君に同居要請
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タクシーで走ること20分。財布に響くが、大阪へ行くことに比べればなんてことはない。強いて言うなら、もう少し早く教えてくれれば、夕飯だって一緒に食べれたのに、とはるは目的地であるビジネスホテルのロビーを通り抜けた。
「1128」
数字のみ入力されたLINEは既読スルーしたまま、その数字の扉の前に立ち、前髪を整え、一呼吸し、はるが扉を叩くと、ガチャリと扉が開かれて、彼氏である南が出迎えてくれた。
「久しぶりやな。」
「うん。久しぶり。」
「突っ立ってんといて、中入りぃ。」
くるりと背を向けた南の匂いがはるの鼻をくすぐり、その背中にギュッとしがみつく。
「会いたかった。」
「嘘やろ。さっきまで画面に目もくれへんかったのに。」
「だって、本物に会えると思ってなかった。」
「本物て。」
画面の中のも本物やろ、と抱きついているはるの腕をほどき、ベッドに座らせる。
「なんでこっちに来てたのに言ってくれなかったの?」
「急やったし。金曜やし。」
「金曜が何か関係ある?」
「他の男と会うとるかもと思っててん。」
あ、なんか飲むか?と聞いておきながら、当たり前のようにはるの好きな銘柄のお茶を差し出してくれる南とは、もうかれこれ7年くらいの付き合いになる。そのうち5年は遠距離恋愛で、今年流行ったリモート飲み会なんかは先取りしており、お互いの予定がない限り、ここ数年、ほぼ毎日と言っていいほどビデオ通話をしていた。
「いや、さっきまで話してたじゃん。」
「話してへん。アレは生活音っちゅうYouTubeで配信されとるようなもん聞いとるだけやった。」
「ハハハ、ASMRみたいな感じ?心地良い?私の生活音。」
「自分で言ぃなや。」
ムスッとする南だって、普段は殆ど喋らない。仕事が終わるのが早い方がLINEで伝え、遅い方が電話をかけ、ただいまから始まる二人の電話は、その挨拶の時こそ顔を合わせるが、それ以外は寝る前までほぼ置きっぱなしで、南の言った通り、生活音が垂れ流しなのである。
会話がない訳ではなく、お互いの仕事について話す時もあるし、一緒に見ているテレビを実況したりゲームを一緒にしたり、くだらない話だってもちろんする。そしてたまには、恋人同士らしくエッチなこともする。めんどくさ、と南は文句を言いつつも、はるが寂しくならないように電話に付き合ってくれるから、会えないことを除いて不安や不満はない。だけど、結婚や出産をする人が周りに多くなってくる中、はるは先のことを考えてしまう。この関係がずっと続いてしまうのかと。
「ちょっと!どこ触ってるの!」
「えぇやん。久しぶりの本物やで。」
ニヤリと笑いながらゆっくりとはるを押し倒す。
「画面上じゃ、はるに触れへんからな。」
最後に会えたのは、8月だった。南が車で都内まできてくれたのだ。コロナで世間が自粛ムードになる前に会ったのが1月だったから、半年以上会えていなかった。この5年間、月に1回、少なくとも2ヶ月に1回は大阪か東京で会っていた二人は、今年はそれが叶わず、南が訪れてくれた時から、まさか3ヶ月後の11月に会えるとは思っていなかっただけに、はるは嬉しくもあり、また、内緒にされていたことが少し気掛かりでもあった。
***
南と会えてから1週間。はるは一人の金曜日を迎えていた。出張で来たと言っていた南は、翌日のチェックアウトと同時に大阪へと帰ってしまった。仕事片付けなアカン、とホテルの前で別れ、週末一緒に過ごせると思っていたはるは少し寂しくなった。その寂しさはこの1週間ずっと続いており、仕事が忙しい、と帰りが遅くなった南とはいつもする電話も短くなっていた。
仕事を終え、自宅に着いたはるはお風呂に入り、軽いおツマミを作り、正に今、口に運ぼうとした瞬間に携帯が鳴った。着信は南からではるは電話にでる。
「ただいま。」
「おかえり。今日は早かったね。」
「おん。はる、何しとん。」
「今ちょうどご飯食べるとこ。」
そう言いながら、画面におツマミを映すと、フッと南が笑った。
「はるの手料理、久しぶりに食いたいなぁ。ちょう持ってき。」
「アハハ、作ってあげたいのは山々なんだけど、そっちに着く頃にはもう寝る時間になっちゃうよ。」
「やから、持ってきぃって。俺、今東京におんねんけど。」
「はっ?」
「今週も出張。」
「え?先週も来たのに?」
「急な出張やねん。」
二週連続で?急な出張?とはるは訝しげな瞳で画面上の南を見つめるが、南は涼しい顔をしながらはるを見つめている。そもそも出張って、今まで聞いたことがないし、この状況の中、そんなに都合よく東京出張があるものなのだろうか、とはるは考えつつも、二週連続で会えることが嬉しくて、あまり深く考えないようにした。
「お風呂入っちゃった。」
「スッピンやったらメガネやろ?マスクしてメガネかけとったら、化粧せんでも大丈夫やろ。」
そういう問題ではない。大好きな人に会えるのだ。少しでも可愛い自分でいたい。でもメイクをするその時間は惜しい。いつでも会える相手じゃないなら尚更、1秒でも早く会いたい。そう思っていたのは南も同じようで、迷っているはるに問いかける。
「どうせすぐ落とすことになるんやし、早よこっち来いや。」
「えっ?場所は?」
「この間と一緒んとこ。部屋は違うから番号送っとくわ。」
ツマミ持ってきてな、という南の言葉を最後に二人は通話を終えた。
