スネイプ×助手(元・生徒)
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ホグワーツの飾り付けがハロウィン仕様になっていることなど数日前から気がついていた。浮かれたカボチャが宙を飛び交い、廊下の壁にはおどけた幽霊の幻影が漂っている。
例年ならその光景を眺めるだけで胸が躍ったものだ。
学生時代はハロウィンもクリスマスも心から楽しみだった。友人たちと笑い合い、甘いお菓子を頬張っては深夜までふざけて過ごした記憶は、今も鮮やかに残っている。
だが、今は違う。
魔法薬学の助手という立場になってからは、仕事の重さに追われて浮かれる余裕などほとんどない。……いや、それ以上に、四六時中一緒に過ごす人物がそもそもイベント事に興味がない、むしろ嫌悪感すら抱いている人間である以上、自分だけ浮かれるわけにもいかなかった。
お菓子を用意することも、小さな悪戯を考えることも、今年は最初から諦めていた。どうせそんなものを手にしたところで、彼の冷たい一言で粉々にされるのが目に見えている。ならばいっそ余計な期待は持たず、仕事に没頭していたほうがまだ心が安らぐ。
楽しげに廊下を歩いていた数人の生徒に対し、理不尽な減点を言い渡す魔法薬学教授。生徒たちは興を削がれたような顔をして、彼の元から逃げるように去っていく。そんな姿を背後から見つめ、ナマエは小さく苦笑した。
やっぱり今年のハロウィンは自分には縁がないらしい。
*
ホグワーツの喧騒も、地下に存在するスネイプの部屋に一度入ってしまえば途端に静まり返る。ここはいつでも通常運転で、大鍋や薬草や羊皮紙の束に埋もれている。そしてこの部屋の主は心底うんざりしたように椅子に腰掛け、息つく間もなく羽根ペンを取るのだ。
仕事、仕事、仕事──。
彼の一日は休まることを知らない。生徒の時からスネイプの忙しそうな姿は見慣れているつもりだったが、それがほんの一部でしかなく、実際には想像を遥かに超える仕事量を抱えているのだと助手になった今になって痛感している。
ナマエが仕事を多少受け持ったところで彼の忙しさが楽になることはないように見えるほど。
ハロウィンを楽しむ生徒たちに苛立ちを募らせているらしいスネイプを横目に、ナマエは自分のやるべき仕事に目を向ける。後で仕事が落ち着いたら温かい紅茶でも淹れようと思いつつ、彼と同じように羽根ペンを取り羊皮紙の山に向き直った。
*
終わりなきように見えた仕事も、どうにか片付けることができた。とはいえ今日という日はあと少しで終わってしまう……そんな時間だ。高く積まれていた羊皮紙の山がようやく低くなり、インクの染みた指先を拭いながらナマエはソファに深く腰を下ろす。小さく吐いた息は仕事を日付が終わる前に全て終わらせられたという安堵の色を帯びていた。
「お疲れ様でした」
疲労を隠しきれない顔のスネイプも少し遅れてナマエの座っていたソファの隣に腰掛けた。溜息を溢す彼に、紅茶のカップを手に取って微笑むと、石造りの地下室にふわりと甘く爽やかな香りが広がる。その紅茶の香りが、この冷たい部屋の空気をかすかに柔らげたようだった。
スネイプは渋々といった様子でカップを取り一口だけ口に含んだが、その後は仏頂面のまま沈黙する。氷のように固まった空気に紅茶の温度だけがやけに際立った。
いつものことだ。
ナマエはカップを揺らしながら、その静寂を破るように口を開いた。
「教授って、今日が何の日かご存知ですか?」
大広間の飾りや生徒たちの雰囲気で彼が今日という日を認識していることは分かっている。ただの何気ない会話の始まりのつもりだった。だが返ってきたのは怪訝な顔。一体何を企んでいるのだと言いたげな視線。
「……生徒が悪戯だ何だと騒いでいれば嫌でも気が付くだろう」
低く吐き捨てる声音には心底うんざりした色が滲んでいる。『ハロウィンの何が楽しいんだ』とでも言いたげなその顔に、ナマエは小さく笑った。
彼が仮装をするなんてありえないし、お菓子を持ち歩く姿も想像もできない。悪戯を仕掛けようものなら倍返しどころか強力な呪いで返されそうだ。
「……楽しいじゃないですか。お菓子が無ければ合法的に悪戯できるっていう日ですし?」
お菓子をくれないと悪戯しちゃいますよ?と、挑発半分、冗談半分で意味深に微笑むとスネイプは一瞬だけ目を細め、そして鼻で笑った。
「……?」
その不敵な微笑みに戸惑い首を傾げると、彼は黒衣のポケットに手を差し入れる。
微かな包み紙の音。
そして取り出されたのは、鮮やかな銀紙に包まれた小さなチョコレートだった。
