Kirschwasser
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ドアを開き、エレベーターから降りたジンが、拳銃を拾う。
そして、それを使い、今度は男の両脚を撃った。
「キルシュ」
「はい」
ジンに返して貰ったデリンジャーを、キルシュはガーターホルスターに戻す。
未だジンに銃を突き付けられているその男は、あの賢橋駅の取引の日、ジンを睨んでいた構成員だ。
「やはり来たか。俺の命を狙いに…」
苦悶の表情で呻いている男を見下し、ジンが冷たい声で言う。
「兄貴!」
待機していたらしいウォッカと、組織の工作員が扮する数人の従業員までやって来て、もう逃げ場は無い。
「クソッ…!油断してたんじゃなかったのか…っ!?」
この男には、ジンがお気に入りの女を部屋に誘い、途中のエレベーターで戯れ合っているように見えていた筈だ。
その時を狙って撃ち殺す算段だったのに、返り討ちにあってしまい嘸や悔しいに違いない。
「一応聞いておいてやる。何故、俺を狙った…?」
その言い方から、ジンは男の言い分を、ある程度は予想出来ているようだ。
この1ヶ月程で、情報は揃っていたという事か。
「ぐっ……貴様が、ベルモット様を軽く扱うからだ…!!」
Vermouth――ジンの療養中に、見舞い品を贈ってくれた人だ。
キルシュは会った事が無いが、名前は知っている。御礼状もきちんと出した。
ジンと同じ組織の幹部だというので、失礼の無いようにと。
男が語った事を要約すると、ベルモットのようないい女に言い寄られておきながら、彼女の誘いを断ったジンが憎いという事らしい。
男がベルモットと関わったのは、ほんの数回運転手をした時だけのようだが、彼女のファンなのだそうだ。
嫉妬からの逆恨みである。
「だからって、ジンの兄貴を狙ってタダで済むと思ってんのか!!?」
ウォッカが気色ばむのも当然だった。
「はっ…ベルモット様は、あの方のお気に入り……あ、あの方だって、きっと誉めて下さる…!」
キルシュは組織の内情など知らないが、ジンとウォッカの表情を見る限り、「それは無い」という事が読み取れる。
「ククッ…こりゃあとんだ勘違い野郎だぜ」
ジンは嘲笑していた。
「いいか…?誰の誘いに乗ろうが断ろうが、そんなもんは俺の勝手だ。テメェのような下っ端には、囀る権利すらねぇんだよ」
「このっ……ベルモット様という方が居ながら…ほ、他の女と、いちゃつきやがって…!」
「それも俺の勝手だな」
「ど…どうせ……こ、こないだの…秘書みてぇな、女も…慰み者にしてんだろ…!?」
既に三発撃たれている為か、男の呼吸が乱れている。それでも情念をぶつけて来る気力はあるようだが。
「ホォー……おまえは俺の慰み者になったのか?なぁ、〝秘書みてぇな女〟さんよ」
ジンが、男から視線を外す事なく訊ねる。
「いいえ」
答えるのはもちろん、キルシュしか居ない。
「その女じゃねぇ…!澄ました面した、眼鏡の…っ」
「フン……どうやら、まだ分からねぇようだな」
せめて、あの時の女とジンの後方に居る女が同一人物だと見抜けるような優秀な構成員だったら、もう少し寿命が延びたかもしれない。
しかし、この様では今後も役に立つ事は無いだろう。
「なっ……本当に、この女が……あの時、の…ッ」
キルシュは男を見据えながら、抑揚の無い声で言った。
「私はジンの慰み者になった事はありませんし、なったとしても拒む理由はありません。私は、ジンのものですから。ジンが私をどう扱おうと、それは彼の自由です」
男は理解出来ないという表情だったが、思いがけず届いた声で、それは絶望に変わる。
《私の方も、ご心配いただかなくて結構よ》
ウォッカの持つスマートフォンから聞こえる、高飛車な女の声。
「ベ…ベルモット様…?」
《私を守るナイトにでもなったつもり?何処まで愚かなのかしら。しかも、ジンに銃を向けるだなんて…。そんな事が許されると思って?》
