不思議の国のシンデレラ
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今日に限って、知り合いが来るとは思いもしていなかった。はるは自分の着ている服のエプロンをギュッと握り、マスターと談笑している男性たちを見る。大丈夫、気付いていない、とお酒をお客様へと運びながら、なるべく目立たないように気をつける。
お願い、このままお店が終わる時間になって、と願っていたはるの背中に、酔っ払っていつもよりややテンション高めな藤真の声が届いた。
「ねー!そこのメイドさんも一緒に話そーぜ!」
つい先程の願いがあっさりと散った。雇われの身だ。呼ばれたからには、行かない訳にはいかない。なんとなくマスターがニヤニヤしているような気がしてくるが、一歩、また一歩と近付くはるに、藤真は意地悪く言う。
「あれー?月野さんじゃん!何してんの、そんな格好で。」
セブンスヘブンの入っているグラスを手に、肩を揺らし笑う藤真と対照的に、粛々と日本酒の入ったお猪口を口に付ける花形を見ながら、自分が今日このバイト先で着ている服に後悔する。
セブンスヘブン。天国の第七階層。天国の最上階であり、天使が住んでいると言われているが、はるにとって今日の藤真はその真逆の悪魔に見えた。
「なんで…藤真君が?」
***
大学の講義を終え、いつも通り、バイトをするはずだった。
チェーン店の居酒屋のある少し先にあるこのバーは、はる自身が飲みにきたことがある場所で、その居心地の良さからマスターに頼み込んで雇ってもらったのだ。
大学から射程範囲内の駅にあるけれど、実際には流れていないジャズが流れているような落ち着いたお店は、静かな人しか来ないし、騒がしい連中、特に大学生なんかは安く飲める飲み放題のバーへ流れる為、余計にこの場所を気に入ってバイトを始めたのだ。
事実、はるの働いているバーに来る人たちは大学生でも落ち着いた人が多くて、目立ちたくないはるにとって働きやすい場所だと思っていた。
そんな場所のはずなのに、開店から2時間後、藤真によっていとも簡単にそこは華やかで賑やかな場所と化す。いや、元はと言えば、すごい懐かしいの出てきたんだ。月野ちゃん、今日これ着てみてよ、って言ったマスターが悪い。それに便乗したはるも悪いが、それさえなければはるだって普通に対応できたはずだ。マスターの言葉は提案であって、命令などではないことくらい分かってはいるけど、マスターのせいにせずにはいられなかった。
渡されたメイド服を着て、いつもなら軽くポニーテールをするのだが、可愛い衣装に嬉しくなったはるは、本物のメイドさんみたいかな?と髪を編み込みまとめてみた。うん、ちょっと似合ってるかもしれない、と常連客のお姉さんやおじさまたちに、可愛いって言われて浮かれていたのも自覚はある。
でも、でもだ。
同じゼミの学内でアイドル的な、人気者の子が来るなんて聞いてない。先程まで楽しく仕事をしていた気持ちが地に落ちた。
***
「なんでこの店知ってるの。」
肩を落としながら、二人に問いかけるはるの言葉に返答せずに、藤真はニヤリと笑った。
「やっぱ月野さんじゃん!ほらぁ、花形言っただろ、アレ絶対アイツだって。」
「俺に振るな。」
「何々ー!?二人、月野ちゃんと知り合いなの?」
マスターがノリよく二人に問いかける。
「そうそう、まぁ二人ってより、俺なんだけどね。」
同じゼミ。コイツと、と親指をはるに向ける藤真。
ポンっとマスターに肩を叩かれると、色々聞きたいけど、俺あっち相手するから月野ちゃん、こっちに居な?と背を向けられる。待って、と腕を伸ばすはるより早く立ち去ったマスターに、はるは絶望的な気持ちになる。
「ははは、振られてやんの!月野さんそのカッコ、まじ笑える。」
「マスター命令ですから……!!」
