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とある日、紺藤色の小袖と濃紺の袴、黒鳶色の髪の薬売りの青年――を装った夕凪は、一人の男を尾行していた。
町で家々を回り、この近辺に詳しい主婦を相手に商いをするには、優男風の好青年の姿が都合が良い。
彼女達の世間話は、情報の宝庫だ。上手く会話を誘導すれば、聞きたい事を引き出せる。
そうして集めた情報から、この男が目的の物を持っているのは確実だった。
夕凪は編笠を被り直すと、穏やかな口調で男に話しかけた。
「ちょいと、其処の旦那」
「ん…?俺か?」
「今、此方の扇子、落としませんでした?」
「何!?」
男が、慌てて自身の懐を探る。
何だ、あるじゃないかと取り出そうとしたが、思い直したように再び仕舞った。
その一瞬で、夕凪は男が持っている扇子を確認した。
「おう、それは確かに俺のものだ。ありがとよ」
男は、夕凪が持つ扇子は自分の物では無いと気付きながらも、猫糞しようとしている。
「あれ?変だな。今懐から出しかけた物は何ですか?」
「気の所為だろう。とにかくそいつは俺の…」
「確かですか?」
バッ…と。夕凪は、男の眼前に扇子を広げる。
男が怯んだ隙に、悟らせないよう一仕事。
「本当は持ってらっしゃるんでしょう?これと同じ…けれど、少し違う扇子を」
「き、貴様まさか…ッ!?」
「待て!」
顔色を変え、逃げ出した男を追いかける。
つかず離れずの距離を保ちながら走っていると、茶店が見えて来た。
「甘~い甘~い、お汁粉はいらんかえ~」
一人の少女が店先で呼び込みをしていて、夕凪は微かに口角を上げた。
追いかけるのを止める口実には良いと、スピードを緩めたその時……。
「退けぇ!!」
「わあッ!?」
逃げていた男が、その少女を突き飛ばした。
盆に乗っていた椀が、落ちていく。
「熱…ッ!」
お汁粉が零れ、少女の足の甲辺りにかかってしまった。
「君、大丈夫かい!?」
夕凪はそのまま追跡を中断し、少女に駆け寄る。
「ど、どうしたんだね?きり子ちゃん…!」
「すみません。お汁粉がぁ…」
「ご主人、すぐに桶に水を入れて持って来てください」
奥から顔を出した店主に、夕凪は低い声で言う。
「へ…?あ、ああ…わかりました」
少女を長椅子に座らせ、持って来て貰った桶の水で足を洗った。そして、水の中に浸けさせる。
「う~、冷たい…!」
「少し我慢していろ。火傷をしたら、速やかに冷やす事が大切なんだ」
そうしてよく冷やした後、自身で調合した火傷の薬を塗って、布を巻く。
今の夕凪は薬売りなので、背負っていた薬箱には売るほど入っていた。
「あの、お兄さん。お…いや、わたし、薬代とか…」
「いいよ。さっきの男を追いかけていた、私の所為でもあるんだ。すまなかったな」
「追いかけてって、何で?」
「奴は泥棒でね」
「売り物、取られちゃったの?」
「まあ、そんなところだ。さ、出来た」
早めに処置が出来たので、軽傷で済んだ筈だ。
夕凪は立ち上がると、少女――否、少年に尋ねた。
「痛みは引いたかい?」
「はい!ありがとうございました。お兄さんっ」
自身も性別を偽っていた事から、なんとなくわかる。この子は、女装した男の子であると。
こういった接客をする仕事の際は、男と女で客層も売上も違って来る場合があり、夕凪も状況に応じて性別を変えていた。
この少年も、同じなのだろう。
確かに、茶店等で売り子をする時は娘姿の方がよく売れる。
「大したことなくて良かったなぁ、きりちゃん」
「すみませんでした。店の看板娘に、怪我なんかさせてしまって」
これはほんの気持ちです。いやいや却って申し訳ない。
そんな遣り取りをしながら、夕凪はお詫びの品として、懐紙に包んだ〝例のモノ〟を店主に渡した。
この気弱そうな茶店の主人、実は穴丑である。
夕凪がフリーの忍者になりたての頃、まだ仕事が無く、アルバイトとしてこの店で働いていた事があった。
その延長で、たまに仕事を依頼され、タソガレドキ忍軍の不利益にならない内容ならば、こうして請け負っている。
今回の依頼は、彼が本来帰属している某城から盗まれた、若殿の扇子を取り返して欲しいというもの。
単なるの高価な扇子というわけではなく、紙の部分には細かい文字で暗号が書かれており、秘伝書でもあるのだ。
尤も、盗んだ男は暗号を解読できず、困っていたようだが。
夕凪が男に見せたのは、形は同じだが何も書かれていない扇子だった。
本当はそれを広げた瞬間に、男が持っていた扇子を掠め取っていたのだが…。
