Kirschwasser
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雪の日――杯戸シティホテルで右腕に傷を負ったジンは、ボスへの報告を済ませた後、治療を受けた。
銃弾は貫通しており、骨や神経の損傷も無い。患部の縫合をしてしまえば、後は自宅療養で事足りる。
利き腕でないだけ、まだ良い。
それでも片腕が不自由なのはやはり不便であり、ジンは包帯の交換や身の回りの世話をキルシュにさせていた。
「兄貴、見舞いです」
ウォッカがフルーツギフトを持って部屋を訪ねて来て、ジンは思わず舌打ちをした。
怪我は右腕だけで、重篤患者でもないというのに。
「いちいち大袈裟だな……ベルモットか」
「へい」
メロンに葡萄に梨に林檎、それからオレンジ等の様々な柑橘類……高級果物の老舗で買い求めたような豪華なギフトにはカードが付いていて、英語でメッセージが描かれていた。
[ 日本じゃお見舞いにはフルーツが定番なんでしょう?早く治るよう祈ってるわ。 xxx
P.S. お酒と煙草は控えなきゃ駄目よ? ]
「フン……そのわりに酒に合う柑橘ばかりじゃねぇか。剥くのも面倒だ」
ソファに深く腰を下ろし、ジンはカードをテーブルに投げた。
「そういやぁ、キルシュの奴は居ねぇんですかい?」
ウォッカは室内に視線を巡らせるが、その姿が見当たらない。学校も欠席し、献身的にジンを看護している筈の女が。
「あいつなら、そろそろ戻って来る頃だ」
もしかすると何処かで会ってるかもしれねぇぜ?
ジンのその言葉に、ウォッカは記憶を辿ってみるが……。
「来る途中、それらしい女は見ませんでしたぜ?エレベーターで一緒になったガキは居やしたが…生意気そうなボウズで、降りる階も違いやしたし」
黒のキャップを被り、ネイビーブルーのダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んだ茶髪の少年が、変声期の途中らしきハスキーな声で、「お先に」とエレベーターを降りて行った。それだけだ。
「そのガキ、何処の階で降りた…?」
「えっ…いや、まさか……」
やがて、ノックの音が聞こえ、キルシュが入って来た。
ビスクドールを思わせる顔立ちに、服装は白のフリルブラウスと、細いウエストがより強調されるような紺色のフレアスカートで。
ウォッカにも、キルシュだと分かる風貌だ。
「只今戻りました」
「キルシュ……途中でウォッカに会わなかったか?」
「ええ、お会いしましたよ。エレベーターで。お見舞いを持って来てくださったんですよね」
「あ、ああ…」
その透明感のある声も、やはり先程の少年とは結びつかない。
だが、キルシュの言葉からして、ウォッカと同じエレベーターに乗っていたとしか考えられなかった。
先に降りたのは、一度自分の部屋に戻って姿を変えてきたから。
そして自宅から持って来た荷物は、調理済みのジンの食事と、果物ナイフだった。
「どうだった…杯戸シティホテルは?」
「問題ありません。酒蔵だから、燃えやすいんですね。あれなら、痕跡と言えるような物は残っていないと思います」
「兄貴、キルシュを現場に?」
「ニュースを観た軽薄なガキが、興味本位で見に行っただけだろう。ただの野次馬だ…」
キルシュはフルーツギフトの中身を確認しながら、無造作にテーブルに置かれたメッセージカードを一瞥した。
「この果物、デザートに出しましょうか?」
「ああ…適当に切っておけ」
ジンはこうした時、細かな選択はキルシュに任せる。
特に何が食べたいというわけでもないので、キルシュが用意したものは基本的に何でも胃に入れるのだ。
「夕食、一緒に召し上がりますか?」
硝子玉のような瞳が向けられ、ウォッカは思った。何度重ね合わせようとしても、やはり先程の少年とは似ても似付かない。
ゆったりとしたジーンズやジャケットで、体型を上手く誤魔化していたのだろう。姿勢も崩していたし、目つきも悪かった。
「いや、俺はこれからまだ仕事が…」
「では、よろしければお持ち帰りください」
渡された紙袋には、密閉容器に入れられた料理。見舞い品のお裾分けにと、林檎と梨も一つずつ。
