第1式-神前の悪魔-
「え?け、結婚式ですか?」
保母さんは困惑した顔で田上さんを見上げた。
「そう、結婚式でごぜーます」
そう言って親指を肩越しに後ろに向ける。
「あの2人の」
指をさされた夫妻は、突然のことに呆然としていた。
保母さんもどう対処すればわからないらしく「えぇと」と視線を辺りに彷徨わせている。そんな保母さんを急かすでもなく、田上さんは足元に落ちている手帳を拾い、パラパラとめくった。
「あ!あの個人情報ですので」
慌てた様子で保母さんは手をばたつかせたが、無理に取るのは憚かられたのか、その手が田上さんに触れることはない。そんな中、田上さんの手はあるページでピタリと止まった。
「すみません。あの、田上さん。それはもうお返しした方が」
この場では僕が一番声をかけ易いだろうと思い、田上さんにそっと歩み寄る。
「来週の日曜」
田上さんは手帳、つまりは勇太君の連絡帳のとあるページを、隣に並ぶ僕に見せた。
「案の定休みだ。勿論、前日の土曜日も、翌日の祝日も。前日に会場設営するにも、翌日に会場撤去するにも都合がいいんでごぜーます」
パタン、と連絡帳を閉じて田上さんは保母さんにそれを渡す。意外にも、律儀に表紙を向けて。
「…で、先生。この幼稚園の一番偉い奴、さらに言うと、土地だとか建物に対して権限を持ってらっしゃるお方は、今どちらにいるんでごぜーましょ」
保母さんはようやく、目の前の人があんまり普通の人ではないことに気がついたらしい。恐々と連絡帳を受け取った後、ゆり組の扉の前に立ちふさがる。
「近くにいねーんなら、お電話差し上げなきゃなんねーんで、そっちの…は無理でも、こっちの番号は受け取ってもらうことになるんでごぜーますが」
右手の親指と小指を立て耳元で振るジェスチャーをした田上さんは、割と淡々としていた。こう言ってはなんだが、保母さんの反応に喜ぶと思っていたので、正直拍子抜けだ。
「ま、待てよ!まだ俺たちはここで式をするなんて言ってねーぞ」
山田さんが弾かれるように、田上さんと保母さんの間に割って入ってくる。
「明らかに結婚式をするような場所じゃねーだろ。そういう所じゃねぇんだから、汚ねぇとこだってあるし…」
失礼なことを言っているようで大変的を得ている。幼稚園は子どもたちの為の場所なので、あらゆる所にシールが貼られていたり、汚れがあったりと割と自由な空間だ。それは廊下を歩いている時から感じていた。それに加えて、狭すぎた。ここは幼稚園。部屋も家具も、お手洗いも、水道も、全てが小さいのだ。豪華で盛大は無理だとしても、それなりの式をするにはここは狭すぎると、素人の僕でもわかる。半ば焦って田上さんを止めようとする山田さんに、今回ばかりは僕も賛同した。
「田上さん、無茶です。机と椅子を運び込めたとしても、天井の高さがそもそも低くて、見た目のバランスが取れません。それなりの飾り付けができたとして、元が幼稚園であることは誤魔化せません」
僕の思ったことを僕なりに言ったつもりだった。山田さんや阿形さんはこの結婚式に賭けているのだ。2人のためにも、同じ"担当"である僕が言わなくちゃならなかった。2人の結婚式は、場所がないからと適当に見繕った、其の場凌ぎであってはならない。僕は震えながら、田上さんの目を見つめる。
すると、キュッと、田上さんの目が細められた。俺に意見するのかと、そう言われてもおかしくない場面だ。思わず肩がすくみ上がる。
「よく見てんじゃねーかお前」
田上さんはニヤァと、ゆっくり口角を上げた。
「そうだ。俺はそれが欲しくてここを選んだんでごぜーます」
田上さんは僕の肩に手を置いて、まるで好きな子の上靴を隠した悪ガキのように意地悪く笑う。
「幼稚園であることを、誤魔化すんじゃねーんです。いや、寧ろ。押し出すんでごぜーますよ」
