短編


 ガランとした学校内を僕はひた歩く。
 学年末の試験も終わって、今は帰り支度を進める生徒、ホグズミードで余暇を過ごす生徒、友だちとの語らいを楽しむ生徒が大半だ。そんな中(自分で言うのは憚られるが)ホグワーツの英雄と呼ばれている僕が一人寂しくいるのかというと__。



「ふー……」

 闇の魔術に対する防衛術の塔、中腹階の広場をぬけて奥に行くと柱時計がぽつんと立っている。前に立った僕は軽く杖を振って、グルグル回る秒針をなんとなしに見ていた。かちん、と音がしたかと思うと前面が扉になって手前に開く。眼前の階段を下り、自動で開く鉄柵を過ぎるとそこには地下空間が広がっていた。
 セバスチャンが教えてくれた"地下聖堂"。少し埃っぽいその場で深呼吸をひとつすると、彼に初めて連れられた時のことをふと思い出した。

『秘密の場所があるんだ』

 彼と初めて共有した秘密。結局はオミニスにばれてしまったが、それでも仲間に入れてもらえたようで嬉しかった。
 深呼吸をもうひとつ。僕は軽く閉じていた目を開ける。

「コンフリンゴ!」

 呪文を唱えると杖の先から赤い閃光がはしり、目の前の木箱を吹き飛ばした。
 セバスチャンから教わった呪文。自分の身を、そして大切な妹や仲間の身を守るためには手段を問わない彼が、特に気に入っていた爆発呪文。僕はその一手から堰を切ったように聖堂内を荒らし始めた。
 デパルソで壁に打ち付け、ディフィンドで切り裂き、フリペンドで回転しながら浮き上がったところにもう一度コンフリンゴを打ち込む。アクシオで手元に呼び寄せればインセンディオで燃やし、遠くの物にはボンバーダをお見舞いしてやる。
 途中、背後にある木箱や樽に攻撃しようと振り返る度に体にまとわりつくローブが鬱陶しくて、剥ぎ取るように脱ぎ捨てた。教わった呪文でありとあらゆる手を尽くし、最後に僕は古代の投擲魔術を使って力の限り飾られてあった鎧を地面へと叩きつける。石と金属が擦れる不快な音が耳を劈く。肩で息をしながら、まだ遠くでわんわんと残る金属音に、からんと杖が落ちる音が混ざった。

「どうして僕なんだ!!」

 ようやく吐き出せた言葉がこれだった。
 ついこの間まで僕はなんてことないただの15歳の子どもだと思っていた。それなのに突然古代魔術の痕跡が見えるとか、そのせいでランロクやルックウッドに狙われるとか、果ては守護者のひとりとしてこのホグワーツの下に眠る秘密を守れだとか……。

「もうたくさんだ……!!」

 確かに脅威は去った。ランロクもルックウッドも僕が倒した。けれど僕はたったひとり、大切な恩師で一番の理解者でいてくれたフィグ先生を亡くした。ランロクのせいで、他の同い年の子たちと変わらない学生生活の大半を奪われた。
 自分にしか持たない力に高揚した。自分にしか出来ない使命なのだと、どこか優越感に浸りもした。今となってはそんな甘えた考えでいた自分を殴ってやりたくなる。
 大事な人を喪い、誰にも言えない秘密事を抱えて、この先何十年と生きていかなければならないんだ。物にでも当たらないとやってられっこない。
 その場にへたりこんだ僕は、制服が汚れるのも構わずに硬い石造りの床に寝転がる。火照った体にひんやりと触れるのが心地いい。天井でゆらゆらと揺れる篝火を目で追っているうちに、ここ数日まともな睡眠を取っていないことに気付く。どの道もうやることは無いんだ、少し眠ろうか。
 ああ……次に目を覚ましたら……、

「ぜんぶ……元にもどって……」

 言いきらないうちに、僕の意識は深い闇の中へと落ちていった。





「……おいおい、こりゃどういうことだ」

 セバスチャン・サロウはひとりごちた。
 というのも、人目を避け行くあてもなくたどり着いた地下聖堂にいつぶりか足を踏み入れたところ、目の前には大の字で寝息を立てている転入生がいたからだ。
 てっきり彼はほかの学友らと余暇を過ごすものと思っていた。許されざる呪文で叔父のソロモン・サロウを殺めてしまった彼を、魔法省に突き出さず密かに許してくれた心優しい英雄殿。
 セバスチャン・サロウは内心ほっとしていた。
 あの日から彼とはロクに顔も合わさず、ひと言も交わさない日々が続いていた。正直なことを言うと避けられていると思っていた。あんなことがあったのにも関わらず"死の呪文アバダケダブラ"を教えてくれと言ってきた、大胆で恐れ知らずの英雄殿。
 人からの賞賛を一身に浴びている渦中の人物が、目の前で年相応の顔で眠りこけている。その姿に、セバスチャンは安堵していたのである。

「そうだよな……君も、所詮はただの人間でしかない」

 ある程度の事情は聞かされていた。古代魔法のこと、ランロクらのこと。けれども最終的に彼はどんな冒険をして、どんな結末を迎えたのかまでは知らされていない。ただ『転入生が何らかの危機からホグワーツを救ったらしい』という噂(これは先生たちも話していたからあながち嘘でもないだろう)が広まって、セバスチャンもそこから知った形となる。
 起こすのも忍びなくてそっと隣に座り込む。無防備そのものな彼を見て頬が緩むのがわかった。陶器のように白い頬を撫でようとしたところで、目の下の隈に気づく。あまり眠れていないのだろうか。だからってわざわざこんなところで寝なくてもいいだろうに。
 不意にセバスチャンは視界の端に映ったものが気になって、彼から顔を上げる。

