スネイプ×スリザリン女子生徒
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セブルス・スネイプの部屋に入るには、真っ当な理由が必要だ。
今のナマエにとって一番の問題は、彼の誕生日を祝うという行為が真っ当な理由になるのか否かということである。スネイプが自分の誕生日を祝って欲しいと思うような人間ではないことはホグワーツの誰もが知っており、ましてや誕生日プレゼントを持って行ったところで喜んでくれるような男でもないことはナマエが一番よく知っている。しかしそれを理解していながらも、『祝わない』などという選択肢は彼女に存在しなかった。
ただただ、彼が生まれた日を純粋に祝いたい。大好きな人が生まれてきてくれたことを一緒に喜びたい──それがどれほどこの扉の前では不釣り合いな理由か、ナマエは痛いほど分かっている。
手にした箱を持ち直しナマエは小さく息を吐いた。部屋に入れるかどうかなど、迷っている時間そのものが無駄だ。そう思って勢いに任せて扉をノックする。いつもここに来る理由として抱えている魔法薬の課題が誕生日ケーキに変わっただけだ。どうせ毎回仏頂面で迎えられるのだから大していつもと変わらない……そう自分に言い聞かせながら。
「……誰だ」
一拍遅れて扉越しに帰ってきたのは低く掠れた声だった。その声を聞いただけで心臓が一段と強く跳ねる。声から察するにスネイプは今日という日を誰にも邪魔されたくないという顔で机に向かっているに違いない。しかしお構いなしにナマエは明るい声で名乗った。
「こんばんは、先生。私です、ナマエです」
返答がなく、沈黙がやけに長く感じられる。部屋の中で彼が眉を顰めているのがありありと想像できてしまうのが余計に胃に悪い。しかし部屋の中からこちらへと近付いてくる苛立ちを含んだ足音にナマエは扉の外でにっこりと微笑んだ。どうやら門前払いは免れたらしい。
「……用件は?」
扉が開いて顔を出したスネイプの顔はいつにも増して不機嫌だった。予想していた通り、歓迎の色はない。しかしナマエはそんな威嚇じみた彼の言動で怯むような女ではなかった。
「お誕生日のお祝いに」
にこりと微笑んでナマエは迷いなくそう言った。ノックをする前はあれだけドキドキしていたくせに、彼の顔を前にするとそれより先に言葉が溢れてくる。『帰れ』と一言で追い返されてもおかしくない状況なのに、不思議とナマエの表情に不安はない。
「誕生日の祝いだと?」
「はい。お祝いさせてほしくて来たんです」
「……人の誕生日を覚えている暇があるなら、君の脳みそをもう少し建設的なことに使え」
「何を言ってるんですか。私は一番建設的なことに使っているつもりですよ」
くすくすと笑って彼を見上げれば鋭い視線が返ってくる。大抵の生徒が縮み上がる視線に違いなかったが、ナマエはそんな視線など軽い挨拶程度にしか受け取らない。ここまでくれば大丈夫だという確信を得ながら、入って良いですか?、と問えばスネイプは溜息をつきながらも結局扉を開いてナマエを迎え入れた。
一般的に見て居心地の良い部屋とは言い難いその部屋が、ナマエはホグワーツのどの場所よりも好きだった。扉の内側へ一歩踏み込んだ瞬間、鼻を掠めたのは魔法薬と紅茶の残り香。それに羊皮紙と本とインクの匂いが混ざり合って独特の香りになる。スネイプ本人と同様に、固く閉ざされた気配。その空気に臆することなくナマエがいつもの位置へと歩みを進め、扉が背後で静かに閉められる。その音はホグワーツ城からこの部屋だけを切り離す合図のように、やけに重く、そして甘く響いた。
「座れ」
短く落とされた命令にナマエは一瞬だけ目を瞬かせ、それから素直に腰を下ろした。いつもの位置、机の脇に置かれている簡素なソファ。恐らくスネイプが短時間の休息に使っていたはずのそれは、いつの間にかほとんどナマエが利用している。期待するような目線を向ければ彼が僅かに逡巡したあと溜息と共にナマエの隣へと座った。近くなった距離に彼女は嬉しそうに目を細める。
「改めて、お誕生日おめでとうございます」