部署でも変わったのだろうか。でも南から異動の話なんて聞いたことはない。悶々としながらはるはタッパーにおツマミを移し終えると、部屋着から外着に着替え、マスクをし、かけていたメガネはそのままに、財布を掴むと部屋を飛び出した。
***
部屋に着くと、お風呂に入ったのか、まだ髪の濡れている南が出迎えてくれた。髪を乾かしている間に、はるはおツマミと、それだけでは足りないと思って持ってきた作り置きの品を机に並べる。
「うまそ。なんや、色々作ってたん?」
「ううん、こっちは作り置き。」
「それも持ってきてくれたんや。気ぃ利くやん。」
はるはええ嫁さんになれそうやなー、と頭をぽんぽんと撫でる。いい嫁さん、という言葉にはるは照れながらも、結婚とかそういうことを考えているのだろうかと南を見つめた。そんな視線を気にもせず、南はかぼちゃの煮物を箸で掴むと口に放る。
「うまっ。こういうん普段食べへんから嬉しい。」
しかもはるの手料理やし、と南は付け足す。
「でも烈も自分で料理することあるでしょ?」
「まぁなぁ。でも炒飯とか豚キムチとか男飯ばっかやけどな。」
「充分だよ。」
南がパクパクとはるの料理を食べるのを、目を細めながら見つめるはる。いつもこうやって、一緒にご飯が食べれたらいいのにな、と何をするにも、南がいたら、南だったら、南と一緒に、と考えてしまうはるは、いつからか言えなくなってしまった言葉がつい口から溢れてしまった。
「烈のお嫁さんになれたらいいのにな…。」
一瞬目を見開いた南は、食べていた箸を置き、お茶を一口飲むとはるに向き合う。
「久々聞ぃたな、その台詞。」
「久々に言ってみました。……ごめん。」
「………なんで謝るん?」
「だって烈、これ言うといつも困った顔してたから。」
そう、今だって。南は困ったようにはるの頭を撫でながら、視線を外し、どうやって誤魔化そうか考えている。その顔を見るのが嫌で、困らせてしまうことが嫌で、いつからかはるは結婚を連想させるようなことは言わなくなった。南は基本、はるに対してとても優しいし、どんな我儘を言っても喧嘩になることは滅多になかった。だからこそ、この5年間、離れていても付き合ってこれた。そして、こういうことを言うとはるを傷付けないように、南は優しい言葉を言って、はるを安心させてくれる。だけどそういう優しさは、とてつもなく傷付けられる。
せっかく会えたのに、水を差すようなことを言ってしまったことに後悔したはるは、南が撫でている手を止めると、後少しだから食べよう、と笑顔で箸を持たせる。南は困った顔をしながら箸を受け取ると、また料理を食べ始めた。
「ごちそーさん。」
また作ってや、と言おうとしたけど辞めた。その言葉を言うと、何も知らないはるはきっと傷付く。傷付く顔が見たくて、東京に来た訳じゃない。内容など頭に入っていないであろうテレビをぼーっと見ているはるの後ろ姿に、どうしたものかと考えながら、南は歯磨きをする。シャコシャコという音とはるが見ているテレビの音だけが部屋の中で響いていた。
言葉の見つからない南は歯磨きを終えると、テレビのスイッチを切り、はるに口付け、何も聞きたくないと思っていたはるは黙ってそれを受け入れる。南は何も言わないけれど、いつもより優しく触れるその指先から、はるを傷付けまいとする気持ちが伝わってきて、はるはやっぱり言うんじゃなかったとこぼれそうな涙をグッと堪える。ここで泣いてしまったら、ただの面倒くさい女になってしまう。だけどやっぱり堪えきれず、行為が終わった後、南に背を向けるとバレないように涙を流した。そんなはるを背後から優しく抱きしめて、南はその涙を拭ってあげたい気持ちを我慢して気付かないふりをしながら眠りについた。
***
あれから数日が経った。その前の週と同じように、仕事片付けな、と翌日大阪へと戻って行った南と、はるはもう会えないような気がしていた。どんどん短くなる電話とぎこちない会話。今までこんなことがなかっただけに、はるは不安で仕方なかった。そんな木曜日の22時過ぎ、いつものようにはるの携帯が鳴った。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
今夜は今週の中で1番早く電話が来たな、とはるは思った。
「はる、今週の土曜日、何するん?」
「特に何も予定はないけど。」
良かった、と安堵の表情を見せた南は、昨日までの雰囲気と違い、何か吹っ切れたような顔に見えた。そして次の言葉にはるは素っ頓狂な返事をすることとなる。
「土曜日、そっちに行くんやけど。」
「はっ、ハァっ!?」
「あ、出張ちゃうで。はるに会いに行くんや。」
「いや、意味分かんないよ、烈。2週連続で出張の次は、意味もなくこっちに?」
「………意味なら会うた時に教えたる。」
はぁ?とまたしても疑問の声ではるは返事する。
「……まぁいいや。」
「おん。後で泊まる場所送ったるわ。」
「え?うちに泊まるんじゃないの?」
「それじゃアカンねん。土曜日は久しぶりにデートしよ。」
また明日連絡するわ、とはるが質問をする隙も与えず、一方的にブチリと通話を切られた。デートと泊まる場所が何の関係があるのだろうか、と思ったはるは気付いてしまった。南はきっと、はるに別れを切り出すつもりだろう。だからはるの部屋に泊まるのがダメなのだ。意外と真面目な南のことだ。別れを伝えるのも、電話とかではなく、きちんとしてくれようとしているのかもしれない。
「そういう優しさって、ほんと傷付く…。」
