【短編】恋愛要素なし

 朝の6時。甲高い目覚まし時計の音と、母の怒号で目が覚めた。いつも通りの目覚めだった。
 俺は寝ぼけ眼を擦りながら、寝巻きのスウェットを脱いで制服に着替えた。しばらく着古したこのスウェットは毛玉だらけになっていて、そろそろ変えなければなぁと思って2ヶ月ほど経っていた。
 まず、洗面所で顔を洗う。この時期は寒いので、できるかぎりお湯で洗いたいけれども生憎ちょうどいい温度にするほどの時間はない。冷えた水をバシャバシャと顔に打って、側に置いてあるタオルで拭くと、それを洗濯機の中に放り込んだ。
 歯を磨こうと歯ブラシ立てに目を向けると、はて、昨日まで使っていた、毛先の開いてしまった歯ブラシが見当たらない。代わりに真新しい歯ブラシが刺さっていた。俺は疑うことなくそれを手に取ると、歯磨き粉を乗せて歯を磨いさた。そうして、傍に置いてあるメラニンコップで口を濯ぐ。洗面台には白い泡がこびり付いていた。
 部屋に戻ると、アイロンがけされたワイシャツに腕を通して、いつのまにかハンガーにかかっていたブレザーとパンツを履いて、あくびを噛み殺しながらリビングへと向かった。
 テーブルにはちょっと焦げ目の入ったトーストが3枚と、紙のカップのジャムとスプーンが用意されていて、俺はスプーンにたっぷりよそうとトーストに塗りたくる。あんたが使うとすぐジャムが無くなるのよねぇとぼやく母の声は聞こえないふりをした。
 母がグラスに牛乳を注いで、目の前に置いてくれる。俺は喉を鳴らしながら、トーストを牛乳で胃に流し込んだ。
「いってきまーす」
「いってらっしゃーい!」
 いつも通りの日常が始まる合図。この後学校に行って、宿題を友達にうつさせてもらって、ぼーっとつまらない授業を聞き流して、友達と食堂で昼食をとって、満たされた腹に眠気を誘われて、それからみんなでゲームセンターで遊んで帰る。
 そう思っていたのだけれど。
 いつのまにか俺は地下室にいた。昔使われていて、案外としっかりした造りだったから、そのままにされていた防空壕らしい。周りはみんな怯えてその身を震わせていた。俺もここに入る前に見えた光景を思い出して、思わず吐きそうになって口元を手で覆った。
 意味のわからない、グロテスクな見た目の化け物。
 次々にその身を掴まれて、大きな口で食べられていく、それまで一緒に逃げていた人たち。その中には先ほどまで黒板の前で教鞭とっていた先生や、一緒にお菓子を食べていた友達だとかもいて、泣きそうな顔をしてこちらに助けを求める顔に背を向けて、俺はガムシャラに逃げたのだ。
 目を閉じたら、彼らが俺を責め立てる。俺を捨てて逃げやがって。お前の方が足が遅くてデブなんだから、お前が囮になればよかったのに。そうしたら俺は死ななくてよかったかもしれないのに。
 うるさい、うるさい、うるさい。こんなのただの運じゃないか。地震が起きて津波がやってきて、それに飲み込まれるか、逃げ切れるか。それと同義じゃないか。
 そもそもあの化け物はなんなのか。それを考えようとすると、友人たちが食われている様相を思い出してしまって、精神が擦り減っていく。もう考えるのをやめた。
 防空壕の中は真っ暗で、食べ物なんてあるはずがない。何時間、何日経過したのかもわからない。ただ徐々にみんなの啜り泣く声が聞こえてきて、それが聞こえなくなっていって、いつの間にか俺の腹の音以外この防空壕で鳴る音は無くなっていた。
 おそらくみんな飢えて死んでしまったのだろう。俺は人より脂肪という名の蓄えがあったからまだ耐えているだけで、持ってあと数日の命だろう。
 母は、父は生き残っているだろうか。携帯も何も持たずに、身一つでやってきたから、外の情報が何もわからない。そもそも電波が繋がっているのか、それすらもわからない。
 もう、この世界はあの化け物たちに占領されてしまったのだろうか。それとも、人間たちが善戦しているのだろうか。平和ボケしたこの国のことだから、きっと、もう人類は全員根絶やしにされてしまったに違いない。俺を除いて。
 ああ、死ぬ前に、サーティーワンでバニラアイスを食べておきたかった。いつもあの店で食べられる味ばかり選んでいて、定番のバニラアイスを食べたことがなかったのだ。
 防空壕の扉が開いた音がする。ああ、あの化け物たちがやってきたのか。おそらく、死体たちも、俺も、あの化け物の餌になるのだろう。
 嫌だなぁ。踊り食いされるの。痛そうだし、すぐに死ねなそうだし。そう思って、前に見つけたガラスの破片を首に当てて、それから一気に前に引き裂いた。
 血が噴き出していく感覚。急激に冷めていく体。逆に肩は妙に暖かかった。
 おい、助けに来たぞ!誰かいるか!そんな日本語が鼓膜を揺らす。でももうその言葉の意味を理解することができなくて、他人の日本語久々に聴いたなぁなんて思いながら、目を閉じた。
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