「うん?マスターと君は、できてるのか?」
「ち、違う!!もう変な方向に考えないでよ!!」
はるは二人に、マスターがここのバーを始める前は本格的なメイド喫茶をやっていて、たまたま今日、その頃の衣装が出てきてマスターに着てみれば?と言われたのだと力説する。
フンっと鼻を鳴らす勢いで語ったはるに二人は圧倒されながらも、藤真は納得顔で言う。
「なるほどね、だから萌え系じゃないんだ。」
「まぁ、だからそそるものがあると思うんだが。」
「え?何?花形、こういうのが好み?」
「うるさいよ、二人とも!!もっと落ち着いて飲んでよ!」
一番大きい声出してんの月野さんじゃん、とケタケタ笑う藤真。
物静かで、言い方は悪いが害のないはるが大きな声を出すことなんてあるんだ、と藤真は内心驚いたが、その反応が新鮮で余計に引き出してみたくなる。
「ねーねー、おかえりなさいご主人様って言ってみ?」
「ぜっっったいヤダ!」
「あ、てかおかわり。次、ギムレット!」
空になったグラスからチェリーを摘み、口の中に入れ、トンっとグラスを置く藤真に、潰れてしまえ!そして、今夜のことなど忘れてしまって欲しいと思いながらも、美味しいお酒を飲んで欲しくて、はるはマスターにお酒をお願いする。ひとしきり笑い終え、藤真はふーっと息をついた。
「あー、今日イチ、いや、今月イチくらいの面白さだわ、月野さん。」
「何が?」
トンっと少し強めに藤真の前にグラスを置き、二人を見る。
「だって、メイドなんて想像してなかった。花形、ありがとな!」
「俺はこの格好みたのは初めてだがな。」
花形の言葉に疑問の目を向けたはるに気付いた花形は補足する。
「俺はここ、初めてじゃないんだ。」
君がいない日もあったし、接点ないから覚えてなくて当然だけど、と続ける。
「そーそ、んで、俺がゼミの話してるときに、もしかしたら月野さんかもって連れてきてくれたんだよ。」
どうしてこんなヒエラルキーの頂点にいる人を!私なんかに会わせようと!?と思うはるの気持ちが透けて見え、花形は余計なことをしたかな、と呟いた。日本酒を嗜む花形をよそにペースの早い藤真は半分ほど飲み終えるとはるに問う。
「バイト、何時までなの。」
「えーっと、今日は2時までかな。」
「んな働いてんの?」
「週末だけね。普段は11時に上がらせて貰ってるよ。」
別に普段だって2時まで働いていいように講義を組めたのだが、学生なんだからというマスターの厚意で、平日は11時、と決まっているのだ。
「んじゃ、終わったら月野さんも合流な!」
「え、何で?」
「おもしれーじゃん。」
えぇぇ、そんな理由?と項垂れるはる。
「そもそも藤真君とはゼミ一緒なだけで、実際そんな話したことなくない?」
「だからおもしれーんだろ?はい、XYZーっ。」
またトンっとグラスを置く藤真の軽やかな声に気付いたマスターがポンっとはるの肩を叩いた。
「月野ちゃん。今日はもう上がっていいよ。」
「えっ!?でもまだ12時にもなってない!」
今日はシンデレラってことで、ね、王子、とマスターは藤真をチラリと見る。お酒に酔っているのか、少し頬を染めた藤真を横目に、マスターは、いいからいいから、と裏に続く戸へとはるを追いやる。週末だと普段なら、あともう少し開けてお客さん飲ませとこって言うマスターなだけに、まだまだ客入りのあるお店が心配になる。
「花形も付き合えよ!」
と言う藤真の声を最後に、押されるままパタリとドアを閉められた。もう少し、この洋服着てみたかったな、と藤真たちが来るまでは何気に楽しんでいただけに、ちょっとばかり残念な気持ちになる。ロッカーに入っているシンプルな私服ははるを現実へと引き戻し、これを着れば、いつもの垢抜けないはるができあがる。髪が纏められたままのその姿がアンバランスで、何を浮かれていたんだろうと、滑稽に思えた。
