ほぼネームレス小説ですが、たまに名前を呼んでもらえます
短編夢
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「ここに三枚のカードがある」
「……Suicaは一番右」
「そうか」
跡部くんが扇状に広げたカードを見つめながら呟く。左がブラックのクレジットカード、真ん中が氷帝の学生証、そして右が真新しいSuica。Suicaを長い指で引き抜いて、残りを丁寧に財布に戻す。
氷帝の最寄駅の改札近く、券売機や路線図があるあたり。跡部くんと私は、何故かそんな場所で、人の邪魔にならないように立ち話をしている。
金曜日の夜、食事もすんでのんびりしているときに跡部くんから電話が入った。曰く、日曜日に出掛けるから付き合えと。そこまではままあることだから素直に嬉しく思った。久しぶりに跡部くんと遊べる、どこに行くのかな、そう思って訊いてみたら「電車に乗るから氷帝まで出てこい」と言われた。
いつも車移動の跡部くんが、何故急に電車? そして何故わざわざ氷帝まで出向くのか? 色々疑問は浮かんだが、跡部くんの答えはシンプルだった。
電車に乗ったことがないから乗るんだ。どうせなら使う可能性のある駅で練習したほうが汎用性がある。
冗談かと思ったのだが、跡部くんの様子を見る限り本当に本気らしい。
「ミカエルが電車にはこのカードが必要だと言っていたんだが、クレジットカードで払えないのは何故なんだ。支払いの信用は十分すぎるくらいあるぜ」
Suicaの表面を指で撫でながら、跡部くんが怪訝そうに言う。金持ちジョークじゃない。本気だ。いつも聡明な跡部くんが、物を知らない子供みたいに見える。無知は恐ろしいなとしみじみ思う。
もしかして私が跡部くんに物を尋ねるときには、私も今の跡部くんと同じように見えているんだろうか。わりとショックだ。失礼千万なことを考えながら拙い説明をする。
「そういう仕組みだから、かな……。交通系ICカードの近距離通信がどうのだったと思うけど。クレジットカードって、たしか使うときに機械に挿したりするでしょ」
「ああ」
「Suicaは翳すだけでいいの。改札がスムーズになる」
「……なるほどな」
なんとか納得してくれたようだ。ほっと胸を撫で下ろす。かなり適当な説明をしてしまったけれど、跡部くんなら詳しく知りたくなったら自分で調べるだろう。電車に乗るのが目的なのに、万一改札すら通る前につまずいてしまっては間抜けすぎる。
デザインもシンプルで情報の少ないはずのSuicaを、跡部くんは飽きもせずに眺めている。
「随分と気に入っているんだね」
「ああ、……いや、光るな、と思ったんだ」
「……小学生じゃないんだから」
「うるせえ。電車に乗るには、あとはどんな段取りが必要なんだ」
跡部くんが不機嫌そうに言う。
もしかして、次にすべきことが分からなくて手持ちぶさただったんだろうか。先の見通しがつかない跡部くんなんて見たことがないから全然分からなかった。
さっきは違う意味で言ったけれど。本当に、小学生みたい。跡部くんにこんなことを思う日が来るなんて。いっそ今日は無知な跡部くんを楽しむ日にしようか。気分はさながらはじめてのおつかいに子を送り出す親だ。いや、送り出さないで同伴するんだけど。
とりあえず、身動きが取れないでいる跡部くんに指針を示す。
「じゃあさ、まずは行き先を決めよう。路線図にある駅なら行けるからね」
「どこでもいいのか」
「うん、あっ……いや……遠すぎると困るかも」
「……どこでもいいんじゃないのか」
「帰りの時間もあるから。行けはしても、帰りの保証はしないよ」
「そうか」
ふむ、とひとりごちて路線図とにらめっこする跡部くん。その表情は初めてのわくわくというより、慣れないことへの緊張が窺える。
さて、彼のはじめての電車旅はどこになるのだろうか。最初は隣駅とかから始めるのが楽だと思うんだけど。楽さとか、跡部くんは考えもしなさそう。このあと群馬の奥地まで行くと言い出す跡部くんを必死に止める事態になるとは露知らず、他人事のように考えながら大きなあくびをした。