もう繋がっていないスマホに向かってはるは呟く。あと2日したら長年付き合ってきた大好きな人と別れなければならないかもしれない。冷たく突き放された方が、スッキリ別れらるかもしれないのに、最後にデートってどういうテンションで望めばいいのだろうか。この7年間の色々な思い出が脳内を駆け巡る。気付けばいつもはるの心に寄り添ってくれていた南と別れることなんてできるのだろうか。南との電話や、会える前の楽しみな時間、会えた時の喜びがなくなってしまうことは、とてつもない虚無感を生み出しそうで、想像もつかないことにはるは怯えながらも、南の決めたことなら最後も楽しまないと、とはるはクローゼットを開き、お気に入りの洋服を取り出した。
***
土曜日の15時前、はるは目的地に行くために電車に揺られていた。南から送られてきたLINEを穴があくほど見つめる。そこには
「浜松町駅南口に15時集合で。ホテルはコンチネンタルな!」
とだけ書かれていた。そのLINEは金曜の夜に送られてきており、その日は電話もなく何の連絡もないまま、今、この時間に至っている。先週、先々週の安いビジネスホテルから格段にレベルの上がったホテルに、南は一体何を考えているのだろうとLINEを見続けているのだが、そこから先は何も補足はされず、はるは途方に暮れるばかりだった。
別れる、つもりではないのかも、と少しばかり期待するも、期待して裏切られた時のことを考えると何十倍にもなって傷付きそうで、モヤモヤとしながら浜松町駅の南口へ降り立った。
人混みの中でスーツを着た南が目に止まる。久しぶりに見た南のスーツ姿にふと足を止めて、南を見つめる。スーツの上からチェスターコートを羽織り、腕時計をチラチラと見ている。背の高い南のスタイルに似合っていて、鮮やかなネクタイで個性を出している。
見惚れちゃうな、とはるは黒の膝上丈のワンピースの上に羽織った、お気に入りのベージュのシャツワンピをギュッと握りしめながら、ニーハイブーツのヒールを鳴らし南へと近付くと、南がパッと顔を上げはるの名前を呼んだ。
「待った?」
「さっき来たとこ。なんや今日めっちゃ気合い入っとるやん。」
「そんなことない。烈こそどうしたの?スーツなんか着て。」
「…人と、会うとった。」
何となく歯切れの悪いスーツを着た南に、もしかして、とはるは問いかける。
「お見合い、とか?」
不安げな顔をするはるとは対照的に南はブハッと吹き出す。
「何なん、それ。ほら、行くで。」
先を歩く南の後を着いていく。少し歩くと、ここ寄ってこか、と庭園を指差す。入園すると、大きく伸びをしてコートを脱いだ南ははるの鞄を手に取ると、空いた方の手ではるの手を握る。こうやって、2人でのんびり歩くのはかなり久しぶりで、はるの表情も段々と明るくなってきた。特に会話もなく歩いていたが、唐突に南が聞いてきた。
「てか、何なん見合いて。」
「えっ!いや、あぁ。ほら、ホテル!デートした後そこでお見合いでもするのかなぁって。」
「意味分からんな。何ではるとデートした後に見合いせぇへんとあかんの。」
「………だって、、」
別れ話をされると思っているから、とは言葉にできず、また表情が曇り俯くと、はるの左上から、あ!と南の声が漏れた。俯いていた顔を上げたその先に、前撮りだろうか、着物を着た男女が並んでいるところをカメラマンが撮影していた。そんな2人を周りの人たちもカメラに収めている。幸せそうな2人にはるはふわりと笑い素直な感想を述べる。
「うわぁ、綺麗だね!ね、烈!」
同意を求めるように南の方を見上げると、撮影をしているカップルではなく、はるをじーっと見下ろしていた。
「な、何?」
「はるはどういうのがええん?」
「何が?」
「結婚する時着る服。」
「えっ!和装か洋装かってこと?」
おん、と手を握る力を強くし頷く南に、今までこういう話題を避けてきていた南が、なぜ結婚を意識させるようなことを聞くのだろうとはるは戸惑いながらも、正直な気持ちを言う。
「うーん、分かんない。考えたことなかった。」
ニコニコとカップルを見ているけど、どこか遠い目をして答えるはるに、南はギュッと胸が締め付けられた。
「そうさせたんは、俺やな。」
眉を下げ、見たことのないような悲しい顔をする南を傷つけないように、南がいつもそうするように、そうじゃないよと言ってあげたいとはるは思った。今まで南もこう言う気持ちではるに言葉をかけてきたのだろうか。はるは南の手を引き、幸せそうな新婚さんを横切ると南と同じように眉を下げ否定した。
「違うよ、烈。烈のせいじゃないし、そういう烈を選んできたのは私だから。」
はるが、南が優しい言葉で促すたびに、困ったように笑っていた気持ちが痛いほどに分かる。こないな思いをいつもさせとったんやなぁ、とフッと自嘲気味に笑うと、はるが南の手をギュッと握りしめた。
「くーらーいー!!私、今日楽しみにしてたんだよ?烈は楽しくないん?」
「何やその関西弁。下手くそ。」
「えー、下手くそって何。」
「アクセントがちゃう。」
さっきまでの雰囲気を破るはるに、救われる。
「しっかしアレやな。こーんな綺麗な庭園やのに、周りビルばっかりやんな。」
「ほんとだねー、なんか変な空間!」
はるが明るく笑ってくれたおかげで、その後も2人はしょうもない話をしながら散歩を続けられた。庭園を歩き始めてから40分ほど経つと、入園口につき、今度は南がはるの手を引く。
「そろそろ行こか。」
「えっ?どこに?」
「どこて。ホテルやんか。今日のメインやで?」
「………私も行っていいの?」
「?当たり前やん。何の為にそこ予約したと思てん。」
南の言葉にはるは頬を染め、安心したのか笑い出す。
「なんやオマエ、気色悪いわぁ。」
