Conceal
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その日、授業を終えた半助が職員室へ戻ると、利吉が来ていた。
「やあ、利吉君」
「土井先生、お邪魔しております」
親子でお茶を飲んでいて、半助も自分のお茶を淹れようとした時……。
「夕凪君も来ているそうですぞ」
伝蔵の言葉に、湯飲みを落としそうになった。
「え!?」
「先に学園長先生に御挨拶をして、医務室の新野先生と保健委員会にお礼に行くのだと言っていました。以前、お世話になったからと」
そう言って、お茶を啜る利吉。
「利吉君……もしかして、一緒に来たのかい?」
「ええ。ちょうど私も、父上に届け物があったものですから。任務の途中でたまたま遭遇しましてね。利害が一致したので協力関係を結んだんです」
そのあっさりとした物言いに、半助は思った。
彼は、学園の食堂で働いていた夕凪を間者ではないかと警戒し、戦闘も辞さないと敵意を剥き出しにしていた筈ではなかったか。
「彼女の名が売れたのは私のおかげでもあるようなので、私も彼女を利用する事にしたんですよ」
一体、どんな任務だったんだい?
そう聞きたいのは山々だが、聞くわけにもいかない。
忍者は家族にさえ仕事の内容は話さない。忍者同士でも、尋ねないのが作法だ。
「まぁ、男女二人連れの方が怪しまれない事もあるからな」
「や、山田先生…ッ!」
〝男女二人〟――その単語が、妙に引っかかった。
もしや、恋人や夫婦を装って偵察等の仕事にあたっていたのではと、頭に思い浮かべてしまう。
「半助、何をそんなに慌てておる?」
「いえ、何でも……。すみません。ちょっと、きり丸の様子を見て来ます。また何か手伝いを頼んでるかもしれないので…」
職員室を出て暫く歩いた後、半助はしゃがみ込んで頭を抱えた。
「あーも~、何をやっているんだ私は…ッ!」
忍術学園の正門前で意識の無い夕凪が発見されたあの日、小松田から話を聞いた半助は全身の血の気が引いた。
気が付けば、医務室に駆け込んでいた。
そして、夕凪の無事を確認するなり、思わず抱き寄せてしまった。
生徒である善法寺伊作に注意され、漸く平静を取り戻すという失態だ。
――相手は嫁入り前の娘さんだってのに……。
だが、この両腕で確かめずにはいられなかった。
彼女が生きているという事を。
体温や呼吸、拍動を。
――違う。
半助は両手を下ろし、眺めた。
それらを確かめるだけなら、あんなに強く抱き竦める必要など無かった筈だ。
あんなに、きつく、強く……。
〝死〟という最悪の可能性が頭を過ぎり、慄然としたのだ。
失いたくないと、思ってしまった。
駄目だ。いけない。
気付きかけた何かを払拭するように、半助は頭を振り立ち上がった。
夕凪のことが気にかかるのは生徒に近い年齢だからで、可愛らしいと感じるのは妹のように思っているからで、放っておけないのは、きり丸が世話になっているからで。
だから、他意は……。
「土井先生、大丈夫ですか?」
無意識に、胸付近に手をやって俯いていたらしい。
「わたしが煎じたものですが、胃薬ありますよ?」
いつもの胃痛と誤解されたのか、そんな声が聞こえた。
「いや、大丈夫だ……って、夕凪君!?」
廊下に居る半助を、屋外から心配そうに見つめていた夕凪。因みに娘姿だ。
「あ…胃薬くらい、医務室にありますよね。すみません、部外者が差し出がましい事を……」
悄然とした声と無理に作った笑顔が、半助を動揺させる。
「い、いや!要らないと言ったわけではないんだ。今のはその、胃痛ではなくて…」
「そうなのですか?」
「ああ、何処も悪くないぞ」
「良かった。わたしの気の所為だったのですね」
今度は安堵の色が浮かぶが、何処か儚いものがあった。
「…君の方こそ、体はもう平気なのか?仕事を再開したようだけど」
「ええ。眠り薬が効き過ぎたのと、痣が酷く見えただけで、他は何とも無いですから。仕事に支障はありません」
今では、痣もすっかり消えていた。
「利吉君と、一緒だったんだって?」
その時の半助の声は、普段の明るく柔和なものとは、僅かに異なっていた。
「は、はい」
夕凪は、敏感にそれを察知してしまう。
「学園長先生への手土産を、選んでいただいたんです。どんなものがお好きか、わたしよりも詳しいでしょうし…。利吉さんの用事を手伝う代わりに」
「ん…?任務で協力したんじゃないのか?」
「顔を合わせたのは任務でですけど、協力したのは、その後のお買い物ですよ?山田先生の……伝子さんのお化粧道具を買いに行くのに、付いて来て欲しいと言われて…」
