蜂蜜の毛布
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性欲と言われるほど浅ましいものではない。
ただ、このベッドの中で同じ時間を過ごしている、この時だけはだれでもない俺の物になってほしいという独占欲でいっぱいになる。
「おはよ、琉夏くん」
「うん……」
自分がらいむちゃんに恋心を抱いていると認めてから、同じベッドで眠るのが幸せで、それと同じくらい辛く苦しい日々を送っている。
触れたら壊れてしまう、目に見えない信頼関係の壁のようなものがあるのを自分でだって気がついているからだ。
「あれっ、いつもより眠そう」
そんなことを起き抜けの頭で考えながら突っ立っていると、気がつけばらいむちゃんは俺の目の前まできて顔色を伺っていた。
約15センチある身長差では図らずしも上目遣いになるということをこの子は理解していない。まったく可愛くて残酷な生き物だ。
「私寝相悪かった?ごめんね」
確かに寝不足なのは君のせいなんだけどね、そういうわけではないんだよ。
「そんなことないよ」
見当違いな発言が愛おしいなと思って、また頭を撫でてしまう。
ああダメだこれは。惚れた方が負けとは上手いことを言う。今のこの子にならぼっこぼこに殴られたって構わない、と寝ぼけた頭はなんともおめでたい思考と直結している。
「琉夏くんは、よく私の頭を撫でるね」
俯いたまま、振り払うわけでもなくらいむちゃんは呟いて、それを聴いてハッとした。
いけない、またやってしまった。自分の目覚めの悪さを殊更呪っても時すでに遅し、である。
「あ、ごめん、嫌だよね、ごめんね」
「嫌だった?」と聞けるほどの自惚れも度胸もない。それよりも嫌だと拒絶される方が苦しいからと、自らで話を完結させようと努めた、が、
沈黙が怖くて一歩距離を置く。
本当は「もうしない」と言えればいいのに、しない自信が自分にはない。
また、ふとした瞬間、愛おしいなって思った瞬間には彼女の頭を撫でてしまうだろう。
すごい、俺の心臓、こんなにもばくばくして死にそう。
こんな気持ちになったことがあっただろうか。そもそもこんなに心臓が早鐘を打つことがあり得るのだろうか。こんなにもドキドキしているのに外に音は漏れていないのだろうか、まさに人体の神秘だ。
目の前の女性に拒絶されるかもしれないと、そう思った一瞬でこんなにも心拍数が上昇するんだ、急に血管が切れて死ぬってことがあり得るのもよくわかる。
「ううん、嫌じゃない」
「…はい?」
「むしろ好き、かなー」
へへへ、と笑って、
それかららいむちゃんは朝ご飯の支度をしにカウンターへと戻っていく。
いつもみたいに顔洗っておいで、と俺を促しながら。
彼女の言う、「好き」という言葉に大きな意味などない。
好きか、嫌いか、の二択で言えば、好きだ、というだけのことなのだ。
それなのに心臓がギューっと苦しくなって、思わずその場に座り込みたくなった。
人を好きになるのは、
こんなにも苦しくて温かいものなのだろうか。俺はそれを知らなかった。
「何突っ立ってんだよ、邪魔だ」
「ぅわああっ、」
胸に手を当ててギュウッと握りしめると後ろから声をかけられて、思わず情けない声がでる。びっくりさせんなよ。
「うおっ、なんだよびっくりさせんなよ」
「そりゃこっちのセリフ…はあ…」
とんでもない朝だ。
その日、らいむちゃんは久しぶりに家に帰り、荷物を持ってまたWestBeachに戻ってきた。(継父がいない時にたまに母親に会いに行っている。荷物を取りに行くついで、と言ってはあるけれど、本当は母親との時間を堪能しに行ってるんだ。帰ってくるたびにあれやこれやと話をしてくれる)
「そろそろ怪我も治ったんじゃない?って聞かれちゃった」
今日はコウがらいむちゃんの送り迎えを担当してて、俺は夕食の支度をしていた。
帰ってくるなり、複雑そうな顔をしたらいむちゃんにどうしたの?と問いかければそう言われたそうで。
それもそうだ。季節が1つ進み、夏の前から始まったこの生活ももう秋の真ん中を過ぎた辺り。花椿さんの怪我が理由で始まったはずのこの生活だ、母親から見たら長すぎると感じるのも無理はない。
「今の生活が楽しいからもう少しこのままがいいって伝えてきたけどね」
母親に心配をかけたくないという気持ちと、継父への恐怖と、この生活の居心地の良さと、君はどれを最優先するのだろう。
その夜は酷く天気が荒れていた。
元々人が住むような場所ではないこの家は、雨風が凌げるとはいえそれほど頑丈なつくりでもない。
ゴゴゴと空は低いうなり声を上げてから大粒の雨が降り出して、屋根を打つ雨音や吹き荒れる風は強く響くばかり。季節外れの台風でもやってきたようだ。
