第1章 2026年 5月のこと
目が覚めたら白い空間の中に居た。起き上がると腰のあたりがズキズキして痛い。――間もなく白衣姿のおじさんがこの部屋に入ってきた。
「無理しないでくださいね、末永璃亜 さん」
末永璃亜。それが私の名前らしい。白衣の男性は去って行った。
「璃亜、やっと目覚めたのね。心配してたのよ」
この人はきっと私の母親だ。
「私、どうしてここに居るの?」
聞いてみたが、心配そうな目をして去って行かれた。
母親と入れ違いに、今度は同い年ぐらいの男の子が来た。
「璃亜、俺のこと覚えてる?」
「どちらさま?」
「やっぱ覚えてないんだな」
「ねぇ、私の身に何があったの? どうして私は病院に居るの?」
「本当に何も覚えてないんだな」
ぼそりと彼はそう呟くと、帰ってしまった。
みんな、なぜだか知らないけど、私が病院のベッドの上に居るまでの経緯を教えてくれない。
しかたなく自力で思い出そうとしてみる。
でもいざ思い出そうとすると、何も思い出せない。
私は周囲を見回す。
ベッドの上の壁のプレートには、末永璃亜という名前が書いてある。私は末永璃亜という名前の女の子らしい。今思えばさっきの人、見慣れた高校の制服着てたな。誰だろう?
そんなことを思っていると、退院の許可がおりたので、スリッパ横の白いスニーカーを履いて、近くにあった鏡で自分を見る。我ながら童顔の自分が鏡に映っていた。
まだ病院の服のままだったので、ベッドの掛布団の上にあった私のとおぼしき綺麗な――どこか懐かしさを感じさせるクリーニング屋のロゴがプリントされたカバー付きの制服に着替えた。
スカートを穿くと、急に体が寒くなった。今度は腰痛になるし。
いったい、私の身に何があったんだろう?
今はまだ、それすらわからない。頭痛は治まっても、謎は深まるばかりだ。
私は私立紅 高校――通称:ベニ高に通っているらしい。2年A組が私のクラスらしい。後々、私と同じクラスで親友の仁科 果奈子 に聞いたわけだけど。
病院の帰りはお父さんに自宅まで車で送ってもらった。自宅は26階だてのマンションの3階の303号室だった。間取りは3LDKで、お父さんは私の前に立つと、私のらしき部屋のドアを開けて、荷物を私の代わりに机横に置いてくれた。
――と、ここで私のお腹が鳴ってしまった。
「璃亜、腹は空いてないか?」
「空いた」
「お前の彼氏の仲悠介 君の実家が町中華屋さんだから、ラーメンでも食べに行かないか?
あまりお腹空いてないなら餃子だけでも食べていったほうが良いぞ。お代は父さんが支払うから大丈夫。仲くん家のラーメンも餃子も、どっちも美味 いぞ。準備が出来たら教えてくれ」
「ありがとう、お父さん」
父さんがキッチンに入って冷蔵庫を開ける音を耳で聞いてから、私は自室に入る直前になって、隣の部屋から猫が出てきたのを見かけた。
「お父さん、うちって猫飼ってたっけ?!」
キッチンからお父さんが顔を出した。
「あぁ。飼っているよ。末永みるく。それがその猫の我が家での名前だ。可愛がってやれよ。大人しくてていい仔だから」
私は、みるくという猫の鼻に手を近づける。するとみるくはすぐお腹を見せたので、お腹を撫でてやった。ようやく満足げにみるくが自分の部屋に戻ると、わたしも自室に入り、制服から桃色のワンピースに着替えて、腰のリボンはお父さんに結んでもらった。
靴下はサクランボのポイント付のものに履き替えた。
「お父さん、準備できたよ」
冷蔵庫から取り出したであろう麦茶をゴクゴク飲むお父さんに声をかけると、
「はーい♪」と上機嫌に冷蔵庫に麦茶を戻した。
結局私は餃子8個入り1皿を頼み、父さんだけあんかけ焼きそばを頼んだ。
料理が届くまでの間、私は周囲を見回したが、悠介君らしき人物は居なかった。
「まぁ、今日はゆっくり食べなさい」
「そうするよ、お父さん」
久しぶりに食べた餃子は、どこか懐かしい味がした。
翌朝。お父さんに起こされて、今日が登校日だということを知り、慌てて起きて、準備する。