言葉は驚くほど自然に喉から出た。構えていたはずなのに改まった感じはしない。ただ今日一日、胸の奥にずっと溜めていたものをようやく外に出せたような安堵があった。
「これ……」
ナマエは箱を少しだけ持ち上げ、彼の方へと差し出す。目が合うとにこりと笑った。
「開けてみてください」
スネイプは即座には手を伸ばさなかった。黒い瞳が箱を一瞥し、次にナマエの顔を見る。その視線には警戒と、どうしようもない諦観が混ざっている。彼は無言で箱を引き寄せ慎重に蓋を外した。質素で飾り気のないビクトリアケーキ。粉砂糖が薄く降り、間に挟まれたジャムがわずかに覗いている。派手さとは無縁で、それでも手を抜いた形跡はどこにもない。
「お誕生日のケーキです。手作りだから少し不格好ですけど。変なものは入れてませんのでご安心ください」
「……手作り?厨房に入ったのか?」
「仲良しの屋敷しもべ妖精がいるんです」
ナマエは本当なのか冗談なのか分からない調子で笑った。スネイプの表情は相変わらず険しいが、視線はまだ箱の中に留まっている。
「夕食の席に君の姿がなかったが、まさかこれを用意していて食べ損ねたなどと言うまいな?」
低く、探るような声。
「そうなんですよ。魔法薬の課題が全然終わらなくてケーキを作れるかも怪しかったです」
誰かさんのせいですね、と悪びれもせずに笑うその顔にスネイプは明らかに不快そうな息を吐いた。
「課題が終わらないのは君自身の責任だ。それに私を祝うために食事を抜くなど愚かな真似をするな」
言葉は厳しいのにその声音には叱責以上のものが滲んでいる。
「来年は気をつけます」
ナマエがくすっと笑うと彼は一瞬だけ言葉に詰まったように見えた。
「……ケーキを切る」
スネイプが杖を取り出し、一振りすると奥の棚から見慣れた白磁の皿が呼び寄せられる。続いて細身のフォーク。紅茶用のカップとソーサーも二客。それらはこの部屋に元々あったものではなく、ナマエが半ば勝手に持ち込んで棚に押し込んでいたものだ。しかし今、それらは当然のように棚から取り出され彼の手によって机の上に並べられている。まるで最初からここにあるべき物だったかのように。
「あの……」
「何だ」
「……私も食べて良いんですか?」
並べられた二枚の皿を見てナマエは目を瞬かせる。
「夕食を抜いた愚かな生徒の前で私だけ食べろと?」
「でも小さいケーキだし……」
「承知の上だ」
スネイプが呆れたように言い、皿と同じく呼び寄せた茶葉の缶をナマエの手に押し付ける。想像していなかった展開にナマエは少しばかり戸惑ったが、嬉しさで頬が緩んでしまうのが自分でも分かった。
「紅茶はお任せください」
彼女は慣れた手つきで準備をしながらそっとスネイプの様子を窺う。ナイフを手に取るその所作は魔法薬を調合する時のように冷静で無駄がない。しかしケーキを二つに切る手つきだけが慎重すぎるのをナマエは見逃さなかった。
「……そんなに真剣に切らなくても」
「黙れ。均等にならないだろう」
「先生が大きい方で良いですよ」
覗き込みながらつい笑ってしまい、じろりと睨まれる。スネイプにより切り分けられたケーキがそれぞれの前に置かれると、ナマエは何か思いついたような顔をした。
「……それじゃあ」
一瞬の間。
「……あーん、とか、してあげましょうか?」
その言葉に部屋の空気が凍り、スネイプの動きが完全に止まる。まるで信じられないものを見た、という顔でナマエを見つめ返した。いや、ほとんど先程と同じ鋭さで睨みつけている。
「……君は」
スネイプの言葉が続かない。
その沈黙に耐えきれず、ナマエが吹き出した。
「っ、ふふ……冗談です、冗談!」
慌てて手を振る。
「さすがに怒られますよね?分かってます。なのでそんな怖い顔しないでください」
「冗談でも言うな」
呆れと多少の動揺が混じった声。
「まったく……」
そう言いながらもスネイプはそれ以上追及しなかった。代わりに紅茶を一口含み、視線を暖炉へと逃がす。
やがてゆっくりとケーキにフォークを入れ、一口。
「……どうですか?」
恐る恐る尋ねると少し間を置いて返事が来る。
「……甘い」
「えぇ……感想それだけですか?」
「……悪くない」
