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町長屋へと戻って来た二人。
夕凪さん、帰っちゃったのかな……と落ち込んでいるきり丸に、半助は苦笑する。
「さあ、早く入ろう。ただいま!」
半助に伴い、「ただいま…」と家に入ったきり丸の耳に、「おかえりなさい」という声が届いた。
「えッ…!?」
男装姿に戻ってはいたが、それは紛れもなく夕凪のもので。
しかも、何だかおいしそうな良い匂いまでする。
「夕凪君が、夕ごはんを作ってくれたんだ。出て行く時のおまえが、少し元気が無いように見えたからと言ってな」
「きり丸、今日も一日バイトお疲れさま。お腹空いただろう?」
その言葉に、思い出したようにきり丸の腹が鳴った。
「へへへっ…」
思わず、笑いが零れる。
「土井先生」も「夕凪さん」も、ちゃんと自分を見てくれていると思うと、嬉しかった。
「この大根は、隣のおばちゃんにいただきました」
「え、そうなのか?」
「夕凪丸さん、隣のおばちゃんに気に入られちゃったんすねぇ」
野菜の煮物は食堂のおばちゃんの味に近く、雑炊はいつもより具が多くて、焼き魚もあって…。
全ておいしく平らげてしまうと、きり丸は半助と夕凪を交互に見た後、居住まいを正した。
「あの…お話があるんですけど」
唐突な上、やけに改まった声音に、二人は何事かときり丸を注視する。
「おれ、子守はバイトで慣れてるし、赤ちゃんの面倒とかちゃんと見れると思うんです。家の事もできるだけやるし、お二人には迷惑かけないんで」
「は?」
「え?」
「だから……結婚しても、おれをこの家に置いてください!」
勢い良く頭を下げたきり丸だったが、半助と夕凪はその意味を理解できないでいた。
「ちょっと待て、きり丸。おまえ、何の話をしてるんだ?」
「結婚って、誰が…?」
「土井先生と夕凪さんに決まってるでしょ!」
半助が、飲みかけたお茶を吹き出した。
片付けようとして途中になってしまっていたお椀が、夕凪の手から転がっていく。
「待て待て待て!何だそれは!?どうしてそうなった!?」
「さっき二人で赤ちゃんに飴湯飲ませてたじゃないっすか!まるで夫婦みたいにっ」
まさかそんな事で…と、半助は頭を抱えた。
「だいたいなぁ、私はまだ所帯を持つ気は無いぞ。今は、一年は組の生徒達で手一杯なんだ。少なくとも、おまえ達が卒業するまでは無理だな」
「え~」
「私も、そういった事はまだ考えられないな。プロ忍者を辞める気も無い」
「乱太郎の母ちゃんとか、ドクタケ忍術教室講師の黒戸カゲ先生みたいに、結婚しても忍者やってる奥さんもいますよ?」
「そうかもしれないが…私はまだフリーになって三年目なんだ。漸く仕事が軌道に乗ってきたところだし。タソガレドキでの嫁入り話を断ってしまった手前もある……」
「きり丸、夕凪君を困らせるんじゃない」
半助が立ち上がり、食器を片付け始めた。
この話は終わりだとばかりに。
「土井先生、私が…」
「食事を作ってもらったんだ、後片付けは私がやろう。君はゆっくりしていてくれ」
そう言って半助が洗い物をしに行くと、彼の向かいに座っていたきり丸が、夕凪の側に移動して来た。
「ねぇ、何でまた男装してるんですか?」
「先刻は赤ん坊の為にと女の姿に戻ったが、考えてみれば土井先生もきり丸も子守が上手い。男も女も関係ないんじゃないかなと思ってね」
「今日はもう、夕凪丸さんのまま?」
「料理中に隣のおばちゃんが大根持って来たし、いつ誰が訪ねて来るかわからない。独り身の男の家に女が出入りしていたら、御近所で噂になって、先生に迷惑がかかってしまうだろう?」
「むー……じゃあ、その格好でもいいから答えてください。夕凪さんは、土井先生のこと好き?」
まさか直球で聞いてくるとは思わず、夕凪は微かに瞠目した。
男装中でなかったら、もっと顔に出ていただろう。
「……好きだよ」
答えてやれば、きり丸は「やっぱり…」と呟いた。
「おれ、土井先生と夕凪さんが結婚して子供ができたら、もうこの家には居られなくなるのかなって思ったんです。だって、土井先生に本当の家族ができるって事だから。おれは、邪魔になんのかなって」
「きり丸、そんな事は…ッ!」
「でも、やだって思いました。この家は、土井先生とおれの家だもん。だからおれ、もし夕凪さんが赤ちゃん産んでも、この家に居たい……」
「だから、あんな事を言ったのか?」