「朝ごはんは? せっかく作った目玉焼き、食べないの?」
「急いでるからもう行く」
制服に着替え、バッグを持った私はすぐに玄関で靴を履き、ドアを開けて外に出た。
もう5月というだけあって、からりと暑い。
夏服を着て良かったと、着替えた自分に感謝する。
「行ってきます!」
キッチンから父親の声が返ってきた。
「いってらっしゃい!」
玄関の外の門を開ける時、病院で会った男子高生と目が合う。
「あ、あの時の!」
「そんなことは後回し。急がねぇと学校遅刻すっぞ!」
そうだ、今日は登校日。久しぶりに学校へ行くんだった。その前に、彼の名前を確認しておきたい。
「あの! 貴方って仲悠介君だよね?」
「そうだよ。早く行こうぜ」
「うん」
私は言われるがまま、差し伸ばされた手を握って、悠介君と一緒に登校した。
教室のドアを開けると、皆が私を奇異の目で見、教室はしんと静まり返った。黒板には悪質な落書きがカラフルなチョークでされていて、私の机の上には一輪挿しの花瓶が置かれていた。
皆、驚いたように、おびえたようにこちらを向く。
「おはよう!」
クラスの皆に声をかけたが、誰も返事してくれない。どことなく重く、張り詰めた空気を感じた。
「お前、よく生きてるな。あんな事件あったのに」
「信じらんねぇ、生きてんじゃん!」
いったい、私の身に何があったのだろう? 当然、彼らも教えてくれないのだろうな。
私は花瓶を教室内の後方のロッカーの上に置き。席に着く。その間も、皆が異様な者を見る目で私を見ているのをねっとりと感じた。気持ち悪いことこの上ない。
それでも、悠介君だけはぼーっと窓の外の景色を、頬杖をつきながら見下ろしている。窓なんか見たってもうとっくに桜は散り、青葉しか残ってないのに。
キャラメル色のベストを選んで良かった。教室のなかも暑い。誰かが窓を開けたわけでもなさそうなのに。不思議だ。
先に登校していた仁科果奈子がこちらに声をかける。
「璃亜、そろそろ自分の席に着きなよ。先生来ちゃうよ」
言われて、慌てて自席に着く。間もなくホームルーム開始のチャイムが鳴った。
放課後、掃除を終えた私は悠介君と一緒に下校することになった。幸い、雨は降っておらず、晴れだ。
「今日は俺のバイト先まで一緒に行くぞ」
新しい記憶の鍵をもらった。悠介くんはアルバイトをしているようだ。
自転車のペダルを漕いでついて行くと、全体的に白い壁の2階建ての建物の前まで来た。
悠介君と私は建物の隣にある駐輪場に自転車を停め、建物の中に入る。
入る前の一瞬、{記憶屋}の文字列が見えた。店内は狭く、カウンターの後ろの棚に、大量の粉薬が並んでいるのを目撃してしまった。それに加えて、どこか科学的な匂いがする。
「いらっしゃいませ。ようこそ記憶屋へ。私は西野 莉世子 。この記憶屋の店長をしているわ。宜しくね」
「はい。早速なんですが、どういった記憶を扱っているんでしょう?」
「この世のすべての人の人の記憶よ。勿論、あなたが事件に巻き込まれた時の記憶も取り揃えているわ。さぁ、どの記憶を買ってく?」
記憶を扱う店か。何て奇妙な店なんだ。
「自分の記憶だけ買っていきます」
「貴女、お名前は?」
「末永璃亜です」
「末永璃亜さんの記憶かぁ。仲君、探してとってあげて」
「お代は200円です」
璃亜は200円の自分の記憶の薬を買うと、自宅へ帰っていくのだった。
自宅に帰ってからしばらく、璃亜は自力で過去に何があったか思い出そうとする。思い出せば思い出すほど、頭痛は酷くなっていくばかり。
思い出したのは、自分がお腹を思い切り刃物で刺された記憶。誰に刺されたかまでは自力では思い出せなかった。
そもそもなぜそんな状況まで追い込まれたか考えてみるが、頭痛に邪魔されて思い出せない。璃亜はこっそりパジャマのポケットに記憶の粉薬が入った小さな袋を入れて、洗面台に立つ。
記憶が蘇るのは1時間後なので、おくすりを飲んだ璃亜は自室にこもり、ベッドで寝る。