***
「あれ?友達は?」
カウンターで一人待つ藤真にはるは問いかける。
「あー、なんか彼女から連絡きたって。」
俺、彼女より位置低いんだよなー、と不貞腐れてる藤真から、花形を大切に思っている気持ちが見えてクスクスと笑ってしまう。
「何笑ってんだよ。ほら、行くぞ。」
マスターありがとー、とこのお店に似つかわしくない大きな声で言う藤真に、マスターはさらりと、またおいで〜、なんて言っている。いや、もう来なくていいから!と思うはるをよそに藤真ははるの腕を引く。
引かれるまま、お先に失礼します、と言うはるに夜はこれからだよーなんて珍しく声を張るマスターに驚きながら、藤真の後を着いていく。お店を出ると、パッと腕を離し、藤真がくるりと振り向いた。
「よし!で?どこ行く?」
「えっ!連れてってくれるんじゃないの?」
「ハァ?月野さんのが知ってるだろ?夜の街!」
いやいや、夜の街って。ここ、歓楽街じゃないんだからと呆れるはるをよそに、なんだかキラキラした目をしている藤真の期待に応えたくなる。
「じゃあ、あそこかな。」
と、着いた先はこれまたカクテルバーで、藤真はゲンナリする。バーが嫌なわけではないが、ダーツとかダイニングバーとか他にも選択肢がある程にはお店はあるはずなのに、まさかの梯子。
「俺、さっきXYZ飲んだよな。」
「ん?だから?」
「月野さん、バーで働いてるのに意味知らねーのかよ。…まぁいいや。何飲む?」
はるの働いているバーと似たように落ち着いた雰囲気のお店は、マスターのお店と違い、半個室になっている。
一度だけマスターに連れてきて貰ったはるは、それが藤真になるとは想像もしていなかったが、いつかここで誰かと飲みたいと思っていたのだ。
「んー、シャンディガフかな。」
「えー、ビール割るなんてお子ちゃまだな。」
本当はビールが飲みたかったはるだが、先程からお店でカクテルばかり飲む藤真に、少し引け目を感じ、少しでもカクテル感を、と頼んだつもりだった。
「とりあえず月野さんはアイオープナーね。」
飲んだことないなとメニューを見る。
「…ラムベース?あんま飲まないんだけど。」
「奢ってやるからいいだろ?」
誰も奢ってなんて言ってないのに、とはるは思いながらも飲んだことのないカクテルをどんなものだろうと心待ちにする。
「藤真君は?」
「俺はスクリュードライバー。」
「えー、そっちのが飲みたい。交換しよ?」
「ダメ。」
間髪入れず、むしろ食い気味に言う藤真は器用におしぼりをアヒルさんの形にするとテーブルに置いた。
普段隣に座ることがないからか、隣同士並ぶこの距離感が変な感じで、はるを非現実な世界へと連れ込むように、藤真はカチリとグラスを合わせ乾杯をした。
「うん、独特。」
恐る恐る一口飲んで、正直、あまり美味しいとは言えないカクテルは藤真の手によって取り上げられ、あろうことか藤真はそれに口を付けると喉を鳴らす。間接キスでキャーキャー言うような歳ではないが、その仕草にドキッとする。
「この独特なパンチのある味がいいんだろ。まぁ、ちょっと重たかったか。」
「何が?」
「意味が。」
ピンときていないはるにハァとため息を吐き、バーテンを呼び新しいお酒を頼む。
「月野さん、あのバーでいつから働いてるの?」
「4ヶ月くらい前かなぁ?」
「へー。マスターとは仲良いの?」
「うん。ここ、教えてくれたのもマスターだし。」
「…二人で来たの?」
「そうだけど?」
琥珀色のお酒がはるの前に置かれると、藤真はそれを取り上げる。
「???私のじゃないの?」
じゃあ、とバーテンを呼ぼうとするはるの肩に藤真がトンっと頭を乗せる。
「他の男に連れてきてもらったとこに連れてくるって。」