「……なんだよこれ」

 入ってきた瞬間は床で寝ている彼にしか意識が向かなかったから気づけなかったが、改めて聖堂内を見渡すと悲惨ともとれる状態だった。
 壁は一部煤け、そこかしこに木片や金属片が散らばっている。記憶の中ではここまで荒れてはいなかったはず。まさかこれを全部この男が……?
 ただの練習にしては度が過ぎている。それにセバスチャンの知る限り、彼は教わった呪文はよほどのことがない限り失敗しない。こんな……こんな激情に任せた使い方をするような人物ではない、はず。
 いったい何が彼をそこまで駆り立てたのか。未だ静かに寝息を立てている彼の顔を、セバスチャンはじっと見つめた。

「…………う……」

 彼がわずかに身じろいだ。眉間には皺が寄って苦しそうに呻く。うなされているのか……?セバスチャンは咄嗟に起こそうと伸ばした手を止める。
 もし彼が目を開けて最初に僕が映ったらどう思うだろうか。もし飛びのいて逃げられでもしたら?今度こそ立ち直れる自信が無くなってしまう。いや、まさか、そんな。
 悩んでいる間も彼は呻き続けている。時折『違う』とこぼしながら。
 さすがにこのままにはしておけなくて、セバスチャンは今度こそ彼の肩に手を伸ばして、彼の名前を呼んだ。



 夢を見た。僕が殺したたおした小鬼や密猟者たちが、僕を責め立てる夢。

 お前も俺たちと同じだ。
 __違う、僕はお前らなんかと違うんだ。

 同じさ。私利私欲のために奪い、嬲り、殺す。
 __違う、ちがう!僕は……ッ!!

 よかったなぁ、これでお前も私たちの仲間だ。
 __うるさいうるさい!

 僕は違う、違う違う違う!みんなを守ろうとしただけだ!ホグワーツにいる友だちを!人間に脅かされる動物を!圧倒的な力に怯えるハイランド地方の人たちを!

 『それで本当に守れた気でいるなら滑稽だな』

「黙れ!!」
「えっ、ごめん!」
「っ、え……あ……?」

 飛び起きたら隣にはセバスチャンがいた。僕が思わず叫んだことに驚いて目をまんまるにしている。

「セバス、チャン……」
「いや、えっと、寝ている君をそっとしておこうと思ったんだ。でもうなされてたから、起こしたほうがいいなって……ずっと名前呼んでたんだけどうるさかったよな、本当にごめん」
「ちがっ、あれは君に言ったんじゃない!」

 強めの否定にまたセバスチャンの目が大きくなる。勘違いされたくなかった。僕が彼に不快感や怒りを感じているんだと思われてしまうのが、遠ざけたくて拒絶したんじゃないかと思われてしまうのが、たまらなく怖い。
 少しでも距離があるのが嫌で、僕は彼のローブを力の限り引っ張って彼を掻き抱いた。困惑を全面に出した声で僕の名前を呼ぶセバスチャン。その声すら愛おしくて、彼の首に回した腕に力を込めた。
 しばらくそうしていると、まるで幼子をあやすように優しく背中ととんとんと叩いてくれた。空いてるほうの手が僕の髪をなでる。布越しに触れる確かな熱に、どうしようもなくなって涙があふれる。

「……君、思ったより泣き虫だよな」
「……いいだろ、べつに」
「いいよ。でも僕以外には見せてくれるなよ」
「セバスチャンにしか見せないよ、こんな姿」

 ならよかった、とセバスチャンが笑った。つられて僕も泣きながら笑う。
 ようやく抱きしめていた腕を離して向かい合う。彼の指が僕の頬を伝う涙を拭う。そうしてどちらからともなく口づけを交わした。
 あれだけうるさかった声はとっくに消えて、薪がぱちんと小さく爆ぜる音と、僕とセバスチャンの吐息だけが静かな地下聖堂に響く。

「は……セバスチャン……」

 離れた唇をもう一度重ねようとして、彼の手に阻まれた。

「これ以上は、まずい」
「……必要の部屋、行く?」
「それも悪くないけど、気晴らしに出かけないか?」

 次に眠る時、君が悪夢にうなされないように。それに帰ってきてからでも遅くはないだろ?
 そう言うとセバスチャンはにっこりとほほ笑んだ。彼だって辛いはずなのに、僕のために気をまわしてくれる。どこまでもスリザリンらしくない、やさしくていとしい人。
 次は僕が君を支えるよ。だから今日は……今だけは、君の厚意に甘えて背中を借りるよ。
 先に立ち上がって差し伸べられたセバスチャンの手を取って、僕も立ち上がる。放り出したローブを拾って軽く埃を払って羽織直す。同じように床に落とした杖を拾ってくれたセバスチャンから受け取ると、ローブの内ポケットにしまう。

「それじゃ、行こうか」
「うん。……セバスチャン」
「ん?」
「いつもありがとう」
「……僕のほうこそ、ありがとうな」

 もう一度、触れるだけのキスを交わすと僕たちは手を取り合って地下聖堂を後にした。
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