頷いたきり丸を、夕凪は真っ直ぐに見つめ返した。
「君の言う通り、この家は土井先生ときり丸の家だ。邪魔だと言うなら、それは私の方だろ?きり丸が不安になるなら、もう此処には来ないから…」
「やだ!」
そう声を上げた後、きり丸は俯いた。
「……おれ、ドケチなんす」
「ああ…知ってる」
「一度手にしたら、手放したくなくなっちゃうんです」
「うん…」
「土井先生と離れたくない。夕凪さんとも…」
きり丸が、夕凪の胴にしがみつく。
掴まれた着物が、くしゃりと皺を作った。
「夕凪さんのごはん、うまかったっす。三人で過ごせて、楽しかった。おれ、土井先生も、夕凪さんも、好きだから…」
「きり丸……」
「だから…もう来ないなんて、言わないで……ッ」
半助が戻って来る頃には、きり丸は夕凪の膝を枕に眠ってしまった。
「全く、君といると甘えん坊になってしまうな。きり丸は」
半助が布団を敷いている間も、夕凪はきり丸の頭を撫でていた。
「土井先生」
「ん?」
「きり丸の元気が無かったのは、私が原因だったようです」
半助がきり丸を布団に寝かせた後、夕凪は、きり丸から聞いた事を彼に話した。
「――あいつは、もう…ッ」
喜んでいいやら悲しんでいいやら、半助は相当複雑な様子だった。
「邪魔なんて事…あるわけないだろうが…!」
隣の部屋で眠るきり丸を思い、感情を吐露する。
「すまない。君が悪いんじゃないのにな…」
「いいえ。そもそも私が関わらなければ、きり丸は余計な心配をする事も、不安を抱える事も無かったんです。今日だって、私から声をかけてバイトを手伝ったんですよ。良い隠れ蓑になると思って…」
「そうか。やはり、君は……」
逃げて来たのか。
最後まで口にはしなかったが、半助は夕凪の、今は袖で隠れている右腕の傷を一瞥した。
「すみません…。きり丸は、純粋に私を頼ってくれていたのに、私はそれを利用しました」
「だが、それも仕事の一環じゃないか。きり丸もバイト代が増えて喜んでいるし、利害が一致しただけだ」
無駄な戦闘は避け、逃げて生き延び任務を全うする。
その為ならば、利用できるものは何だって利用するのが忍者だ。
「利害で言ったら…私の方が、随分と得をしてしまいました」
夕凪にしてみれば、僥倖だった。
懸想するひとの家で、共に過ごせたのだから。
きり丸も言っていた通り、一緒に赤ん坊の世話をする事で、僅かであれ夫婦気分を味わう事もできた。
もう、それだけで充分だ。
他には何も望むまい。
――この男装は、これ以上は踏み込まぬよう、己に歯止めをかける為の鎧。忍者で在り続ける為に、今は身に纏わねばならぬもの。
「そろそろ行きます。本日はお世話になりました」
「こちらこそ。夕飯、おいしかったよ。ありがとう」
素早く仕度を済ませ、夕凪は外に出た。
「夕凪君」
再度かかった声に、一瞬身体が強張る。
「気を付けてな」
夕凪は軽く振り返ると、昼間の客達や隣のおばちゃんにも披露した、所謂男前な笑顔を向けた。
「大丈夫ですよ。忍者ですから」
そして、闇に紛れ姿を消した。
「……だからといって、心配でないわけではないんだがなぁ」
残された半助が独りごちる。
暫く外を眺めた後で、木戸を閉めた。
「夕凪さん…帰っちゃったんですか?」
すると、未だ眠そうな顔をしながらも、きり丸が部屋から出て来た。
「きり丸、おまえ起きてたのか?」
「なんとなく、目が覚めたんです…」
夕凪が出て行ったのを、察知したかのように。
「また、来てくれますかね?」
「そうだな。来てくれるといいな」
半助は柔和な笑みで答えた。
次に逢うのを、待ち望んでいるかのような…。
少なくとも、きり丸にはそう見えた。
「土井先生、本当にまだ結婚しないんですか?忍者の仕事しながらでもいいから、お嫁さんに来て貰ったらいいのに」
「おまえ…まだ言うか」
「学園にいる間は、この家空けてる事が多いし、居てもらったら助かりますよ?帰って来た時、『おかえりなさい』って言ってもらえるんすよ?」
「きり丸……。どうしてそんなに、私と夕凪君を一緒にさせたがる?」
「だって!」
きり丸は半助の着物を引っ張ると、内緒話をするように耳元で語った。
「先生、結婚はまだしないとは言ってたけど、夕凪さんとは結婚できないって言わなかったじゃないですか。それって、相手は夕凪さんでもいいって事でしょ?」
「なッ…」
「それは、夕凪さんも同じでしたよ」
夜の帳の中、一人の忍者がくしゃみをした。