暗闇の中、誰かにお腹を刺されている。勿論、私のお腹を刺している相手が誰だかなんて、顔すら暗くて全く見えないのでわかりはしない。これは自力で思い出した記憶と合っている。
いったい、誰が私のお腹を刺しているの? 腹部の痛みと冷えに同時に襲われる。
強い風が吹いて辺りに白い光が差し込んできたところで、私は目を覚ました。……そうか、私は誰かの手によって死にかけていたんだ。だから病院のベッドの上で目が覚めたんだ、あの時は。なるほど。
でも、誰が私のお腹を刺していたのかが気になる。暗闇に包まれる前の記憶が欲しい。
起き上がって、壁掛け時計を見る。
「うわ、やばい! 学校遅刻しちゃいそう」
と困っていると、部屋のドアをノックする音がした。
「璃亜、悠介君が待っているぞ。早く支度しなさい」
「わかった!」
私はとりあえず着替えて仲君と一緒に学校へ向かった。
五月初旬に受けた各科目の小テストの採点結果が返ってきた。親友の仁科果奈子は私の目の前に席がある。そんな果奈子がこちらに振り向いてきた。彼女は笑顔で私に聞いてきた。
「璃亜はどうだった? あたしはまぁまぁな成績だった」
2年生に進級して初めての小テストだったが、私もそれなりに良い成績だ。
「私もまぁまぁかな」
「ふうん」
言いながら、果奈子は前に向き直った。
それと同時に、もう一度昨日の夜見た夢――正確には夢の中に出てきた記憶の前後を思い出してみる。
だめだ。どうして光が差し込んだ瞬間、窓のほうを見たんだろう。見るべきは犯人の顔なのに。
「璃亜、次は体育だよ! 一緒に行こう」
「あ、そうだったね」
私は急いで体育着が入った巾着を持って果奈子の背中を追いかけた。
放課後。掃除を終えた私は、悠介くんに呼ばれて一緒に途中まで帰ることになった。帰り道、悠介君と私は寄り道して不思議な店に入る。
「記憶屋? 何だっけ此処 ?」
「入れば店長の西野さんが教えてくれるだろう」
「行くぞ、璃亜」
中に入ると、また科学的な匂いがした。カウンターの向こう側に店長の西野さんと思しき女性がにこやかにこちらに挨拶してくれた。
「璃亜ちゃん、いらっしゃい。今日はどの記憶を買ってく?」
「事件前の記憶です。えぇと、何かわかるかもしれないと思っておりまして」
「これでたぶん合ってると思う」
私は悠介君に差し出された記憶の薬を買った。
「俺はまだ仕事があるから。じゃあな、璃亜」
「また明日ね、悠介くん」
私はひとりで自宅に帰った。
午後8時。夕食を済ませた私は、パジャマのポケットに仕舞いこんでいた記憶の薬袋を洗面所で取り出し、水と一緒に一気に飲んだ。それからすぐ自室のベッドで寝る。
「今日こそは、もっと経緯とか知れたら良いんだけど」
気が付けば、私が再び学校生活を送る二週間前まで遡った記憶の中に居た。
今度は明るい学校の廊下を果奈子と歩いていた。窓に貼られた真実とも嘘ともわからない噂が気になった。
「2年S組の末永璃亜は殺される運命に、ある……? どういうこと?」
「気にしなくていいよ、璃亜。誰かの悪ふざけだろうし」
果奈子は気にするなとは言ってくれたけど、以前にあんな記憶の夢を見させられては気になってもしかたない。
「いったい誰が私を殺すのよ?」
「噂が真実なら、うちのクラスが怪しいわよね。わざわざこんなことするぐらいだし」
「うちのクラスにこんなことするやつがいるとすれば。ご意見番長が陰で取り巻きに言うこと聞かせてるとかかなぁ。そこからクラス中が変わり始めたとか?」
「考えすぎなんじゃない、璃亜」
――ならば、と、璃亜は考えを変える。
「私が所属してる演劇部が怪しいと思わない? 劇場型殺人事件でも起こそうとしてるとか」
璃亜が所属している演劇部の部長は璃亜のことをその可愛らしい容姿を憎んでいた。璃亜自身、それは1年生の時から気が付いていたのだ。
それにしたって、その部長はそんなことする人ではないことくらい璃亜もわかっていた。
だとすれば、いったい誰が?