それでも、らいむちゃんはいつものように布団に入ると安らかな眠りについている。
台風の音しか聞こえないこの場所は、他の音は全て遮断されてしまっている、まるで2人だけの世界のようだった。
「らいむ、」
声とともに伸ばした指先は、まろやかな輪郭をなぞり、親指が唇にまで到達する。想像通り、彼女の頰も唇もとても柔らかかった。
起きてほしい、起きてほしくない、眠ったままでいてくれ、俺の声を聞いて、触れて、許して、許さないで、どうか俺を受け入れて。
今朝とは比べ物にならないほどの苦しみが心臓にのしかかって、ギュっと自分の胸元を握りしめる。
触れるのをやめたい、本当はこの壁を壊したくない。でももしかしたららいむちゃんは近いうちにあの家に帰ってしまうかもしれない。
そうなってほしくない。それはこれ以上継父に関わってほしくないから、いや、本当はそれじゃない、それだけじゃない。
本当になってほしくないのは、俺の手から離れていくこと。
ここに住まわせてるきっかけはたしかに彼女を助けたい気持ちだったかもしれない、
でも今はそんな真っ当な理由なんかじゃない、全て俺のエゴだ。
それに気がついたら涙が零れて、思わず目を閉じた。
ああ、人を好きになるってこんなにも苦しくて醜い感情なのか。知らなかった。
瞼を閉じていても涙は少しずつ少しずつ俺の目から零れ続ける。泣いたのなんていつぶりだろう、もう遥か昔、両親が亡くなった時が最後だったかもしれない。
「琉夏くん…?」
眠っていたはずのらいむちゃんの声を聞いてハッと瞼をあける、どうしてそんな、このタイミングで。
「泣いてるの?」
彼女が目を覚ましたというのに、この醜い独占欲は頰に置いた手を離したくないと主張を続ける。
「泣いてないよ」
「嘘つき」
「…怒らないの?」
「なにが?」
「君に、許可なく触れてるよ」
まるで悪びれもないような口調になってしまって、ああこんな自分は嫌だな、もっと真摯に真正面から向き合いたいのにな、と思う。
それでも軽薄さを取り繕うのは、防衛本能が邪魔をするからだ。
今、彼女に拒絶されたら、俺はどうなってしまうのだろう。
「…うん」
らいむちゃんはそうとだけ言って、少しだけ躊躇いながら涙に濡れる俺の頰に触れた。
流れる涙を拭うように何度も何度も下瞼を撫でた。
「…なんで」
「ん?」
「なんで怒らないの」
「うん、」
「なんで俺に撫でられるの、好きなの」
「なんでだろ」
「俺のこと、好きなの」
「わからない、でも、」
「でも?」
「一緒にいて、温かい気持ちになる」
「そっか」
「安心するの」
「うん」
「琉夏くんは?」
「ん?」
「温かい気持ちに、なる?」
「うん」
「安心する?」
「するよ、ずっと傍に居たいって思う」
「そっか」
「…泣いてるの」
「…泣いてないもん」
「嘘つき」
お互いの頬を撫であって、なにしてるんだろうね私たち、ってらいむちゃんは泣きながら笑った。
人を愛おしいと思う感情は、儚いと思う感情に近しいのかもしれない。
温かい気持ちのまま、2人とも眠りについた。
季節外れの台風は一夜で通り過ぎて、朝方には波の音しか聞こえなくなっていた。
こんな、なんでもない普通の女の子の寝顔がこんなにも愛おしくなってしまうのか。
父性や母性を欠いて成長した自分達にしか共有できない感情が、もしかしたら俺たちの間に存在しているのかもしれない。
そういえば、朝日に照らされるらいむちゃんの寝顔を見るのは初めてかもしれない。いつも目が覚めたら彼女はもうそこにいなかったから。
朝日が差してキラキラと輝く少し明るい茶色の髪に指を通す。
んんっと声をもらしてから重そうな瞼はゆっくりと半分ほど開いて、
その寝ぼけ眼がまた愛おしくて頰を撫でると、らいむちゃんは子猫のように擦り寄ってきた。
安心する
昨夜泣いてる俺の頰を撫でながらそう呟いた彼女は、今も安堵の表情を浮かべている。
「ギュってしていい?」
「んー…」
まだ半分夢の中なのだろう、俺のお伺いなんて聞いてるか聞いていないか分からないけど、そんなことはお構いなしにらいむちゃんを優しく抱き締める。
いつまでもここから出て行かないで。
傍に居て、ずっと。このベッドから、おれの腕から出ていかないで。
君が眠るこの場所が、どこよりも一番神聖で美しい場所だと、俺は思う。
温かくて少しだけ苦しい。
君もそう思いながら、俺の腕の中で眠ってほしい。いつまでも、ずっと。
終
(tacica/蜜蜂の毛布 にインスパイアされて書きました)
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