あれか、と。半助は先程の利吉の言葉を思い出した。
『 ちょうど私も、父上に届け物があったものですから 』
そして、それらしき風呂敷包みが、伝蔵の傍らに置かれていたのを。
「利吉君…一人で買いに行きたくなかったんだな。町娘に不審がられるから」
利用するってそういう事か。
半助が溜息を吐く。
「そうだ。きり丸にはもう会ったかい?」
漸く普段の調子を取り戻し、尋ねた。
「それが……」
夕凪の、瞳が揺れる。
「乱太郎君に、今日は図書委員会の当番だと聞いて行ってみたのですが、何か怒ってるみたいで…」
「え?」
「『今、仕事中なんで』って、目も合わせてくれませんでした」
「な、何ぃ!?」
これまであんなに夕凪に懐き、甘えていたのに。
夕凪が医務室に運ばれた時も、号泣するほど心配していたというのに、どうして急にそんな態度を。
半助は驚いたが、それ以上に夕凪が落ち込んでいた。
「わたし、何かきりちゃんを怒らせるような事したのでしょうか?」
潤んだ瞳で上目遣いというくの一最大の武器を、無自覚で発動する程に。
「きり丸!」
図書室を訪れた半助は、委員長の中在家に手短に事情を話すと、きり丸の腕を掴んだ。
「借りるぞ」
「ちょっと…!何なんすか土井先生?ぼくまだ図書委員の仕事があるんですけど…ッ」
「いいから来なさい」
そうして外へ連れ出すと、片膝をついてきり丸と目線を合わせた。
「さっき、夕凪君が来たよな?」
「…ッ」
「おまえ、何かあったのか?」
「別に…。当番放り出したら怒られるし」
仄暗い声に、表情。半助には覚えがある。
忍術学園に入学したばかりの頃だったか、初めて半助の家に来た頃か。
その身の上を象徴するかのように、時折、ふいに顔を出す尖った側面。
「きり丸…」
「今日はバイトも入れてないし、手伝ってもらう事も無いですから」
半助は、きり丸の肩に手をかけ、その双眸を見据えた。
「おまえは、夕凪君にアルバイトを手伝ってもらいたいだけなのか…?」
「……」
「そんな理由で、私に結婚まですすめたのか?なぁ、違うだろう!?」
「……だって…」
何かを堪えるように、きり丸が口にした。
「夕凪さん…おれの兄ちゃんじゃない。姉ちゃんでも、ない…」
「何…?」
「おれだけに、優しいわけじゃないもん…。おれだけが…特別じゃない…ッ」
震える声で、きり丸は語った。
様々な感情を綯い交ぜにしながらも、懸命に押し殺して。
夕凪が、伏木蔵に手を引かれながら、図書室に案内されているのを見た事。
ちょうど薬草園から戻って来た伊作達を見つけ、駆け寄ろうとした伏木蔵が不運にも落とし穴に落ち、それを助けようとした伊作と左近と数馬が次々すっ転んで摘んできた薬草を散蒔き、結局夕凪が助け出していた事。
動きやすいよう男装の忍装束姿になって穴の底に降り立ち、伏木蔵を抱きかかえ飛び上がって…。
「取られたと思ったのか…伏木蔵に。だから、怒ってたんだな」
「他人なのに、変な期待したバカなおれ自身にっすよ…」
半助には、今のきり丸の気持ちが手に取るように解った。
そして、気付かぬようにしていた事に、気付いてしまった。
悋気を起こして、一線を引いて、まるで同じじゃないか。きり丸と。
「きりちゃん」
身を潜めていた夕凪が、膝をつき、きり丸の小さな背中をそっと抱き締めた。
「わたしね、きりちゃんが泣いたら、せつないよ。きりちゃんが怒ったら悲しかったし、笑ってくれたら嬉しくなるの。また、会いたいなって思う。それじゃ、駄目かな…?」
澄んだ声が、静かに紡ぐ。
きり丸は、僅かに肩を震わせたが、黙っていた。
口を開けば、堪えているいろんなものが溢れ出してしまいそうで、ひたすら噤む。
一度知ってしまった温もりは、もう失いたくない。
こんな気持ちになるくらいなら、もう……。
「きり丸…」
きり丸の頭に手を置き、半助は言った。
「好きなんだろう?夕凪君のこと」
その優しい声に、言葉には出来ずとも、頷いてしまうきり丸。
「――私も好きだよ」
一瞬の、静寂。
きり丸も、夕凪も、頭を擡げ、半助を見た。
「もう認めよう、きり丸。私もおまえも、夕凪君が好きなんだ。失うのが怖い。他の誰かと仲良くしてると気に入らない。泣かせたくないし、笑顔を向けられると嬉しくなる。正直可愛くて堪らない」
自身から手を離し、ぺたんと腰が抜けたように座り込む夕凪を背後に感じながら、きり丸は思った。……否、叫んだ。
「ど…土井先生ッ!!それ、おれに言ってどーするんすか!?」