「アハハ、いいの。意味分かんないけど、ありがと、烈。」
「意味分からんってこっちのセリフな?」
南はそのままはるの手を引き歩き出す。先程とは違い、別れるかもという足枷のなくなったはるの足取りは軽くなった。数分歩きホテルに着くと、南はここで待っといて、とフロントでチェックインを済ませ、特に大きな荷物もないからとポーターの申し出を断るとはるの腰に手を添え、部屋へと続くエレベーターへとエスコートする。
「私、こんなホテル来たことない!」
キラキラと目を輝かせながら言うはるに南は呟く。
「当たり前やん。今まで連れてきたことないんやから。」
扉を開けると、窓の外に広がる東京湾。19階からの眺めにはるは子供のように窓に手を当て、嬉しそうに声をあげる。
「うわー、これ夜になったらもっと綺麗になるのかな?」
「…せやな。」
「ねぇ、何で急にこんなおしゃれなとこ!」
笑顔で振り返るはるに、南は視線を外しながら窓際に近づく。
「あんな…大事な話あんねん。」
聞いてくれるか、と南ははるの返事を待たず、ポケットからあるものを取り出し、はるの手に持たせる。
「そろそろ俺ら、一緒に住まへんか…?」
持たされた鍵と南の顔を交互に見ながらはるは目を丸くする。
「それって、あの、もうこっち来いやってやつ?」
嬉しい反面、でも仕事が、と呟くはるに、若い頃、はるがよく歌っていた曲を思い出し、はぁっと南はため息をつく。
「ドリカムの歌ちゃうねんぞ。…俺がこっち来たる。」
「えっ…?」
「転職先、先々週決まってん。」
「なんで!?」
「…覚えてないんか。はる、大学卒業する時に東京で取り敢えず3年仕事頑張る言うてたやん。」
そう言えば、こっちで就職が決まった時に南に言ったような気がする。
「3年経ったら、大阪来んのかなって思っとった。やけど、なんぼ仕事で嫌なことあって愚痴っても、でも頑張る、もう少し踏ん張るって頑張ってたやんか。」
そんな一生懸命なはるが、頼もしくて、愛おしくて、応援したくなった南は、ずっとこの遠距離恋愛に甘えて、遠距離恋愛に文句一つ言わないはるに甘えて、今まで過ごしてきてしまった。
「えっと…そうだった、かも。」
「そんな奴にな、簡単に大阪戻って来いなんて言われへんやん。」
戻ってくるも何も、オマエ元々関東の人間やけどな、とはるの頬に触れる。
「俺も俺で、遠距離でも満足しとったし、はるも嫌がってないし、丁度えぇやんって、焦ったりとかなかってん。ただ、」
「ただ?」
次の言葉が早く知りたいはるは催促する。ふぅっと一息ついて南はそれに応える。
「この、今の状況になってな、はるに会えへんくなって、やっぱ俺、オマエとずっと一緒におりたいと思ってん。」
南ははるの手を取り、懇願するかのように言う。
「やから…一緒に住んで欲しぃねんけど。」
ダメか?とはるの顔を覗き込む。込み上げてきた感情を押さえながら、その問いに答えず、はるは焦らすようにずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。
「先々週、東京に来たのは?」
「…元々書類とか、リモート面接で受かっててんけど、ちゃんと新しい職場に挨拶しとこ思て。」
「…先週は?」
「新居探し。…ごめんな、こっち住むって分かってたからつい、えぇ嫁さんって言葉が出てもーた。」
「今日…人に会ってたって。」
「会社紹介してくれた昔の知り合いに、礼言いに会いに行っとった。」
毎日毎日電話すんのに、ここまで黙っとんのキツかったんやぞ、と少し不機嫌そうに言う南だが、はるが蓋をしていた心を開けると、それにきちんと答えてくれる。
「じゃあ、なんで黙ってたの?」
「………〜っ〜〜や。」
消え入りそうな声で言う南の言葉が聞き取れず、はるはもう一度聞き返す。
「………驚かせたかったんや。」
こういうん、女子好きやろ!と南が頬を染めながら言うから、はるは繋がれていた手を離し、南に抱きつく。
「うん、好き。烈も大好き!…一緒に住む。住ませてください!」
抱きつかれた南もはるの背中に手を回す。えぇよ、と呟いて温もりを確かめる。この温もりがこれから先は毎日感じられるのかと思うと、自然と顔がにやける。するとズッズッとはるが鼻を啜る音がして南は体を離しはるの顔を見つめる。
「………泣くなや。」
1週間前はできなかった、今度はきちんと涙を拭ってあげる。
「だっ、て…このいっ、しゅうかんっ、ずっと、ふあんだっ、たからっ。」
安心して止まることを知らないはるの涙を拭いながら、南は苦笑する。
「泣くとこちゃうから。」
「うっん、分かってる、、」
「涙はプロポーズん時にとっときぃ。なぁ、泣いたら腹減ったやろ?」
はるにティッシュを差し出し、南が冷蔵庫からワインを取り出すと、はるは涙と鼻水を拭きながら、サラリと言われた一言に、え?と南を見上げた。
「………ねぇ、なんか今すごく大事なこと言った!!」
「おん。飯な。ルームサービス頼んどいたで。その前にちょっと飲もか。」
「違う!その前!」
「泣くとこちゃう?」
「も〜〜〜…違う!!その後!!」
分かっていながらとぼける南は、グラスをはるに渡すと強引にカチリと乾杯をする。
「何やったっけなぁ。………忘れてもうたわ。」
はるは声にならない声で呻き、ねぇもう一回言って、とグラスをテーブルに置き、顔を赤くしながら南にまとわりつき甘える。そうやって、ずっとドキドキしてくれとったらえぇねん、と思いながら、南はワインを静かに飲むと、ねぇ!と話しかけるはるの唇にキスを落とした。これから先は、このキャンキャン喚く声も、聞き慣れたはるの生活音も、ずっと側で聞けるのだ。窓の外で陽が落ちるのを眺めながら、南ははるにもう一度キスをし、今はまだ彼女のはるを黙らせるのだった。