「先生らしい感想ですね」
ナマエは満足そうに微笑みようやく自分もフォークを取る。小さく切り分けられた一口を口に運ぶと、スポンジ自体の甘さは控えめで、ラズベリージャムの酸味が口に広がった。夕食を抜いた胃にじんわりとケーキの優しさが染み込んでいくのが分かる。
「美味しい」
ぱっと顔が明るくなる。
「頑張って良かったです」
その反応はあまりにも無防備で子供のようだった。スネイプは紅茶を口に運びながら、ちらりと横目でナマエを見る。頬を緩め幸せそうにケーキを味わうその横顔。
(……本当に厄介な生徒だ)
心の中で溜息をつく。こんな顔を誰にでも向けているわけではないと分かっているからこそ、胸の奥が静かに、しかし確実に軋む。
「…………」
スネイプは無言のまま二口目を食べ、紅茶に手を伸ばす。カップを口に運んだ瞬間、彼が僅かに目を細めたのをナマエは見逃さなかった。嬉しくて、緩む口元を抑えるのに必死になってしまう。そんなナマエを知ってか知らずか、スネイプはカップを静かに置いて彼女に向き直った。
「ナマエ」
唐突に名前を呼ばれてナマエは反射的に背筋を伸ばした。黒い瞳に真っ直ぐ見つめられ、ナマエの心臓が大きく跳ねる。
「……毎年誕生日などくだらないと思っていたが」
スネイプは静かに言葉を紡いでいく。
「祝われるというのも悪くないものなのだな。礼を言う」
彼の口から零れ出てきた言葉は、ナマエにとってこの上ないほどの賛辞だった。
「そう言ってもらえて嬉しいです」
あまりの嬉しさに飛びつくように身を寄せてしまえば呆れたような表情でスネイプは天を仰ぐ。
彼は知っている。いくら線を引こうと、この少女はいつだってその線をいとも簡単に飛び越えてくるのだ。線など初めからそこに無かったかのように。
「生まれて来てくれてありがとうございます」
その一言は、スネイプが自分自身に最も無縁だと思っていた言葉だった。また一年を生きたこと、生きてしまったこと。それ自体が許せない日もあった。自分こそが死ぬべきだったと思ってしまうことはこれまでに何度もあった。祝うことも、感謝することも、肯定することも──彼は長い間それらを拒絶して生きてきた。だからこそ無垢な瞳でそう言われてしまった瞬間、何かがひび割れる音がして、スネイプの胸の奥を締め付ける。
ナマエは自分が何を口にしたのか半分も自覚していない。
言葉に他意はなかった。ただ、ナマエは伝えたかったのだ。彼が生まれた日が、この世界にとって、そして自分にとって確かな意味を持つのだということを。ナマエはそれを分かって欲しいとでも言いたげに、静かにスネイプを抱き締める。
深くて長い、逃げ場のない沈黙。
抱きしめ返されこそしなかったが、彼の指がそっとナマエの髪を梳いた。その行為がどれだけありえないことか。いつもの軽口も言えずにナマエはただただ硬直し、しばらく彼の胸へと顔を埋めていた。
「……先生」
「何だ」
「私、来年もまた……お祝いしますから」
ナマエはようやく顔を上げ、先ほどよりずっと近い距離のスネイプを見つめる。彼は珍しくいつもの仏頂面を緩めており、少し口端を上げて皮肉げな笑みを浮かべていた。
「君は本当に懲りないな」
「それが私の良いところだと思いません?」
「調子に乗るな……だが、」
スネイプはそこで言葉を切ると、言うか迷うように視線を泳がせる。数秒考えあぐねた末にスネイプは溜息をつき口を開いた。
「……期待せずに待っている」
ナマエはそれを聞いて眉を下げて笑う。その言葉を胸の奥で何度も反芻した。『期待せずに待っている』──それはスネイプなりの約束だ。彼の隣で同じケーキを食べ、同じ紅茶を飲み、ほんのひとときだが同じ時間を過ごした。それだけで今日という日は十分すぎるほどだったとナマエは思う。
来年はこの距離がもう少しだけでも縮まっているのだろうか、それとも。そこまで考えてナマエは思考を止める。来年のことなど、今は分からなくていい。ただ今日はこうして彼が生まれてきてくれたことを一緒に祝うことができたのだ。
世界で一番大好きな人の体温と鼓動を感じながらナマエは微笑み、この夜の幸せを噛み締めるのだった。