ここで璃亜はある疑問に気付く。
そう。もう一つの疑問に。
そこで璃亜は目が覚めた。
目覚めてから璃亜は自分がもう一つの部に所属していることを思い出した。
「そうだ、私は書くことが好きだから……」
目覚まし時計より2時間早く目が覚めた璃亜は、机の下の引き出しから自分が過去に書いた推理小説をありったけ取り出す。
「無理しないでくださいね、
末永璃亜。それが私の名前らしい。白衣の男性は去って行った。
「璃亜、やっと目覚めたのね。心配してたのよ」
この人はきっと私の母親だ。
「私、どうしてここに居るの?」
聞いてみたが、心配そうな目をして去って行かれた。
母親と入れ違いに、今度は同い年ぐらいの男の子が来た。
「璃亜、俺のこと覚えてる?」
「どちらさま?」
「やっぱ覚えてないんだな」
「ねぇ、私の身に何があったの? どうして私は病院に居るの?」
「本当に何も覚えてないんだな」
ぼそりと彼はそう呟くと、帰ってしまった。
みんな、なぜだか知らないけど、私が病院のベッドの上に居るまでの経緯を教えてくれない。
しかたなく自力で思い出そうとしてみる。
でもいざ思い出そうとすると、何も思い出せない。
私は周囲を見回す。
ベッドの上の壁のプレートには、末永璃亜という名前が書いてある。私は末永璃亜という名前の女の子らしい。今思えばさっきの人、見慣れた高校の制服着てたな。誰だろう?
そんなことを思っていると、退院の許可がおりたので、スリッパ横の白いスニーカーを履いて、近くにあった鏡で自分を見る。我ながら童顔の自分が鏡に映っていた。
まだ病院の服のままだったので、ベッドの掛布団の上にあった私のとおぼしき綺麗な――どこか懐かしさを感じさせるクリーニング屋のロゴがプリントされたカバー付きの制服に着替えた。
スカートを穿くと、急に体が寒くなった。今度は腰痛になるし。
いったい、私の身に何があったんだろう?
今はまだ、それすらわからない。頭痛は治まっても、謎は深まるばかりだ。
私は私立
病院の帰りはお父さんに自宅まで車で送ってもらった。自宅は26階だてのマンションの3階の303号室だった。間取りは3LDKで、お父さんは私の前に立つと、私のらしき部屋のドアを開けて、荷物を私の代わりに机横に置いてくれた。
――と、ここで私のお腹が鳴ってしまった。
「璃亜、腹は空いてないか?」
「空いた」
「お前の彼氏の
あまりお腹空いてないなら餃子だけでも食べていったほうが良いぞ。お代は父さんが支払うから大丈夫。仲くん家のラーメンも餃子も、どっちも
「ありがとう、お父さん」
父さんがキッチンに入って冷蔵庫を開ける音を耳で聞いてから、私は自室に入る直前になって、隣の部屋から猫が出てきたのを見かけた。
「お父さん、うちって猫飼ってたっけ?!」
キッチンからお父さんが顔を出した。
「あぁ。飼っているよ。末永みるく。それがその猫の我が家での名前だ。可愛がってやれよ。大人しくてていい仔だから」
私は、みるくという猫の鼻に手を近づける。するとみるくはすぐお腹を見せたので、お腹を撫でてやった。ようやく満足げにみるくが自分の部屋に戻ると、わたしも自室に入り、制服から桃色のワンピースに着替えて、腰のリボンはお父さんに結んでもらった。
靴下はサクランボのポイント付のものに履き替えた。
「お父さん、準備できたよ」
冷蔵庫から取り出したであろう麦茶をゴクゴク飲むお父さんに声をかけると、
「はーい♪」と上機嫌に冷蔵庫に麦茶を戻した。
結局私は餃子8個入り1皿を頼み、父さんだけあんかけ焼きそばを頼んだ。
料理が届くまでの間、私は周囲を見回したが、悠介君らしき人物は居なかった。
「まぁ、今日はゆっくり食べなさい」
「そうするよ、お父さん」
久しぶりに食べた餃子は、どこか懐かしい味がした。
翌朝。お父さんに起こされて、今日が登校日だということを知り、慌てて起きて、準備する。
「朝ごはんは? せっかく作った目玉焼き、食べないの?」
「急いでるからもう行く」
制服に着替え、バッグを持った私はすぐに玄関で靴を履き、ドアを開けて外に出た。