「1128」
数字のみ入力されたLINEは既読スルーしたまま、その数字の扉の前に立ち、前髪を整え、一呼吸し、はるが扉を叩くと、ガチャリと扉が開かれて、彼氏である南が出迎えてくれた。
「久しぶりやな。」
「うん。久しぶり。」
「突っ立ってんといて、中入りぃ。」
くるりと背を向けた南の匂いがはるの鼻をくすぐり、その背中にギュッとしがみつく。
「会いたかった。」
「嘘やろ。さっきまで画面に目もくれへんかったのに。」
「だって、本物に会えると思ってなかった。」
「本物て。」
画面の中のも本物やろ、と抱きついているはるの腕をほどき、ベッドに座らせる。
「なんでこっちに来てたのに言ってくれなかったの?」
「急やったし。金曜やし。」
「金曜が何か関係ある?」
「他の男と会うとるかもと思っててん。」
あ、なんか飲むか?と聞いておきながら、当たり前のようにはるの好きな銘柄のお茶を差し出してくれる南とは、もうかれこれ7年くらいの付き合いになる。そのうち5年は遠距離恋愛で、今年流行ったリモート飲み会なんかは先取りしており、お互いの予定がない限り、ここ数年、ほぼ毎日と言っていいほどビデオ通話をしていた。
「いや、さっきまで話してたじゃん。」
「話してへん。アレは生活音っちゅうYouTubeで配信されとるようなもん聞いとるだけやった。」
「ハハハ、ASMRみたいな感じ?心地良い?私の生活音。」
「自分で言ぃなや。」
ムスッとする南だって、普段は殆ど喋らない。仕事が終わるのが早い方がLINEで伝え、遅い方が電話をかけ、ただいまから始まる二人の電話は、その挨拶の時こそ顔を合わせるが、それ以外は寝る前までほぼ置きっぱなしで、南の言った通り、生活音が垂れ流しなのである。
会話がない訳ではなく、お互いの仕事について話す時もあるし、一緒に見ているテレビを実況したりゲームを一緒にしたり、くだらない話だってもちろんする。そしてたまには、恋人同士らしくエッチなこともする。めんどくさ、と南は文句を言いつつも、はるが寂しくならないように電話に付き合ってくれるから、会えないことを除いて不安や不満はない。だけど、結婚や出産をする人が周りに多くなってくる中、はるは先のことを考えてしまう。この関係がずっと続いてしまうのかと。
「ちょっと!どこ触ってるの!」
「えぇやん。久しぶりの本物やで。」
ニヤリと笑いながらゆっくりとはるを押し倒す。
「画面上じゃ、はるに触れへんからな。」
最後に会えたのは、8月だった。南が車で都内まできてくれたのだ。コロナで世間が自粛ムードになる前に会ったのが1月だったから、半年以上会えていなかった。この5年間、月に1回、少なくとも2ヶ月に1回は大阪か東京で会っていた二人は、今年はそれが叶わず、南が訪れてくれた時から、まさか3ヶ月後の11月に会えるとは思っていなかっただけに、はるは嬉しくもあり、また、内緒にされていたことが少し気掛かりでもあった。
***
南と会えてから1週間。はるは一人の金曜日を迎えていた。出張で来たと言っていた南は、翌日のチェックアウトと同時に大阪へと帰ってしまった。仕事片付けなアカン、とホテルの前で別れ、週末一緒に過ごせると思っていたはるは少し寂しくなった。その寂しさはこの1週間ずっと続いており、仕事が忙しい、と帰りが遅くなった南とはいつもする電話も短くなっていた。
仕事を終え、自宅に着いたはるはお風呂に入り、軽いおツマミを作り、正に今、口に運ぼうとした瞬間に携帯が鳴った。着信は南からではるは電話にでる。
「ただいま。」
「おかえり。今日は早かったね。」
「おん。はる、何しとん。」
「今ちょうどご飯食べるとこ。」
そう言いながら、画面におツマミを映すと、フッと南が笑った。
「はるの手料理、久しぶりに食いたいなぁ。ちょう持ってき。」
「アハハ、作ってあげたいのは山々なんだけど、そっちに着く頃にはもう寝る時間になっちゃうよ。」
「やから、持ってきぃって。俺、今東京におんねんけど。」
「はっ?」
「今週も出張。」
「え?先週も来たのに?」
「急な出張やねん。」
二週連続で?急な出張?とはるは訝しげな瞳で画面上の南を見つめるが、南は涼しい顔をしながらはるを見つめている。そもそも出張って、今まで聞いたことがないし、この状況の中、そんなに都合よく東京出張があるものなのだろうか、とはるは考えつつも、二週連続で会えることが嬉しくて、あまり深く考えないようにした。
「お風呂入っちゃった。」
「スッピンやったらメガネやろ?マスクしてメガネかけとったら、化粧せんでも大丈夫やろ。」
そういう問題ではない。大好きな人に会えるのだ。少しでも可愛い自分でいたい。でもメイクをするその時間は惜しい。いつでも会える相手じゃないなら尚更、1秒でも早く会いたい。そう思っていたのは南も同じようで、迷っているはるに問いかける。
「どうせすぐ落とすことになるんやし、早よこっち来いや。」
「えっ?場所は?」
「この間と一緒んとこ。部屋は違うから番号送っとくわ。」
ツマミ持ってきてな、という南の言葉を最後に二人は通話を終えた。
部署でも変わったのだろうか。でも南から異動の話なんて聞いたことはない。悶々としながらはるはタッパーにおツマミを移し終えると、部屋着から外着に着替え、マスクをし、かけていたメガネはそのままに、財布を掴むと部屋を飛び出した。
