スネイプ×助手(元・生徒)
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ホグズミードの村外れ、真冬の容赦ない風が吹き抜ける雪の残った狭い道。厳しい寒さのせいなのか、はたまた村外れまで用事のある者がいないだけなのか、そこには二つの並んだ黒い影以外は誰も見当たらない。
石畳の道に踏み固められた雪はところどころ氷のように硬く光り、足を滑らせればそのまま転倒しかねない危険さを孕んでいる。それを注意深く避けながら歩く黒い影──魔法薬学教授、セブルス・スネイプは胸元から羊皮紙を取り出すと目を細めてそこに書かれた文字を見つめた。彼は本日購入すべき魔法薬の材料リストに羽ペンで大きく線を引く。全ての項目に線が引かれたことで本日の任務は完了となり、あとはホグワーツへ帰還するのみだ。
「……これで全てだな。ドラゴンの肝臓が腐敗を始める前に、一刻も早く帰らねばならん」
スネイプの低い声は、買い物を終えた達成感ゆえか確かな満足感が滲んでいる。彼は羊皮紙をポケットに押し込むと黒いローブを翻しながら躊躇いなく歩き出した。その歩幅は広く、一切の迷いがない。後ろで大荷物を抱えた助手が当然のようについてくるものだと疑いもしない歩き方だ。しかし彼についてくるはずの助手──ナマエ・ミョウジはその場で立ち止まったまま大荷物の横から顔を出し、寒さで赤くなった鼻をすすりながら声を上げた。
「ちょっと待ってください、教授!終わったなら、少し寄りたいところがあるんです」
意気揚々とまではいかないが、少なからず充足感に満ちていたスネイプの足がぴたりと止まる。ゆっくりと振り返るその動作には無駄がなく、向けられた視線は獲物を射抜く猛禽のようだ。漆黒の瞳は冬の空気よりも冷え切っており、不機嫌さを隠そうともしていない。スネイプはナマエを一瞥し、興を削がれたとでも言いたげに腕を組んだ。
「今日の我々の目的は材料調達だったはずだ。個人的な買い物なら次の休日にでも行きたまえ」
吐き捨てるように言い終えると同時に彼は再び歩き出そうとする。しかしその黒いローブの端を後ろから伸びたナマエの手が掴んだ。
ぎゅ、と引かれる感触にスネイプの顔が露骨に歪む。
「紅茶の茶葉を買いたいんです。昨夜で全部使い切ってしまったでしょう?」
ナマエの指先は冷えと荷物の重みで微かに強張っていたが、それでも離す気はないらしく袖を掴んだままスネイプを見上げた。ナマエの切実とも言える視線に対し、スネイプの瞳は冷ややかである。
「茶など数日くらい無くても困らんだろう」
「いいえ、困ります。それにマダム・パディフットの店に美味しい茶葉が入荷したって噂を聞いたんです。すぐ売り切れちゃうみたいだから、今日絶対に行っておきたくて」
周囲に人影がないことを確かめた上で、ナマエはほんの僅かにスネイプとの距離を詰めた。大量の荷物を抱えたまま、甘えるように彼へと擦り寄るものの効果は薄いのだろうとナマエはこれまでの経験上から悟っている。
「マダム・パディフットだと?」
案の定、ナマエの甘えなど歯牙にもかけず、スネイプの顔が露骨に引き攣った。毒々しいピンクとレースの装飾が彼の脳裏に浮かんだのか、眉間の皺が一段と深く刻まれる。
「冗談はよせ。あんな砂糖をぶちまけたような悪趣味極まりない店に私が同行すると本気で思っているのか?」
「そんな言い方はあんまりですよ。確かにお店の雰囲気は好みが分かれるところですけど……。茶葉を買うだけなんですから、そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか」
「……わざわざ買いに行く必要はない。厨房の茶葉で十分だろう。私はあの店の前を通るのでさえ不快だ」
スネイプはそう断言し再び歩き出そうとするが、ナマエの指は離れない。
「でも、厨房のは普通すぎます……!教授だって前に文句言ってたじゃないですか。一日の締めの紅茶が不味いと気分が台無しだ、とかなんとか……」