煮込み料理の類は、ジンに作ったもののお零れがウォッカに回って来る事があるのだ。
「オウ、こりゃどうも」
ウォッカも男の一人暮らしで手料理というものに飢えているので、キルシュの料理が貰えるのは正直有り難い。
キルシュとしても、ジンの補佐役にはなるべく健康で居て貰わなくてはならない為、ウォッカの栄養状態も、頭の隅で気にかけていた。
「それじゃあ、兄貴。お大事に」
「だから大袈裟だってんだ…」
食事の前に、入浴を手伝い、包帯を変える。
キルシュの、此処数日のルーティーンだ。
射創を消毒し、医薬品を塗り、ガーゼをあてて包帯を巻く。
基礎的な医療知識はある程度は身に付けている事もあり、これくらいならキルシュにも出来る。
「痛みませんか?」
「ああ…」
キルシュは、聞かなかった。怪我の原因を。
ジンが自ら話さない限り、耳に入れる必要は無いと思っている。
だが、誰かに撃たれたとは考えにくかった。傷口は接射銃創のようであるし、ジン程の男がそう簡単に傷を付けられるとは思えない。
そんな事の出来る人間は、そうそう居ない筈。まして、この日本には……。
今回の任務はジンにとっても予定外の事が多かったようで、キルシュは全く関わっていなかった。
指令を受けてもいないのに現場に近付けるわけもなく、自身の与り知らない所で彼に怪我を負わせてしまった事を、ただただ悔やんだ。
怪我をした翌日、ジンはノートパソコンで作業をしており、キルシュがコーヒーを淹れて持って行くと、シェリーの画像を見せてこう言った。
『以前見せた、裏切り者のデータだ。覚えてるな…?』
『はい。本名は宮野志保、18歳の天才科学者。身体的特徴は――』
『この
――黒を裏切ったあの女を、緋色に染めてやらねぇとな……。
あの時のジンは、獲物を狩る時の眼をしていた。
ライオンや虎のような猛獣ではなく、蛇のように冷血な、暗い中にも、何処かギラギラとした眼だ。
キルシュがジンに飼われ始めて少し経った頃、ウォッカがジンに言っているのを聞いた事がある。「キルシュはシェリーと違って素直なガキ」だと。
年頃が同じというだけで、立場も何もかもが違うのに、何故比較されたのかは分からない。
シェリーが誰かなんて、データでしか知らない。その女が組織にとってどれだけの重要人物だったのかも、ジンにとって何の役に立っていたのかも……。
キルシュはただ、ジンに命じられた通りにするだけだ。
「……おい」
ジンの食事中、果物を剥いていると、声を掛けられた。
「あまり、ウォッカに気を回し過ぎるなよ。堕ちるぞ」
堕ちる、という言葉の意味が一瞬解らなかった。
「ウォッカが私に陥落する、という事でしょうか…?」
それは有り得ないのでは……と、思う。
第一、キルシュがウォッカにまで気を回す理由を、ジンは知っている筈だ。当然、ウォッカ自身も。
全ては、ジンの為であるのだから。
「あいつが俺の子飼いに手を出すわけがねぇってか。まあ、そうだろうな」
だが、こんな甲斐甲斐しい女が自分にも居たら……くらいの事は思ってるだろうぜ?
ジンは、此方に顔を向けぬままそう言った。
彼はどちらかといえば洋酒をよく飲むので、合わないであろう和食を作った。飲むと言われれば逆らえないので、予め、あまり飲みたくならないようなメニューを。
ウォッカの好物でも、有ったのだろうか。流石に弟分の好みまでは把握していない。
ああ…それよりも、煙草を控えてくれるかどうかの方が心配だ。せめて今だけでも少なくして欲しい。傷に障るから。
不意に、ジンがキルシュに視線を寄越す。
「忘れたか?おまえは、既に一人堕としてんだ。殺ったのは俺だが、原因を作ったのはおまえだ。しかも、まだガキの頃にな」
堕ちる、とは。そちらの意味でもあったのかと、キルシュはもうほとんど覚えていない――いや、思い出す必要のなかったその男を数年ぶりに頭に浮かべた。
自分が原因でウォッカが破滅するのは困る。
「肝に銘じます」
食べやすくカットした果物を、皿に盛り合わせた。
毒見を兼ねた、検食を済ませて。
見舞い品のお返しはどんな物が良いか、考えておかなくては。
Vermouth様に――――