第一章
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理事長室の扉の前で先ほどと同じように制服の裾を軽く払いました。
喉の調子も整えて、準備万端です。
「お嬢様、奉です。お食事をお持ちいたしました。」
ノックの音からしばらくたってもお返事がありません。
一秒一秒が永遠に思えます。
もしかして、同じ学校になったからと、
主人と同じテーブルで食事をとりたいと言っていると、
受けとられてしまったのでしょうか。
確かに、お嬢様の分のお弁当のついでに作った自分用のものも手にありますけれど、
中身は全く違うおかずをご用意していますし、あとでかきこむために持っているだけなのです。
「いいわよ、入って。」
久方ぶりの夏未様の玉のお声に心臓がどくりとなりましたが、
興奮を悟られないように、静かにドアノブを捻り押しました。
ドアから直線上にある革張りのチェアに夏未様のお姿はなく、
目線を左に下げた応接スペースにあるソファの上座にお座りになって、
机上の紙束とノートパソコンに向き合われていました。
「ちょっと待って、今から片づけるから。」
「とんでもありません、お片付けなら私にってああ、お嬢様!」
慌てふためく私をよそに着々と机上を整頓される夏未様が
パソコンのモニタ上部に手をかけられたころで、
画面上の映像が目に入りました。
「これって、サッカーですか?」
「ええ、うちの部がFF決勝戦で戦う世宇子中の過去試合の映像よ。」
よく見ると先ほどの紙束もその世宇子中とやらの選手名簿だったようです。
「世宇子中のバックにはよくない人がついているのよ。
それも勝つためには手段を選ばない極悪人がね。
だから、彼らの強さにはなにか裏があるとみているの、それを暴いてやらなくちゃ。
フィールドのあの子たちが、プレー以外の原因で負けるなんてことがあってはならないわ。」
モニタの中で勝ち誇った顔をしている世宇子中の選手を見つめる夏未様の瞳には、
ある種の覚悟が宿っておられるようでした。
これまでお屋敷でも、学校でもずっとこのことを考えていらしたのでしょう。
「そのカラクリさえなければ必ず勝てると、サッカー部を信頼しておられるのですね。」
「別にあのバカたちのためじゃありません!
FF優勝がうちの学校の評判に関わるからに決まっています!」
薔薇色が差したお顔が答えになっていますよ、
なんてお伝えしたらさらに耳まで染めてしまわれるのでしょうね。
いつもの凛とした夏未様もうっとりしてしまいますが、
時折見せてくださるこのかわいらしさもたまりません。
「でしたら、お昼はしっかり食べていただきましょう。」
「どうしてそうなるのよ!」
「これから午後の授業が2時間あります。
それから放課後はサッカー部でマネージャー業をされるでしょう。
きっとお屋敷に戻られてからもまた遅くまで画面と紙面とにらめっこされるおつもりですよね。」
「ええ、その予定だけど。」
「では、相応のエネルギーが必要です。
夏未様が倒れることになってしまっては元も子もありません。
ささ、ご用意ができましたから召し上がってくださいませ。」
麻のあづま袋の上に広げた二段の箱の前でお茶の湯気が揺れているうちに
所定の位置に下がりましたが、
夏未様に目をやると、どうやら固まっておられる様子です。
さすがに今の発言は失礼にあたったのでしょうか。
謝罪の言葉がのどまで出かかりましたが、先に口を開いたのは夏未様のほうでした。
「だったら、あなたもここで食べるのよ。」
「ええっ!お嬢様、お気は確かですか!?」
「ちゃんと正気よ。
これから午後の授業が、2時間あるでしょう。
それから放課後は初めての部活動よ、男子中学生相手のね。
それと屋敷に戻ってからも、私のにらめっこに付き合ってもらうわ。
ほら、相応のカロリーが必要になるでしょう?」
「な、夏未様!エネルギーって言ってください!」
「あら、あなたに名前で呼ばれたのなんていつぶりかしら。
ね、奉、こっちに座りなさい。
あなたも持っているでしょう、お弁当。」
主人にこう言われてはかないません。
脇によけていたお弁当を手に夏未様の向かい側の下座へと回り込みました。
「奉、そっちじゃありません。こっち。」
夏未様は横長のソファの空いているほうを指先でお示しになりながら、
こちらを試すような笑みを浮かべられています。
断る道はありませんでした。
一体この世のどんなメイドが、主人の横で喉にものを通せるというのでしょうか。
夏未様が順調に召し上がっているというのに、私は手の箸が空をつかんだままです。
「もう、私には食べろと言ったのにあなたは全然じゃない。」
「申し訳ございません!お嬢様が隣にいらっしゃると思うと緊張してしまって。」
「そんなこと気にして馬鹿ね、小さいころはよく庭でピクニックしていたじゃない。」
「その時はまだ子供だったからで、今はとても……!」
「今も、子供よ。ここには幼馴染が二人だけ。
一緒にお昼を食べることに何か問題があって?」
先ほどよりも挑発的に上がった夏未様の口角が、私の緊張を加速させました。
なんて意地悪なお方なのでしょう、心臓が11個あっても持ちません!
