Conceal
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「何だ、気が変わったのかな?」
少しだけ手を緩め、雑渡が問う。
「もう一度聞くよ。忍者をやめて、私の部下に嫁ぐかい?」
夕凪は、頷いた。
雑渡の手が首から離れ、掴まれていた右腕も解放される。
抱き起こされた夕凪は、泣きながら雑渡に縋りついた。
「っ……ごめ、なさッ…ぃ……雑渡さまぁ…ッ……ごめんなさいぃ…!」
呼吸を乱し、肩を震わせながら、何度も謝罪する。
あなたの言うとおりにします、だから殺さないで……と。
「よしよし、怖かったね」
「組頭!いくら何でもやり過ぎですよ!!」
あやすように頭を撫でられながら嗚咽していると、尊奈門が入って来た。
「こんなの…夕凪がかわいそうです!」
「かわいそう?なら、お前が慰めてやるんだな。ほ~ら、お嫁さんだよ」
「えッ…ちょっと、組頭!」
雑渡が夕凪の体を突き放し、尊奈門の方に押しやると、彼は動揺しながらも夕凪を受け止めた。
「いいのか、夕凪?だって、おまえは…」
土井半助のことを……。
その名は口に出せずに、夕凪の表情を窺う尊奈門。
二つ年下で、妹のような弟のような存在だった夕凪が、今では年頃の娘に成長していた。
至近距離で見たその泣き顔に、ますます心を痛める。
「…尊くん……ッ」
「夕凪…」
慰めろと言われても、どうすればいいのか。
このまま抱き締めて、嫁に貰う?だが、夕凪は本当にそんな事を望んでいるのか?
戸惑い思い悩んでいるらしい尊奈門に、夕凪は自ら身を寄せた。
「ごめんなさい…っ…」
「お、おまえが謝る事ではないだろう?」
「ううん……ごめんなさい」
もう一度謝ると、夕凪は尊奈門から離れ、素早く窓際に移った。
その手には、苦無と手裏剣が。
「え……えぇえええぇえッ!!?」
慌てて自身の懐を探る尊奈門。
夕凪は窓を開けると、外を確認し窓枠に足をかけた。
「申し訳ありません。わたしは、くの一なので」
そして、遁走。
「見事なまでの哀車の術でしたね」
山本が入って来て、感嘆の言葉を述べた。
「本当にね。私も騙されてしまったよ」
そうは言うものの、雑渡は特に驚いていない様子だ。
「尊奈門」
「は、はい…ッ」
欺かれるだけでなく武器まで奪われた尊奈門は、自身の失態に身を竦める。
「始末書……と言いたいところだが、夕凪が相手じゃ仕方がない。私も術にかかった口だからね」
「組頭ぁ…」
「あーあ、もう少しだったのになぁ」
もう少しで夕凪を取り戻せそうだったのに……ともとれる雑渡の呟きに、「この人は何処まで本気なんだ…」と思う山本と尊奈門だった。
その頃、夕凪は足袋のまま走っていた。
隠れ家からの追っ手が近付いて来る。
振り返り、手裏剣を投げたが躱された。
同時に、何か布のような物が投げつけられ、反射的に受け止める。
「これ、わたしの…!」
それは、打飼袋代わりにしていた風呂敷包みであり、夕凪が背負って来た荷物だった。
「忘れ物だ」
「高坂さん…」
追ってきたのは、やはり高坂だった。
彼には唐突に拉致されるという憂き目にあっている為、今度は警戒を怠らない。
「暗器も全て入れてある。うちの忍具と交換だ」
夕凪は、尊奈門から奪った忍具を足元に置くと、緊張しながら風呂敷の中身を確認した。
確かに全て揃っている。棒手裏剣入りの脚絆や手甲、履き物もだ。
……否、増えている?
