花言葉をあなたは知らない
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きれいな満月の夜だった。空は漆黒に染まり、その黒色を彩るように煌々と輝く星が広がっている。そんな空の下、コンクリートで舗装された道をなまえは歩いていた。舗装されているのは歩道だけで、周りは草木が生い茂っている。その道は普段使わない道だったのだが、生憎普段使っている道には工事中の看板が立てかけられ通行不可になっていた。そのため、なまえはこの道を通るしかなかったのだ。辺りは静まり返っており、聞こえるのはカツカツと鳴るなまえの靴の音、そしてたまに吹く風で葉っぱが擦れる音くらいだった。近隣には家や店もなく、光源は月明かりとポツポツと等間隔に設置されている街路灯だけだ。
人気のない夜道を一人で通るのは恐ろしかったが、この道を通らなければ帰ることができない。なまえはこんな時間に出歩くことになった原因である会社の上司を恨めしく思った。あんなブラック企業、いつか辞めてやる。その暁には上司が愛用しているモニターを叩き割ってやると固く決心した。
幾許か進むと、なまえは道の先に誰かが居ることに気がついた。人がいるなんて思ってもいなかったなまえの心臓が大きく跳ねる。その人影は黒っぽく(全身黒い服を身につけているのだろうか)、街路灯と街路灯の丁度間の明かりがあまり届いていない暗い場所にぽつんと立っていた。暗くて分かりづらいため、先程まではその誰かがいることに気がつかなかったのだろう。
歩みを進めて人影に近づくにつれ、なまえの心に不安と恐怖心がふつふつと湧き上がってきた。ドクドクと心臓の音ははやくなるが、それに反比例するように歩くスピードが落ち、歩幅が小さくなる。
こんな遅い時間に、あの人はあんなところに立って何をしているのだろうか。…あの人もブラック企業勤めで今が帰り?いや、それならばあんな暗い場所で突っ立っている必要なんてないはず。普通ならば、私のように帰宅を優先するのではないだろうか。……もしかして、危ない人?いや、そもそも、……人間じゃなかったり?近くを通るのは少し、いや、大分怖い。ここはもう、身体の疲労を無視してなりふり構わずに全力疾走するべきだろうか。いや、でもただのブラック労働従事者だった場合は横を走り抜けるのは失礼に思われるかもしれない。あの人を傷つけたら後から自己嫌悪に陥りそう、とぐるぐる思考を巡らせていた時。俄に強い風がゴオッと吹いた。草木が風で騒めき、顔の正面から風が来たためになまえは思わず目を閉じ、歩みを止めてしまう。
次に目を開けると、なまえはゾッとした。
見間違いではなく、先程まで人影は変わらずに佇んでいたはずなのに。少し目を閉じただけで、確かにそこにいたはずの”誰か”が泡のようにいなくなっているのだ。まるで、…まるで最初から存在していなかったかのように。
嫌な想像が頭を駆け巡る。肌が粟立ち息が荒くなる。心臓が早鐘を打った。今は暑くない、むしろ体感的には寒いくらいなのに背中にはびっしょりと汗をかいていた。
ああ、いや、違う。こんな想像は馬鹿げている。そうだ、最初から人影なんていなかったんだ。全ては自分の勘違いで、人影に見えたものは暗い道を怖がる弱い心が見せた幻覚。誰も消えてなんていない。そう、何故なら、最初から誰もいないし何もなかったのだから。
————なまえの肩に、とん、と手が置かれた。
「あああああああ!!悪いこと何もしてないです!私を食べても美味しくないです!呪わないでえ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