「では、お言葉に甘えて。」
恐る恐る箸を箱に近づけておかずをつかもうとしましたが、
動悸が伝わって震える箸先では逃がしてしまうばかりです。
「だめじゃない、それじゃ。」
「し、失礼しました!」
慌ててしまって、余計に箸からおかずがこぼれていってしまいます。
「そうだわ。奉、口を開けなさい。」
「へ?」
情けない声で離れた両唇にヒノキの細枝が触れたかと思うと、
舌の上に少しの塩味とふくよかな昆布のうまみが広がりました。
これは、キッシュ用の卵液のあまりで作っただし巻きです!
「私、生まれて初めて『あーん』したわ。とっても気持ちがいいものね。」
数回反射的に咀嚼したところで、今起こったことをやっと理解することができました。
11個用意した心臓が同時にはじけてしまって、くらくらしてしまいます!
なんてずるい人なのでしょう!
「というか、私のお弁当と品ぞろえが違うのね。
はしたないけれど、私も一つもらっていいかしら、そのだし巻き。」
「も、もちろんですが、キッシュはお気に召さなかったでしょうか。」
「そういうわけじゃないわ。
あなたの作ったものだし、どちらも食べてみたいのよ。欲張りかしら。」
一体どこでそのような甘え方を身に着けておいでなのでしょうか。
いえ、きっと雷門家の血による天性の才なのでしょう、
この方に言われればなんでもしてさし上げたくなる魔性の類の!
それではと箱ごと差し出そうとしたところ、夏未様はそれを制止されました。
「一品だけで構わないわよ。それを私の口まで運びなさい。」
「そ、それは私に『あーん』しろということでしょうか!?」
「何よ、主人がやったことができないと言うの?」
ああ、もう私の心臓ははじけ飛んだというのに動機が止まりません。
呼吸が乱れて仕方がないので、一度吸ってから次に吐くのをやめて、
やっと震えのおさまった箸でだし巻きを一切れつかむことができました。
それから体を少し折り曲げて、左手で保険を掛けながら、
夏未様の控えめに開かれた口内へと割って入るように箸を進めました。
「あーん。」
閉じた衝撃でかすかに揺れる唇の間からプラスチックをゆっくりと引き抜き、
箸先を布巾に収めながら反応を待ちました。
「やっぱりこれもおいしいわね。食べてよかったわ。ありがとう、奉。」
「恐悦至極です……。」
その後『あーん』のご要望はなく、順々に昼食を終えてから特進クラスまでお見送りしました。
お弁当の味はよく覚えていません。
喉の調子も整えて、準備万端です。
「お嬢様、奉です。お食事をお持ちいたしました。」
ノックの音からしばらくたってもお返事がありません。
一秒一秒が永遠に思えます。
もしかして、同じ学校になったからと、
主人と同じテーブルで食事をとりたいと言っていると、
受けとられてしまったのでしょうか。
確かに、お嬢様の分のお弁当のついでに作った自分用のものも手にありますけれど、
中身は全く違うおかずをご用意していますし、あとでかきこむために持っているだけなのです。
「いいわよ、入って。」
久方ぶりの夏未様の玉のお声に心臓がどくりとなりましたが、
興奮を悟られないように、静かにドアノブを捻り押しました。
ドアから直線上にある革張りのチェアに夏未様のお姿はなく、
目線を左に下げた応接スペースにあるソファの上座にお座りになって、
机上の紙束とノートパソコンに向き合われていました。
「ちょっと待って、今から片づけるから。」
「とんでもありません、お片付けなら私にってああ、お嬢様!」
慌てふためく私をよそに着々と机上を整頓される夏未様が
パソコンのモニタ上部に手をかけられたころで、
画面上の映像が目に入りました。
「これって、サッカーですか?」
「ええ、うちの部がFF決勝戦で戦う世宇子中の過去試合の映像よ。」
よく見ると先ほどの紙束もその世宇子中とやらの選手名簿だったようです。
「世宇子中のバックにはよくない人がついているのよ。
それも勝つためには手段を選ばない極悪人がね。
だから、彼らの強さにはなにか裏があるとみているの、それを暴いてやらなくちゃ。
フィールドのあの子たちが、プレー以外の原因で負けるなんてことがあってはならないわ。」
モニタの中で勝ち誇った顔をしている世宇子中の選手を見つめる夏未様の瞳には、
ある種の覚悟が宿っておられるようでした。
これまでお屋敷でも、学校でもずっとこのことを考えていらしたのでしょう。
「そのカラクリさえなければ必ず勝てると、サッカー部を信頼しておられるのですね。」
「別にあのバカたちのためじゃありません!
