スネイプ×助手(元・生徒)
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図書室はマダム・ピンスの厳しい監視の下、普段通りの静寂に満ちていた。しかし静寂とはいえ人の気配は常にあり、そこには独特の『静かな活気』が存在している。羽根ペンが文字を刻む音、本のページがめくられる音、遠くの席で誰かが小さく咳き込む声。高くそびえ立つ本棚には幾世紀分もの知識が整然と並び、窓から注がれる太陽の光がその重厚な背表紙の数々を照らしていた。
魔法薬学教授セブルス・スネイプは図書室の一番奥の席を陣取り、黙々と手元の羊皮紙と積み上げられた古書へ視線を走らせていた。現在彼は極めて複雑な解毒剤の研究を進めており、積み上げられた古書の数々は研究に必要な資料である。本のページをパラパラとめくりながら内容を確認するその姿は厳しさを具現化したようであり、スネイプのトレードマークでもある漆黒のローブを目の端に捉えた生徒たちは回れ右をして無言でその場から遠ざかっていく。好き好んで彼の近くへ座ろうとする奇特な人物はこのホグワーツで数えるほどしかいないだろう。
スネイプは目の前の本棚に厳しい視線を向けた。そこには半ば跪くようにして古書を抜き取っている自らの助手、ナマエ・ミョウジがいる。『好き好んでスネイプの近くへ座ろうとする奇特な人物』に確実にカウントされるであろう彼女の動きをじっと見つめ、スネイプは気難しそうな顔を更に歪めた。
「……遅すぎる。君は一冊探すのにどれほど時間をかけるつもりだ?本棚の埃と親交を深めている暇があるならさっさと次の本を探したまえ」
ほとんどの生徒が開くことはおろか、存在自体も知られているか怪しい、歴史を感じさせる本や解読困難な本。それらをスネイプ自身が探す方が格段に早いというのは百も承知である。それでも彼女にこの地道な作業をさせる理由は、魔法薬学における研究に不可欠な忍耐を徹底的に叩き込むためだった。
「ちゃんと探してますよ……探してますけど……」
床に膝をついたままナマエが不満げに顔を上げた。困惑したような異議を唱えるような瞳がスネイプを見つめる。
「タイトルが古代ルーン文字だったり表紙の文字が剥がれてたり、厄介なのばっかりなんですもの。もしかして教授……わざとそういうの選んで探させてますか?」
彼女は立ち上がり重い古書を胸に抱えながら、マダム・ピンスに睨まれない程度の小声で不満を零した。初めは順調に本を抜き取っていたナマエだったが、リストの後半である探すのが困難な古書に差し掛かるとそのスピードは急激に落ちていたのである。
「……あぁ、アクシオができたら、こんなの一瞬なのに」
ナマエが溜息と共にそう呟いた瞬間、まるで鞭のように鋭いスネイプの声が飛んできた。
「馬鹿を言うな。これらの貴重な文献は極めて繊細で脆い……呼び寄せ呪文で動かすのは厳禁だと教えたはずだ。仮に君の稚拙な呪文で強引に取り出し、一頁でも破損してみろ。今すぐ君を解雇してやる」
「分かってますよ……!ちょっとした愚痴なんですから、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか」
「愚痴をこぼす暇があるなら、さっさと次を探せ」
スネイプはいつもと変わらぬ冷淡さで彼女を突き放したが、ナマエもそう易々とは引き下がらない。彼女は図書室でも一際目立つ漆黒へと一歩踏み出し、机の上に広げられたリストを覗き込んだ。
「……教授も少しは手伝ってくれたらいいのに。古代ルーン文字のタイトルなんて、見てるだけで目が回ります……可愛い助手に対する愛が足りないんじゃないですか?」
ナマエの細く、しなやかな人差し指がスネイプの胸元をつん、と控えめに突いた。周囲に人がいないことを確認しているとはいえ、心臓を逆撫でするような不用意な接触に彼の頬の筋肉が微かに引き攣る。
「己の未熟さを棚に上げて私に頼るとは図々しい。加えて愛だの何だの馬鹿げた発言はよせ」
スネイプはそう言うや否や、リストを手にゆっくりと立ち上がるとナマエのすぐ後ろの棚から埃の積もった、何年も開かれていないような本を取り出した。そして勝ち誇ったように口元を意地悪く歪めたままナマエにそれを押し付ける。自分が愚痴をこぼしながら探していた古書を即座に探し出してしまったスネイプに、ナマエは恨めしいとでも言いたげな瞳で彼を見つめた。
「ほら、やっぱり教授が探した方が断然早いじゃないですか……」
「当然だ。私を何だと思っている」
せせら笑うようにそう言ったスネイプに、ナマエは悔しそうに唇を噛むと彼が持っていたリストをひったくるように奪い取った。
「……教授が一緒に来てくれるって言うから、もう少しこう……図書室デートみたいなのを想像してたのに……こんなの無慈悲すぎます」
「デートだと?馬鹿げた妄想も大概にしたまえ。なぜ君の頭の中は年中花畑なのだ。私がここに来たのは他でもない、君が仕事を疎かにしないよう監視するためだ」
デートという言葉を耳にするなりスネイプは勢いよく冷たい言葉をまくし立てるがナマエは怯まない。むしろその拒絶が心地よい刺激となって彼女の情熱をさらに煽り立てる。
ルーン文字の書かれた背表紙を一つ一つ確認するようになぞりながらナマエは小さく息を吐いた。