反射的に悲鳴をあげ、バッと振り向くようにして肩に置かれた手を払いのける。そして逃げようとするも、恐怖から足が縺れて尻もちをついてしまった。これでは、逃げることはできない。顔を上げられず、なまえは半べそをかきながら身体を震わせ、目をギュッと閉じた。ああ、なんで私がこんな目に。もし死んでしまったら全て上司のせいだ。死んだら枕元に化けて出てやる。
なまえは頭の中で上司への恨み節を吐き出しながら、何に対するものかわからない謝罪を壊れたレコーダーのように繰り返すことしかできなかった。
「カカカカッ、随分鬼ヤバな面白い顔してますねぇ!カメラちゃん、もっと顔をアップでお願いします!」
…聞き覚えのある特徴的な笑い声だった。その弾ませた声の持ち主であろう飄々とした黒い悪魔の姿が脳裏に過ぎる。ああ、今日は本当に最悪の一日だ。腹の立つ上司に無茶な仕事を振られ、なんとか終わらせてやっと帰れると思ったら、今度は悪魔に振り回されるだなんて。この感情の赴くままに、一発くらい引っぱたいてやろうか——
なまえは好戦的な意思を持って固く閉じていた目を開けた。すると、俯いていたなまえの鼻先に浮いた丸いレンズと目が合い、驚いて思わず仰反ってしまった。
「うわあ近っ!! か、カメラちゃん?」
「じ〜!」
ビデオカメラの頭部を持ち、黒いスーツを身につける小さな体躯。レンズの下の口角をニンマリとあげ、そのビデオカメラ——カメラちゃんは全身で楽しそうな様子を表現していた。そんなカメラちゃんが可愛いらしく、なまえの毒気が抜ける。よくよく考えると、なまえがあの悪魔を引っぱたくなんてできるはずがなかった。万が一、億が一に成功したとしても、あとが恐ろしいし。なまえの口元がぎこちなく緩み、その可愛らしさについつい手が伸びてカメラちゃんの頭部を撫でた。
「カカカッ、女性らしい絹を裂くような悲鳴は動画映えしやすいですが、なまえさんの悲鳴も悪くなかったですね。食べても美味しくないですぅ、呪わないでぇ!なんて、あんなに情けない声、中々出せる人いませんよ!流石なまえさん!面白い人ですねぇ」
折角緩んでいた口元が引き攣る。改めて弾んだその声の持ち主に目をやると、やはりというかなまえの予想通りの人物がいた。いつもの黒い学生服のような服を身に纏う全身真っ黒の男、ブラックはおかしくてたまらないといった風に顔を歪ませていた。手には『ドッキリ!大成功!!』と書かれた看板を持っている。
「あーーもう!勘弁してくださいよブラックさん! 私、本当に怖かったんですから…心臓が止まるかと思いました……」
「お仕事で疲れてるなまえさんのリフレッシュになればと思っていたんですが、如何でしたか?」
「むしろ疲れましたよ。こんな時間に一体何してるんですか。 ……もしかしてブラックさん、ドッキリのためだけにここに?」
眉を顰めてゲンナリとした様子でなまえが訊ねる。いつの間にかブラックの手にあったドッキリ看板は消えていた。
「オレちゃんそんなに暇じゃないです。ちゃんと用事があってなまえさんを待ってたんですよ」
「私を待っていたのは分かりましたけど、それってこんなところでわざわざドッキリを仕掛ける必要ありましたか?」
ブラックはその言葉をにっこりと笑顔でスルーした。その笑顔のまま、尻もちをついたなまえと視線を合わせるようにしゃがみこみ、どこから出したのか黒い薔薇を一輪、差し出した。
薔薇は月明かりと街路灯の光を反射して瑞々しく輝いている。その薔薇はなまえが今まで見てきた実物、写真、映像のどの花よりも群を抜いて美しかった。薔薇の美しさと黒色という物珍しさになまえはブラックに対する不満を忘れて見蕩れた。
「わぁ、真っ黒! 黒い薔薇なんて初めて見ました。すごく、きれい……」