FF優勝がうちの学校の評判に関わるからに決まっています!」
薔薇色が差したお顔が答えになっていますよ、
なんてお伝えしたらさらに耳まで染めてしまわれるのでしょうね。
いつもの凛とした夏未様もうっとりしてしまいますが、
時折見せてくださるこのかわいらしさもたまりません。
「でしたら、お昼はしっかり食べていただきましょう。」
「どうしてそうなるのよ!」
「これから午後の授業が2時間あります。
それから放課後はサッカー部でマネージャー業をされるでしょう。
きっとお屋敷に戻られてからもまた遅くまで画面と紙面とにらめっこされるおつもりですよね。」
「ええ、その予定だけど。」
「では、相応のエネルギーが必要です。
夏未様が倒れることになってしまっては元も子もありません。
ささ、ご用意ができましたから召し上がってくださいませ。」
麻のあづま袋の上に広げた二段の箱の前でお茶の湯気が揺れているうちに
所定の位置に下がりましたが、
夏未様に目をやると、どうやら固まっておられる様子です。
さすがに今の発言は失礼にあたったのでしょうか。
謝罪の言葉がのどまで出かかりましたが、先に口を開いたのは夏未様のほうでした。
「だったら、あなたもここで食べるのよ。」
「ええっ!お嬢様、お気は確かですか!?」
「ちゃんと正気よ。
これから午後の授業が、2時間あるでしょう。
それから放課後は初めての部活動よ、男子中学生相手のね。
それと屋敷に戻ってからも、私のにらめっこに付き合ってもらうわ。
ほら、相応のカロリーが必要になるでしょう?」
「な、夏未様!エネルギーって言ってください!」
「あら、あなたに名前で呼ばれたのなんていつぶりかしら。
ね、奉、こっちに座りなさい。
あなたも持っているでしょう、お弁当。」
主人にこう言われてはかないません。
脇によけていたお弁当を手に夏未様の向かい側の下座へと回り込みました。
「奉、そっちじゃありません。こっち。」
夏未様は横長のソファの空いているほうを指先でお示しになりながら、
こちらを試すような笑みを浮かべられています。
断る道はありませんでした。
一体この世のどんなメイドが、主人の横で喉にものを通せるというのでしょうか。
夏未様が順調に召し上がっているというのに、私は手の箸が空をつかんだままです。
「もう、私には食べろと言ったのにあなたは全然じゃない。」
「申し訳ございません!お嬢様が隣にいらっしゃると思うと緊張してしまって。」
「そんなこと気にして馬鹿ね、小さいころはよく庭でピクニックしていたじゃない。」
「その時はまだ子供だったからで、今はとても……!」
「今も、子供よ。ここには幼馴染が二人だけ。
一緒にお昼を食べることに何か問題があって?」
先ほどよりも挑発的に上がった夏未様の口角が、私の緊張を加速させました。
なんて意地悪なお方なのでしょう、心臓が11個あっても持ちません!
「では、お言葉に甘えて。」
恐る恐る箸を箱に近づけておかずをつかもうとしましたが、
動悸が伝わって震える箸先では逃がしてしまうばかりです。
「だめじゃない、それじゃ。」
「し、失礼しました!」
慌ててしまって、余計に箸からおかずがこぼれていってしまいます。
「そうだわ。奉、口を開けなさい。」
「へ?」
情けない声で離れた両唇にヒノキの細枝が触れたかと思うと、
舌の上に少しの塩味とふくよかな昆布のうまみが広がりました。
これは、キッシュ用の卵液のあまりで作っただし巻きです!
「私、生まれて初めて『あーん』したわ。とっても気持ちがいいものね。」
数回反射的に咀嚼したところで、今起こったことをやっと理解することができました。
11個用意した心臓が同時にはじけてしまって、くらくらしてしまいます!
なんてずるい人なのでしょう!
「というか、私のお弁当と品ぞろえが違うのね。
はしたないけれど、私も一つもらっていいかしら、そのだし巻き。」
「も、もちろんですが、キッシュはお気に召さなかったでしょうか。」
「そういうわけじゃないわ。
あなたの作ったものだし、どちらも食べてみたいのよ。欲張りかしら。」
一体どこでそのような甘え方を身に着けておいでなのでしょうか。
いえ、きっと雷門家の血による天性の才なのでしょう、
この方に言われればなんでもしてさし上げたくなる魔性の類の!
それではと箱ごと差し出そうとしたところ、夏未様はそれを制止されました。
「一品だけで構わないわよ。それを私の口まで運びなさい。」
「そ、それは私に『あーん』しろということでしょうか!?」
「何よ、主人がやったことができないと言うの?」
ああ、もう私の心臓ははじけ飛んだというのに動機が止まりません。
呼吸が乱れて仕方がないので、一度吸ってから次に吐くのをやめて、
やっと震えのおさまった箸でだし巻きを一切れつかむことができました。
それから体を少し折り曲げて、左手で保険を掛けながら、
夏未様の控えめに開かれた口内へと割って入るように箸を進めました。
「あーん。」
閉じた衝撃でかすかに揺れる唇の間からプラスチックをゆっくりと引き抜き、
箸先を布巾に収めながら反応を待ちました。
「やっぱりこれもおいしいわね。食べてよかったわ。ありがとう、奉。」
「恐悦至極です……。」
その後『あーん』のご要望はなく、順々に昼食を終えてから特進クラスまでお見送りしました。
お弁当の味はよく覚えていません。