まあ…あなた程度じゃ、傷一つ付けられないでしょうけどね。
嘲りを含んだベルモットの言葉が、ますます男の心をズタズタにしていく。
「…そ…んな…っ」
《彼を狙った事、あの世で後悔するといいわ。――さようなら、ナイト気取りのピエロさん》
それは、死刑宣告だった。
「……と、いう訳だ。残念だったな」
通話が終わり、ジンが目顔で合図した。
来い、と言われているのだと。キルシュは、彼の傍らに歩み出る。
「見せしめだ。止めはおまえが刺してやれ」
「はい」
ホルスターから、先程のデリンジャーを抜いた。
銃弾は残り一発。確実に仕留めなければならない。
「あ、兄貴?何も、わざわざキルシュに殺らせなくても…」
「いくら銃が扱えたところで、いざって時に躊躇っちまうようなら生き残れねぇからな…。丁度良い練習台だ」
酷薄そうに唇を歪めながら、ジンはキルシュを後ろから抱え込むようにしてその左手を支え、しっかりと照準を合わせてやる。
男の、頭に。
「ぅ…あ、ア゙ァ…っ」
「良かったじゃねーか…。てめぇの大好きなベルモットじゃねぇが、こんないい女の初めての男になれるんだぜ」
そう…キルシュはまだ、人を殺した事が無かった。
これが、初めてだ。
「ゃ、やめッ……やめ、ろ…ォ…っ!!」
男は何とか逃れようとするが、押さえ込まれていて叶わない。
そうでなくとも、重傷なのだ。逃げられるわけがない。助かるわけがない。
「さあ、黒に染まれ…。撃て、キルシュ!」
「Yes,Sir.」
キルシュは、躊躇無く引き金を引いた。
ジンの殺害を目論んだ男を、この世から排除した。
後始末をウォッカと工作員達に任せると、ジンとキルシュは、改めてエレベーターに乗る。
「子役はもうお終いだ。仕事の続きを教えてやる」
食事の時の「部屋を取ってある」というジンの台詞は、本当だったのだとキルシュは思った。
「殺した奴の事は忘れていい。いちいち記憶しておく必要はねぇ」
「はい」
「まぁ、思い出す余裕もねぇだろうがな…」
頤を持ち上げられ、キルシュは目を閉じた。
先刻とは違い、熱を孕んだ口付けに、震えるような吐息が漏れる。
初めて人を殺めた。ジンの言う通り、子役はもう卒業だ。
こういった事も、今後の仕事には必要になってくるのだろう。
ホルスターを外しベッドに仰臥すると、ジンの銀髪がさらさらと落ちて来る。
「今夜は、俺の事だけ考えていろ」
それは、人殺しになったキルシュの、精神的な負担を考慮しての事だろうか。
だが、キルシュは思いのほか負担に思わなかった。
ジンを殺そうとした反逆者など、処刑されて当然だ。
その役目を任せられた事は、寧ろ光栄である。
耳に直接降り注ぐジンの低い声に、脳まで痺れてしまいそうになりながらも。
ジンの手の下で、体を喜悦に震わせながらも。
キルシュは、懸命に伝えた。
「いつも…ジンのことばかり、考えています…」
「…そいつは好都合だ」
ニヤリと口角を持ち上げて、ジンはまた唇を重ねた。
彼はおそらく、愛などという感情は持ち合わせていないけれど、その眼は確かに、キルシュを欲していた。
全く、キルシュの敬虔さには畏れ入る。
ジンは紫煙を燻らせながら、自身の子飼いを眺めた。
人形と見紛うほど静かによく眠っているその女は、もう、自ら手にかけた男の事など、忘れてしまったに違いない。
……だが、自らの手を汚した事は、忘れたりしないだろう。
キルシュにそれを命じた時、ウォッカが言っていた。
何もキルシュに殺らせなくても、と。
「違うな……こいつに殺らせる事に意味があるんだ」
キルシュは、もう戻れない。
人を殺め、穢れたのだ。
何処へも行けない。逃れられない。
――今宵の事は全て、キルシュを繋ぎ止める楔となる。
決して外れる事のない、純黒の楔を打ち込んだ。
これでもう、キルシュがジンから離れる事は無い。
「そろそろ、実桜の方にも構ってやるか…」
アッシュグレーの髪を指先で弄び、ジンは独りごちた。