ナマエの目が大きく見開かれる。
ルーピンならともかく、チョコレートの包み紙がスネイプの掌にある光景など誰が想像できただろう。
「に、似合わな……じゃなくて。何でお菓子なんか持ってるんですか」
慌てて取り繕う声に彼は冷ややかに唇を歪めた。
「今日のようなくだらない日に、君のような不届者を黙らせるための品だ」
用心深いその言葉にナマエは呆れとも関心ともつかない吐息を漏らす。
「対策済みというわけですか……」
「当然だ」
スネイプはチョコレートを机に置き、勝ち誇ったように片眉を上げた。ナマエは残念そうに肩を落としソファに深くもたれかかる。
「……悪戯できなくて残念です」
折角あんなことやこんなことをしようかと思っていたのに、とナマエが言うとスネイプが再び鼻で笑った。
そして、ふと思いついたように呟く。
「……そう言う君は」
少しばかり愉しむような声色。
「もちろん菓子の一つくらい持っているのだろうな?」
スネイプのその一言に、ナマエの背筋がぞわりと粟立った。
愉悦に歪んだ口元が、明らかに次の展開を企んでいる。
「…………」
ナマエは返す言葉もなく、ただただ沈黙するばかりだ。
お菓子なんて、持っていない。
だって今年はハロウィンと無縁だとばかり──。
「え……えっと……」
「まさかとは思うが、無いとは言わないだろう?」
声は低く、しかし愉悦を孕んだまま、じわりとナマエを追い詰めるように響く。その声に彼女は思わず視線を逸らした。
「…………」
「……ほう」
スネイプの喉がくぐもった音を立てる。
笑いか、嘲りか。
「君はわざわざこの私に話題を提供したくせに、自分は何一つ用意していないと」
先ほどの疲れた表情はどこへやら、やけに爛々と彼の瞳が光るのが分かった。先程よりも近い距離で囁かれ、ナマエの体が硬直する。
あぁ、なんてこと。
「……まさか、わざとやってるのか?」
「わ、わざとでは──!」
「わざとでなくとも愚かには変わりない」
長い指が伸び顎を掴む。強引に顔を上げさせられたナマエの視線が鋭い視線とぶつかった。彼の瞳は細められ、さながら獲物をとらえた獣のように鋭く光っている。
「実に憐れだな。いや、まぬけと言うべきか」
スネイプの声は、低く喉の奥で笑うように響いた。顎を捕らえた手はそのまま、親指の腹で唇の端をなぞる。冷たさと熱さが入り混じる感覚に、ナマエは身を竦めるしかない。
「ちょっと……教授……待っ……!」
「私がおとなしく待つと思うか」
ナマエの静止の声も虚しく彼の細く骨ばった指が首筋へ滑り落ちる。
冷たい感触に息が詰まる。
ソファに押し倒され、スネイプが黒い影のように覆いかぶさる気配にナマエは小さく呻いた。
首筋を這う指先が喉元をかすめ襟を押し広げる。骨ばった関節が肌に触れるたび、ぞくりとした熱が背筋に走った。
「どうした、逃げないのか」
彼がわざと耳朶に近いところで囁いているのは分かっている。吐息が触れるたびに思考が乱れた。肌を這うその軌跡に熱が生まれ、ナマエが思わず震えを走らせると、スネイプはその僅かな動きを見逃さず口端を歪めた。
「ナマエ。君は『あんなことやこんなこと』をご所望のようだ」
先ほど自分が発した言葉をそのまま言われ、ナマエは赤面する。囁きは耳朶をかすめ、嘲笑うように彼女を翻弄した。
「……っ!」
思わず吐息を漏らすと、スネイプの肩がわずかに揺れる。笑ったのだ。
「まったく……何の用意もせず、わざわざこちらに隙を見せに来るとはな」
「……そんなつもりじゃなかったんです!」
苦しいほど近くで熱を帯びた吐息がかかる。次の瞬間、首筋に唇が触れた。驚きに体が震える。唇はただの触れだけにとどまらず、じわじわと熱を移すように押し当てられ、そこに低く笑う気配が混じった。
「……〜〜〜!」
逃げ場のない体勢のまま首筋に吸い付かれる。微かな痛みと共に熱が残り、確かに「印」を刻まれていくのを感じた。
「……さて。今夜は君の言うところの『合法的に悪戯できる日』だからな。残り僅かな時間、せいぜい楽しませてもらおうか」
嗤うように告げられ、視線がぶつかり合った瞬間、唇が塞がれた。強引でいて、どこか深く溺れるような口づけ。抵抗する間もなく頭の芯が白く染まっていく。
紅茶の残り香も、石造りの部屋の冷たさも、すべて遠ざかる。
残ったのは彼の体温と鋭く絡みつく眼差しだけ。
押し付けられた身体は身動きがとれない。だがその支配に逆らおうという意志すら、もう奪われている。
今日というこの日を淡々と刻んでいる時計の針。それが進んでゆく音が、石造りの静かな部屋にやけに大きく響いていた。