***
部屋に着くと、お風呂に入ったのか、まだ髪の濡れている南が出迎えてくれた。髪を乾かしている間に、はるはおツマミと、それだけでは足りないと思って持ってきた作り置きの品を机に並べる。
「うまそ。なんや、色々作ってたん?」
「ううん、こっちは作り置き。」
「それも持ってきてくれたんや。気ぃ利くやん。」
はるはええ嫁さんになれそうやなー、と頭をぽんぽんと撫でる。いい嫁さん、という言葉にはるは照れながらも、結婚とかそういうことを考えているのだろうかと南を見つめた。そんな視線を気にもせず、南はかぼちゃの煮物を箸で掴むと口に放る。
「うまっ。こういうん普段食べへんから嬉しい。」
しかもはるの手料理やし、と南は付け足す。
「でも烈も自分で料理することあるでしょ?」
「まぁなぁ。でも炒飯とか豚キムチとか男飯ばっかやけどな。」
「充分だよ。」
南がパクパクとはるの料理を食べるのを、目を細めながら見つめるはる。いつもこうやって、一緒にご飯が食べれたらいいのにな、と何をするにも、南がいたら、南だったら、南と一緒に、と考えてしまうはるは、いつからか言えなくなってしまった言葉がつい口から溢れてしまった。
「烈のお嫁さんになれたらいいのにな…。」
一瞬目を見開いた南は、食べていた箸を置き、お茶を一口飲むとはるに向き合う。
「久々聞ぃたな、その台詞。」
「久々に言ってみました。……ごめん。」
「………なんで謝るん?」
「だって烈、これ言うといつも困った顔してたから。」
そう、今だって。南は困ったようにはるの頭を撫でながら、視線を外し、どうやって誤魔化そうか考えている。その顔を見るのが嫌で、困らせてしまうことが嫌で、いつからかはるは結婚を連想させるようなことは言わなくなった。南は基本、はるに対してとても優しいし、どんな我儘を言っても喧嘩になることは滅多になかった。だからこそ、この5年間、離れていても付き合ってこれた。そして、こういうことを言うとはるを傷付けないように、南は優しい言葉を言って、はるを安心させてくれる。だけどそういう優しさは、とてつもなく傷付けられる。
せっかく会えたのに、水を差すようなことを言ってしまったことに後悔したはるは、南が撫でている手を止めると、後少しだから食べよう、と笑顔で箸を持たせる。南は困った顔をしながら箸を受け取ると、また料理を食べ始めた。
「ごちそーさん。」
また作ってや、と言おうとしたけど辞めた。その言葉を言うと、何も知らないはるはきっと傷付く。傷付く顔が見たくて、東京に来た訳じゃない。内容など頭に入っていないであろうテレビをぼーっと見ているはるの後ろ姿に、どうしたものかと考えながら、南は歯磨きをする。シャコシャコという音とはるが見ているテレビの音だけが部屋の中で響いていた。
言葉の見つからない南は歯磨きを終えると、テレビのスイッチを切り、はるに口付け、何も聞きたくないと思っていたはるは黙ってそれを受け入れる。南は何も言わないけれど、いつもより優しく触れるその指先から、はるを傷付けまいとする気持ちが伝わってきて、はるはやっぱり言うんじゃなかったとこぼれそうな涙をグッと堪える。ここで泣いてしまったら、ただの面倒くさい女になってしまう。だけどやっぱり堪えきれず、行為が終わった後、南に背を向けるとバレないように涙を流した。そんなはるを背後から優しく抱きしめて、南はその涙を拭ってあげたい気持ちを我慢して気付かないふりをしながら眠りについた。
***
あれから数日が経った。その前の週と同じように、仕事片付けな、と翌日大阪へと戻って行った南と、はるはもう会えないような気がしていた。どんどん短くなる電話とぎこちない会話。今までこんなことがなかっただけに、はるは不安で仕方なかった。そんな木曜日の22時過ぎ、いつものようにはるの携帯が鳴った。
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
今夜は今週の中で1番早く電話が来たな、とはるは思った。
「はる、今週の土曜日、何するん?」
「特に何も予定はないけど。」
良かった、と安堵の表情を見せた南は、昨日までの雰囲気と違い、何か吹っ切れたような顔に見えた。そして次の言葉にはるは素っ頓狂な返事をすることとなる。
「土曜日、そっちに行くんやけど。」
「はっ、ハァっ!?」
「あ、出張ちゃうで。はるに会いに行くんや。」
「いや、意味分かんないよ、烈。2週連続で出張の次は、意味もなくこっちに?」
「………意味なら会うた時に教えたる。」
はぁ?とまたしても疑問の声ではるは返事する。
「……まぁいいや。」
「おん。後で泊まる場所送ったるわ。」
「え?うちに泊まるんじゃないの?」
「それじゃアカンねん。土曜日は久しぶりにデートしよ。」
また明日連絡するわ、とはるが質問をする隙も与えず、一方的にブチリと通話を切られた。デートと泊まる場所が何の関係があるのだろうか、と思ったはるは気付いてしまった。南はきっと、はるに別れを切り出すつもりだろう。だからはるの部屋に泊まるのがダメなのだ。意外と真面目な南のことだ。別れを伝えるのも、電話とかではなく、きちんとしてくれようとしているのかもしれない。
「そういう優しさって、ほんと傷付く…。」
もう繋がっていないスマホに向かってはるは呟く。あと2日したら長年付き合ってきた大好きな人と別れなければならないかもしれない。冷たく突き放された方が、スッキリ別れらるかもしれないのに、最後にデートってどういうテンションで望めばいいのだろうか。この7年間の色々な思い出が脳内を駆け巡る。気付けばいつもはるの心に寄り添ってくれていた南と別れることなんてできるのだろうか。南との電話や、会える前の楽しみな時間、会えた時の喜びがなくなってしまうことは、とてつもない虚無感を生み出しそうで、想像もつかないことにはるは怯えながらも、南の決めたことなら最後も楽しまないと、とはるはクローゼットを開き、お気に入りの洋服を取り出した。