「何か、入ってますけど…」
そっと取り出した、小さな包みを広げてみる。
中にはお金と、〝出張料理代〟と書かれた紙が一枚。
「組頭から、今日の謝礼だそうだ」
「そんな、戴けません…!だって、わたしは……」
雑渡の言うとおりにすると嘘を吐き、逃げて来てしまったのだから。
「殺されも従いもせず、忍者として適切な対処をした。違うのか?」
「でも…」
高坂が、溜息を吐いた。
「とりあえず、首と腕の痣は隠しておいた方がいい。往来では目立つだろう」
その言葉に、夕凪は自身の右腕を持ち上げる。
其処には確かに、雑渡の手の痕が残っていて、これが首にもあるとするならば……。
「そう…ですね。何か巻いて…」
顔を上げると、眼前に高坂が居た。
しまった、また…。
夕凪が、その言葉を口にする事は出来なかった。
眠りに落ちた夕凪を、再び袋に詰め込み担いだ高坂は、尊奈門の忍具を回収し、その場を後にした。
組頭はおまえが可愛くて仕方が無いんだ。見てるこっちが腹立たしくなる程にな。
忍者であろうとなかろうと、おまえが生きて元気でいる事を望んでおられる。
今日とて、本気で殺すつもりなんて無かった筈だ。
二度と怪我なんかしないよう、命を落とす事の無いようにと、恐車の術を応用し、思い知らせたのだ。
「……なんて事は、思っていても言ってやらん」
目が覚めた時、視界に入ったのは見知らぬ天井だった。
「……え?」
「ああ、良かった。お気付きになられましたか」
続けて優しい声が届き、忍装束姿の少年の顔。
夕凪は、彼を知っていた。
「善法寺…伊作君」
「はい。お久しぶりです、お夕さん。いや、夕凪さん」
にこりと笑むその姿は、以前夕凪が忍術学園の食堂で短期のアルバイトをしていた時と変わらない。
「じゃあ、此処は…」
「忍術学園の医務室です。正門の前に、夕凪さんが袋に入ったまま倒れていたのを小松田さんが見つけたので、此方に運び保健委員会で治療させていただきました」
「治療…?」
慎重に布団から身を起こすが、頭が重くて仕方なかった。
体が、怠い。
「まだお休みになっていた方がよろしいかと。使われた眠り薬の量が、少し多かったようなんです。首と腕の痣は、膏薬を塗って包帯を巻いておきましたから、直に良くなりますよ」
首という単語を聞き、今になって恐怖が蘇ってきた。
伊作の言うその痣とは、雑渡に付けられたものだ。
「お手紙が入っていました。たぶん、ぼく宛なんでしょう」
「?」
「あなたを、介抱してやってほしいと」
「それって…」
「雑渡さんからです」
手紙が無かったとしても治療しますけどね、保健委員ですから。
微笑みながら、伊作はそう言う。
夕凪を此処まで運んで来たのは、おそらく高坂だった筈。
だが、そんな手紙が入っていたのであれば、雑渡は見越していたという事だ。
夕凪が、雑渡の要求を拒み遁走する事を。
「雑渡さま……」
全てわかった上での、雑渡の行動。
夕凪は、漸くその意味を理解した。
首の包帯に、手を添える。
「余程怖い思いをされたんですね。酷い痣でしたから…」
「ええ…。とても怖くて、痛くて、苦しかった…」
けれど、それらは全て、雑渡からの教え。
容易く死んでくれるな。
誰を欺き、何を利用しても構わない。どんな手段を使っても生き延びよ。
たとえ、どんなに心の水面が揺らぎ、乱れる事があっても。
「夕凪君…!」
医務室の戸が、勢いよく開けられた。
現れたのは、黒い忍装束の教師。
「土井先生…」
その表情はいつになく切迫していて、夕凪を見るなり、傍らに膝をつく。
そして、その半身を抱き寄せた。
「…っ!?」
確かに、もう一度逢いたいと思っていた。
その為には死ぬわけにはいかないと。
だが、彼の突然の行為に、夕凪はただ困惑していた。
逞しい胸板に、頭を押し付けられて。
耳に伝わる、鼓動の速さ。
「良かった…生きていてくれて」
少し掠れたような声が、安堵の息と共に吐き出される。
「土井、せんせ…?」
「正門前に死にかけで捨て置かれてたって聞いて、心配したんだぞ」
夕凪を抱く腕は、未だ緩まない。
それどころか、より強くなった。
まるで、大切なものを奪われまいとするかの如く。
「夕凪さぁぁぁんッ!!」
続いて飛び込んで来たのは、きり丸だった。
「死んじゃやだー!!」
夕凪の腰辺りに確と抱き付き、号泣する。
「き、きりちゃん…?」
「ちょっと、きり丸!落ち着いて…」
伊作が宥めようするが、離れようとしない。
「もうッ…どうして死ぬだの死にかけだのという話になってるんですか!?命に別状は無いって、新野先生も仰ったんですよ!?」
伊作の言葉を聞き、きり丸が泣き止んだ。
半助共々、顔を上げる。
「だって、伏木蔵が…」
「小松田君が…」
「どんな伝え方したんだ、あの二人は……」
伝言ミスにも程がある。
因みに手紙の発見者だった乱太郎は、校医の新野と共に学園長へ報告に行っていた。
彼ならば、もう少し正確に容態を伝えられたろうに。
「安静に、とも仰っておられました。放して差し上げてください」
「ッ…すまん!」
忠告され、自分が何をしていたか自覚したらしい半助が、夕凪を布団にそっと横たわらせる。
きり丸も離れ、傍らにちょこんと正座した。
「私とした事が、取り乱した。申し訳ない」
「いえ…こちらこそ、御心配をおかけして……」
「伊作先輩。夕凪さん、すぐ治るんですか?」
「ああ。きちんと休めばね」
だから、暫く寝かせてあげようね。
保健委員長の慈悲深い微笑みが、其処にはあった。