第1式-神前の悪魔-
「はなよめさん くるの?!」
「はなよめさんって なあに?」
「おひめさまだよ!ドレスきてるの!」
「ぼくしってる ままもはなよめさんしたの」
人の口に戸は立てられない。
ましてそれが子どもだったならば、情報はそれこそダムが決壊したかのように教室、いや、建物中を満たす。
花嫁さんを見てみたいと言ったみくちゃんに、「ちかいうちにみれるでごぜーますよ」と無責任に言い放った田上さんは、黄色い情報が洪水のように溢れ出すのをにんまりと満足げに見ていた。
「ちょっと、田上さん!どうするんですかこれ!」
「いや〜子どもは誘導がしやすくていいでごぜーますな〜」
田上さんの腕を掴んだ僕の顔色など御構い無しに、彼は朗らかに笑う。
まゆみ先生はなんとか子どもたちをなだめようとするが、どこで聞きつけたのか、他の教室も非日常の気配にざわつき始めてしまい、事態の収拾はこんなんな状態となっていた。他の教室の先生たちの焦った声も、あちこちから聞こえてきた。
「まゆみ先生、一体どうしたんですか」
途方に暮れていた先生たちが背筋を正す。声のした方を見ると、少しお歳を召した女性が、奥の部屋からゆっくりと歩いて来ているところだった。
女性の胸にはチューリップの名札があり、その端には垂れ幕状の飾りが付いている。平仮名で「えんちょうせんせい」と書いてあるその布の存在が、彼女がこの園内でどれほど偉い人なのかを、如実に物語っていた。
辺りを見回す彼女は、僕らに一瞬目を留めたものの、まさか騒動の発端だとは思わなかったらしく、すぐにまゆみ先生に視線を戻す。
「子どもたちの落ち着きがありませんね。何かあったんですか」
まゆみ先生は落ち着きなく視線を動かすが、説明の仕方がわからないらしい。もごもごと口を動かすばかりである。
園長先生が浅いため息をつき、他の先生を呼ぼうとまゆみ先生から視線を外したその時。
「ちょっと失礼するでごぜーますよ」
そろそろ泣いてしまいそうなまゆみ先生と、園長先生の間に田上さんは悠然と躍り出た。
「お話に伺うのが遅れてしまい申し訳ありません。私たちはこういうものでして」
田上さんはにこりと園長先生に微笑んでみせ、大変スマートに名刺を差し出してみせる。
私たち。は?私?
園長先生は彼の奇抜な格好に一瞬たじろぐものの、丁寧に腰を折るその姿に多少は感心したようで、警戒心はそのままであるものの、素直に名刺を受け取った。
僕らはといえば、たじろぐを通り越して絶句していた。あんな態度、僕らには見せたことがない。これから何があるかもわからない恐怖から、誰も口を挟めず、固唾を飲んでその様子を眺めていた。
「それで、ウエディングコンサルトの方がここに何の用で?」
園長先生は訝しげに田上さんを見上げる。名刺から顔を上げた園長先生が自分の顔を見つめているのに気づいた田上さんは、そんなに見つめられると照れちまうでごぜーますよ、と柔らかい微笑みを苦笑いに変えた。
いやなんでそんな爽やかみたいな感じ出してるんですか。あなたはそんな生き物じゃなかったでしょう。
「実は来週の日曜日にこの幼稚園で結婚式を挙げさせてもらいたいと思いまして、ここに伺った次第なんでごぜーますよ」
田上さんは体の向きをわずかに山田さん夫妻に向けた。
「結婚式を、ここで?しかも、来週ですか」
突然の申し出に園長先生は困惑しているようだった。しかし、僕らだっていろいろ困惑しているので、今この場で冷静なのはきっと田上さん1人だ。困ったことに、その一番冷静な人が一番まともじゃないので、状況の好転は望めないが。
「阿形勇太くんのご両親でごぜーます。是非ここで、この二人の式をさせて頂きてーのですよ。もちろん、準備と片付けはこちらが。場所代として謝礼も少ないながらに用意がごぜーます。そして」
田上さんは振り返り僕らの方を見る。園長先生からはおそらく見えないであろう彼の顔は、あの"いつもの"笑い方をしていた。
「この園の子どもたちで見たいという子がいたら、式に招待してやるでごぜーますよ」
まあ、と感嘆の声を漏らす園長先生に背を向けたまま、田上さんは続ける。
「子どもたちにとって貴重な体験になると思うでごぜーますし、園の評判も上がるに違いないでごぜーますよ」
園長先生に再び顔を向けた田上さんの顔は、僕らから見えなくなった。でも確実に言える。まだ数時間しか時間を共にしていない僕でもわかる。園長先生の満更でもなさそうな顔だとか、熱心に話に聞き入る態度だとか、その様子を見れば見るほど予想がつく。
「この二人に、子どもたちの前で未来を誓わせてやって欲しいんでごぜーます」
