蜂蜜の毛布
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ボロボロに泣いて目が腫れてしまった彼女は、泣き疲れて眠ってしまった。
「家では怖くてろくに眠れなかった」
と言っていたから、疲労が溜まりに溜まっていたのだろう。
それに加えて酔っ払いに絡まれて、初めてのバイクで知らない家にまで連れてこられて。
「大変な1日だったね」
ひょいっと抱え上げてみたらあまりに軽くてびっくりした。
女の子ってこんなに軽くて内臓とかどこに入ってるんだろう。ちゃんと心臓動いてるのかな、って訳のわからない心配をしてしまう。
そのまま俺のベッドへと運び寝かせて、タオルケットをかけてあげる。
年頃の女が、年頃の男の家でそいつのベッドを使って眠るなんて、この上なく美味しいシチュエーションのはずなのだが、
今の俺にはそんな気は全く起きなかった。
この女の子が不安も恐怖もなく、ぐっすりと眠れること、それが今の俺にとって一番の望みだと心から思うことができる。
縮こまるのがクセなのだろうか、男一人が寝ても広めのベッドでは、女の子が猫のように縮こまるのと更に広くみえる。
俺はベッドの縁に座り、眠る彼女の髪をゆるく撫でた。
「おやすみ、いい夢を」
気がついたら朝になっていた。
ベッドに背を預けて座り込んで眠っていたらしい。
身に覚えのないジャケットが掛けられていた、部屋に帰るついでにコウがかけてくれたのだろう。顔のわりに不器用な優しさのある兄はさながら狼のよう。群れた仲間にはとても優しい、頼り甲斐のある生き物だ。(羊みたいな顔してるけど)
バキバキに固まった身体を伸ばしてうぅと声を漏らす。らいむちゃんはよく眠れただろうか、くるりと振り返ってみると、眠る前まであったこんもりとした布団の丸みが無くなって真っ平らなシーツだけが残されている。
手を置いてみても温かさはない、随分前に布団から出て行ったらしい。
もしかしたら、俺が眠っている間に家に帰ってしまったのだろうか。
あんなに辛そうに話していた、帰りたくないと声を絞り出したあの家に。
慌てて階段を駆け下り、
「コウ!らいむちゃんが、」
カウンターに座ってトーストを頬張るコウの姿が目に入って声をかければ、
「あ?」
「あ、琉夏くんおはよう」
カウンターの内側でカセットコンロで何かをジュージュー焼いている音と、少し緊張した面持ちでそれを眺めているらいむちゃんの姿。
「あ、れ?」
「昨日は運んでくれてありがとう、そのうえベッドまで使っちゃってごめんね」
「え?ああ、それは全然、」
「琉夏くんは目玉焼き半熟派?よく焼く派?」
「えーっと、ちょっと半熟派」
なにそれ、と笑いながららいむちゃんはフライパンの様子を伺っている。
そうか、あのフライパンの中は目玉焼きだったのか、なるほど。
「いーからおめぇは顔洗ってこいよ」
よく焼き派のコウの分の目玉焼きとベーコンがカウンターから渡され、おう、とちょっと恥ずかしそうな顔でそれを受け取っている。
なんだろう、この光景。とっても新鮮。
「なんか…新鮮だ」
「ん?」
「コウ以外の誰かが飯作ってる姿なんて見るの、ほんと久しぶり」
「そうなの?」
「そうなの」
「意外だな〜琉夏くんモテるのに」
早く顔を洗ってその場に並んで座りたいのに、この、非日常から目を離したくない気持ちが強くてなかなか足が洗面所へと向かない。
彼女は昨日の制服のまま、エプロンを付けてカウンターの内側に立っている。(エプロンはコウが家を出るときに母さんがバッグに無理矢理詰め込んだ物で、男性用の真っ黒で大きめな物だ)ブカブカのエプロンは肩紐がよく落ちるらしくちょこちょこ位置を直している。
本当に、新鮮だ。
「目玉焼き、よく焼きになっちゃうよ」
「やだっ」
「じゃあ顔洗ってきなさーい」
「はーい」
まるで母親に甘える子供の様な声が出てしまって少し恥ずかしかった。
「で、これからどうするよ」
無事、黄身のトロトロさを守った俺がトーストに目玉焼きを乗せて食べている頃、コウは既に食べ終わり食後のコーヒーを飲んでいる。
らいむちゃんも俺と一緒にトーストをかじっている。人が食事をする姿を見る機会などあまりないもので、つい、まじまじと眺めてしまった。
「…なに?」
「いや…美味しい?」
「うーん、普通?」
「そっか」
パンとたまごとベーコンを焼いただけの朝食にそんな大層な感想など求めていなかったけど、あまりに素直な反応がちょっとおかしかった。
「おい、聞いてんのかよ」
「はいはい、聞いてるよ〜、どうしよっかね」
幸いにも今日は学校が休み。
だいぶのんびりとした朝食をとりながらこれからの事を話した。
昨日のうちにらいむちゃんは家に「友達の家に泊まる」と連絡を入れていたらしい。
俺が助けようが助けまいが、家に帰る気は無かった、ということだ。
「ここで暮らすのに必要なもの、家から持ってきたり買いに行ったりしなきゃだよね」
「うん…」
「そいつが家にいねぇ時ってねぇのかよ」
野郎が住むならまだしも、女の子が住むには不便極まりないこの家で、彼女はどう生活するだろうか。男の俺たちが想像しても絶対に分からない些細な困り事が絶対に生じるはず。
