Kirschwasser
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FBI捜査官、赤井秀一。組織から最も警戒され、命を狙われる存在。
潜入当時の偽名は、諸星大。コードネームは、ライ。
――その男が、ジンを……。
彼の頬骨を抉った銃弾の痕に、キルシュは、そっと、手を伸ばした。
「5年前…だったな」
射創の下に指先が触れた瞬間、ジンが発した言葉により、動きが止まる。
「奴が組織に潜入したのは」
キルシュが、ジンに飼われ始めたのも、5年前だ。
諸星大は、宮野明美という末端の構成員――科学者である
ジンの鋭い双眸が向けられ、キルシュは目を逸らせなかった。
「殺してください」
口にしたのは、そんな言葉。
「どうか、あなたの手で」
もし、僅かでも疑いが生じたのなら。
跪くキルシュを見下ろし、ベッドの端に座ったジンは微かに口角を上げる。
「馬鹿が…。おまえを殺したら、誰が俺の世話をするんだ」
防弾ジャケット越しとはいえ、赤井が撃ったライフルの弾丸は、ジンの身体に酷い爪痕を残した。
組織お抱えの医師の治療もそこそこに、ジンが塒に戻って来たのは、キルシュに看護させればいいと思ったからだ。
「おまえがNOCなら、大した無能だな。5年間も何してやがった。だいたい、5年前からずっと、おまえの居場所は俺に筒抜けじゃねぇか」
飼い犬は繋いでおくものだ。
キルシュには、常時発信機が付けられている。
それはキルシュにとって、極自然な事。
ジンに知られて困るような事など、一つも無い。
「何か、隠し事でもあったか?」
「No,Sir.」
答えのわかりきった質問に、わかりきった答えを返す。
キルシュは、処置を再開した。
傷口は、既に出血が止まっていた。その緋色を洗滌し、創傷被覆材で覆う。
「傷は塞がっても、痕が残ってしまうかもしれません」
初めての事ではないだろうか。
身体の方はともかく、顔に痕が残るような傷を付けられたのは。
キルシュは内心、衝撃を受けていた。
「スコープを狙って来やがったからな。あと少し反応が遅れていれば、眼球を持っていかれただろう」
「眼、を……」
思わず、ジンの深緑色の瞳を見つめる。
あの日、キルシュを射抜いた、恐ろしくも美しい炯眼。
失われなくて、良かった。
そう思っていた時、唐突に後頭部を掴まれ、引き寄せられた。
噛み付くように、唇を奪われる。
微かに血の味がした。
「……ジン…?」
解放され、暫く茫然としていると、ジンが、からかうように宣う。
「何だ。強請ってたんじゃねーのか?」
物欲しそうな
彼がそう言うのなら、そうだったのだろう。
少し動くだけでも痛む筈なのに、無理をさせてしまった。
キルシュは申し訳なくなりながら、鎮痛剤と水を持っていく。
胸部は冷やし、包帯を巻いて固定してある為、今は隠れて見えないが、かなり痛々しい状態である。
暫くは安静が必要だ。
あの防弾ジャケットも、もう使い物にならない。
替えを用意しておかなくては。
「キルシュ……おまえ、水無怜奈を知っているか?」
キルシュによる清拭を受けながら、ジンは言った。
「日売テレビのアナウンサーですか?」
「ああ――」
キルシュは与えられた指令に「Yes,Sir.」と答え、ジンがベッドに身体を沈めるのを見届けた。
暁月知香は、自称20歳のネットアイドルである。
ダークブラウンのウェーブヘアを黒のリボンでポニーテールにした、沖野ヨーコと水無怜奈を足したような容姿の美少女。「漣きらめく青い海」をイメージしたカラーコンタクトを付けている。
料理の腕は十人並みで経験不足故の失敗もあるが、独創的な盛り付けのセンスや水無怜奈風にレシピを朗読するナレーション、調理の合間に歌っていた沖野ヨーコの代表曲『ムーン・レディ』が評判となって人気を得た。
日売テレビの日曜夜のニュース番組で、話題のネットアイドルとして特集されると反響を呼び、同テレビ局の朝のニュースバラエティー番組「朝生7」の人気コーナー、「沖野ヨーコの4分クッキング」にゲスト出演し、憧れのアイドルと対面を果たした。
真実は 青い月の光
瞳とじて 見上げれば 扉が開かれる
ムーン・レディ
