜーますか。わからなかったんです?」
田上さんの横顔を見ると、キョトンとしているようにも、しらばっくれているようにも見える。
「わ、わかるわけないじゃないですか…言ってくれなきゃ…」
田上さんは幼稚園である事を押し出した式をすると言った。しかし、その真意を、僕らは全く聞かされていない。
「わからないなんて"わかるわけねーじゃねーですか" "言ってもらわねーと"」
田上さんは外を見たまま、にや、と笑った。
「単刀直入に言うでごぜーますが。あんた、結婚"式"もこれが二回めでごぜーますね」
田上さんは頭上のミラーにチラリと視線を向ける。勇太くんと話していた阿形さんの声が突然止まる。僕は慌ててさっき放られたバインダーを覗くが、どこにもそんなことは書かれていない。
「どうしてわかるんですか。結婚したからといって、式をするとは限りませんよ」
田上さんと話していてわかったことがある。この人は、聞かれたことに関して怒ることも呆れることもしない。それならば、わからないと思った時点で聞いてしまった方がいい。後から聞いても田上さんの対応は変わらないが、明らかに聞かない方がこちらの損なのである。田上さんは、僕に本題を遮られる形になったが、それをどうと責めることもなく、本当に淡々とマジックのタネを明かした。
「いやただの予想の域をでねーんで、わかったとも言い辛いレベルだけど。でもまあ、確かに根拠はあったんでごぜーますよ」
夫妻も田上さんから度々出る、情報の先周りについて気になっていたのだろう。後ろの席から息を飲む音が聞こえる。
「あんたらがうちに来る前、何件もブライダル会社を梯子して、その度に無理難題を押し付けようとしてお断りされてた情報は、業界のネットワークでこっちにも来てんでごぜーます」
その話は確かにちらっと言っていた気がする。田上さんが殴られた時だっただろうか。
「豪華で盛大な式をしたいという客は実は少なくねぇ。会社側は客の予算を聞いて、その予算でできる限りの"豪華で盛大"を提案するんでごぜーますが、何社回ってもまだあんたら、いや、山田。てめぇは納得しなかった」
信号待ち。赤いランプが灯ったその瞬間、田上さんは首をひねって少しだけ後ろの席を見た。
「それは、前回の男を超える式でなきゃダメだったからじゃねーでごぜーますか?」
山田さんは、また黙ったままだった。