「人間界には近しいものはあっても、天然の漆黒の薔薇なんて存在してませんからね。なんせ本来花は黒の色素を持ちませんから。これは魔界に咲いていた薔薇です。あまりにきれいだったので、摘んできちゃいました!」
なまえはブラックを一瞥し、「ブラックさんにも花を綺麗って思う情緒があったんですね!」と言おうとしたが口を噤んだ。口は災いの元とはよく言ったものである。誤魔化すように薔薇に視線を戻し、食い入るように見つめた。
「そんなに熱心に見て…お気に召したようで何よりです。この薔薇、よろしければなまえさんに差し上げます!」
「えっ私に?そ、それがブラックさんの用事? ……一体何を企んでるんですか。あ!魔界の花ってことは、実はこの薔薇はめちゃくちゃ危ないもので、なんかの動画の企画とか!?」
「すごく疑ってますねぇ。いやね、なまえさん。以前『花をプレゼントされてみたい』って言っていたじゃないですか」
なまえは一体ブラックがなんのことを言っているのかわからなかった。そんなこと言ったかな?と、頭に疑問符が浮かんだが、少し考えると思い当たる節があった。その時の情景を思い出す。
なまえの数少ない貴重な休日に、公園でブラックとさとしの動画撮影に付き合わされていた時のことだ。噴水の前に人を待っている様子のそわそわとした女性がいた。そこに男性がやってきて、緊張した面持ちで噴水前の女性に向けて花束を差し出したのである。女性がもらって困るプレゼントには、手入れの大変さや人前で受け取った際の目立ち具合いから花の名前が挙がるそうだ。しかし、もし自分に花束が差し出された時、なまえはきっとちっとも迷惑だなんて感じないだろうと思った。その花束を受け取った女性もなまえと同じ考えのようで、満面の笑みを浮かべ、可愛らしく頬を染めて照れたようにお礼を言っていた。それはまるで映画のワンシーンのような素敵な光景だったため、記憶に残っている。そんな甘酸っぱい場面をリアルタイムで目撃したなまえはなんだかとても羨ましくなり、つい「私も花をプレゼントされてみたいなぁ」となんとはなしに口走った。小さな声だったが、おそらくこの悪魔はその呟きを聞き逃さなかったのであろう。
ブラックの言う通り、確かに以前そんなことを言っていた。しかしなまえは、まさかブラックにそんな細やかな一面があるとは思わず目を剥いた。不躾にも目の前のブラックの顔をまじまじと見つめる。ヨーチューブのことしか考えてなさそうなこの悪魔が、女性の何気ない言葉を聞き逃さず、剰え花をプレゼントするだなんて! 信じられなかったなまえはジト目でなおも食い下がる。
「ほんとうに、ほんとぉーーに、それだけ?」
「なまえさんはそーんなにオレちゃんと契約したいんですか!実は!丁度撮りたい動画がありましてーー」と言うや否や、ブラックは嬉々として空中にノートパソコンを出した。サムネを作っているのだろうか。片手でキーボードをカタカタと叩き出したブラックに、なまえは「藪蛇だった」と苦い顔をした。なまえはブラックの手を止めるように慌ててお礼を言い、薔薇を両手で受け取った。ブラックも本気で契約云々と話していたわけではないのだろう、パソコンはその途端に消えた。
なまえは受け取った黒い薔薇を見つめる。薔薇は上葉を二枚だけ残し、他の葉や棘は処理がされているようだ。花枝に施された丁寧な処置を見て、なんだかなまえは嬉しくなってしまい目尻を下げた。たとえ胡散臭い悪魔からでも、人から花をプレゼントしてもらえるのはとても嬉しいことだから。学校の卒業の日、後輩から花束をもらった時以来である。はにかみながらなまえが改めてお礼を言おうとした時、ブラックが口を開いた。
「まあ確かに、なまえさんのご想像通り魔界の花なので、この薔薇には人間ならば触れるだけで肌が爛れ腐る様な猛毒があります!」
フリーズする。この悪魔は、今、なんと言っただろうか。……猛毒?