美しき
ムーン・レディ
抱きしめて 光と色 すべてにとけるまで
「大好きなヨーコちゃんと同じ番組に出演できるなんて夢みたい。しかも一緒に歌えるなんて!一生の思い出にしますねっ」
「ありがと。私も楽しかったわ」
料理が出来上がるまでの間、1コーラスだけ二人で歌った。
ヨーコのファンである事を公言している知香の嬉しそうな姿に、ヨーコ自身も顔が綻ぶ。
「お料理中も、ヨーコちゃんにいっぱいフォローしてもらって…。私の動画だと、いつも『包丁使いが危なっかしい』とか、『早くしないと焦げちゃうよ!』とかってコメントがあるんですよ~」
「私も知香ちゃんの動画見たけど、出来上がりはどれも美味しそうよ?言われた事はすぐに改善できてるし、大丈夫よ!」
「本当ですか?でも、実は私…元々左利きで、小さい頃に右に矯正したんです。だからたまに左右がわかんなくなっちゃって、それで不器用なのかな?――」
後日、配信されていた映像を見たウォッカは、「キルシュってそんなに不器用なんですかい?」と思わず漏らした。
手製の料理を食べた事のある彼には、先程までの〝ジャガイモの皮を剥く途中で手を滑らせて落っことす〟〝火加減を間違えてヨーコに教えてもらう〟〝横口レードルを持つ手を間違え混乱する〟等の小さなミスを重ねる姿は、いつものキルシュからはまず想像出来なかった。
「わざとやってるに決まってんだろ…」
紫煙を吐き出し、ジンが言う。
「だいたい、あいつは元々右利きだ。今は両利きだがな」
キルシュは左、黒澤実桜は右……その他シチュエーションに合わせて利き腕を使い分けている。
因みにキルシュが左利きとなっているのは、左利きのジンを手本にした結果だ。
「しかし、人気ありますねぇ…暁月知香。ダンスも上手いし。このままどっかの事務所に、スカウトされちまったりするんじゃ?」
「芸能界になんざ入れるかよ。一般人と芸能人の中間…。いつでも消えられて、且つ自由に動けるのが都合がいいんだ。あまり長居させるつもりもねぇ」
テレビ局の社員やバイトとして潜り込むには、経歴を巧妙に偽造する必要がある。
芸能人として有名になれば、私生活の謎を暴こうとマスコミが騒ぎ出す。
故にキルシュは、暁月知香というインターネット上のキャラクターを創った。
その名前は当然ハンドルネームであり、その容貌は憧れの人のメイクや格好を真似ているのだから、本当の顔はわからない。
経歴が謎でも、実在する人物ではなかったとしても、何も不自然ではない。
『サイトは趣味でやっていたので、こんなにたくさんの人に見てもらえるなんて思いませんでした。テレビに出るのはちょっと恥ずかしかったんですけど、日売テレビさんならって…。怜奈さんはお休み中でお会いできなくて残念でしたが、ヨーコちゃんと共演できた事は本当に幸せです!』
写真や動画で注目を浴びつつ、飽くまでファンの一人である事を貫く暁月知香。
そうやってキルシュは、絶妙な立ち位置で日売テレビに入り込んだ。
そして、集めた情報をジンに報告する。
キールはFBIの手に落ちたとみて間違いない、というのがジンの見解だ。
もう目星をつけて、組織の人間が探りを入れているところだったが、そちらの動きはキルシュには直接関係が無い。
キールに関する詳細も、知る必要は無かった。
暁月知香は、〝キール〟という組織の人間を捜しているのではなく、アナウンサー〝水無怜奈〟のファンなのだから。
休暇を申請する為に人事部長に電話をかけた、水無怜奈を名乗る者が再び接触してきた時の為に、キルシュは引き続き、テレビ局内に網を張っていた。
社員、スタッフ、共演者……様々な関係者との繋がりを得て。
熱心なファンとも交流を持ち、あらゆる情報を精査する。
「水無怜奈が毛利小五郎に接触したのは、沖野ヨーコの紹介だったようです」
組織の事を嗅ぎ回っている、探偵のようなキツネ――毛利小五郎に対する疑惑を、ジンは捨てていなかった。
水無怜奈に発信器と盗聴器が仕掛けられた件で、シェリーやFBIと関係があると睨んでいる。
「探偵との接触を試みますか?」
「いや…。FBIがウロチョロしてるうちはまだ動くな。それに、近付くならその姿よりも……か弱い子羊の方がいい……」