何なんだよ、もう、と不機嫌な声が隣から聞こえて来る。はるの方から藤真の表情は見えないが、サラサラの髪からはいい匂いがして、更に距離が近くなったことを示していた。藤真は動かずに口を開く。
「大体、誘われたからってホイホイ着いてくるなよ。」
「え?」
「しかもこんな雰囲気いいバーに連れてきちゃってさ、期待するだろ。」
呟く藤真にも、はるが今、どんな顔をしながら自分の話を聞いているのか分からない。ジーパン、大きめのゆるいシャツ、スニーカー。大体いつもこの格好。髪は染めてないし、メイクも薄い。他の生徒と違い着飾らないはるは、誰に対しても同じように接していて、いつも色眼鏡をかけて見られる藤真にとって、それが心地良かった。同じゼミなのにゼミの飲みにもあんまり参加しないし、話をしてもその先は見えず、仲良くなるタイミングもなかった。普段何してるんだろうと思っていた矢先、花形から最近見つけたバーにはるがいるかもしれないと聞いてやって来たのだ。
「あのカッコも反則。」
着いた瞬間に気付いたけど、普段の姿とのギャップに、既にお酒は飲んできていたのだが、これは酔わなきゃ話せないと感じた藤真はなかなか声が掛けれなかった。情けないなとため息を吐けば、情けなさが余計濃くなった気がした。
「藤真君。ごめんだけど、私展開についていけてない。」
好意があることを伝えているつもりなのに、ただのゼミ仲間って思われてることが何だか悔しい藤真は、頭を上げると、何の話をしてるの?とはるが怪訝そうな顔で藤間を見つめいていて、鈍いやつだなとアプリコットフィズのグラスをはるの手前に置く。
「このカクテルのカクテル言葉って知ってるか?」
首をふるふると横に振るはるに口の端をあげながら言う。
「帰ったら調べてみろよ。」
「えっ!すごい気になるじゃん。」
スマホを取り出すはるの手を掴み、ダーメ、と悪戯に笑う。
「今調べるの禁止。」
家に帰って調べたとき、はるは少しは意識してくれるだろうか。藤真は知りたくてウズウズしているはるにたたみかける。
「マスターと二人でどこか行くのも禁止。」
「えぇ!?」
「メイド服も禁止。」
もう着るなよ、と釘を刺す。
「あと、バイトの後、一人で帰るのも禁止ね。」
言いたいことを全て吐き出した藤真は、飲めよ、とはるがスマホを触らないようにグラスをその手に掴ませる。
「何なの、その禁止事項?」
まるで自分の彼氏かのように決まり事を作る藤真に、不思議な視線を投げかける。
「よし!それ飲んだら送ってく。」
「えっ!?っていうか、さっきのやつ何なの?」
「んで、送ったお礼と奢ったお礼に、明日の昼から俺に付き合うこと!」
はるの疑問なんて聞きもせず、話をすすめる藤真はどこか楽しそうだ。
「見繕ってやるよ、月野さんに似合う服。」
スクリュードライバーをゴクリと飲み、藤真ははるの顔を見ると、やっぱりどこか蚊帳の外にいるはるに言う。
「デートしよ、って言ってるんだけど。明日迎えに行くから、いつもの服着て待ってろよ。」
有無も言わさず約束を取り付ける藤真にキョトンとしていたはるは、デートという言葉に頬を赤らめた。それはお酒からくるものではないだろうと藤真は嬉しくなり、もう一言付け足した。
「帰る頃には俺に似合う女にしてやるよ。」
フフンと機嫌よくお酒をを飲み干すと、ほら行くぞ、とまだ飲みかけのはるのグラスを置くと、出口へと向かう。
「待ってよ、藤真君!!私、飲み終わってない!」
「月野さんマイペース過ぎて待ってらんねーよ。」
「ごめん…。でも、私まだ全然話に追いつけてないんだけど!」
「じゃあ早く追いついて。」
綺麗に笑う藤真は、まだその場で立ち上がることしかできていないはるを待つ。主導権は握った。ゲームメイクはここからだ。
「ねぇ、何でマスターと二人でどこか行っちゃダメなの?」