此方がまだ奪えていないと思わせる為に、暫く追いかけていたのだ。
まさか、関係ない子供に怪我を負わせるなんて。その事だけは、想定外だった。
「大した怪我ではないが…大事を取って、今日は安静にしていた方がいいな」
「え~?」
「鼻緒が擦れると良くない」
「でも、わたし…バイトしないとお金が…」
「じゃあ、私が君の代わりに働こう。もちろんバイト代は君が貰えばいい。私も薬売りになる前は、いろんなアルバイトをしていてね。接客やお運びは得意なんだ」
「いいんですか?」
「ああ。君は店先に座って、客の話し相手でもしているといい」
あれを奪われたと気付いた先程の男が、戻って来ないとも限らない。
客を装った城からの遣いが、穴丑から件の扇子を受け取りに来るまでは、護衛も兼ねて一応残っていた方がいいだろう。
夕凪は薬箱を隠すと男装をやめ、白い小花を散らした紅藤色の小袖を纏い、艶やかな黒髪の娘姿で店に出た。
「えッ?その格好…本当にお兄さん!?」
「お兄さんじゃなくて、お姉さんって呼んでちょうだいな。わたしも昔、あなたと同じような事をしていたの。こういうのはやっぱり、女の子よね?」
「すっげー!声もキレイ!…ていうか、バレてました?」
えへへっと誤魔化すように笑った少年の名は、きり丸というらしい。
そして、こっそりと耳打ちして来た。
「お兄さん、女装上手いっすね~。おれ、参考にしたいんで、教えてくれませんか?」
厳密に言えば男装を解いただけなのだが、きり丸にしてみれば、先程のお兄さんが女装した姿だという認識なのだろう。
とりあえず、今のところは訂正する必要も無い。
「あなただって、ちゃんと可愛いお嬢さんだけど?」
「おれなんかまだまだっすよ~。お兄さんは、めちゃくちゃ本物っぽいです!」
まぁ、本物の女なので。そんな言葉を心中で呟き、夕凪は破顔した。
「さあ、お仕事しなくちゃ!甘~い甘~いお汁粉はいらんかえ~。美味しいお茶もありますよ~」
「団子に饅頭もありますよ~」
夕凪の声を真似するように、自身も呼び込みをするきり丸。いや、女装中なのできり子である。
「お姉さん!二名様、ご案内でーす」
「はーい。いらっしゃいませ。何になさいます?」
「これは可愛らしい娘さん達だ。姉妹かね?」
「お汁粉を二人前頼むよ」
「はい、有り難うございます!」
夕方になり、夕凪は再び男装し、きり丸をおぶって送って行った。
きり丸も着替えた為、今では姉妹ではなく兄弟のようだ。
「何か、すんません。送って貰っちゃって」
「気にするな。私も久しぶりにバイト出来て、楽しかったしね」
依頼品の受け渡しも済んで、報酬も貰えたしね。
そう思いながら微笑む夕凪だったが、次の瞬間、表情を変えた。
――来る。あの男だ。
「さっきの薬売りだな!?やっと見つけたぞ!」
「何だ、あれを奪い返された事に今更気付いたのか?」
至極冷静にそう返すが、此方には今、きり丸が居る。
逃がして戦えばいいとしても、走れば足が痛むだろう。
「あいつ、さっきの泥棒!」
「きり丸、悪いが降ろすぞ。此処からは一人で帰れるな」
「でも、お兄さんは…?」
「私なら大丈夫だ」
男が向かって来たので、持っていた薬箱を置き、きり丸を降ろしてやる。
此方からも向かって行き、戦闘開始だ。
男の攻撃を軽々と避け、素手で応戦する夕凪。
苦無などの武器は隠し持っているが、きり丸がまだ近くに居るうちは、なるべく使いたくない。
きり丸は夕凪を、元アルバイターの薬売りだと思っているのだから。
――早く、遠くへ逃げて。
「きり丸!どうしたんだ?」
「土井先生!」
そんな時、別の男の気配と声。
どうやらきり丸の知り合いらしい。
ちょうどいい。彼を連れてこの場を離れてくれれば…。
「えっ…?」
一瞬の殺気の後、夕凪の視界の際を、何かがすり抜けていった。
その何かが、此方に斬りかかろうとしていた男の額に命中する。
「痛ッ!いてててッ!!」
何発か放たれたそれが地面に落ちたのを見て、夕凪は驚いた。
「チョーク…!?」
次の瞬間、夕凪を飛び越えていった影が、振り下ろした物は……。
「出たぁー!土井先生の出席簿攻撃ぃ!!」
きり丸の明るい声と共に、頭に攻撃を受けた男が倒れた。
――信じられない。チョークと出席簿で気絶させるなんて…。
夕凪が呆気に取られていると、土井先生と呼ばれていた青年が振り返った。
「怪我は無いか?」
精悍な顔つきからの、優しい言葉。
夕凪は、生まれて初めて、心臓が張り裂けそうな程の高鳴りを覚えた。