認識した途端、なまえは反射的に薔薇を投げ出そうとするが、手袋をしたブラックの手が薔薇を持っているなまえの両手をギュッと上から握り込むようにして押さえつけた。
「嫌っ!!離して!!!」
「カカカッ!なんて顔をしてるんですか!"本来なら"の話ですよ。この薔薇はきちんと処理をしましたから、今はもう人間界の薔薇とあまり変わりません。違いを挙げるなら生命力の強さでしょうか。なまえさん、先程からずっと薔薇を持っていますが何も問題ないでしょう?」
なまえは恐怖から目尻に涙を浮かべていたが、ブラックの言葉を咀嚼し飲み込んで、納得した。そういえばそうである。
なまえが冷静になると、もう花を投げ出したりしないと判断したのか、なまえの手を包み込んでいたブラックの手が離れる。恐る恐る薔薇を落とさないように掌を確認すると、何も異常は見られなかった。またしても揶揄われていたのである。しかし、もはや怒る気力なんてない。なまえはただひたすら疲れていたのだ。自分の手が無事なことに安堵の息を吐いた。
「ふむ、オレちゃんそんな酷いことをするって思われてるんです?」
「日頃の行いってやつですね。いつも変なことしてるから信用失くすんですよ。 ……ハクシュン!!」
「こんなところでいつまでも座り込んでるから身体が冷えちゃったみたいですね。人間は脆いんですから風邪ひいちゃいますよ?」
「風邪ひいたらブラックさんのせいですからね。私の代わりに会社に行ってもらいますから」
「カカカッ!それは嫌です!では風邪をひかないうちにはやく帰りましょう。送ってあげますよ。キミは腐っても女性です、何かあっては大変ですからね」
そう言ってブラックは立ち上がった。そして腰を曲げ、ブラックの言葉にムッとした様子のなまえに手を差し出す。しかし、なまえはその手を取ることはなかった。厳密にいうと、取れなかったのだ。
「…………腰が抜けて、立てません」
なまえのその言葉にブラックは目を丸くすると、堰が切れたかのようにドッと笑い出した。
「そんなに笑わないでくださいよ!誰のせいだと思って…!」
「ええ、はい、はい!オレちゃんのせいですね、すみません!では責任を持って、オレちゃんがなまえさんの家まで連れて行ってあげましょう!」
そういうとブラックはなまえを軽々と抱き上げた。所謂お姫様抱っこである。その事実に気づいたなまえは、異性に抱えられる恥ずかしさから頬をカッと熱く染め上げた。
ブラックの背中から大きなコウモリのような翼が飛び出し、空を飛んで帰るのか——と思いきや、何事もなかったかのように翼を引っ込める。空を飛ぶことに少しワクワクしていたなまえは拍子抜けした。
「あ、あれ?飛んで帰らないんですか?」
「うーん、そうするとなまえさんの身体がもっと冷えちゃいますからね。なまえさんに風邪をひかれると撮影スケジュールが崩れてしまいますので、今日は歩いて帰りましょうか」
そう言うや否や人を抱えているとは思えない軽やかな足取りでブラックは歩き出した。「勝手にスケジュールを組まれてる?」というなまえの疑問の声は当然のように無視された。
普段この男はなまえに対する扱いは雑だし、よく揶揄ってきたり、動画撮影と称してとんでもないことに巻き込んでくる。そういうことに巻き込まれるのはごめん被りたいが、なんやかんやブラックのことを憎からず思ってるというのがなまえの本音だった。何気なく呟いた独り言を覚えて花をプレゼントしてくれたり、薔薇の棘を怪我がしないように丁寧に取り除いてくれたり、人の体調を気遣うといった細やかさのある一面になまえの胸は温かくなっていた。たとえそれが気まぐれでも、スケジュールのためであっても、自分のことを想ってしてくれた行動はなまえの心に染みた。
この薔薇は、きちんとお世話をして、綺麗に手入れをして大切にしよう、と。ブラックの腕の中で花を見つめ、顔を綻ばせてニコニコするなまえ。そんな彼女を横目にブラックは目を細め、口角を吊り上げてうっそりと笑みを浮かべた。
「その薔薇、大切にしてくださいね」
普段と変わらない声の抑揚。なまえは気づかなかったが、今までブラックと苦楽を共にしてきたカメラちゃんは些細な違いに気がついた。カメラちゃんのレンズになまえを見つめるブラックの顔が小さく写る。ブラックの仄暗いその視線には、どろどろとした執着と熱情が秘められているようだった。
あとがき
混血のカレコレのチャンネル登録者数100万人突破お祝いステッカーのブラックから連想。
黒い薔薇の花言葉が"良"過ぎましたし、何よりブラックに似合いすぎる…
黒い薔薇の花言葉が"良"過ぎましたし、何よりブラックに似合いすぎる…
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