「あれは茶葉のせいではなく君の淹れ方に問題があったのだ。いい加減にしろ、ナマエ。これ以上私の時間を浪費させるな」
「ええ……そんなぁ。ほんの数分ですから、ね?」
「君の言う数分が数分で済んだことがあるのか?私は忙しい」
採点すべき羊皮紙の山がまだ残っている、とスネイプは苦々しげに付け加える。こめかみのあたりを指で押さえたその仕草は、頭痛を堪えるようにも見えた。
ナマエは肩を落としながら小さく息を吐く。彼のこの反応は想定済みだった。あの可愛らしく浮かれたピンク色の喫茶店に、セブルス・スネイプという男が二つ返事でついてくるはずなどない。
ナマエは一瞬だけ考えあぐねるように視線を落とし、それから計算し尽くされた殊勝な表情で再び顔を上げた。
「……分かりました。それなら私一人で行ってきますから、教授は先に帰っててください」
するりと名残惜しそうに袖から手を離し、眉を下げながらナマエは続けた。その表情にスネイプの眉間がぴくりと一瞬だけ動く。
「でもあの店、最近はカップルだらけで混んでるんですよね……」
ナマエは思案するように視線を宙へと彷徨わせた。
「一人であの店の近くにいると、誰かに声をかけてもらうのを待ってるって思われるみたいだし……」
独り言のように呟きながらナマエはこれ見よがしに溜息をついた。
これまで烈火の如く却下を突きつけてきていたスネイプは、ぐっと奥歯を噛み締め苦々しげにナマエを睨みつける。彼女が目の前に垂らす釣り糸に絶対に食いついてやるものかと断固たる意志でその場に立っているようだった。
「……でもまぁ、私みたいなのに声をかける人なんていないですよね。少し心細いですけど……行ってきます」
ナマエは最後の一押しだとでも言うように健気な、それでいて相手の独占欲を正確に煽るような柔らかく儚げな笑みを浮かべてみせた。
無言のままのスネイプに背を向け、荷物を抱え直しながらナマエはようやく歩き出す。転ばぬよう雪を避けながら、冷たい風の中を進んでいく彼女の細く頼りなさげな後ろ姿。
ふと、嫌な想像がスネイプの頭を掠める。
雑踏の中で無防備すぎる彼女が下劣な男に声を掛けられる光景。
その想像が彼の極めて鋭敏な神経を逆撫でし、スネイプの口から間違いなく本日最大級の溜息が漏れた。
「……待て」
低く感情を削ぎ落とした声が冷えた空気を震わせる。彼女の稚拙な魂胆、安い挑発に乗ってしまった自分自身に怒りを覚えつつ、スネイプは大股でナマエの背中に近付いた。
「……君を一人で行かせるわけにはいかん」
苛立ちを極限まで煮詰めたような声でナマエを引き留めれば悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女が振り返る。
「あら教授、そんなに無理しなくても。私は一人でも大丈夫ですよ、もう子供じゃありませんから」
「大丈夫なわけがあるか、この愚か者め。君のような隙だらけの人間が一人で行ってみろ。面倒なことに巻き込まれるに決まっている」
「もしかして、心配してくれてるんですか?」
「勘違いするな。私はただ……君の身に何かあった場合に監督責任を問われたくないだけだ」
これでもかと顔を顰めながらそう否定するスネイプだったが、その声は先ほどまでとは異なり重い熱を孕んでいる。そのまま彼は再び深く息を吐き、自らの敗北を認めるように目を閉じた。
「……五分で済ませろ。それ以上は認めない」
その素っ気ない言葉にナマエは一瞬だけ目を細める。勝利を確信したその笑みだったが、それはすぐに無邪気な表情の下へと押し隠された。
「ありがとうございます、教授!」
先ほどの押し問答など初めからなかったかのように、彼女は再びその黒い袖を嬉しそうに掴む。スネイプは、またしても自分の理性がナマエの仕掛けた罠に敗北してしまったことを自嘲とともに受け入れるしかなかった。
*
ピンク色の外壁、窓から覗くレースの装飾、ディスプレイされた色とりどりのケーキとティーカップ。マダム・パディフットの店の入り口でスネイプは死刑台を待つ罪人のような表情を浮かべて腕組みをしていた。