その言葉に、まだそこかよ、と呆れながらも笑う藤真は、全然振り向いてくれなさそうなゼミ仲間を、これからどうやって楽しませてあげようかと考えながら、少しずつ会話を追ってくるはるを部屋へと送り届けるのだった。
お願い、このままお店が終わる時間になって、と願っていたはるの背中に、酔っ払っていつもよりややテンション高めな藤真の声が届いた。
「ねー!そこのメイドさんも一緒に話そーぜ!」
つい先程の願いがあっさりと散った。雇われの身だ。呼ばれたからには、行かない訳にはいかない。なんとなくマスターがニヤニヤしているような気がしてくるが、一歩、また一歩と近付くはるに、藤真は意地悪く言う。
「あれー?月野さんじゃん!何してんの、そんな格好で。」
セブンスヘブンの入っているグラスを手に、肩を揺らし笑う藤真と対照的に、粛々と日本酒の入ったお猪口を口に付ける花形を見ながら、自分が今日このバイト先で着ている服に後悔する。
セブンスヘブン。天国の第七階層。天国の最上階であり、天使が住んでいると言われているが、はるにとって今日の藤真はその真逆の悪魔に見えた。
「なんで…藤真君が?」
***
大学の講義を終え、いつも通り、バイトをするはずだった。
チェーン店の居酒屋のある少し先にあるこのバーは、はる自身が飲みにきたことがある場所で、その居心地の良さからマスターに頼み込んで雇ってもらったのだ。
大学から射程範囲内の駅にあるけれど、実際には流れていないジャズが流れているような落ち着いたお店は、静かな人しか来ないし、騒がしい連中、特に大学生なんかは安く飲める飲み放題のバーへ流れる為、余計にこの場所を気に入ってバイトを始めたのだ。
事実、はるの働いているバーに来る人たちは大学生でも落ち着いた人が多くて、目立ちたくないはるにとって働きやすい場所だと思っていた。
そんな場所のはずなのに、開店から2時間後、藤真によっていとも簡単にそこは華やかで賑やかな場所と化す。いや、元はと言えば、すごい懐かしいの出てきたんだ。月野ちゃん、今日これ着てみてよ、って言ったマスターが悪い。それに便乗したはるも悪いが、それさえなければはるだって普通に対応できたはずだ。マスターの言葉は提案であって、命令などではないことくらい分かってはいるけど、マスターのせいにせずにはいられなかった。
渡されたメイド服を着て、いつもなら軽くポニーテールをするのだが、可愛い衣装に嬉しくなったはるは、本物のメイドさんみたいかな?と髪を編み込みまとめてみた。うん、ちょっと似合ってるかもしれない、と常連客のお姉さんやおじさまたちに、可愛いって言われて浮かれていたのも自覚はある。
でも、でもだ。
同じゼミの学内でアイドル的な、人気者の子が来るなんて聞いてない。先程まで楽しく仕事をしていた気持ちが地に落ちた。
***
「なんでこの店知ってるの。」
肩を落としながら、二人に問いかけるはるの言葉に返答せずに、藤真はニヤリと笑った。
「やっぱ月野さんじゃん!ほらぁ、花形言っただろ、アレ絶対アイツだって。」
「俺に振るな。」
「何々ー!?二人、月野ちゃんと知り合いなの?」
マスターがノリよく二人に問いかける。
「そうそう、まぁ二人ってより、俺なんだけどね。」
同じゼミ。コイツと、と親指をはるに向ける藤真。
ポンっとマスターに肩を叩かれると、色々聞きたいけど、俺あっち相手するから月野ちゃん、こっちに居な?と背を向けられる。待って、と腕を伸ばすはるより早く立ち去ったマスターに、はるは絶望的な気持ちになる。
「ははは、振られてやんの!月野さんそのカッコ、まじ笑える。」
「マスター命令ですから……!!」
「うん?マスターと君は、できてるのか?」
「ち、違う!!もう変な方向に考えないでよ!!」
はるは二人に、マスターがここのバーを始める前は本格的なメイド喫茶をやっていて、たまたま今日、その頃の衣装が出てきてマスターに着てみれば?と言われたのだと力説する。