***
土曜日の15時前、はるは目的地に行くために電車に揺られていた。南から送られてきたLINEを穴があくほど見つめる。そこには
「浜松町駅南口に15時集合で。ホテルはコンチネンタルな!」
とだけ書かれていた。そのLINEは金曜の夜に送られてきており、その日は電話もなく何の連絡もないまま、今、この時間に至っている。先週、先々週の安いビジネスホテルから格段にレベルの上がったホテルに、南は一体何を考えているのだろうとLINEを見続けているのだが、そこから先は何も補足はされず、はるは途方に暮れるばかりだった。
別れる、つもりではないのかも、と少しばかり期待するも、期待して裏切られた時のことを考えると何十倍にもなって傷付きそうで、モヤモヤとしながら浜松町駅の南口へ降り立った。
人混みの中でスーツを着た南が目に止まる。久しぶりに見た南のスーツ姿にふと足を止めて、南を見つめる。スーツの上からチェスターコートを羽織り、腕時計をチラチラと見ている。背の高い南のスタイルに似合っていて、鮮やかなネクタイで個性を出している。
見惚れちゃうな、とはるは黒の膝上丈のワンピースの上に羽織った、お気に入りのベージュのシャツワンピをギュッと握りしめながら、ニーハイブーツのヒールを鳴らし南へと近付くと、南がパッと顔を上げはるの名前を呼んだ。
「待った?」
「さっき来たとこ。なんや今日めっちゃ気合い入っとるやん。」
「そんなことない。烈こそどうしたの?スーツなんか着て。」
「…人と、会うとった。」
何となく歯切れの悪いスーツを着た南に、もしかして、とはるは問いかける。
「お見合い、とか?」
不安げな顔をするはるとは対照的に南はブハッと吹き出す。
「何なん、それ。ほら、行くで。」
先を歩く南の後を着いていく。少し歩くと、ここ寄ってこか、と庭園を指差す。入園すると、大きく伸びをしてコートを脱いだ南ははるの鞄を手に取ると、空いた方の手ではるの手を握る。こうやって、2人でのんびり歩くのはかなり久しぶりで、はるの表情も段々と明るくなってきた。特に会話もなく歩いていたが、唐突に南が聞いてきた。
「てか、何なん見合いて。」
「えっ!いや、あぁ。ほら、ホテル!デートした後そこでお見合いでもするのかなぁって。」
「意味分からんな。何ではるとデートした後に見合いせぇへんとあかんの。」
「………だって、、」
別れ話をされると思っているから、とは言葉にできず、また表情が曇り俯くと、はるの左上から、あ!と南の声が漏れた。俯いていた顔を上げたその先に、前撮りだろうか、着物を着た男女が並んでいるところをカメラマンが撮影していた。そんな2人を周りの人たちもカメラに収めている。幸せそうな2人にはるはふわりと笑い素直な感想を述べる。
「うわぁ、綺麗だね!ね、烈!」
同意を求めるように南の方を見上げると、撮影をしているカップルではなく、はるをじーっと見下ろしていた。
「な、何?」
「はるはどういうのがええん?」
「何が?」
「結婚する時着る服。」
「えっ!和装か洋装かってこと?」
おん、と手を握る力を強くし頷く南に、今までこういう話題を避けてきていた南が、なぜ結婚を意識させるようなことを聞くのだろうとはるは戸惑いながらも、正直な気持ちを言う。
「うーん、分かんない。考えたことなかった。」
ニコニコとカップルを見ているけど、どこか遠い目をして答えるはるに、南はギュッと胸が締め付けられた。
「そうさせたんは、俺やな。」
眉を下げ、見たことのないような悲しい顔をする南を傷つけないように、南がいつもそうするように、そうじゃないよと言ってあげたいとはるは思った。今まで南もこう言う気持ちではるに言葉をかけてきたのだろうか。はるは南の手を引き、幸せそうな新婚さんを横切ると南と同じように眉を下げ否定した。
「違うよ、烈。烈のせいじゃないし、そういう烈を選んできたのは私だから。」
はるが、南が優しい言葉で促すたびに、困ったように笑っていた気持ちが痛いほどに分かる。こないな思いをいつもさせとったんやなぁ、とフッと自嘲気味に笑うと、はるが南の手をギュッと握りしめた。
「くーらーいー!!私、今日楽しみにしてたんだよ?烈は楽しくないん?」
「何やその関西弁。下手くそ。」
「えー、下手くそって何。」
「アクセントがちゃう。」
さっきまでの雰囲気を破るはるに、救われる。
「しっかしアレやな。こーんな綺麗な庭園やのに、周りビルばっかりやんな。」
「ほんとだねー、なんか変な空間!」
はるが明るく笑ってくれたおかげで、その後も2人はしょうもない話をしながら散歩を続けられた。庭園を歩き始めてから40分ほど経つと、入園口につき、今度は南がはるの手を引く。
「そろそろ行こか。」
「えっ?どこに?」
「どこて。ホテルやんか。今日のメインやで?」
「………私も行っていいの?」
「?当たり前やん。何の為にそこ予約したと思てん。」
南の言葉にはるは頬を染め、安心したのか笑い出す。
「なんやオマエ、気色悪いわぁ。」
「アハハ、いいの。意味分かんないけど、ありがと、烈。」
「意味分からんってこっちのセリフな?」