「……Suicaは一番右」
「そうか」
跡部くんが扇状に広げたカードを見つめながら呟く。左がブラックのクレジットカード、真ん中が氷帝の学生証、そして右が真新しいSuica。Suicaを長い指で引き抜いて、残りを丁寧に財布に戻す。
氷帝の最寄駅の改札近く、券売機や路線図があるあたり。跡部くんと私は、何故かそんな場所で、人の邪魔にならないように立ち話をしている。
金曜日の夜、食事もすんでのんびりしているときに跡部くんから電話が入った。曰く、日曜日に出掛けるから付き合えと。そこまではままあることだから素直に嬉しく思った。久しぶりに跡部くんと遊べる、どこに行くのかな、そう思って訊いてみたら「電車に乗るから氷帝まで出てこい」と言われた。
いつも車移動の跡部くんが、何故急に電車? そして何故わざわざ氷帝まで出向くのか? 色々疑問は浮かんだが、跡部くんの答えはシンプルだった。
電車に乗ったことがないから乗るんだ。どうせなら使う可能性のある駅で練習したほうが汎用性がある。
冗談かと思ったのだが、跡部くんの様子を見る限り本当に本気らしい。
「ミカエルが電車にはこのカードが必要だと言っていたんだが、クレジットカードで払えないのは何故なんだ。支払いの信用は十分すぎるくらいあるぜ」
Suicaの表面を指で撫でながら、跡部くんが怪訝そうに言う。金持ちジョークじゃない。本気だ。いつも聡明な跡部くんが、物を知らない子供みたいに見える。無知は恐ろしいなとしみじみ思う。
もしかして私が跡部くんに物を尋ねるときには、私も今の跡部くんと同じように見えているんだろうか。わりとショックだ。失礼千万なことを考えながら拙い説明をする。
「そういう仕組みだから、かな……。交通系ICカードの近距離通信がどうのだったと思うけど。クレジットカードって、たしか使うときに機械に挿したりするでしょ」
「ああ」
「Suicaは翳すだけでいいの。改札がスムーズになる」
「……なるほどな」
なんとか納得してくれたようだ。ほっと胸を撫で下ろす。かなり適当な説明をしてしまったけれど、跡部くんなら詳しく知りたくなったら自分で調べるだろう。電車に乗るのが目的なのに、万一改札すら通る前につまずいてしまっては間抜けすぎる。
デザインもシンプルで情報の少ないはずのSuicaを、跡部くんは飽きもせずに眺めている。
「随分と気に入っているんだね」
「ああ、……いや、光るな、と思ったんだ」
「……小学生じゃないんだから」
「うるせえ。電車に乗るには、あとはどんな段取りが必要なんだ」
跡部くんが不機嫌そうに言う。
もしかして、次にすべきことが分からなくて手持ちぶさただったんだろうか。先の見通しがつかない跡部くんなんて見たことがないから全然分からなかった。
さっきは違う意味で言ったけれど。本当に、小学生みたい。跡部くんにこんなことを思う日が来るなんて。いっそ今日は無知な跡部くんを楽しむ日にしようか。気分はさながらはじめてのおつかいに子を送り出す親だ。いや、送り出さないで同伴するんだけど。
とりあえず、身動きが取れないでいる跡部くんに指針を示す。
「じゃあさ、まずは行き先を決めよう。路線図にある駅なら行けるからね」
「どこでもいいのか」
「うん、あっ……いや……遠すぎると困るかも」
「……どこでもいいんじゃないのか」
「帰りの時間もあるから。行けはしても、帰りの保証はしないよ」
「そうか」
ふむ、とひとりごちて路線図とにらめっこする跡部くん。その表情は初めてのわくわくというより、慣れないことへの緊張が窺える。
さて、彼のはじめての電車旅はどこになるのだろうか。最初は隣駅とかから始めるのが楽だと思うんだけど。楽さとか、跡部くんは考えもしなさそう。このあと群馬の奥地まで行くと言い出す跡部くんを必死に止める事態になるとは露知らず、他人事のように考えながら大きなあくびをした。