フンっと鼻を鳴らす勢いで語ったはるに二人は圧倒されながらも、藤真は納得顔で言う。
「なるほどね、だから萌え系じゃないんだ。」
「まぁ、だからそそるものがあると思うんだが。」
「え?何?花形、こういうのが好み?」
「うるさいよ、二人とも!!もっと落ち着いて飲んでよ!」
一番大きい声出してんの月野さんじゃん、とケタケタ笑う藤真。
物静かで、言い方は悪いが害のないはるが大きな声を出すことなんてあるんだ、と藤真は内心驚いたが、その反応が新鮮で余計に引き出してみたくなる。
「ねーねー、おかえりなさいご主人様って言ってみ?」
「ぜっっったいヤダ!」
「あ、てかおかわり。次、ギムレット!」
空になったグラスからチェリーを摘み、口の中に入れ、トンっとグラスを置く藤真に、潰れてしまえ!そして、今夜のことなど忘れてしまって欲しいと思いながらも、美味しいお酒を飲んで欲しくて、はるはマスターにお酒をお願いする。ひとしきり笑い終え、藤真はふーっと息をついた。
「あー、今日イチ、いや、今月イチくらいの面白さだわ、月野さん。」
「何が?」
トンっと少し強めに藤真の前にグラスを置き、二人を見る。
「だって、メイドなんて想像してなかった。花形、ありがとな!」
「俺はこの格好みたのは初めてだがな。」
花形の言葉に疑問の目を向けたはるに気付いた花形は補足する。
「俺はここ、初めてじゃないんだ。」
君がいない日もあったし、接点ないから覚えてなくて当然だけど、と続ける。
「そーそ、んで、俺がゼミの話してるときに、もしかしたら月野さんかもって連れてきてくれたんだよ。」
どうしてこんなヒエラルキーの頂点にいる人を!私なんかに会わせようと!?と思うはるの気持ちが透けて見え、花形は余計なことをしたかな、と呟いた。日本酒を嗜む花形をよそにペースの早い藤真は半分ほど飲み終えるとはるに問う。
「バイト、何時までなの。」
「えーっと、今日は2時までかな。」
「んな働いてんの?」
「週末だけね。普段は11時に上がらせて貰ってるよ。」
別に普段だって2時まで働いていいように講義を組めたのだが、学生なんだからというマスターの厚意で、平日は11時、と決まっているのだ。
「んじゃ、終わったら月野さんも合流な!」
「え、何で?」
「おもしれーじゃん。」
えぇぇ、そんな理由?と項垂れるはる。
「そもそも藤真君とはゼミ一緒なだけで、実際そんな話したことなくない?」
「だからおもしれーんだろ?はい、XYZーっ。」
またトンっとグラスを置く藤真の軽やかな声に気付いたマスターがポンっとはるの肩を叩いた。
「月野ちゃん。今日はもう上がっていいよ。」
「えっ!?でもまだ12時にもなってない!」
今日はシンデレラってことで、ね、王子、とマスターは藤真をチラリと見る。お酒に酔っているのか、少し頬を染めた藤真を横目に、マスターは、いいからいいから、と裏に続く戸へとはるを追いやる。週末だと普段なら、あともう少し開けてお客さん飲ませとこって言うマスターなだけに、まだまだ客入りのあるお店が心配になる。
「花形も付き合えよ!」
と言う藤真の声を最後に、押されるままパタリとドアを閉められた。もう少し、この洋服着てみたかったな、と藤真たちが来るまでは何気に楽しんでいただけに、ちょっとばかり残念な気持ちになる。ロッカーに入っているシンプルな私服ははるを現実へと引き戻し、これを着れば、いつもの垢抜けないはるができあがる。髪が纏められたままのその姿がアンバランスで、何を浮かれていたんだろうと、滑稽に思えた。
***
「あれ?友達は?」
カウンターで一人待つ藤真にはるは問いかける。
「あー、なんか彼女から連絡きたって。」
俺、彼女より位置低いんだよなー、と不貞腐れてる藤真から、花形を大切に思っている気持ちが見えてクスクスと笑ってしまう。