もう5月というだけあって、からりと暑い。
夏服を着て良かったと、着替えた自分に感謝する。
「行ってきます!」
キッチンから父親の声が返ってきた。
「いってらっしゃい!」
玄関の外の門を開ける時、病院で会った男子高生と目が合う。
「あ、あの時の!」
「そんなことは後回し。急がねぇと学校遅刻すっぞ!」
そうだ、今日は登校日。久しぶりに学校へ行くんだった。その前に、彼の名前を確認しておきたい。
「あの! 貴方って仲悠介君だよね?」
「そうだよ。早く行こうぜ」
「うん」
私は言われるがまま、差し伸ばされた手を握って、悠介君と一緒に登校した。
教室のドアを開けると、皆が私を奇異の目で見、教室はしんと静まり返った。黒板には悪質な落書きがカラフルなチョークでされていて、私の机の上には一輪挿しの花瓶が置かれていた。
皆、驚いたように、おびえたようにこちらを向く。
「おはよう!」
クラスの皆に声をかけたが、誰も返事してくれない。どことなく重く、張り詰めた空気を感じた。
「お前、よく生きてるな。あんな事件あったのに」
「信じらんねぇ、生きてんじゃん!」
いったい、私の身に何があったのだろう? 当然、彼らも教えてくれないのだろうな。
私は花瓶を教室内の後方のロッカーの上に置き。席に着く。その間も、皆が異様な者を見る目で私を見ているのをねっとりと感じた。気持ち悪いことこの上ない。
それでも、悠介君だけはぼーっと窓の外の景色を、頬杖をつきながら見下ろしている。窓なんか見たってもうとっくに桜は散り、青葉しか残ってないのに。
キャラメル色のベストを選んで良かった。教室のなかも暑い。誰かが窓を開けたわけでもなさそうなのに。不思議だ。
先に登校していた仁科果奈子がこちらに声をかける。
「璃亜、そろそろ自分の席に着きなよ。先生来ちゃうよ」
言われて、慌てて自席に着く。間もなくホームルーム開始のチャイムが鳴った。
放課後、掃除を終えた私は悠介君と一緒に下校することになった。幸い、雨は降っておらず、晴れだ。
「今日は俺のバイト先まで一緒に行くぞ」
新しい記憶の鍵をもらった。悠介くんはアルバイトをしているようだ。
自転車のペダルを漕いでついて行くと、全体的に白い壁の2階建ての建物の前まで来た。
悠介君と私は建物の隣にある駐輪場に自転車を停め、建物の中に入る。
入る前の一瞬、{記憶屋}の文字列が見えた。店内は狭く、カウンターの後ろの棚に、大量の粉薬が並んでいるのを目撃してしまった。それに加えて、どこか科学的な匂いがする。
「いらっしゃいませ。ようこそ記憶屋へ。私は
「はい。早速なんですが、どういった記憶を扱っているんでしょう?」
「この世のすべての人の人の記憶よ。勿論、あなたが事件に巻き込まれた時の記憶も取り揃えているわ。さぁ、どの記憶を買ってく?」
記憶を扱う店か。何て奇妙な店なんだ。
「自分の記憶だけ買っていきます」
「貴女、お名前は?」
「末永璃亜です」
「末永璃亜さんの記憶かぁ。仲君、探してとってあげて」
「お代は200円です」
璃亜は200円の自分の記憶の薬を買うと、自宅へ帰っていくのだった。
自宅に帰ってからしばらく、璃亜は自力で過去に何があったか思い出そうとする。思い出せば思い出すほど、頭痛は酷くなっていくばかり。
思い出したのは、自分がお腹を思い切り刃物で刺された記憶。誰に刺されたかまでは自力では思い出せなかった。
そもそもなぜそんな状況まで追い込まれたか考えてみるが、頭痛に邪魔されて思い出せない。璃亜はこっそりパジャマのポケットに記憶の粉薬が入った小さな袋を入れて、洗面台に立つ。
記憶が蘇るのは1時間後なので、おくすりを飲んだ璃亜は自室にこもり、ベッドで寝る。
暗闇の中、誰かにお腹を刺されている。勿論、私のお腹を刺している相手が誰だかなんて、顔すら暗くて全く見えないのでわかりはしない。これは自力で思い出した記憶と合っている。
いったい、誰が私のお腹を刺しているの? 腹部の痛みと冷えに同時に襲われる。