保母さんは困惑した顔で田上さんを見上げた。
「そう、結婚式でごぜーます」
そう言って親指を肩越しに後ろに向ける。
「あの2人の」
指をさされた夫妻は、突然のことに呆然としていた。
保母さんもどう対処すればわからないらしく「えぇと」と視線を辺りに彷徨わせている。そんな保母さんを急かすでもなく、田上さんは足元に落ちている手帳を拾い、パラパラとめくった。
「あ!あの個人情報ですので」
慌てた様子で保母さんは手をばたつかせたが、無理に取るのは憚かられたのか、その手が田上さんに触れることはない。そんな中、田上さんの手はあるページでピタリと止まった。
「すみません。あの、田上さん。それはもうお返しした方が」
この場では僕が一番声をかけ易いだろうと思い、田上さんにそっと歩み寄る。
「来週の日曜」
田上さんは手帳、つまりは勇太君の連絡帳のとあるページを、隣に並ぶ僕に見せた。
「案の定休みだ。勿論、前日の土曜日も、翌日の祝日も。前日に会場設営するにも、翌日に会場撤去するにも都合がいいんでごぜーます」
パタン、と連絡帳を閉じて田上さんは保母さんにそれを渡す。意外にも、律儀に表紙を向けて。
「…で、先生。この幼稚園の一番偉い奴、さらに言うと、土地だとか建物に対して権限を持ってらっしゃるお方は、今どちらにいるんでごぜーましょ」
保母さんはようやく、目の前の人があんまり普通の人ではないことに気がついたらしい。恐々と連絡帳を受け取った後、ゆり組の扉の前に立ちふさがる。
「近くにいねーんなら、お電話差し上げなきゃなんねーんで、そっちの…は無理でも、こっちの番号は受け取ってもらうことになるんでごぜーますが」
右手の親指と小指を立て耳元で振るジェスチャーをした田上さんは、割と淡々としていた。こう言ってはなんだが、保母さんの反応に喜ぶと思っていたので、正直拍子抜けだ。
「ま、待てよ!まだ俺たちはここで式をするなんて言ってねーぞ」
山田さんが弾かれるように、田上さんと保母さんの間に割って入ってくる。
「明らかに結婚式をするような場所じゃねーだろ。そういう所じゃねぇんだから、汚ねぇとこだってあるし…」
失礼なことを言っているようで大変的を得ている。幼稚園は子どもたちの為の場所なので、あらゆる所にシールが貼られていたり、汚れがあったりと割と自由な空間だ。それは廊下を歩いている時から感じていた。それに加えて、狭すぎた。ここは幼稚園。部屋も家具も、お手洗いも、水道も、全てが小さいのだ。豪華で盛大は無理だとしても、それなりの式をするにはここは狭すぎると、素人の僕でもわかる。半ば焦って田上さんを止めようとする山田さんに、今回ばかりは僕も賛同した。
「田上さん、無茶です。机と椅子を運び込めたとしても、天井の高さがそもそも低くて、見た目のバランスが取れません。それなりの飾り付けができたとして、元が幼稚園であることは誤魔化せません」
僕の思ったことを僕なりに言ったつもりだった。山田さんや阿形さんはこの結婚式に賭けているのだ。2人のためにも、同じ"担当"である僕が言わなくちゃならなかった。2人の結婚式は、場所がないからと適当に見繕った、其の場凌ぎであってはならない。僕は震えながら、田上さんの目を見つめる。
すると、キュッと、田上さんの目が細められた。俺に意見するのかと、そう言われてもおかしくない場面だ。思わず肩がすくみ上がる。
「よく見てんじゃねーかお前」
田上さんはニヤァと、ゆっくり口角を上げた。
「そうだ。俺はそれが欲しくてここを選んだんでごぜーます」
田上さんは僕の肩に手を置いて、まるで好きな子の上靴を隠した悪ガキのように意地悪く笑う。
「幼稚園であることを、誤魔化すんじゃねーんです。いや、寧ろ。押し出すんでごぜーますよ」