「何笑ってんだよ。ほら、行くぞ。」
マスターありがとー、とこのお店に似つかわしくない大きな声で言う藤真に、マスターはさらりと、またおいで〜、なんて言っている。いや、もう来なくていいから!と思うはるをよそに藤真ははるの腕を引く。
引かれるまま、お先に失礼します、と言うはるに夜はこれからだよーなんて珍しく声を張るマスターに驚きながら、藤真の後を着いていく。お店を出ると、パッと腕を離し、藤真がくるりと振り向いた。
「よし!で?どこ行く?」
「えっ!連れてってくれるんじゃないの?」
「ハァ?月野さんのが知ってるだろ?夜の街!」
いやいや、夜の街って。ここ、歓楽街じゃないんだからと呆れるはるをよそに、なんだかキラキラした目をしている藤真の期待に応えたくなる。
「じゃあ、あそこかな。」
と、着いた先はこれまたカクテルバーで、藤真はゲンナリする。バーが嫌なわけではないが、ダーツとかダイニングバーとか他にも選択肢がある程にはお店はあるはずなのに、まさかの梯子。
「俺、さっきXYZ飲んだよな。」
「ん?だから?」
「月野さん、バーで働いてるのに意味知らねーのかよ。…まぁいいや。何飲む?」
はるの働いているバーと似たように落ち着いた雰囲気のお店は、マスターのお店と違い、半個室になっている。
一度だけマスターに連れてきて貰ったはるは、それが藤真になるとは想像もしていなかったが、いつかここで誰かと飲みたいと思っていたのだ。
「んー、シャンディガフかな。」
「えー、ビール割るなんてお子ちゃまだな。」
本当はビールが飲みたかったはるだが、先程からお店でカクテルばかり飲む藤真に、少し引け目を感じ、少しでもカクテル感を、と頼んだつもりだった。
「とりあえず月野さんはアイオープナーね。」
飲んだことないなとメニューを見る。
「…ラムベース?あんま飲まないんだけど。」
「奢ってやるからいいだろ?」
誰も奢ってなんて言ってないのに、とはるは思いながらも飲んだことのないカクテルをどんなものだろうと心待ちにする。
「藤真君は?」
「俺はスクリュードライバー。」
「えー、そっちのが飲みたい。交換しよ?」
「ダメ。」
間髪入れず、むしろ食い気味に言う藤真は器用におしぼりをアヒルさんの形にするとテーブルに置いた。
普段隣に座ることがないからか、隣同士並ぶこの距離感が変な感じで、はるを非現実な世界へと連れ込むように、藤真はカチリとグラスを合わせ乾杯をした。
「うん、独特。」
恐る恐る一口飲んで、正直、あまり美味しいとは言えないカクテルは藤真の手によって取り上げられ、あろうことか藤真はそれに口を付けると喉を鳴らす。間接キスでキャーキャー言うような歳ではないが、その仕草にドキッとする。
「この独特なパンチのある味がいいんだろ。まぁ、ちょっと重たかったか。」
「何が?」
「意味が。」
ピンときていないはるにハァとため息を吐き、バーテンを呼び新しいお酒を頼む。
「月野さん、あのバーでいつから働いてるの?」
「4ヶ月くらい前かなぁ?」
「へー。マスターとは仲良いの?」
「うん。ここ、教えてくれたのもマスターだし。」
「…二人で来たの?」
「そうだけど?」
琥珀色のお酒がはるの前に置かれると、藤真はそれを取り上げる。
「???私のじゃないの?」
じゃあ、とバーテンを呼ぼうとするはるの肩に藤真がトンっと頭を乗せる。
「他の男に連れてきてもらったとこに連れてくるって。」
何なんだよ、もう、と不機嫌な声が隣から聞こえて来る。はるの方から藤真の表情は見えないが、サラサラの髪からはいい匂いがして、更に距離が近くなったことを示していた。藤真は動かずに口を開く。
「大体、誘われたからってホイホイ着いてくるなよ。」
「え?」
「しかもこんな雰囲気いいバーに連れてきちゃってさ、期待するだろ。」