「だってそのくらい思わないと息が詰まっちゃいますから。特に最近は忙しくて息抜きなんて何も無かったですし。ねぇ教授、たまには私をただの助手じゃなくて……特別な存在として扱ってくれたっていいんですよ?」
「……仕事内容と私の態度に文句があるなら今すぐ辞表を受け取ってやるから今すぐここで書いたらどうだ。幸い羽根ペンなら手元にある」
ナマエの煽るような発言を物ともせず、スネイプは冷ややかに彼女を突き放した。
「辞表なんて書きません。……それより、教授」
ナマエはようやく見つけた今にも壊れそうな本を机の上に慎重に置くと一歩だけ彼との距離を詰めた。そこは巨大な本棚の影。死角というわけではないが、遠くの席からは棚の厚みで二人の姿は見えない。腕組みをしてナマエを監視していたスネイプは怪訝な顔で彼女を見下ろした。
「……何だ。今度こそ使えそうな言い訳でも考えついたか?」
「いいえ。いいことを思いついたんです」
「……?」
スネイプが眉を顰めた瞬間。
ナマエは背伸びをして、彼の薄い唇に自分の唇をそっと押し当てた。
静寂に満ちた図書室の中で微かな衣擦れの音が響き、遠くでマダム・ピンスの靴音と、生徒たちのヒソヒソとした小声が聞こえてくる。
瞬時に状況を把握したスネイプの瞳が驚愕に見開かれた。
ここは閉ざされた地下の部屋ではなく、図書室だ。いつ司書が現れるかも分からない上、何より好奇心旺盛な生徒たちが数メートル先で本を読んでいる場所である。しかしナマエの唇から伝わるのは甘い体温と、溢れるほどの愛情と渇望。
ほんの数秒で唇は離れ、顔を少しだけ火照らせたナマエは勝ち誇ったような微笑みを湛えていた。
「ナマエ」
スネイプの声は怒りというよりも抑えきれない動揺に震えていた。彼は周囲を鋭く一瞥し、誰も見ていないことを確認するとナマエの腕を折れんばかりの力で掴み引き寄せた。
「……この愚か者。ここがどこだと思っている。誰かに見られたらどうするつもりだ」
「誰も見てませんよ。それにこの角度だと仮に誰かがこちらを覗いていたとしても教授の背中しか見えませんから大丈夫です」
ナマエは生意気に片眉を上げ、掴まれた腕を気にする様子もない。
「君はつくづく呆れた神経の持ち主だ」
スネイプから吐き捨てられたのは地を這うような低い声だった。しかしナマエは逃げようともせず楽しそうにその罵倒にも似たそれを受け止めている。
「……だって教授があまりにも冷たいから。その辛辣な口を塞ぐには、これくらいしか思いつかなかったんです」
悪びれもせずにナマエはスネイプの黒衣をそっと掴む。潤んだ瞳が楽しそうに細められた。
「内緒のキスも、たまには良いと思いませんか?」
キスした相手にどれだけ叱られようが呆れられようが、ナマエ本人には大したダメージではないらしい。彼女にとって、この不機嫌な仮面に亀裂を入れることこそが最大の喜びなのだろう。
「まったく救いようのない……」
スネイプは諦めにも似た声色でそう呟いたが、その瞳の奥にはナマエが望んでいた通りの、仄暗く重い熱が灯っていた。
そして一瞬の間。
彼は勝ち誇ったように微笑んだままのナマエのローブの襟元を、逃がさないと言わんばかりに力強く引っ掴む。
「……!?」
ナマエが驚きに声を漏らす暇もなかった。
彼女に落とされたのは、先程よりもずっと深く逃げ場のない口づけ。
ナマエの頭の中が一瞬で真っ白に弾ける。心臓が跳ね、耳の奥で血の流れる音が鳴り響く。それは自分の悪戯じみたキスが如何に浅はかで幼稚なものだったかを思い知らされるような、圧倒的な略奪だった。彼の唇は普段の冷徹さから想像もつかないほど熱く、唇を割って侵入してくる舌がナマエの口内を蹂躙する。
愉悦を湛えながら目を細めるスネイプの眼前に、驚きで見開かれたナマエの瞳が激しく揺れていた。
数秒の後ようやく唇を離したスネイプは、頬を染め酸素を求めて喘ぐナマエを見下ろしニヤリと口元を歪めてみせた。
「……それで?内緒のキスとやらの感想は?まさか愛が足りないなどという戯言をまだ続けるつもりではあるまいな」
その低く掠れた声が混乱で彷徨っていたナマエの意識を現実へと引き戻す。彼女の体は支えを失い、ふらふらと数歩後ろへと下がって本棚へとぶつかった。
「……っ」
自分の仕掛けた悪戯が、何倍にもなって跳ね返ってきたことを理解したナマエは先ほどの生意気さが嘘のようにおとなしくなっていた。顔を真っ赤にして本棚へと身を預けたままの彼女を眺めながら、スネイプは嘲るように鼻で笑った。
「……声も出ないとは情けない。先程までの威勢はどうした」
しかしそう言い放つ彼の声には先ほどまでの刺々しさは消え、不機嫌な仮面の裏側にどうしようもなく甘く独占的な愛おしさが滲んでいる。
「だ、だって教授……、今のは狡いです……!」
「君が始めたことだろう。さあ、その無様な顔をどうにかしろ。生徒が見るには些か不適切な顔だ。残りの本を見つける頃にはまともに戻っているといいのだがな」
ナマエは熱を持った自身の唇を指先でなぞりながら、悔し紛れにスネイプに改めて突きつけられたリストを目で追った。
図書室は、相変わらず静まり返っている。
しかし棚の影に残されたナマエの鼓動は、いつまでもうるさく体の内側から鳴らされているのだった。