ブラックチョコレート
「ちょっと汚いですけど、どうぞ」
「ありがとう、おじゃまします」
ずっと、どういうことなんだろうって、頭の中はぼわぼわしていた。
いろんな疑問点がごっちゃごちゃになってて、理解したいのに、何から考えたらいいか分からない。
異性を好きになる
既婚者とそういうことしてる
好きになるのに性別なんて関係ない
妊娠って、新しくいのちが生まれるってことだ
尊いとされること、俺としては倫理的にどうなのって思うこと、…それと考えたことさえなかったこと、
「夏目、大丈夫?」
「あ、なんか、頭がパンクしそうっていうか、すみません、なんか飲み物、いれますね」
「ううん、大丈夫だよ。すぐ、お暇するから」
泉さんはそう言って笑った。
「聞きたいことって、なに?」
「…何から聞いたらいいのか、考えてもよく分かりません……考えがまとまらないっていうか…その、」
「好きになるのに、性別なんか関係ないって言われたんだっけ」
「そう…ですね……」
「いろんな人がいるよね。大多数は異性を好きになるだろうけど、俺みたいなのもいれば、どっちも好きになる人もいるし。好きになるってことが分からないって人もいるしね。夏目は大多数の人間だよ」
「……それって、どうやったら分かるんですか」
「え?だって、彼女が好きで付き合ってるでしょ?今まで、男のこと好きになったことある?」
「いや…ない、ですかね」
「じゃあやっぱり、異性愛者なんじゃない?夏目が彼女を好きになるみたいに、俺は同性を好きになる。それだけだよ」
泉さんを見ると、もっと見ていたいと思うし、一緒にいたいって、触れてみたいって思うのは、それはどういうことなんだろう。
仲良くなれて嬉しい。
できるならもっと仲良くなりたい。
ずっとそう思ってた。この感情に名前はなくて、ただそう、思ってた。
男の人と(しかも奥さんが妊娠中の既婚者と)そういうことしてきたって聞いた瞬間、ものすごくショックだった。
それは、こんなに素敵な泉さんがそんなことをしてるっていうショックだ、って、思ってた。
でも、多分違う。
泉さんともっと、仲良くなれるかもしれないっていう…もっと、近しい存在に、俺だってなれる可能性がゼロじゃないのかもしれないって、そう思った。そういうショックだ。
俺はたしかに志穂ちゃんのことが好きなはずなのに、どうしてこんなに、泉さんと仲良くなりたいと思うのか、
「解決したかな。じゃあ、帰るね」
「待って、」
「なに?」
「泉さんと仲良くなりたいってずっと思ってて、初めて会った時から、今もずっと、これからも、仲良くしてたいって思ってます」
「…あー……ありがとう」
「この感覚がもし好きってことなら、俺は泉さんが好きなのかもしれません」
泉さんは俯いて、手のひらで顔を覆った。
「……冗談はやめて。俺、傷つきやすいんだ」
「冗談じゃないです」
「いやいや、彼女いるじゃん」
「…彼女も、好きだけど、」
「俺ただでさえ不倫してんのに、もうこれ以上悪いことしたくない。仮に、夏目が本当に俺のこと好きでいてくれてるとしてもね」
「これって、僕振られました…?」
「そうだね。悪いけど」
心臓が握り潰されたみたいな感じがした。
「ごめん、ちょっとつらくなってきた、帰るね。急に押しかけてごめん。またバイトでね」
「泉さん、」
ドアが閉まった。
久しぶりに、こんな苦しい気持ちになった。
こんなん初めてだった。
これがもしかしたら、恋焦がれる気持ちなのかもなって思った。
本では何度も読んだことのある「恋焦がれる」ということを、全く実感として俺は持っていなかった。
志穂ちゃんを好きだ、っていう気持ちはたしかにあるのに、それはただ、たゆたうような、おだやかな感覚だ。
今はそうじゃない。
苦しいしもどかしい、痛い、悲しい、叩きつけられたような感じがする。
どうしたらいいのか分からなかった。