呟く藤真にも、はるが今、どんな顔をしながら自分の話を聞いているのか分からない。ジーパン、大きめのゆるいシャツ、スニーカー。大体いつもこの格好。髪は染めてないし、メイクも薄い。他の生徒と違い着飾らないはるは、誰に対しても同じように接していて、いつも色眼鏡をかけて見られる藤真にとって、それが心地良かった。同じゼミなのにゼミの飲みにもあんまり参加しないし、話をしてもその先は見えず、仲良くなるタイミングもなかった。普段何してるんだろうと思っていた矢先、花形から最近見つけたバーにはるがいるかもしれないと聞いてやって来たのだ。
「あのカッコも反則。」
着いた瞬間に気付いたけど、普段の姿とのギャップに、既にお酒は飲んできていたのだが、これは酔わなきゃ話せないと感じた藤真はなかなか声が掛けれなかった。情けないなとため息を吐けば、情けなさが余計濃くなった気がした。
「藤真君。ごめんだけど、私展開についていけてない。」
好意があることを伝えているつもりなのに、ただのゼミ仲間って思われてることが何だか悔しい藤真は、頭を上げると、何の話をしてるの?とはるが怪訝そうな顔で藤間を見つめいていて、鈍いやつだなとアプリコットフィズのグラスをはるの手前に置く。
「このカクテルのカクテル言葉って知ってるか?」
首をふるふると横に振るはるに口の端をあげながら言う。
「帰ったら調べてみろよ。」
「えっ!すごい気になるじゃん。」
スマホを取り出すはるの手を掴み、ダーメ、と悪戯に笑う。
「今調べるの禁止。」
家に帰って調べたとき、はるは少しは意識してくれるだろうか。藤真は知りたくてウズウズしているはるにたたみかける。
「マスターと二人でどこか行くのも禁止。」
「えぇ!?」
「メイド服も禁止。」
もう着るなよ、と釘を刺す。
「あと、バイトの後、一人で帰るのも禁止ね。」
言いたいことを全て吐き出した藤真は、飲めよ、とはるがスマホを触らないようにグラスをその手に掴ませる。
「何なの、その禁止事項?」
まるで自分の彼氏かのように決まり事を作る藤真に、不思議な視線を投げかける。
「よし!それ飲んだら送ってく。」
「えっ!?っていうか、さっきのやつ何なの?」
「んで、送ったお礼と奢ったお礼に、明日の昼から俺に付き合うこと!」
はるの疑問なんて聞きもせず、話をすすめる藤真はどこか楽しそうだ。
「見繕ってやるよ、月野さんに似合う服。」
スクリュードライバーをゴクリと飲み、藤真ははるの顔を見ると、やっぱりどこか蚊帳の外にいるはるに言う。
「デートしよ、って言ってるんだけど。明日迎えに行くから、いつもの服着て待ってろよ。」
有無も言わさず約束を取り付ける藤真にキョトンとしていたはるは、デートという言葉に頬を赤らめた。それはお酒からくるものではないだろうと藤真は嬉しくなり、もう一言付け足した。
「帰る頃には俺に似合う女にしてやるよ。」
フフンと機嫌よくお酒をを飲み干すと、ほら行くぞ、とまだ飲みかけのはるのグラスを置くと、出口へと向かう。
「待ってよ、藤真君!!私、飲み終わってない!」
「月野さんマイペース過ぎて待ってらんねーよ。」
「ごめん…。でも、私まだ全然話に追いつけてないんだけど!」
「じゃあ早く追いついて。」
綺麗に笑う藤真は、まだその場で立ち上がることしかできていないはるを待つ。主導権は握った。ゲームメイクはここからだ。
「ねぇ、何でマスターと二人でどこか行っちゃダメなの?」
その言葉に、まだそこかよ、と呆れながらも笑う藤真は、全然振り向いてくれなさそうなゼミ仲間を、これからどうやって楽しませてあげようかと考えながら、少しずつ会話を追ってくるはるを部屋へと送り届けるのだった。
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