今この人めちゃくちゃ楽しそうな顔してるんだろうな。
「はなよめさんって なあに?」
「おひめさまだよ!ドレスきてるの!」
「ぼくしってる ままもはなよめさんしたの」
人の口に戸は立てられない。
ましてそれが子どもだったならば、情報はそれこそダムが決壊したかのように教室、いや、建物中を満たす。
花嫁さんを見てみたいと言ったみくちゃんに、「ちかいうちにみれるでごぜーますよ」と無責任に言い放った田上さんは、黄色い情報が洪水のように溢れ出すのをにんまりと満足げに見ていた。
「ちょっと、田上さん!どうするんですかこれ!」
「いや〜子どもは誘導がしやすくていいでごぜーますな〜」
田上さんの腕を掴んだ僕の顔色など御構い無しに、彼は朗らかに笑う。
まゆみ先生はなんとか子どもたちをなだめようとするが、どこで聞きつけたのか、他の教室も非日常の気配にざわつき始めてしまい、事態の収拾はこんなんな状態となっていた。他の教室の先生たちの焦った声も、あちこちから聞こえてきた。
「まゆみ先生、一体どうしたんですか」
途方に暮れていた先生たちが背筋を正す。声のした方を見ると、少しお歳を召した女性が、奥の部屋からゆっくりと歩いて来ているところだった。
女性の胸にはチューリップの名札があり、その端には垂れ幕状の飾りが付いている。平仮名で「えんちょうせんせい」と書いてあるその布の存在が、彼女がこの園内でどれほど偉い人なのかを、如実に物語っていた。
辺りを見回す彼女は、僕らに一瞬目を留めたものの、まさか騒動の発端だとは思わなかったらしく、すぐにまゆみ先生に視線を戻す。
「子どもたちの落ち着きがありませんね。何かあったんですか」
まゆみ先生は落ち着きなく視線を動かすが、説明の仕方がわからないらしい。もごもごと口を動かすばかりである。
園長先生が浅いため息をつき、他の先生を呼ぼうとまゆみ先生から視線を外したその時。
「ちょっと失礼するでごぜーますよ」
そろそろ泣いてしまいそうなまゆみ先生と、園長先生の間に田上さんは悠然と躍り出た。
「お話に伺うのが遅れてしまい申し訳ありません。私たちはこういうものでして」
田上さんはにこりと園長先生に微笑んでみせ、大変スマートに名刺を差し出してみせる。
私たち。は?私?
園長先生は彼の奇抜な格好に一瞬たじろぐものの、丁寧に腰を折るその姿に多少は感心したようで、警戒心はそのままであるものの、素直に名刺を受け取った。
僕らはといえば、たじろぐを通り越して絶句していた。あんな態度、僕らには見せたことがない。これから何があるかもわからない恐怖から、誰も口を挟めず、固唾を飲んでその様子を眺めていた。
「それで、ウエディングコンサルトの方がここに何の用で?」
園長先生は訝しげに田上さんを見上げる。名刺から顔を上げた園長先生が自分の顔を見つめているのに気づいた田上さんは、そんなに見つめられると照れちまうでごぜーますよ、と柔らかい微笑みを苦笑いに変えた。
いやなんでそんな爽やかみたいな感じ出してるんですか。あなたはそんな生き物じゃなかったでしょう。
「実は来週の日曜日にこの幼稚園で結婚式を挙げさせてもらいたいと思いまして、ここに伺った次第なんでごぜーますよ」
田上さんは体の向きをわずかに山田さん夫妻に向けた。
「結婚式を、ここで?しかも、来週ですか」
突然の申し出に園長先生は困惑しているようだった。しかし、僕らだっていろいろ困惑しているので、今この場で冷静なのはきっと田上さん1人だ。困ったことに、その一番冷静な人が一番まともじゃないので、状況の好転は望めないが。
「阿形勇太くんのご両親でごぜーます。是非ここで、この二人の式をさせて頂きてーのですよ。もちろん、準備と片付けはこちらが。場所代として謝礼も少ないながらに用意がごぜーます。そして」
田上さんは振り返り僕らの方を見る。園長先生からはおそらく見えないであろう彼の顔は、あの"いつもの"笑い方をしていた。
「この園の子どもたちで見たいという子がいたら、式に招待してやるでごぜーますよ」
まあ、と感嘆の声を漏らす園長先生に背を向けたまま、田上さんは続ける。
「子どもたちにとって貴重な体験になると思うでごぜーますし、園の評判も上がるに違いないでごぜーますよ」
園長先生に再び顔を向けた田上さんの顔は、僕らから見えなくなった。でも確実に言える。まだ数時間しか時間を共にしていない僕でもわかる。園長先生の満更でもなさそうな顔だとか、熱心に話に聞き入る態度だとか、その様子を見れば見るほど予想がつく。
「この二人に、子どもたちの前で未来を誓わせてやって欲しいんでごぜーます」
今この人めちゃくちゃ楽しそうな顔してるんだろうな。