「何だこの甘ったるい香りは。嗅覚がおかしくなったらどうしてくれる……仕事に支障が出たら君が責任を取ってくれるんだろうな」
「教授ってば大袈裟ですよ。中に入って一緒に選んで欲しかったんですけど、流石にそんな怖い顔をしてる人を連れ込んだら営業妨害になりますものね……。すぐ戻ってきますから、お店の前で待ってて下さい」
「何でもいいから早くしろ。さっさと荷物を貸せ──」
スネイプは一刻も早くこの場から立ち去りたいらしく、刺々しくナマエに言い放つ。寒さの中、怒りで湯気でも出そうな勢いにナマエは苦笑すると軽やかに店の扉を開けて中へと消えていった。
(まったく私をこんなおぞましい場所に同行させるなど……あの女はどういう神経をしているのだ)
ナマエの今に始まったことではない突飛な言動を今更責めても仕方ないのは分かっているが、悪態を吐かねばこの苛立ちを処理できない。店の前を通りかかったホグワーツの生徒が数人、ピンクの背景に佇む黒い影を物珍しそうにチラチラと横目で見ながら通り過ぎて行き、その視線に苛立ちを隠せぬままスネイプは手にした荷物に力を込めた。明日──いや今日の夕食時には生徒たちの馬鹿げた噂話の餌食になるのかと思うと虫唾が走る。
五分だけの辛抱だと、どうにか感情を押し殺しスネイプは眉間の皺を深くしたまま目を閉じ一秒一秒を数え始めた。脳裏には苛立ちと共に浮かぶナマエの嬉しそうな笑顔。それを躍起になって消そうとしている間に、彼女と交わした『五分だけ』という約束など、とっくに破られているのだった。
「教授、お待たせしました。五分……ではありませんでしたが、十分くらいで済みました。待っててくれてありがとうございます」
スネイプにとっては苦行とも呼べる時間を経て、カラン、と店の軽やかなベルを鳴らしながらナマエは大切そうに包みを抱えて戻ってきた。お目当てのものが買えたらしく、先ほど寒さで赤くなっていた頬は今は気分の高揚で色付いているようだった。スネイプは冷たい風に吹かれながら鼻を鳴らし、ナマエを一瞥する。
「……十分だと?君は時計の読み方も知らんのか。実際には『十九分』だ。この時間の損失を補填するには君の睡眠時間をこれまで以上に削る必要があるようだ」
「そんなに怒らないでくださいよ。お店がすっごく混んでたから会計に時間がかかってしまったんです……。でもきっとこの紅茶を淹れたら今日の仕事は捗りますよ!レポート添削も在庫管理もすぐに終わるに違いありません」
スネイプの攻撃を軽くあしらい、ナマエは満面の笑みを浮かべて見せた。その屈託のない笑顔にスネイプは天を仰ぎ諦めたように深い溜息をつく。
「君のその理論の欠片もない楽観主義はどうしようもない。その茶葉とやらが君の淹れる下手くそな紅茶を、多少なりともマシにしてくれると良いのだが」
「……もう!素直に楽しみだって言えないんですか?いつも一言余計なんですよね、教授って」
「事実を述べているまでだ。今度こそ帰っていいのだろうな?これ以上の寄り道は一切認めんぞ」
既に歩き出しながらスネイプは不機嫌な表情を浮かべてそう言った。言い方はどこまでも冷徹で、態度は不遜である。それでもナマエが慌てて裾を引く手を払いのけることなく歩幅を狭めて歩いていることに気が付いて、彼女は嬉しさに顔を綻ばせた。
「待ってください教授、そんなに早く歩かないで……!雪で滑りそうなんです……!」
「……まったく騒々しい。しっかり足元を見て歩け。転んでも私は拾わんぞ」
彼女の発する情けない叫びに、スネイプは意地悪く口端を歪めた。
冬の風が吹くホグズミードの帰り道。やがて二人の影は雪に覆われた細い道の先へと溶けていく。まだ開けてもいないはずの茶葉の香りがどこからともなく淡く香ったような気がして、ナマエは小さく息を弾ませた。
その瑞々しく柔らかな香りはきっと今夜、地下の部屋を優しく満たすことになる。
そしてまたいつものように何気なくも愛おしい、そんな時間が繰り返されていくのだろう。