南はそのままはるの手を引き歩き出す。先程とは違い、別れるかもという足枷のなくなったはるの足取りは軽くなった。数分歩きホテルに着くと、南はここで待っといて、とフロントでチェックインを済ませ、特に大きな荷物もないからとポーターの申し出を断るとはるの腰に手を添え、部屋へと続くエレベーターへとエスコートする。
「私、こんなホテル来たことない!」
キラキラと目を輝かせながら言うはるに南は呟く。
「当たり前やん。今まで連れてきたことないんやから。」
扉を開けると、窓の外に広がる東京湾。19階からの眺めにはるは子供のように窓に手を当て、嬉しそうに声をあげる。
「うわー、これ夜になったらもっと綺麗になるのかな?」
「…せやな。」
「ねぇ、何で急にこんなおしゃれなとこ!」
笑顔で振り返るはるに、南は視線を外しながら窓際に近づく。
「あんな…大事な話あんねん。」
聞いてくれるか、と南ははるの返事を待たず、ポケットからあるものを取り出し、はるの手に持たせる。
「そろそろ俺ら、一緒に住まへんか…?」
持たされた鍵と南の顔を交互に見ながらはるは目を丸くする。
「それって、あの、もうこっち来いやってやつ?」
嬉しい反面、でも仕事が、と呟くはるに、若い頃、はるがよく歌っていた曲を思い出し、はぁっと南はため息をつく。
「ドリカムの歌ちゃうねんぞ。…俺がこっち来たる。」
「えっ…?」
「転職先、先々週決まってん。」
「なんで!?」
「…覚えてないんか。はる、大学卒業する時に東京で取り敢えず3年仕事頑張る言うてたやん。」
そう言えば、こっちで就職が決まった時に南に言ったような気がする。
「3年経ったら、大阪来んのかなって思っとった。やけど、なんぼ仕事で嫌なことあって愚痴っても、でも頑張る、もう少し踏ん張るって頑張ってたやんか。」
そんな一生懸命なはるが、頼もしくて、愛おしくて、応援したくなった南は、ずっとこの遠距離恋愛に甘えて、遠距離恋愛に文句一つ言わないはるに甘えて、今まで過ごしてきてしまった。
「えっと…そうだった、かも。」
「そんな奴にな、簡単に大阪戻って来いなんて言われへんやん。」
戻ってくるも何も、オマエ元々関東の人間やけどな、とはるの頬に触れる。
「俺も俺で、遠距離でも満足しとったし、はるも嫌がってないし、丁度えぇやんって、焦ったりとかなかってん。ただ、」
「ただ?」
次の言葉が早く知りたいはるは催促する。ふぅっと一息ついて南はそれに応える。
「この、今の状況になってな、はるに会えへんくなって、やっぱ俺、オマエとずっと一緒におりたいと思ってん。」
南ははるの手を取り、懇願するかのように言う。
「やから…一緒に住んで欲しぃねんけど。」
ダメか?とはるの顔を覗き込む。込み上げてきた感情を押さえながら、その問いに答えず、はるは焦らすようにずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。
「先々週、東京に来たのは?」
「…元々書類とか、リモート面接で受かっててんけど、ちゃんと新しい職場に挨拶しとこ思て。」
「…先週は?」
「新居探し。…ごめんな、こっち住むって分かってたからつい、えぇ嫁さんって言葉が出てもーた。」
「今日…人に会ってたって。」
「会社紹介してくれた昔の知り合いに、礼言いに会いに行っとった。」
毎日毎日電話すんのに、ここまで黙っとんのキツかったんやぞ、と少し不機嫌そうに言う南だが、はるが蓋をしていた心を開けると、それにきちんと答えてくれる。
「じゃあ、なんで黙ってたの?」
「………〜っ〜〜や。」
消え入りそうな声で言う南の言葉が聞き取れず、はるはもう一度聞き返す。
「………驚かせたかったんや。」
こういうん、女子好きやろ!と南が頬を染めながら言うから、はるは繋がれていた手を離し、南に抱きつく。
「うん、好き。烈も大好き!…一緒に住む。住ませてください!」
抱きつかれた南もはるの背中に手を回す。えぇよ、と呟いて温もりを確かめる。この温もりがこれから先は毎日感じられるのかと思うと、自然と顔がにやける。するとズッズッとはるが鼻を啜る音がして南は体を離しはるの顔を見つめる。
「………泣くなや。」
1週間前はできなかった、今度はきちんと涙を拭ってあげる。
「だっ、て…このいっ、しゅうかんっ、ずっと、ふあんだっ、たからっ。」
安心して止まることを知らないはるの涙を拭いながら、南は苦笑する。
「泣くとこちゃうから。」
「うっん、分かってる、、」
「涙はプロポーズん時にとっときぃ。なぁ、泣いたら腹減ったやろ?」
はるにティッシュを差し出し、南が冷蔵庫からワインを取り出すと、はるは涙と鼻水を拭きながら、サラリと言われた一言に、え?と南を見上げた。
「………ねぇ、なんか今すごく大事なこと言った!!」
「おん。飯な。ルームサービス頼んどいたで。その前にちょっと飲もか。」
「違う!その前!」
「泣くとこちゃう?」
「も〜〜〜…違う!!その後!!」
分かっていながらとぼける南は、グラスをはるに渡すと強引にカチリと乾杯をする。
「何やったっけなぁ。………忘れてもうたわ。」
はるは声にならない声で呻き、ねぇもう一回言って、とグラスをテーブルに置き、顔を赤くしながら南にまとわりつき甘える。そうやって、ずっとドキドキしてくれとったらえぇねん、と思いながら、南はワインを静かに飲むと、ねぇ!と話しかけるはるの唇にキスを落とした。これから先は、このキャンキャン喚く声も、聞き慣れたはるの生活音も、ずっと側で聞けるのだ。窓の外で陽が落ちるのを眺めながら、南ははるにもう一度キスをし、今はまだ彼女のはるを黙らせるのだった。
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