それはもう、こちらがどうこうするよりも本人に任せるのがいいはず。
「来週、出張で3日間北海道に行くって」
「じゃあその間に取りに行くとして、お母さんには何て言うかなー」
それが一番の問題だ。
ずっと同じ家で暮らしていた娘が急に家を出てどこかで誰かと暮らし始めたら、母親は気が気でないだろう。何か利用できるものはないだろうか。
「…よく、カレンちゃんとミヨちゃんとお泊り会するの。カレンちゃん家で。今回もそれを理由にしてて」
1年生の頃からずっと同じクラスらしい仲良し3人、そのうちの1人花椿カレンは一人暮らしだったはず。
そうか、なるほど。
「それよ、花椿に協力頼め」
「え?」
「だから、親と喧嘩して帰りたくねぇからしばらく住まわせろって」
花椿カレンは男も女も隔たりなく誰にも優しく気が遣える人間だと聞いている。更に言えばあの花椿家の令嬢だ(俺はよくわからないけど)、何処の馬の骨とも知らぬ俺たちの家にいるよりは気兼ねなく暮らせるだろうし、母親も安心するのでは、そう考えたのだろう。
「たしかにね、こんなこわーい顔の男と一緒にいるって知られるよりはマシかもね」
「うるせぇ」
「いてっ」
カウンターの下で足を蹴り上げられた。
「で、でも…」
あの内容の話を、これ以上他の誰にも聞かれたくないのだろう。
さほど関係がなかった俺達に話すのにもあんなにボロボロになったのに、仲の良い友達に話すにはあまりにも重苦しい話だと思っているに違いない。
たしかに、そういうものなのかもしれない。
学校という場は特殊な空間で、家でどんな生活をしていようがその空間にいる間は全てが等しくそこの生徒でいる。だから皆、思っているよりも相手のプライベートなことは知らないのだ。現にらいむちゃんがこんな苦しい思いをしていることだって、誰も知らなかったのだから。
「じゃあ、花椿さんには偽装工作に協力してもらって、らいむちゃんはこのままここで暮らそう」
もちろん、詳しいことは話さない。ただ、らいむちゃんが困ってるから力を貸してほしい、それだけを伝えようと思う。
「ぎ、偽装工作?」
「そう。お家に帰りたくない事情があるって。だから俺らの家に泊まってるけど内緒だよって。誰かに何か聞かれたら「うちに泊まってるよ」って言ってほしいって」
明朗な彼女ならきっと、この子がなにか苦しい思いをしていて助けを求めているってことを理解してくれるはずだ。
「でもそれはカレンちゃんに迷惑じゃ…」
「迷惑って考えるか、力を貸してくれるって考えるか、そんなの考え方次第だよ」
花椿さんは君の、自慢の友達なんでしょ?きっと助けてくれるよ。
そう聞けば、らいむちゃんは恥ずかしがりながら頷いた。
女同士の友情も、可愛いものだな。
そう思って気がついたららいむちゃんの頭を撫でていた。
「な、なに…」
「ああ、ごめん。なんか、可愛いなって思って」
「え、」
「小動物見てるみたいな気持ちになった」
「なんだそりゃ、コイツはペットかよ」
相変わらずてめぇはバカだな、といいながらコウは使い終わった食器を洗い始めた。
「あ、琥一くん、いいよ私やる」
「あ?まだ残ってんだろ。いいから食ってろ」
「コウ、顔が怖いよ」
「だーからうるせぇよ、てめぇも早く食え!」
慣れない共同生活に、コウも少し浮き足立っているのだろう。いつもガチャガチャと音を立てる洗い物も、大人しく丁寧に洗っているように見受けられる。女の子がいるだけでこんなに変わるのか、なるほど面白い。
「で、お母さんにはなんて言おっかね」
問題はそこだ。
口裏を合わせてくれるであろう友人の心配よりも、母親をどうやって誤魔化すか、それが1番の問題であろう。
「うーーん…」
「それだよなー」
「どうしよう…」
コウとらいむちゃんがうんうん唸っている。
「じゃあよし、花椿さんに怪我してもらおう」
「…はあ?何言ってんだおまえ」
「だから、1人暮らしの花椿さんが怪我をしちゃって1人で暮らすのが大変だからお手伝いするために泊まり込む、って設定。どう?よくね??」
こんな見え見えのスッカスカの嘘を信じてくれるかはわからないけど、でもそれなりの理由にはなっているはず。
「なるほど、まあ悪かねぇんじゃねぇか??」
「うーーーーん」
「だめ?」
母親のことを一番知っているらいむちゃんが納得しないことにはこれを理由にするのは難しい。
ベッタベタに溺愛されてるようだったらどんな理由であれ外泊をし続けることに頷いてくれる母親などいないだろう。
「たぶん、大丈夫だと思う。お弁当自分で作るって言った時も、あんたがそうしたいならそうしなさい、って感じだったから」
私の気持ちを尊重してくれるはず。だからきっと大丈夫。
そう言って朝飯を食べ終わったらいむちゃんは席を立って食器を洗いに向かう。
「かせ」
「え、いいよ、洗うよ」
「いーから。これくらいやらせろ」
そう?じゃあお願いします、ありがとう。と食器を差し出したらいむちゃんを見てちょっとだけコウが微笑んだ。
なんだその顔。らいむちゃんの事猫だとでも思ってるんだろうか。
あれ?結局俺たち2人とも彼女のことペットみたいって思ってるってこと?
まあいいや。
「…でさ、ここってお風呂って」
「ないよ?」
「だよねー…」
当面の問題はお風呂をどうするかってこと。
続