強い風が吹いて辺りに白い光が差し込んできたところで、私は目を覚ました。……そうか、私は誰かの手によって死にかけていたんだ。だから病院のベッドの上で目が覚めたんだ、あの時は。なるほど。
でも、誰が私のお腹を刺していたのかが気になる。暗闇に包まれる前の記憶が欲しい。
起き上がって、壁掛け時計を見る。
「うわ、やばい! 学校遅刻しちゃいそう」
と困っていると、部屋のドアをノックする音がした。
「璃亜、悠介君が待っているぞ。早く支度しなさい」
「わかった!」
私はとりあえず着替えて仲君と一緒に学校へ向かった。
五月初旬に受けた各科目の小テストの採点結果が返ってきた。親友の仁科果奈子は私の目の前に席がある。そんな果奈子がこちらに振り向いてきた。彼女は笑顔で私に聞いてきた。
「璃亜はどうだった? あたしはまぁまぁな成績だった」
2年生に進級して初めての小テストだったが、私もそれなりに良い成績だ。
「私もまぁまぁかな」
「ふうん」
言いながら、果奈子は前に向き直った。
それと同時に、もう一度昨日の夜見た夢――正確には夢の中に出てきた記憶の前後を思い出してみる。
だめだ。どうして光が差し込んだ瞬間、窓のほうを見たんだろう。見るべきは犯人の顔なのに。
「璃亜、次は体育だよ! 一緒に行こう」
「あ、そうだったね」
私は急いで体育着が入った巾着を持って果奈子の背中を追いかけた。
放課後。掃除を終えた私は、悠介くんに呼ばれて一緒に途中まで帰ることになった。帰り道、悠介君と私は寄り道して不思議な店に入る。
「記憶屋? 何だっけ
「入れば店長の西野さんが教えてくれるだろう」
「行くぞ、璃亜」
中に入ると、また科学的な匂いがした。カウンターの向こう側に店長の西野さんと思しき女性がにこやかにこちらに挨拶してくれた。
「璃亜ちゃん、いらっしゃい。今日はどの記憶を買ってく?」
「事件前の記憶です。えぇと、何かわかるかもしれないと思っておりまして」
「これでたぶん合ってると思う」
私は悠介君に差し出された記憶の薬を買った。
「俺はまだ仕事があるから。じゃあな、璃亜」
「また明日ね、悠介くん」
私はひとりで自宅に帰った。
午後8時。夕食を済ませた私は、パジャマのポケットに仕舞いこんでいた記憶の薬袋を洗面所で取り出し、水と一緒に一気に飲んだ。それからすぐ自室のベッドで寝る。
「今日こそは、もっと経緯とか知れたら良いんだけど」
気が付けば、私が再び学校生活を送る二週間前まで遡った記憶の中に居た。
今度は明るい学校の廊下を果奈子と歩いていた。窓に貼られた真実とも嘘ともわからない噂が気になった。
「2年S組の末永璃亜は殺される運命に、ある……? どういうこと?」
「気にしなくていいよ、璃亜。誰かの悪ふざけだろうし」
果奈子は気にするなとは言ってくれたけど、以前にあんな記憶の夢を見させられては気になってもしかたない。
「いったい誰が私を殺すのよ?」
「噂が真実なら、うちのクラスが怪しいわよね。わざわざこんなことするぐらいだし」
「うちのクラスにこんなことするやつがいるとすれば。ご意見番長が陰で取り巻きに言うこと聞かせてるとかかなぁ。そこからクラス中が変わり始めたとか?」
「考えすぎなんじゃない、璃亜」
――ならば、と、璃亜は考えを変える。
「私が所属してる演劇部が怪しいと思わない? 劇場型殺人事件でも起こそうとしてるとか」
璃亜が所属している演劇部の部長は璃亜のことをその可愛らしい容姿を憎んでいた。璃亜自身、それは1年生の時から気が付いていたのだ。
それにしたって、その部長はそんなことする人ではないことくらい璃亜もわかっていた。
だとすれば、いったい誰が?
ここで璃亜はある疑問に気付く。
そう。もう一つの疑問に。
そこで璃亜は目が覚めた。
目覚めてから璃亜は自分がもう一つの部に所属していることを思い出した。
「そうだ、私は書くことが好きだから……」
目覚まし時計より2時間早く目が覚めた璃亜は、机の下の引き出しから自分が過去に書いた推理小説をありったけ取り出す。
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